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1――斬り込む


 軸足で踏んばろうとした地面が、くるぶし一個ぶん落ち込んでいたのが災いした。

 右足を取られたウルは「あわわわっ」と声をあげながらつんのめって、あわやガカルハイデに頭から飛び込んでいきそうになる。

 急いで身体を横倒しにしたので、かろうじて火の塊には届かずに済んだ。


「ふうううう」


 まこと、身体中が空洞になったかのような思いで安堵の息をついたウルだったが、


(大馬鹿者めが!)


 叱責は逃れられない。

 それも、


「なにやってるんだ!」

「なにをしているのです!」


 身体の内と外、空と地上からと、叱責が飛んでくる方向は実に多様。


(剣士たるもの、足場には常に意識の一割ていどは向けているものだ。そんな初歩の初歩を忘れるかよ、たわけめ)

「初歩の初歩だって教えられた覚えはねえよ!」


 ウルは抗弁しつつも、体勢を立てなおすのに必死だ。

 立ちあがって、ガカルハイデから距離を置こうとするものの、まずいことに、炎連なる肉体が首の巡りとともにウルのほうを向いた。

 四つの目玉がまちがいなく自分を見ていると感じて、ウルの全身から汗が引いた。


「ああ、もうっ!」


 瞬間、マリーが上空から降下して、ガカルハイデとウルのあいだを猛スピードで横切った。

 獣がわずかにのけぞったそのとき、


(いまだ)

「わかってる!」


 ウルはいわれずともガカルハイデに背を向けようとした。


(いやちがう、逃げるな、踏み込め!)


 <剣聖>の声は、ウルの脳裏で火花を散らしたかのようだった。

 とともに、ミツルギが「こうせよ」というイメージが記憶とともに明滅する。


 瞬間、不思議なことがウルの内側で起こった。

 これまでの――つまり、<剣聖>に出会う以前のウルならば、なにをいわれたところで逃げ出していたはずだ。

 誰しもが自分の命を優先させる。

 ウルだけが『臆病者』のそしりを受けるいわれもない。

 しかし。

 ミツルギが伝えるイメージが、ふとウルの興味をそそった。

 それははじめて見る、ウルからすれば『新しい』剣の型であったのだ。


(へえ、そういうことができるのか)


 という素直な驚きが、


(自分もやってみたい)


 という欲求に重なった。

 新しいおもちゃを見せびらかされた子供のような、しかしそれだけに非常に大きな、抗いがたい欲求。


 迷いも逡巡しゅんじゅんもなかった。

 あったにせよ、それは一秒という時間を何百にもこま切れした、刹那にも満たないあいだのこと。

 ウルの視線がいったん地面へと向いた。

 さすがに警戒はする。

 だからといって、見すぎることもない。

 いまはミツルギが解き放った記憶のイメージについていくのに必死――というより、夢中だ。


「あいつ、なにしてる!」


 ガカルハイデの横合いを飛び抜けたマリーは、急上昇を経てから振り返ってみて、ウルが一歩も動いていないのに気づいた。

 クレハももちろん察している。


「馬鹿、逃げなさいっ」


 クレハは腰を落として、<風断ち>を短く放った。

 手首の返しを利用した、威力よりも速さを優先した抜き打ちで、射程は狭くとも、風が矢のように鋭く飛ぶことから、<つぶて>と呼ばれる技だ。


 発動が早いために攻撃よりもむしろ防御に用いられることのほうが多く、ガカルハイデの肩の辺りに命中したことで、実際、一瞬だけ獣の注意を逸らすことができた。

 さらに<つぶて>の連弾を見舞うことで、敵をおびき寄せたかったクレハであるが、さすがに疲弊の色濃く、結局次の矢をつがえられぬうちに、ガカルハイデはウルに攻撃をしかけていた。

 あえて爪を振るおうとせず、口を大きく開いたのは、距離が近すぎたためだろう。

 燃えさかる首を振り抜きざま、火の色のあぎとがウルをとらえた。


「あっ」


 思わず、空中のマリーと、地上のクレハとが声を揃えた。

 その寸前のこと。

 ウルは一歩踏み込むと同時に剣を抜き放っていた。

 いつもの<風断ち>なら腰から横殴りの一刀を振るうところだが、今回は、斜め上へと――肩より高い位置へと一気に振りあげる。


 すでに火炎の牙が間近に迫っていたが、ウルの意識はもはや身体の外側にはなかった。

 だからだろうか、死を目前にしているというのに一抹の恐怖すらない。

 <剣聖>の描くイメージに喰らいつきたいという一心のみ。

 切っ先がかすかにガカルハイデの首へ沈んだ。


「あれは」


 クレハが左目をかっと見開いたのは、父が一度だけ見せてくれた剣の型にそれがぴたりと重なりあったからだ。

 ガカルハイデには実体としての肉体がないため、剣は留まることなくすり抜ける。

 自然、ウルの勢いも止まらない。

 身体を一回転させざま、剣尖に円を描かせる。

 斜めの楕円に切り抜かれた空間が、横回転の突風を生んだ。


 <旋風>の変型版だ。

 文字どおりのつむじ風が車輪のごとき形で放たれると、ガカルハイデの首根っこへ激しく喰い込んだ。

 なおウルの動きは止まらない。


 さらに一歩を踏み出すと、回転を終えたことで下に位置していた刀をすばやく両手持ちにしてから、先端を風の車輪へぐっと押し込んだ。

 すると、風に呑まれたウルの身体が前方に宙返り。

 自ら生んだ縦回転の風に、ウル自身が呑まれた格好だ。

 ウル本人とウルの剣が車輪とほぼ同じ軌跡を描いた。

 結果、縦回転の強烈な一撃が巨獣の首へ叩き落とされる。


 ミツルギ名づけていわく、<月十文字>。


 防御に秀でた相手を想定した技で、最初の一撃で敵の防御を崩して、間髪を入れずに次の一撃で脳天を割る。

 風の力を借りた二撃目の威力もさることながら、この連撃は、斜めの斬り上げから瞬時にして頭上からの二撃目につながるため、たとえ敵が初手を防ぎきったにしても、二撃目を防ぐことはほぼ不可能といっていい。


 横と縦、月が交差して十字を描くがごとし。

 才気にあふれた<剣聖>ならではの技ではあるが、しかしこれがマガツ神相手にどれほどの効果を発揮するか。


 結果はすぐにわかった。

 着地したウルは、タイミングからすると、もうその瞬間にはガカルハイデの牙にかかっていてもおかしくなかった。

 が、巨獣は首ごと巨体を大きくのけぞらせると、ウルから数歩あとずさっていたのである。

 首根っこに当たる位置の炎が、斬撃の形にくりぬかれている。


(ちいっ、またも浅い)


 ミツルギはそういうものの、まちがいなく効果はあったのだ。


(初手が鈍かった。連携も遅い。本来、もっと回転での連撃を与えられる技だというのに、あれでは、風を斬った恩恵の半分も得られぬわ)

「あのさあ、ご教授は、あとで、いいかな」


 ウル自身、巨獣からあとずさりながら答えた。

 技をかろうじて成功させた喜びはあったものの、足が鉛のように重い。

 慣れぬ技を用いたことでクレハ同様に消耗しているのだ。

 さらには、


「あっ、刀が……」


 はっと気づいた。

 兵士の槍がそうであったように、ガカルハイデの肉体に触れた武器は炎の侵食を受けてぼろぼろになってしまう。


(見たことか。空間を斬らず、じかに触れたものだからそのざまだ)

「だから……」

(よそ見をするな、敵はまだ目の前にいる!)

「どうしろって――!」


 ガカルハイデが体勢を取り戻す。

 ちなみに、ウルは例の鬼吼を腰に差していなかった。

 マガツ神に気配を悟られてしまうあの剣は奇襲の邪魔になるというので、待ち伏せをかけるときに置いてきたのだ。

 つまり、手持ちの武器がない。

 巨獣の咆哮とともに、四つの目玉がウルの頭上で蠢いた。

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