9――誘導
東の城門の防衛を任された隊長は、部下の疲弊を感じ取っていた。
突如あらわれたマガツ神を退治すべく、ここからも小隊を派遣したが、ひとりとして帰ってきていない。
加えて、付近は先ほどまで大騒ぎだった。
大勢の民が押しかけてきて、「門の内側に入れてくれ」と大声で懇願し、兵士と押し合いへし合い、それで怪我人も出る始末だ。
隊長は独断した。
「わかった、門を開けてやる。きちんと列をつくれ。子づれを優先だ。無駄に騒ぐような輩は最後尾にまわってもらうぞ!」
そう大声で呼ばわった。
「よ、よろしいのですか?」
部下が焦りの表情で聞いてきた。
なけなしの食料を持って逃げてきた民から投げつけられたらしく、鎧兜が野菜やら果物やらの汁にまみれている。
見た目の不恰好さでいうなら、隊長自身も似たようなものだった。
「さっきから、避難民の数が増えていない。つまり、ここへ通じる道も火で閉ざされたということだ。これ以上増えぬのなら、次から次へ民が殺到して、必要以上の混乱に落ちるということもあるまい」
という判断だった。
皆それを聞いて納得しかかったが、ひとりが声をひそめ、
「なかには、『王国人』でない顔もちらほら見られます。城へ入れれば、伯爵さまの身が危ういのでは」
そう告げる。しばし隊長は考えた。
「見張りをつけて、全員をひと塊にさせておけ。用を足したいといっても必ず目の届く範囲でさせろ。責任はおれが持つ」
それで門は開かれて、数分ののちには静けさを取り戻したのだが、そうなるといっそう、眼下に見わたせる赤一色の光景に肝が冷える思いがした。
少なくとも城下町の東側は、燃えていない箇所を探すのが難しいほどの惨状だ。
そういえば、さっきまでは、緊急を知らせる鐘が街のそこかしこからひっきりなしに鳴りひびいていたものだが、いまはもう聞こえない。
隊長は槍を持つ手がかすかに震えているのに気づいていた。
マガツ神の恐ろしさ、まがまがしさは子供のときから飽きるほど聞かされていたが、もちろん彼をはじめ、隊の誰にも直接の戦闘経験などはない。
「隊長、城への伝令はありませんか」
「お城に要請の使者を出してはいかがでしょう」
そわそわとした兵士たちがやたらと城への連絡係を頼まれたがっているのは、一秒でも長くこの場から離れていたいからだ。
恐怖の情に駆られているのはもちろん、知りあいや家族の安否を早く確かめたいためでもあろう。
しかし、半時間前に伝令を出してからこっち、城門側から伝えたいことなどなにもない。
状況は悪化する一方。
逆に、城側から新たな指令が届かないことには進展もなにもないのだ。
(どうするつもりだ?)
隊長自身、焦りの色を隠しきれない。
大陸に渡ってきて以降、マガツ神を二度にわたって駆逐してきた誇りのある『王国人』であるものの、マガツ神に対抗するための手段が決して豊富に取り揃えられているわけではなかった。
むしろ、戦い方のひとつもわからない。
となると、この先、情況が好転することなどもあり得ず、ただただ見つめる先が炎で消失していくばかり。
(最悪、伯爵さまや、そのご家族だけ、城外へお逃げいただくということになる――)
その場合、民は見殺しだ。
民ばかりでなく、もしもすでに城の上層部が同じ判断を下していた場合には、自分たち下級の兵士たちとて同様だった。
無為な命令で無為な戦闘をおこなわされて、無為に命を散らして、城主たちが逃げるまでの時間稼ぎにのみ使われる。
城に仕える兵士にしてみればそれも名誉になり得るが、隊長も、ひと息で割り切れるほどに達観してはいない。
ともすれば、城下に住まう家族のことが頭に浮かんできてしまう。
家があるのは西側の地区だから、ここからでは状況もほとんどわからない。
生まれてからほとんどはじめてといっていいくらい、熱心に神へ祈りを捧げたとき。
「あ、待てっ、何者だ?」
部下のひとりが切迫した声をあげるのを聞いて、顔をあげた。
下り斜面の向こうから、ひとりの女性が駆けてきていた。
手に剣らしきものを握っているのに加えて、あきらかに東国人の衣装を身につけている。
さらにいえば、ここへ通じる道は炎で遮断されていたはずだ。
それらの情報が一瞬にして統合され、隊長も「危うい」と踏んだ。
「近づけるな!」
命令を受けた部下たちが、足を止めた女性を包囲しようとする。
すると、女性は剣を腰の鞘におさめて、頭上を振り仰いだ。
隊長たちも釣られて上を見やる。
大量の煙を吸いあげてなお静謐に星を散らした夜空を、小さな火球がよぎった。
火球はぐんぐんと大きさを増して地上に接近しつつある。
すぐに、火球の上に小柄な少女が奇跡的なバランスを保って乗っかっているのが見えてきた。
(なんだ? ま、魔女か?)
兵士たちが早くも悲鳴をあげるのを耳にしながら、隊長も、幼いころに祖母から聞かされた、マガツ神を操る魔女の伝承を思い出していた。
火球ごとさらに降下してきた少女は、そのまま地上にぶつかるかに思われたが、鋭い角度で急浮上、地面から数十センチの距離を得ると、兵士たちのあいだを猛スピードで駆け抜けた。
巻き起こった風に視界を閉ざされた隊長は、
「散れっ」
という声を、まるで自身の発した命令のように錯覚した。
いわれずとも、少女が降下してきた時点で、兵士たちは四方八方に散っている。
そのために生じたわずかな隙間を埋めるかのように、さらに別のものが空から降ってきた。
隊長が感じたのは、まず熱風。
頬を、鼻を、いやさ鎧で覆ったはずの全身を熱く舐めるような風が吹いてきたかと思うと、次いで、地面が海と化して波打つかのような衝撃に見舞われた。
さらには、夜気をつんざく獣の咆哮。
「う、わああ!」
「ま、マガツ神が出たあっ」
隊長と同じく、四方で尻餅をついた兵士たちが大声をあげた。
彼らの包囲網の中央に、オレンジ色をした炎の塊が圧倒的な質量を誇りながらそびえていた。
隊長はごくりと生唾を飲む。
ただの塊に見えたその炎に、いくつかの亀裂が走ったかと思うと、その亀裂ごとに枝わかれした炎が、獣のそれによく似た手足を形成していく様がはっきりと見て取れたのだ。
「や、槍を取れっ。取れいっ」
隊長は上ずった声をあげて、地面に突きたてた槍を支点にして立ちあがると、ためらうことなく身構えた。
間近にするとそれだけで押されるほどの熱風を浴びつつ、
「マガツ神を狩ることのできる栄誉を与えられたぞ。英雄になれ、者ども!」
鼓舞する声をあげて、真っ先に炎獣へと突きかかった。
その勇姿に促されてか、「おおう」と声をあげながら数名が隊長につづいた。
槍のひと突きをことごとくに繰り出す。
穂先すべてが体内に沈んだと見えたとき、獣がいかにもうるさそうに前肢を振るった。
甲冑を着込んだ全員が後ろへと吹き飛ばされる。
背中から地面に落ちた隊長は、息を詰まらせながらも起きあがろうともがいた。
手にした槍を見て、しかしさすがに血の気が引いた。
穂先はどろどろに溶かされており、とっさに守りに用いた柄のほうも、炎の赤と炭の黒に侵食され、もはや用を為さなくなっている。
隊長は直感した。
人間の武器が通じる相手ではない。
ということはすなわち、
(人の勝てる相手ではない)
『かれら』が『神』と呼ばれている理由を、人々は改まって思い知らされた。
いましも、炎獣は一歩を進めて、その巨大な前肢をふたたび振りあげていた。
隊長のみならず、そこかしこで呻き声をあげている兵たち丸ごとをひと撫でできる位置にある。
顔に走った四条の亀裂内をぎょろぎょろと動く炎の目玉に見つめられて、まるで獣の『神』に魅入られたかのように身動きできなくなった隊長と、炎の色を曳きながら振りおろされかけた爪のあいだ――、あるかなしかの空隙を、いきなりの突風が裂いた。
爪が上方へ弾かれて、隊長が呆気に取られているうちに、先ほどの東国人の女性が前方へと駆けていく。
抜刀している。
獣が首を巡らせて、殺意の矛先をその女性へと向けたが、女性は足を止めぬままふたたび刀を腰の位置に戻す。
『神』の声なき咆哮。
なおも追撃の爪が宙から落とされる。
瞬間、反転した女性は腰を大きく沈ませると、きらっと光の糸を引くがごとくに剣を振り抜いた。
またも突風が生じた。
すると炎の獣が顔を背けて、わずかに後退。
「おおっ」
知らず、隊長は叫びをあげていた。
その原理は無論わからねど、先ほど自分を救った風もまた、あの女性が放ったものだと気づいたからだ。
獣がこのとき大きく伸びあがった。
後ろ足に体重をかけて、上体を持ちあげたのだ。
圧しかかれば、城門さえ一撃で粉砕するだろうと思わせるほどの巨体、そして熱量。
その標的になっていることは明白なのに、女性は動かなかった。
隊長と同じく『神』に魅入られたのか、もしくは、人間離れした技を立てつづけに放った代償で動けないのか。
いいや――。
このとき、隊長は霞む視界のなか、獣を挟んだ向こう側から、別の人影が走り込んでくるのを目撃していた。
少年だ。
女性と同じく、東国風の剣を腰に帯びている。
(おお……)
女性は動けなくなったのではなく、獣の注意を自分に惹きつけておくことで、少年の奇襲を成功させようとしているのだ。
ということは、あの少年もまた、女性と同じくマガツ神に通じる技を有しているにちがいない。
駆け出したそのタイミングも、位置取りも、完璧だった。
伸びあがるマガツ神の巨体に、熱風に髪そよがせる女性、駆け込んでくる少年――この三つの存在を同時に視界に入れられていたのは、おそらく隊長だけだったろう。
だからなのか、この三つが不可思議な均衡を保ったかのように、一瞬、時間が停止したと彼には思えた。
(そこだ――)
声には出さぬまま、隊長は心中で快哉に近い叫びをあげた。
(いけえっ――!)
まるで声なき声に乗せられたがごとく、少年は腰の剣に手をかける。
停止した時間が崩れ去る一瞬。
三者から伸びた均衡の糸がぷつりと切れるとともに、少年は最後の一歩を踏みしめる――。
が、
「あっ」
と彼は間の抜けた声を発し、隊長は、
「えっ?」
といった。
少年はあと一歩のところで、これでもかというほど派手に蹴つまづいていたのだ。




