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8――誰がために


 ウルが屋根の上から消えて、数分後。

 炎の海を真下に眺める尖塔上空で、マリーはまた何度目かの突撃を敢行しようとしていた。

 クレハが制止の声をあげつづけているのだが、まったくもって聞く耳を持たない。


 ガカルハイデは警戒の色も露わに、この突撃をやり過ごす。

 その、かわす距離がじょじょに短くなっているようにクレハには見えた。

 野生の獣が反撃の機会を窺う仕草そっくりに、ガカルハイデは首を伏せて、頭上を飛びまわるマリーの姿をじっとめあげている。


「マリーさん!」


 いずれ炎の爪にかかるは必定ひつじょう

 クレハは思いきって、マリーの行方を遮る位置へと駆けつけた。

 ちょうどガカルハイデの鼻先をかすめて急降下したところで両手を広げると、マリーは身体を後ろへ傾けて急停止した。


「馬鹿っ! 邪魔をするな。お婆ちゃんのところにいてくれって、いったのに!」

「お願いだから、こちらの話を聞いてください」


 クレハは細い声を精いっぱい張って、ガカルハイデをおびき寄せる算段を口にした。

 マリーは「ふん」とそばかすの散った鼻を高慢そうにそびやかした。


「部外者が勝手なことをいうな。お婆ちゃんを見捨てたミツルギの弟子や娘の助けなんて要るもんか」

「さもありましょうが、このままでは……あっ」


 マリーが鉄鞠をぽんと垂直に蹴りあげた。

 そこへ器用に飛び乗ったマリーは、一瞬にしてクレハの頭上へと舞いあがる。

 なおも突撃。

 その都度、クレハは息を切らしながらマリーに立ちはだかろうとするも、


「お、お願い……ですから……」

「知らないっ」


 マリーはマリーで汗まみれになりつつも、この益もない突撃をやめようとしない。

 ガカルハイデの体勢をなんとか崩して、屋根からの落下に持ち込みたい構えのようだったが、


「それでは、あのマガツ神を倒すなど不可能です!」


 いい加減、さすがのクレハも辟易へきえきして大声を出した。


「なんだって?」

「あなたの炎では、同じ<火>で形成されているあの敵には通用しません。むしろ活気づかせるだけでしょう」

「うるさいっ! あたしひとりでもやれる。お婆ちゃんがマガツ神を狩ったみたいに、あたしにだって……」

「アネッサさんとて、おひとりでマガツ神を狩ったのではありません。わたしの父や、<剣鬼>イスルギさまとともに戦っていたのです。剣士たちを援護しながら、ご自分の不得意とするところは剣に任せて。ここはわたしたちも――あっ」


 炎の色が目線の高さに走ったのを見て取って、クレハは咄嗟にマリーの肩を抱いて跳躍。


「わっ」


 マリーが悲鳴を発した直後、ガカルハイデの巨体が、さっきまでクレハたちのいたところへと落下した。

 地ひびきと土煙が世界を圧した数秒ののち、クレハはマリーを抱えたまま屋根ひとつを飛び越えていた。

 ついに、炎獣がマリーへの攻撃を開始したのだ。

 さすがに息を呑んだマリーだったが、


「……ふん。散々しっぽを踏みつけてやったから、やっとその気になった、ってわけ」


 減らず口を叩く。

 屋根を転がり落ちていた鉄鞠に手を差し伸べると、内側で燃えている<火>がその手に呼応してか、宙をすばやく逆戻りして、少女の足もとにふたたびおさまった。


「ま、マリーさん。このままでは、あなたが死んでしまいます」

「おまえらの知ったことか!」


 すすだらけになった頬の汗をひとつ拭うと、マリーはまたも跳躍。

 りることなく獣へ接近していく。


「本当に……もう、本当に……!」


 はらはらと見守るクレハの様子にも、ある変化が生じてきた。

 マリーは当然知らぬことだが、ここのところ、まったく思いどおりにいかないことの多いクレハだ。

 敬愛する父を亡くしたばかりだというのに、その仇を取ることはいっこうにかなわず、また父と同じか、あるいはそれ以上に慕う兄からは邪険にされる一方。

 そこへきて、聞きわけのない少女までもがあらわれた。


「むう」


 温厚な女剣士もさすがに頭にきたか、頬を一瞬膨らませたクレハは、なぜかガカルハイデからはるか遠い距離で腰の刀に手をかけた。


「いええいっ」


 気合一声、剣尖けんせんが頭上で半月を描いた。

 速度と力は見事のひと言。

 ただし、『敵』にはほど遠い。

 ――いや、


「あっ!?」


 はるか頭上で聞こえてきた悲鳴が証明したとおりに、効果はあった。

 クレハが放ったのは<旋風>の応用技で、<月嚙み>。

 <旋風>は地面に円を描くことで四方の敵を倒す、もしくは剣士自身を上昇気流で運ぶ技だが、こちらは頭上を薙ぐことで、気流を上方へと解き放つもの。

 つまりクレハが狙ったのは、炎獣ガカルハイデではなく――、


「きゃああっ」


 気流を乱されたことで落下してくるマリーのほうだった。

 その落下位置へ正確に移動したクレハは、難なく少女の身体を抱き止めると、硬い音を立ててバウンドした鉄鞠をも足で踏みつけた。


「おっ、おまえ……、つ、ついに本性をあらわしやがったな……!」


 マリーはクレハをにらみつけるのだが、乱気流に揉まれた影響で目がぐるぐるとまわっている。


「お願いします、わたしだってお婆さんを助けたいんです」

「あ、あたしを狙った奴が、ぬけぬけと」

「アネッサさんは、あなたを頼む、とわたしたちにいわれました。あの方の願いを、あなた自身で踏み消さないでください」

「なにをう……」


 マリーはなおも<剣聖>の娘を罵倒しようとしたが、ようやく正常になった視界に意外なものを捉えてぎょっとなった。

 クレハの顔だ。

 唇をへの字に曲げていて、おまけにその目はあふれそうなほどの量の涙を溜めている。


「ど、どうして、どうして、わかってもらえないのですかっ」


 クレハが地団太を踏むごとに、マリーの身体が今度は上下に弾む。


「お、お、お」

「事情こそわかりませんが、あなたがわたしの父上を恨んでいるのはわかりました。でも、でも……、その恨み、憎しみが、なにより大事ですか? 勝つことよりも? お婆さんを守ることよりも? 人は、意固地になって真に優先すべきものをまちがえると、いつか大切なものを見失ってしまうんです! お願いします、どうか、どうか」


 知ってか知らずか、いつしかクレハはウルの言葉をなぞっている。

 右手一本でマリーを抱っこしたまま、左手では、はらはらとこぼれ落ちはじめた涙を拭った。

 おまけに駄々をこねるみたいに腰を小さく揺すりながら、うーっと喉を鳴らす。

 立派な体格の剣士にはまったくふさわしくない姿だった。


「お、おまえなあ」


 呆れかえったマリーの顔からは、すっかり毒気が抜かれていた。


「わかったよ。そこまでいうなら手伝わせてやる。やるから、さっさと降ろせ」

「あっ、は、はい」


 クレハは大急ぎでマリーを降ろすと、踏んづけていた鉄鞠も渡してやった。

 それを受け取る際、泣き顔から一転して、にっこりとした――それこそ毒もなにもない、童女のようなクレハの顔に思わず見惚れてしまいそうになりながら、マリーはそっぽを向いた。



 一方、燃えさかる街を汗みずくで駆けているウル。


(大見得を切ったものだな)


 <剣聖>の揶揄やゆは止まらない。


(では、わしも貴様にいってみよう。おまえが『本当に』勝ちたいのなら、なぜわしに身体を貸さん? それこそ、つまらぬ誇りが邪魔しているのではないのか?)

「おあいにくさま。おれに剣士としての誇りなんてないね。強敵と戦うのに誰かの手を借りたくない、っていうのとは、わけがちがうんだ。ただ単に、あんたに人生の一瞬でもゆだねるのがおっかないだけだよ」

(それで、取った手段が囮戦法か。<剣聖>の魂を宿した男のやることとは思えん)

「あんたはさあ、最初から強かったの?」


 角を曲がろうとした矢先に、吹きつけて来る熱風に驚いたウルだったが、しかし意を決して、街路を塞いだ火を縫うようにしてなおも駆ける。


(や、どういう意味だ?)

「剣を取って戦いはじめたときから、誰にも負けることのない強さを持っていたのか、って」

(そんなわけがあるものか。強さとは、日々、血のにじむ修練の積み重ねでしか得られない。おまえとてわしの記憶を覗き見たのならば、実感としてわかりそうなものだ)

「じゃあさ、まだそんなに強くなかったないとき……まあ、いまのおれよりはよっぽど強かったことにしてやるけど、そんなときに、強敵と戦わなきゃならなかったとする。逃げるも負けるもならない、絶対に勝たなきゃいけない、そんな状況だってあったはずだよ」


 駆けるごとに、ゆく手の、あるいはあとにしたばかりの建物が崩落して、そのうち、ゆくも戻るもならなくなるのではないか――そうした恐怖が喉をねっとりと絞めあげてくるのを、ウルは苦労して押し殺している。


(あっただろう、それは。いく度となく)

「そんなとき、あんたは馬鹿正直に、真っ向から立ち向かっていったのかい?」

(なに?)

「どうしても勝たなきゃいけないのに、わざわざ負ける確率が高い戦法を取るのが誇りだとはどうしても思えないな。自己満足の馬鹿、死にたがりの馬鹿、ただの馬鹿」

(――)

「あんたはもう、弱かったときのことなんて忘れているんだろうけどさあ!」


 いましも、横合いからごおっと炎が吹きつけてきたので、あわてて身を屈めながらウルは大声を出した。


「歯が立たない相手にどうしても勝たなきゃいけないなら、それなりの戦い方ってのがあると思うのよ。あんたに身体を貸すんじゃなくって、おれが『やる』ってのは、つまりそういうことなわけ」


 <剣聖>はなにもいわなかったものの、同時に、揶揄することもやめた。

 ウルは街路の向こう側だけを見ている。

 左右に視線をやると、火のついた木材や石くれにつぶされた人の姿を数多く目にしなければならないからだ。


(逃げるんじゃない、これだって戦いだ)


 ミツルギの声がやんでも、ウル本人の自問自答はやまない。


(もう火に追われて逃げるのなんてごめんだ。だからって、ユーフォリー人のために命を懸けるのなんて、もっとごめんだ。誰かの生贄になるのは、金輪際ごめんなんだよ! だから、これはおれのためだ、いまはもう剣を持っている、おれのための戦いなんだって!)

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