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7――作戦


 まだ距離が遠い。

 そう思えたのに、ウルがまばたき一回終えたときにはもう、クレハは巨獣の頭上に位置していた。

 両膝を折りたたんだ姿勢のまま、たいを左にひねっている。

 そのわずかな『溜め』の直後に<風断ち>を横一文字に振るう――はずだったろうが、空中で姿勢が乱れた。

 ガカルハイデの肉体から、一条の炎が放たれたのだ。


「くはっ」


 放たれた直後に獣の前肢を形成したその炎で、クレハは屋根の上へと叩き落とされた。

 さらに巨獣はぐうっと身体を伸ばして追撃。

 とっさに<風断ち>を短く放って即席の盾としたクレハの身体は、衝撃に押されるがまま後退したが、太い炎も軌道をらされて、クレハの頬を熱風となってかすめ過ぎていった。


「……おお」


 数秒にも満たない攻防を、息をも詰めて眺めていたウルは、はーっと息をついた。

 現在、巨獣の前肢ぎりぎりの距離をきっちり隔てて身構えているクレハはさすがだが、しかしよく見ると、たくましい両肩がせわしなく上下している。


 技の連発はさしもの彼女もきついらしい。

 となると、ガカルハイデが兵士たちを全滅させたときのような猛追をしかけていればクレハも危うかったわけだが、しかし今回、巨獣はうるさそうな仕草でクレハを追いやったばかりで、なぜか本気で跳びかかろうとはしていない。


「邪魔するな、<剣聖>の娘!」


 獣の頭上、五、六メートルの距離を旋回しながら、マリーが大声を出している。

 やや上体を伏せた巨獣の目は、こちらのほうに誘われれがちであった。


(やはりあのマガツ神、マリーに同じものを感じ取っておる。取り込む気でいるぞ)


 <剣聖>が声をあげる。


(おまえがやるというならそれも構わんが、まずはあの娘をマガツ神から遠ざけろ。さもないと、取り込まれた彼女もろとも斬る羽目になる)

「わ、わかった」


 マリー、クレハ、ガカルハイデの三者が奇妙な膠着こうちゃく状態にあるのを見て取ると、ウルは遅ればせながらクレハのほうへと駆けつけた。

 隣に並ぶや否や、


「手出しは無用」


 クレハがいうのを、


「あいつはマリーを取り込もうとしているんだ。それくらいわかるだろ? このままじゃ、あいつもろとも斬る羽目になるぞ」


 ウルは<剣聖>の言葉を借りて説得しようとする。

 クレハが唇の端を噛んだ。

 街まで駆けつけてきた最大の理由は、当然マリーの救出にある。


「わたしがしかけるから、おまえがマリーさんを遠ざけなさい」


 苦悶の表情でクレハはそういったが、


「いいや。マリーを囮にしたほうがいい」


 ウルがあっさりそういったので、


「なにっ!?」

(なにっ)


 父娘が仲よく声を揃えた。

 クレハが愕然とした視線を向けるのを無視して、


「あのバケモノがマリーを無視できないのは好都合だ。上手くやれば釣れるよ。ええっと」


 ウルは、屋根の上から素早く四方を見わたした。

 待ち伏せをかけるには狭い場所へ敵を追い込むのが王道だが、あれほどの大物となると、ひとっ跳びで包囲網を抜けられてしまうだろうし、それ以前にきちんと踏んばれる場所でないとウルは技を振るうことができない。

 こんな屋根の上などは論外だ。

 もっと広くて、足場の安定した場所のほうがいい。


 街の中央に、うってつけの広場がある。

 が、火に挟まれて進むも戻るもならなくなった人々の姿も大勢見られた。

 背伸びをして、さらに高い位置から視線をひと巡りさせたウルは、城に通じる丘道に目を留めた。

 丘がなだらかになった頂上付近に、ぐるりと巡らされた城門がある。


 ウルがくぐってきた門は街の外壁に当たり、いま見えたのはベルトール伯の居城を守るためのものだ。

 赤々とした都市部に比して暗がりに閉ざされているためよく見えないが、兵士たちの姿が複数あるようだ。

 利用できる、とウルは踏んだ。


(あの娘を囮にして逃げるだと? 貴様はここへなにをしに駆けつけてきた? ええい、もういいからわしに身体をよこせ!)

「逃げたいなら、おまえひとりで逃げなさい。わたしは決して――」


 父娘が詰め寄るなか、


「いいから聞け!」


 ウルがいきなり大声を出すと、クレハはびくっと肩を上下させた。

 『敵』に生じた隙を一気にくかのように、ウルはその肩をやおら抱いて、頬を寄せつつ、城門のほうを指差した。


「いいか、おまえがマリーを先導して獣をおびき寄せるんだ。あいつは絶対にマリーを追ってくる。十分――いや、五分でいい。時間を稼いだあとに、あの門へと誘い込むんだ」

(待ち伏せするかよ?)


 さすがの<剣聖>はとっさに見抜いた。


「そうだ、おれが待ち伏せをしておく」


 <剣聖>に肯定するとともに、クレハに説明する。


(山猿めが。年端のいかぬ娘を囮にしようとは、やはり貴様は剣士でもなんでもないわ)

(山猿で結構だよ)


 ウルは心中で返した。

 こういう局面で、はるかに腕の立つ剣士に見下されたところで、いちいち腹も立たない。


「できるなっ?」


 ウルはなけなしの勇気を振り絞って、クレハと視線を合わせた。

 近い。

 女剣士の力量を考えると、次の瞬間には手を振り払われた上にぶん殴られかねなかったが、クレハは相変わらず高圧的に出られるのがとことん苦手なようで、眼帯をしてないほうの目を泳がせている。


「し、しかし、守るべき女の子を、お、囮にしようとは卑劣極まりない。やはり、ここはわたしが……」

「おまえが戦っても――いや、おれとおまえ、二対一であの獣に正面から立ち向かったところで、勝てやしないよ」

「なんだと? おまえが、わたしの剣のなにを知っているというのかっ」


 クレハの目にさすがに怒気が混じったが、


「この肩に触れた。多量の汗をかいて、息も乱れている。ただ一回の攻防でだ。おまえだって、あの敵の力を肌で感じているはずだ。その上で、まずは認めろよ。自分じゃ勝てないって。そしてさらにその上で、勝てない相手になんとかして勝てる方法を見出すんだ」

「し、しかし」

「剣士ってのは厄介なもんだな。ご自分の誇りがそんなに大事かね? 勝つことよりも? 誰かを守ることよりも? じゃあ、さっさと死んじまえ。血と贓物ぞうぶつと誇りにまみれて自己満足で死んでいくがいい。結果、あの子もすぐにあとを追うことになるだろうけどさ!」

「う」


 クレハが左目をぎゅっと閉じた。

 いまが攻めどころと判断して、ウルはむしろ声のトーンを落とした。


「そりゃ、あんたの父親なら勝てたかもしれない。その父親を誇りにして、その父親のようになりたいと願うあんたには、耐えられないことかもしれない。でも、おれもあんたも、<剣聖>じゃないんだ。いまは勝てない、いまは死ぬ。<剣聖>になろうにも、その過程で死んじゃったら、永遠にそうはなれないんだぜ。いいか、クレハ。どんなときだって道はひとつじゃないんだ。なにも真っ正面から斬り伏せるだけが剣士じゃない、ってこと。勝者ってのは、その場においてなにをいちばん優先させるかを、即座に決められる奴のことだ。そして本当の誇りってのは、自分を殺してでもそれをやり遂げようとする奴だけについてくるんだ!」

(よくもまあ、べらべらと)


 <剣聖>の呆れた声に反して、クレハの目が開いた。

 若干、まだ迷いの色が表情に覗いていたが、かすかに顎を引く。


「よし」


 ウルは笑顔になって、と同時に素早くクレハから身を遠ざけた。


「それなら、すぐにでも作戦開始だ!」

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