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6――大火のケモノ


 大きい。

 取り押さえようにも、大人が十人、いや二十人がかりでも不可能に思えるほどだ。

 ウルがこれまで見たことのあるいちばん立派な馬より二倍も鬐甲きこうの位置が高く、その太い前肢が振りおろされれば、サーカスで見たことのある獰猛な虎や獅子でさえ、一撃で血を吐いて内臓をぶちまけることだろう。

 ウルやマリーなどはいわずもがな。


 さらにいえば、『それ』はただの獣ではない。

 あるはずがない。

 巨体を支えるあしは六本。

 背中には長いたてがみが揺れている。

 そんな獣はあり得ない。

 が、外見的特徴でいえば瑣末さまつなことでしかなかった。


 なにしろ、皮膚も爪もたてがみも、そして長い尾も、すべての部位が風で波打つ火炎で形成されていたからだ。

 鼻っ面の伸びた獅子のごとき顔には短い亀裂が四条走っており、その内部で火の玉のような瞳が絶えず上下左右していた。

 ひと言でいえば、炎の巨獣。


(<火の血族>が崇める火の神に仕える獣――名をなんといったか、そう、ガカルハイデだ)


 <剣聖>の言葉も、立ちすくむウルの胸をむなしく吹きわたる風のよう。


(<血族>の抱く恨みの心が凝集したものであれば、なるほど、ふさわしい器を得たものよ。あれはご神木のマガツ神などよりよほど厄介だ。見たとおり、なまじの武器など通じまい)


 いっているそばから、それを証明する光景が展開された。

 ベルトール伯の城から駆けつけたと思しき兵士たちが、屋根屋根を伝いながら、槍を手に巨獣へじりじり接近していくのが見えた。

 尖塔に取りついた巨獣も気づいたらしく、四つの火の玉のぎょろぎょろとした動きがことさらに激しくなる。


「化け物め、これ以上街を燃やさせはしないぞ」

「覚悟っ!」


 兵たちは自分を奮い立たせる声をあげながら、槍をいっせいに投擲とうてきした。

 数は十以上。

 寸前、すっくと身を立ちあげた炎の獣は、ウルが目で追うのも困難ほど敏捷に動いた。

 ウルに見えたのは、辺りを埋めた火の色よりなお濃い炎が、屋根の上を、二、三度、バウンドしたような姿だけだ。


 次の瞬間、槍の穂先はことごとく、屋根か教会の尖塔で硬い音を立てて跳ねかえっていた。

 すべてを避けた――だけならいざ知らず、巨獣は兵たちの頭上からすでに躍りかかっていた。

 上空から振り落とされた爪の一撃が、兵三名をまとめて粉砕した。


「うわああっ」


 すぐ近くにいた別の兵が、腰から剣を抜いて斬りかかった。

 至近距離のこと、剣はあやまたず獣の首もとに命中した。

 しっかとした手ごたえがあるはずが、剣がそのまま炎に沈み込んでしまったため、兵士は前のめりに倒れた。

 結果、自ら炎の固まりに飛び込むような格好となって、頭を焼かれて絶命した。


 残りの兵士の運命もほぼ同じようなものだった。

 こんな光景が、都市内部でどれだけ繰りかえされたことだろう。

 死骸はおろか、血すら蒸発して消えるような状況では、被害者がどれだけの数にのぼるかも計れない。


 ウルは本能的に刀に手をあてがってはいたものの、敵対的な行動を取ればその瞬間にでも獣が頭上にあらわれるかもしれないと思うと、うかつな真似はできなかった。

 獣から屋根をひとつ挟んだ先に、マリーの姿がある。

 アネッサへの誓いをウルは忘れてはいない。

 なんとしてでも彼女だけは無事に連れ戻さねばならなかった。


(大人しくしていろ)


 祈りにも似た気持ちで、ウルは無言のうちに訴えかけるのだが、


「この!」


 あろうことか、マリーは文字どおり火中に踏み入るような真似をした。

 例の鉄鞠に自らの<火>を宿すと、それに飛び乗った。

 鉄鞠は落下しない。

 そのまま空中を滑るような動作で、炎の獣ガカルハイデへと接近したのだ。

 空をも飛べるその技術は、それはそれでウルを驚かせたが、獣の見せたあの俊敏さを思えば、いくら空中からだろうと格好の餌食に思えた。


「ば、馬鹿っ」


 ガカルハイデの一撃で四散する少女の姿が脳裏に浮かんだ。

 しかし巨獣はなぜか横っ飛びにマリーの突進をかわすと、ウルたちから見てさらに向こう側の屋根へと着地した。

 身を低くして、マリーの次の行為をうかがうような姿勢になる。


「ど、どうしたんだ?」


 ほとんど破れかぶれといっていい体当たりが、兵士の投げつけた槍以上の脅威になったとは考えにくい。

 なのに爪を振るうでも、炎で燃やすでもなく、あきらかにガカルハイデはマリーを警戒して飛びずさっていた。


(感じておるのだろう。あの娘が、自分たちの<血族>であるということ、さらには<火>の力を宿しているということも。いまは戸惑っている……といったところか)

「仲間だと思っているってこと?」


 一瞬、希望の光明こうみょうが見えた気のしたウルだったが、


(仲間だからと、大人しくなるとは思えん。むしろ、同じ性質の魂を持ちあわせているなら、おのが内部へ取り込もうとするのがマガツ神だ。あの娘、放っておけば依り代になるぞ)


 <剣聖>の返事にむしろ冷や汗を掻かされた。

 ご神木のマガツ神に関する話や、ミツルギの記憶の断片から察するに、あの魂の集合体ともいえる巨獣は、マリーの肉体と精神を核にして、さらなる変化を――強化といいかえてもいいか――図っている、と想像がつく。


(あの娘の魂もマガツ神の性質に近いゆえ、普通の人間より取り込まれやすいはずだ。王国人への恨みも共有しておるようだからな)

「く、くそっ」


 見あげているばかりではらちが明かない。

 ウルはやはり首を伸ばしていたクレハに近づくと、


「<旋風>を使え。それで屋根の上へいくぞ」


 と声をかけた。

 <旋風>は、<風断ち>を円形に放つ技で、上昇気流を起こしやすい。

 クレハははっとしたような、それからむっとしたような視線を返してくる。


「いくにしても、わたしひとりでやります。ともにいくというなら、自力でなさい」

「まだそんなつまらぬことを!」


 ウルはここぞとばかりに大声を出した。

 途端にクレハの両肩が跳ねあがる。


「おれたちがいい争っているうちに、<火の魔女>の孫娘が死に絶えてもいいのか! それが<剣聖>の娘として取るべき態度だというなら、好きにしろ。末代まで侮辱の対象になるだろうがな」


 クレハが丸く見開いた目に、迷いがさざめいている。

 ウルも、段々とこの娘の性質がわかってきた。

 彼女とてマリーを救いたいと思ってはいるはずだし、本心ではウルに恨みをぶつけている場合ではないともわかっている。

 その迷いを吹き消す勢いで強く促されると、ついつい従ってしまうのが彼女なのだろう。


「さあ、やれっ」

「め、命令しないで。やるから!」


 ウルはクレハのすぐ背中に位置した。

 クレハの<旋風>で起こる上昇気流に自分も乗っかろうとする、いわば秘技の『ただ乗り』だ。

 果たして、クレハが身を旋回させざまに刀を振るとほとんど同時に、二人の身体が空へと舞いあがった。

 技の発動があまりに早かったので「うわっ」という悲鳴を噛み殺すのにウルは苦労した。

 熱風を背中に受けつつ、気づいたときには屋根の上へと着地していた。


「よ、よし、いいぞ。さすが<剣聖>の娘。よくやった!」

「父の仇が、調子に乗って……」

「さあ、いくぞ」


 ウルたちは、マガツ神とマリーが見える方向へと走り出す。

 密集した屋根をひとつふたつ飛び越えると、ガカルハイデが赤々と巨体を燃やしているのが見えてきた。

 相変わらず身を低くしているその周辺を、マリーが縦横に飛び交っている。

 ウルはたたらを踏んだ。

 兵士たち相手に見せた獣の種敏さを思えば、いたずらに接近できない。

 その迷いを見て取ってか、


「どうしました? マガツ神退治の技を飽きるほどに見せてくれるのではなかった?」


 隣に並んだクレハが嘲るような声を出した。


「ま、待て。まだだ。優れた剣士というものは、むやみやたらと打ちかからず、敵の観察を怠らぬものだ。わが師ミツルギも第一にそうおっしゃられた」

(いってはおらぬが、まあ正論だな)


 ミツルギが低く笑った。

 あれほどのマガツ神を目の当たりにして、まったくの平常心でいる様子なのはさすがだったが、


(とはいえ、あの相手、おまえにはちと荷が重いのではないかな。わしに代わってはどうだ?)


 という提案を素直に呑むわけにはいかない。

 <剣聖>の過去にまつわるあれこれも耳にした。

 ミツルギに、現王国を恨む気持ちがあるのは確かだ。

 身体を貸し与えたが最後、どんなことになるや知れない。

 と、そんなウルの逡巡を、単純に恐怖に縛られてのものと思ってか、


「ふん。おまえがいかぬというのなら、わたしが」


 クレハがいいざま、ウルを追い抜こうとした。


「あっ、待て!」

「まずはあいつを片づけます。おまえの相手はそのあとでしてあげるから、安心なさい」


 妙に冴えた視線がウルの視界を斜めによぎっていくと、あとはクレハの背中しか見えなくなった。

 ウルよりよほど速く、そしてよほど敏捷に屋根を飛び越えていくと、クレハはためらいなく、手にした一刀でガカルハイデへ打ちかかっていった。

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