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5――クレハの太刀


 一面に炎が広がっていた。

 ウルから見える位置にある建物は、例外なく燃えている。

 煉瓦レンガの隙間から、家屋の内側からも火が噴きあがり、赤黒い火でかれた屋根屋根は、オレンジの滴を雨粒さながらにぽたぽたと垂らしている。


 路面もそこかしこが燃えていた。

 いまだ大勢の人々が門へ駆け込もうとしているのだが、火や瓦礫で道が分断されているために、なかなか近づけないでいるようだ。

 思わずたたらを踏んでいたウルを押しのけて、クレハが前へと出た。


「飛んでっ」


 クレハが見あげたのは、中央の道に面した建物の三階。

 その窓辺で、子供たちが泣き声をあげながら立ちつくしているのが見えた。

 背後にはもう火の手が迫っている。


「わたしが受け止めるから、勇気を出して飛びなさい!」


 両手を広げたクレハが何度か促すと、年長者らしき子が意を決したように頷いて、年下の子を抱えあげると、クレハめがけて落とした。

 ウルはぎょっとなったが、クレハは難なく受け止めた。

 泣きじゃくる子を、


「よくできました。強い子ね」


 慈愛に満ちた笑顔であやしつつ、地面におろして、それを二回ほど繰りかえす。

 ウルは感嘆した。

 決断力のない娘かと思いきや、こういった場面ではなまじの大人よりよほど肝が据わっている。


 ウルは首筋を滴る汗を拭いつつ、改めて周囲を見わたした。

 どこへ視線を飛ばしても、赤とオレンジが入り乱れている。

 風はひりひりと熱く、息を吸うごとに内臓が燃え立つ思いがした。

 と、腰に帯びた鬼吼の震えが、一段と激しくなったのに気づいた。


(いるな)


 <剣聖>の声。

 ウルは頷いて、剣の反応を頼りに道を進む。

 二、三度道を折れた。

 しかし数メートルもいかないうちに、ウルの足が止まる。

 逃げる途中だったろうか、数台の馬車が横倒しになっていて、両隣の建物ごとさかんに火を発している。

 馬や人間の遺体から目を背けつつ、ウルはほかに道がないか探そうとした。

 と、


(小僧、上だ!)

「少年、どきなさいっ」


 いきなり身体の内外から怒鳴られて、ウルは立ちすくんだ。

 このとき、右手側にある建物の二階部分が音を立てて崩れたのだ。

 熱風もろとも瓦礫の山が降り注いでくる。

 ウルは必死であとずさりした。

 しかしすぐに足首をひねって、尻餅をついてしまう。


「あ」


 と間抜けな声を出して見あげたウルの目に、火炎に包まれた石くれが迫りくるのが見えた。

 瞬間、ひゅーっと風が鳴った。

 実際は、クレハが喉から発した裂帛れっぱくの呼吸。


「いえええっ!」


 声は遅れて聞こえた。

 腰をひねって溜めた時間は一秒にもならないはずだ。

 ウルには、ほとんど足を踏み出すとともに刀を横薙ぎに振るったようにしか見えなかった。

 その軌跡をなぞるように熱風が左右に裂かれて、次いで、ウルの頭上に降り注いでいた石くれが砕け散った。

 炎の帯がきれいさっぱり霧散したのは、もののついでであるかのようだった。

 ウルはしばし口をあんぐりと開けていた。


(これが、クレハの<風断ち>だ)


 <剣聖>にいわれるまでもない。

 さすがはミツルギの娘だ。

 あらゆる意味でレベルがちがう。

 というより、ミツルギが「未熟」と称する娘でさえこのレベルなら、いったい、本来の<剣聖>が全盛期に放った<風断ち>とは、どのようなものだったのか。

 が、ウルはすぐに平静をよそおって、


「ふ、ふむ。なかなかやるな」


 尻の土を払いながらすばやく立ちあがった。

 クレハは「は?」と首をひねる。


「それが、命の恩人に対する態度ですか?」

「いまのは、おまえを試したまでのこと。なかなかの太刀筋だったぞ。ひとまず合格といったところだな。よし、おまえなら、あの火をも退かせられよう。やるのだ、さあ、やれ」


 目の前の馬車を指差してウルがいう。

 なにもない空間を両断することで、不可視の亀裂に風を呼び込む<風断ち>ならば、確かに燃えさかる火をも斬れると思うのだが、正直いって、ウルはいまの自分にできるとは思えなかった。


「おまえがやりなさい。わたしのほうこそ、おまえの力量と心根を測りに来たのです」


 火に追われていた子供たちに対するのとはあきらかに異なる、冷ややかな視線や口調をもってしても、ウルの態度を崩すことはできなかった。


「そんなものは、あとで飽きるほど見せてやる。おれはマガツ神と戦うために力を温存しておきたいのでな。それとも、<剣聖>の娘ともあろう者が、あのていどの障害物も排除できんのかな?」

(まあ、おまえに唯一感心するのは、よくよく口がまわることだな)

「いわせておけば」


 クレハはぎゅっと唇の端を噛みしめてから、馬車を挟んだ向かい側で同じく立ち往生していた人々めがけて、


「そこの方々。一時おさがりをっ」


 兄のソーヤといっしょにいるときとは、これまた別人のような大声を発すると、障害物のまん前に立って、ふたたび刀を腰の位置に戻した。


(よく見ていろ)


 とミツルギがいった。


(クレハの太刀筋はおまえの参考になるはずだ。あ奴が使うのは、女の身体にあうようにわしが手ずから修正を施した<風断ち>だからな。おまえはわしの経験を引き出して放ったが、身体ができあがっておらぬおまえが参考にすべきは、むしろクレハの剣なのだ)


 <剣聖>がそういう理由もわかるのだが、


「でもさあ、あのひとだって、おれより、っていうか、並の男よりもよっぽど身体ができあがっているじゃないか」


 ウルにしてみればそう思いたくもなるし、「よく見ていろ」もなにも、クレハが<風断ち>を振るうのにかける時間はわずか数秒。

 さすがに先ほどよりは『溜め』――呼吸をととのえて、全身の筋肉をいったん緩和させつつじょじょに力を蓄えていく、いわば技の準備をする時間を総称してこう呼ぶようだ――を長くしたようだが、それでもウルにはあっという間の出来事だった。


 両足にびりっとした震動を感じた一瞬後には、立ちはだかる岩くれにも似た火炎が、馬車の残骸ごと吹き飛んでいた。

 刀を腰に戻しつつ、「どうだ」といわんばかりに振り向いたクレハの顔を見やって、


(あの娘と夫婦めおとになる男は大変だなあ)


 ウルは慨嘆がいたんした。


(おまえが案ずることか)

「それもそうだ」


 馬鹿げた軽口を叩いているのも、いよいよ鬼吼の震えが激しさを増してきたからにほかならない。

 向こう側から走ってくる人々が、クレハがなにをしたかもわからぬまま口々に礼を述べている。

 それとすれちがう格好で、ウルはクレハが開けた道の中央を駆けた。


(敵はどれだけの数がいるんだろう?)


 ウルは無言で問いかける。

 これほどの広範囲に大火災を起こすくらいだから、てっきり大勢のマガツ神が暴れまわっているものと想定していたのだが、


(マガツ神を数えたことはないが、ひとり、いや、一体か)


 <剣聖>の返事にウルは息を詰まらせた。


(ほとんどの場合、マガツ神は複数の魂を宿している。というよりも、いくつもの魂が融合した姿が、マガツ神というべきであろう。おまえが鎮守の森で相対したご神木のマガツ神。あれもそうだ。樹木に宿った術者と複数の生贄の魂が、その土地に根づいた信仰をもとに結びあって、あの姿になっていた。だから本来ならばマガツ神を数えるのに意味はない。あのご神木とて、その気になれば、枝をちぎり、根を裂いて、複数に分裂することも可能であったろう)


「えっ、じゃあどうしてそうしなかったんだ? 分裂して数が増えるなら、そっちのほうが有利だと思うけど」

(その神を伝える神話や伝承に、そうした記述がないからだ)

「ん、んん? どういう意味?」

(『神』がその実在を示すのに、有利不利で考えはしないということだ。いろいろ教示してはやりたいが、いまはそのときではない。忘れろ)

「あんたはそればっかりだよ」

(その気になったらあとで教えてやるわ。いまは集中しろ)


 その気になったら――とは、『父の遺志を継ぐならば心正しくマガツ神を狩るべき』とクレハがいったとおりに『ミツルギの後継者』になる意志を固めたら、という意味だったろうか。

 もちろん、そんなものになるつもりなどはさらさらないウルなのだが、今回もそして前回も、ひとまず自分の意志でマガツ神を狩ると決めたからには、ミツルギの力と経験を当てにする以外にはない。


「あれを!」


 ともに駆けていたクレハが鋭い声を発して、上のほうを指差した。

 屋根の上、やはり走っている人影がある。

 マリーその人にまちがいなかったが、ウルが視線を奪われたのはさらにその先――、教会らしき建築物の尖塔部分にうずくまった、見たこともない巨大な獣のほうだった。

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