3――“再会”の一瞬
『何者か』がマガツ神を目覚めさせた。
あるいは、そのきっかけをつくった。
<剣聖>と<火の魔女>は、そう口にした。
このときウルは、
(やっぱりか)
と思っていた。
(やっぱり、そういうことがあり得るんだな!)
<剣聖>は、いまさらになって、なぜ<血族>の怨念が形をなしたのか――と疑問を抱いたが、それは、十年前のウルが、故郷に突如としてマガツ神があらわれたときに抱いた疑問と、ほぼ同様のものだ。
村の信仰がマガツ神を呼ぶというなら、それこそ<剣聖>らが旅をしていたとき――つまりはマガツ神が世に満ち満ちていたときにあらわれていたほうが、よほど自然だったはずなのに、なぜいまになって?
実のところ、村を逃げ出したとき、ウルはすでに『何者か』の策謀を勘ぐることができるくらいの情報はつかんでいた。
ただし。確証までは持てなかった。
マガツ神というと、やはり人智を超えた存在であり、超自然的な存在のイメージが拭えず、人間がどれほど影響をおよぼすことができるのかがわからなかったからだ。
だが、英雄二人の発言によって、マガツ神の発生、もしくは復活に、人が関与できる可能性があることが示唆された。
その瞬間、ウルの頭のなかに、はっきりとあらわれた人物の姿があった。
(またか。まただよ。また誰かが、こんな、こんなことを繰りかえすんだ!)
赤く濡れた故郷の光景がウルの脳内で明滅したが、
「またかっ」
実際に口に出してそう叫んだのは、ウルにあらず、マリーのほうだった。
祖母を痛ましげに見やりながらも、空が明るんだ方角へ向けたまなざしは、率直な怒りに満ちていた。
「王国人も、村の人たちも、お婆ちゃんを苦しめて、痛めつけてさ! 今度はなに? <血族>の怨念? そんなものまで、お婆ちゃんをいじめるのかよっ!」
マリーは、いきなりクレハの肩を叩いた。
「あんたさ、お婆ちゃんをお願い」
「え? ええっ?」
井戸に叩き落としてくれた張本人からの『お願い』に、クレハが戸惑いの声を出す。
「地下の石室まで運んで。あたしが元凶をなんとかするから。お願いね!」
重ねてそういうなり、マリーは道端にしゃがみ込むと、藪のなかから奇妙な物体を引っぱり出してきた。
球体の形をしたそれを、最初、<剣聖>はそれを『鞠』のようだと見て取ったが、よくよく見ると、鉄の薄い板を球状に編んだような代物で、しかも大人の頭を二倍したほどの大きさがあった。
(鉄籠?……のような『鞠』?)
マリーは、いきなり『鉄鞠』の上へ飛び乗った。
目を逸らしたくなるほど危なっかしい光景だったが、マリーは慣れているらしく、見事に直立した。
曲芸師みたいだ、とウルが思っていると、籠の内部に赤々とした火が灯った。
自然に起こったことからして、ただの火などではなく、先ほどマリーの体内からあらわれた<火>と同種類のものだろう。
見る見る膨れあがったそれは、ほどなくして鉄鞠が内包しきれないほどの大きさになったが、形ばかりは球状を維持しつづけている。
マリーは、前後に配した足を軽く曲げ伸ばししてバランスを取っていたが、この鉄鞠が急に地面を滑りはじめた。
もちろん球状の物体であるから、マリーが体重をかければ、転がりながら地面を移動することも可能だったろうが、なんとマリーを乗せたこの鉄鞠は、自然の摂理を無視して坂道を上へと登りはじめたのだ。
マリーが後ろ足にじわじわ体重をかけていくごとに速度も上昇し、
「お、おいっ。どこへいく気だよ!」
思わずウルが大声をあげたときには、もう馬に全力疾走を強いるのと変わらぬほどの速度になっていて、すぐさまウルの視界から消え失せてしまった。
うっすらとした土煙も消えぬ間の出来事だ。
(面白い着想だ)
<剣聖>が感嘆の声をあげる。
「な、なにが?」
(あの娘、まだ<火>の制御に苦心している様子だが、だからこそ、あの鞠のような物体に閉じ込めることで形と大きさを維持させているのだろう。どれくらい力を加減すれば、あのサイズにとどめることができるかの訓練にもなる。小僧、わかるか。剣も魔法も、そしておそらくはどの分野の学問においても、個人の着想による研鑽ひとつに、成就できるかどうかがかかっているのだ。着想こそが才をわけるといってもいい)
「うるっさいな、そんな場合か?」
(そして<火>を自在に動かす訓練の過程で、『あれ』を思いついたのだろうな。球状の<火>に飛び乗り、その<火>を放つことで高速移動する――という。あれほどの腕前なら、もっと小さいときからアネッサの指南を受けていれば、いまごろはすでに一人前になっていたろうに、惜しいことだ。……いや? 逆か。アネッサの指導を受けていない、つまりは固定観念に囚われぬからこそ、あのような自在な発想で<火>を操ることができる? これは、そうだ、クレハにも当てはまりはしないか。わしから剣を教えられなかったからこそ、あ奴とて、自由な剣を手に入れたのだと――)
いつの間にやら、<剣聖>の思想は、剣の道へと導かれている。
というよりも、この御仁の思考の中心には『剣』が大きく居座っており、いついかなるときでもそれは不動なのだろう。
常人ではない。
ないから<剣聖>たり得たのだということもできるが、ウルは苛立ちを抑えられなかった。
見ると、クレハはクレハで、膝にアネッサの頭を乗せてしゃがみこんだ姿勢のまま、どうしてよいやらわからぬ風にまだおろおろとしている。
<剣聖>の娘だからという理由以外に、立派な体格をした女性が心もとなさそうにしている姿は、妙にウルの癇に障った。
「聞いてなかったのか!」
思わず大声が出てしまう。
クレハは唖然とウルを見やった。
父親に雷を落とされた幼子そのものの表情だ。
「アネッサさんを地下に運ぶんだ。ああもう、早くっ!」
「は、はいっ」
クレハは跳びあがりそうな勢いで立ちあがった。
アネッサを両腕に抱えたままなのだから大した力だが、勢いはつづかず、
「あ、あの、地下とは、どちらに?」
気弱そうな表情で聞いてくる。
ウルはまたもかっとなりかけたが、
「ついてこい!」
かろうじて自制すると、クレハを庵のなかへ、そして地下室の階段へと先導した。
石室の奥に、ベッドと棚があるきりの簡素な部屋があった。
息を乱すアネッサの身体をベッドへ横たえる。
と、その手が伸びてきてウルの腕に触れた。
うっかり払いのけてしまいそうになったくらい、熱がこもっている。
「……マリーは?」
「あ、そ、その」
答えようがなくて、ウルとクレハが顔を見あわせる。
すると、アネッサはベッドから降りようとした。
足に力が入らなかったか、床に落ちそうになるところを、あわててクレハが支える。
「……止めなくては」
乾いた唇から細い糸を紡ぐように、アネッサがいう。
「……あの娘までもが、過去の妄念に囚われてしまう。マガツ神に、取り込まれてしまう。それだけは、なんとしてでも、止めなければ……」
「ま、待ってください。無理です、いまのあなたでは……」
「ああ、あの娘まで失ってしまったら、わたしはどうしたらいいの? もう、わたしにはなにも……あの娘以外には、なにもないのよ」
「アネッサさん!」
なおベッドから這いずり出ようとする<火の魔女>を、ウルとクレハは苦労して引き戻す。
数秒、若者二人に抗おうとしていたアネッサだったが、不意に力を失って枕に頭を沈めた。
これまで以上に呼吸が荒い。
身体から発せられる熱も増して、さらには目に見える形で<火>がうっすらとあらわれかけている。
近い距離にいたウルとクレハは、すでに大量の汗を掻いていた。
「ああ……」
小さく息を洩らしたアネッサの、閉じた瞼から涙がこぼれ落ちた。
真珠の粒にも似たこのひと雫も、頬を伝い落ちる間に蒸発して消えていくかのよう。
ウルは、そんなアネッサの姿を凝視していた。
世界を『邪神』の支配から解き放った英雄が、いまはもう、孫娘以外にはなにもないのだ、と口にした。
本音だろう。
「王国人からは名を忘れられて、命すら狙われて、故郷にも疎まれて――」
誰に聞かせるつもりか、ウルは声に出していった。
アネッサの汗を拭き取っていたクレハが、独眼で見あげる。
「昔の仲間たちも、いまはもういない」
ウルは思い出すことができる。
正確には、<剣聖>の記憶を借りて、肩を並べて戦った若者たちの姿を、自分のもののように思い描くことができる。
その記憶をよぎる、つつましい笑顔を浮かべながらも、戦うときは烈しく燃えさかる炎を振るう女性の姿が、いま、目を閉じて熱にうなされる婦人の姿と重なった。
「アネッサさん、いけません……!」
クレハが声をあげる。
おそらくはほとんど意識もないというのに、まだあきらめきれずに起きあがろうとするアネッサの手を、今度はウルのほうから取った。
熱が伝わってくる。
「おれがいく」
ウルの口は自然と開いて、そんな言葉を発していた。
「無理よ……マガツ神は、わたしじゃないと……」
苦悶の皺を眉間に刻んだアネッサが首を振ろうとするより早く、
「はははっ」
とウルは笑った。
あまりに状況と似つかわしくない、快活そのものの笑い声に、クレハが非難のまなざしを向けたが、
「おれが誰だか忘れたのか? おいおい、耄碌するにはまだ早いだろう、アネッサ」
それは、ウル本人が発していたのか、それとも前のようにミツルギの言葉を代弁したのか、はたまた、いつしか肉体の主がミツルギへと移り変わっていたのか。
ウルにもわからない。
わからなかったが、うっすらと炎の紗幕を隔てた向こうに、アネッサはなにを見たのか。
「あ」
と小さくつぶやくと、アネッサの眉間からきれいに皺が消えて、その代わりに少女のような微笑みが浮かびあがったのだった。
クレハが息を呑んで、<火の魔女>と『父の仇』の顔を見比べるなか、
「そう。やっと――、やっと、来てくれたのね」
アネッサはあどけない顔でいった。
ウルは握った手に力を込める。
「ああ。遅れてすまなかった」
「本当よ。ほん……とうに……あなたときたら」
「でも、遅すぎはしないさ」
「ええ……。あなたが来てくれたなら……もう安心ね。ええ……いつでも、そうだったもの……」
自分に言い聞かせるかのように、ひとつふたつ頷くと、アネッサは再度目を閉じた。
数秒後、静かな寝息が聞こえてくる。
言葉どおりに安心しきったような寝顔を見おろしていたウルは、
「いくぞ」
と、これも誰にともなくいった。
いや、その対象は確かにいた。
そして確かに、ウルにしか聞こえない声で応じたのだ。
(ああ)
と。




