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2――過去からのいざない


 ついさっき目を覚ましたばかりだろうか。

 クレハも、<風断ち>を用いて古井戸から脱出してきたと思われる。


(逃げるな。事態がややこしくなるだけだ。マガツ神のことも気になる)


 <剣聖>は相変わらず、娘に関してはさほど脅威とも思ってないらしい。

 確かに、ここで逃げては、クレハのいいぶんをアネッサに信じさせるだけだ。

 ウルは多少迷いながらも足を止めた。

 アネッサはきょとんとなっている。

 マリーはというと、事情はよくわかっていなかったろうが、どこか安堵した様子だった。

 話の矛先が自分に向かわないで済んだからにちがいない。

 ウルは内心舌打ちしつつ、


「ま、まだそんなことをいっているのか。妹弟子よ」


 虚勢を張って、いかにもクレハの言葉に動じてないような態度を取り繕う。


「誰が妹弟子だと?」

「ソーヤにもいったとおり、おれはミツルギから鬼吼を正式に授与されたのだ。だからおれこそが<剣聖>の一番弟子ということになる。ミツルギの実子であるおまえやソーヤには、それは複雑な思いもあるだろうが、剣士らしく、いさぎよい心持ちで認めてもらいたい。それが、父の想いを継ぐということだろうが」

(一番弟子でも妹弟子でもなんでも構わんが、慣れん芝居をしていると、そのうち必ずボロが出るぞ)


「手前勝手なことを!」


 クレハの右手は、早くも刀の柄にかかっている。


「こちらも前にいったとおり。おまえとは言葉を交わすよりも、まず刀を交わす。さあ、勝負なさい!」


 白刃はくじんが抜き放たれた。


(おお)


 と内心でミツルギが感嘆の声をあげる。


「な、なにが嬉しい?」

(森でのときもそうだったが、クレハが自分の意志で刀を抜くのはどれくらいぶりか。ひょっとするとひょっとするな。小僧、このまま『ミツルギ殺し』の汚名をずっと着ているがいい。おまえを仇と恨んで追いつづけるうちに、クレハも剣士としてひと皮剥けるかもしれん)

「ああ、いいね。ただしひと皮剥けるころには、おれの命も丸ごと剥かれてなくなってるだろうけどね!」


「相変わらず、意味のわからぬことをブツブツと。あきらめなさい、もう逃げられはしません。さあ、<火の魔女>さまお立会いのもと、尋常に勝負っ」

(おお、やれ、やれ。安心せい、小僧。どれほど怒りくるったとて、クレハにおまえは斬れん。おまえにとっても、いい訓練の場になるぞ)

「あああ、もう!」


 父娘おやこ揃って好き放題にいわれて、さすがにウルは頭にきた。


「どいつもこいつも自分のことばっかりじゃないかよ。状況を考えろっ」

「なに?」


 ウルは鬼吼を鞘ごと掴んで、カチカチと歯を鳴らすごとくに震えているのを見せつけた。


「マガツ神が近くにいるんだよ。あそこは――」


 と、妙に明るんでいる空の方向を指差す。

 同じ方角にそびえる山も稜線を赤く光らせていた。

 以前、ウルたちが横に逸れた街道を、まっすぐいった場所に当たる。


(ベルトール伯の城がある街だな)

「ベルトール伯の城がある街だ。おそらくそこに、『火の魔物』とやらが出現した」


 ウルがいうと、クレハもさっと表情を改めた。

 彼女も、ウルを追跡する道中で『火の魔物』については耳にしたことがあったようだ。

 と、もうひとり、表情を厳しくさせた<火の魔女>は、マリーをゆっくり押し離すと、ウルとクレハが対峙するちょうどその中央へと進み出てきた。

 いまだ気を失ったり、痛みに身もだえしていたりする兵たちを見やりつつ、


「そう……彼らは、その『火の魔物』とやらを、<火の血族>であるわたしの仕業と見たようだけれど――それも、半分は事実なのよ」


 ウル、それにクレハも、「えっ」と驚きの声を発する。


「あれは、はるか以前、王国に討たれたわたしたち一族の怨念が形をなしたもの。マガツ神とは、信仰心や地に根づいた伝承だけでなく、そうした憎しみ、恨みといった負の感情を核とするものが多いの」


 アネッサはうつむき加減にそう語った。

 胸中で<剣聖>が唸る。


(<火の血族>の怨念だと?――であるなら、なぜいまになって? <火の血族>の怨念がマガツ神を誕生させるとしたら、もっと前にあり得たはずだ)


 またもミツルギの疑問をウルが口に出すと、アネッサは首を左右に振った。


「わたしにもわからない。ただ、ひと月ほど前から、複数の気配を身近に感じることが多くなったの。姿こそ見えなかったけど、『彼ら』と等しく宿った<火>の力が呼応したためかしら、わたしはすぐに『彼ら』がこの地で果てた<血族>の者たちであることがわかった。『彼ら』は夜な夜なあらわれては、わたしに誘いかけてきたわ」


 ――何人も殺された。

 ――何人も拷問にかけられた。実際に戦ってはいない者たちも……女も子供も、邪悪な魔術師だと決めつけられて。

 ――おまえも恨んでいるだろう、ユーフォリー人を。

 ――われらがすえよ、ともに立ちあがれ。いまこそともに炎を燃やして、偽りの偶像と、偽りの信仰を地上から消し去るのだ。


 声なき声の群れが耳を震わせて、虫のごとく皮膚の上を這いずりまわられ、さらには、血液のなかにまで浸透してきた――とアネッサは語る。


「わたしはそのたびに、声と気配を振りはらったわ。彼らが負った憎しみも苦しみも、それこそ痛いほどに伝わってきたけれど、でも、いまさら、血みどろの戦いに<血族>を巻き込みたくなどなかったから。だけど……理性では抗おうとしていても、わたしの体内にある<火>はそうではなかった。この十数年封じてきたはずの<火>が、仲間たちの呼びかけに応じようとしてか、わたしの意志を離れて勝手に出現することが多くなった。力を制御しきれなくなっていたのよ」

(……そうか。だから、石造りの地下室にこもっていたのか)


 ウルが<剣聖>の言葉を代弁すると、アネッサはうつむいたまま微笑んだ。


「恐ろしかったのよ。いつしか、<火>がわたしのもとを離れて、暴走してしまうんじゃないか、って。そうなれば、世界にあだなすものを討ってきたはずの<火>が、今度は逆に大勢の人を傷つける災厄になってしまう。そして、最後には、わたしの心身双方ともに、マガツ神の核にさせられてしまいかねない」


(マガツ神は多くの血と魂を取り込んで、己の力とする。あり得ぬ話ではない……)


 鬼吼が感じていた気配の主も、アネッサを取り込もうとする『彼ら』――いまはもうマガツ神と呼ぶべきなのか――の残滓ざんしだったろうか。


「お婆ちゃん」


 マリーがか細い声を発した。

 祖母がそういう状況にあったことを、彼女も知らなかったと見える。


(しかし、なおわからぬ。なぜいまになって?――各地でマガツ神がふたたびあらわれるようになったと聞くが、なにか共通の理由があるのか? やはり、これは奴の――)

「誰かが、そう仕組んだってこと?」


 ウルはわれ知らず、刃のように鋭い声を発していた。

 <剣聖>に聞いたつもりだったが、答えたのはアネッサだ。


「可能性はあるわ。わたしたちが討伐していたマガツ神だって、もともとは、ある集団によって目覚めのきっかけをつくられていたのだから。今度のことも……」

「お婆ちゃん!」


 マリーがあわてて祖母に駆け寄ったのは、ふらりと体勢を乱したアネッサが地面に倒れそうになったからだ。

 マリーひとりでは祖母の体重を支えきれなかったが、瞬時にして駆けつけたクレハがかろうじて抱きとめた。


「……熱い」


 クレハが独眼をみはる。

 見ると、アネッサの身体から、うっすらとした炎がもやのように立ちのぼっていた。

 息も荒い。

 目を閉じたその顔は、汗でびっしょりと濡れていた。


「こ、これは」

(マガツ神の影響かもしれん。彼女の言葉を借りるなら、仲間たちの怨念が、現世の力と肉体を欲して、誘いかけているのだ)

「ここに寝かしつけますか、いえ、それとも家のなかに。い、いや、<火>の力が放たれれば、家が燃える可能性も。い、いったい、どうすれば」


 アネッサを抱き止めた姿勢のまま、クレハがうろたえた声を出す。

 幼いマリーはおろか、さっきまで殺意を向けていたウルにも助けを求めるような視線を送ってくる始末だが、ウルだって、彼女に負けず劣らず狼狽している。

 と同時に、心のどこかで、なにか得体の知れない感情が首をもたげはじめていた。

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