9――怒りの<火>
ウルがぎょっとなったのも当然だが、
「いけない!」
アネッサが顔をこわばらせて叫んだので、もっと驚かされた。
とはいえ、ウルがこのとき腰の鬼吼をちらりと見たのは、いくらか冷静さを保っていた証だ。
刀は震えていない。
マガツ神の気配を感じ取っていないのだ。
「マリーが!」
アネッサが屋外へ出ようとした。
なぜ孫娘の名前が出てきたのか、ウルにはわからない。
と、
(止めろっ)
<剣聖>が声をあげた。
これもなぜ、と思ったが、『火の魔物』という声が聞こえたからには外で尋常ならざることが起こっているのは明白。
ウルは鬼吼とは別の刀に手をかけて、
「自分がいきます!」
負けじと声を張りあげて、アネッサを追い抜いて外へ飛び出た。
戸口から右側に見おろす道から、オレンジ色の光が放たれている。
そこにマリーがいた。
一瞬、ウルの目には、彼女が何倍もの大きさに見えた。
身体から絶えず、放射状に炎が放たれていていたためだ。
(やはり、あの孫娘が<火>を継いでいたか)
ミツルギが唸った。
そこになにやら喜びの感情が混じっているのを不審がる余裕とて、ウルにはない。
マリーを取り囲んだ兵たちの姿も、赤々と照らされていた。
槍を構えた男たちはあきらかにおびえていたが、そのおびえが、むしろ傍目にも危うい。
狂奔にそそのかされるがまま、少女の身体を突き刺しかねなかった。
一方で、中央から彼らを見わたすマリー。
その大きすぎる目はいよいよ張り裂けそうなほどだ。
身体から噴きあがる火の勢力もさらに増している。
風になびいているのか、それともマリーの意志によってか、炎は絶えず揺らめいており、あちこちに火炎の触手を伸ばしては引っ込めていた。
(む?――形を維持できぬのか?)
<剣聖>が妙な疑問を口にしたとき、
「死ねっ」
いちばん若い兵士が、いよいよ槍を手に突っかけた。
ウルは道を飛び降りようとしたが、その寸前、槍の穂先から柄にかけてが炎に包まれていた。
「うわっ」
兵士が思わず手放すと、地面に落ちる間もなく、槍はぼろぼろに炭化して散らばった。
若い兵士が尻餅をついてしまったのも無理はない。
彼からすると、ゆっくり近づいてくるマリーの姿はまさしく『火の魔物』に見えたろう。
火に縁取られた人型の、その右手が肩の高さにまであがっていた。
槍を止めたのは、そこから鞭のごとく放たれた火だった。
最強の盾ともなり得るその火を、今度は攻撃に用いようとしてか、右手がさらに振りかぶられる。
(いけないっ)
ウルの脳裏に、槍と同じく炭化した兵の姿が浮かんだ。
「マリー、おやめなさい!」
いつしかウルの背後にいたアネッサの声が大きく響くと、炎の人型がびくっと肩を波打たせた。
すると、勢いよく水をぶちまけられたみたいに火が縮小して、本来のマリーの姿が朱色の向こうに覗いた。
荒々しい炎の化身から一転して、まさしく肉親に叱られた幼子そのものの顔になっている。
「だっ、誰だ?」
髭面の兵士が、槍をどちらに向けたらよいものか迷うようにしながら叫んだ。
アネッサは相手が王国人と見て取って、彼らの目的までも察してか、
「わたしが<火の魔女>アネッサです」
ためらうことなく名乗った。
「用があるのはわたしでしょう。その娘から離れなさい」
<火の魔女>と聞いた兵たちは、さらなる動揺に見舞われた。
あのマリーという娘でさえ『そうでない』というなら、本当の<魔女>であるこの老婦人はどれほどの炎を操るというのか?
そんな恐怖が屈強な男たちの顔を刷いていたが、
「そ、そうか。こいつはおまえの孫に当たるのだな。やはり、われわれの監視の目を盗んで、邪悪な魔術を継承していたということだ!」
「それで、二人して魔物となって、人々を襲っていたのだな」
恐怖はあらぬ想像を産むものなのだろう、兵たちは勝手に結論づけると、マリーに向けて槍を構えなおした。
「<火の魔女>、こちらへゆっくり降りてこい。さもないと、孫娘がどうなっても知らんぞ!」
マリーひとりに手を焼いていたのに、そのマリーを人質に取ろうとするなどとは愚行にもほどがあるのだが、いまの彼らはそこまで頭がまわらない。
いや、ひとりの兵などは、顔をどす黒い血の色に染めていたかと思うと、
「弟の仇だ!」
急に感情を激させて、槍を持った手を肩より後ろに引いた。
『火の魔物』とやらに家族を襲われたか、仇を目前にして我慢ならなくなったらしい、
「お婆ちゃん、逃げてっ!」
マリーがはっとなって叫んだときには、槍はアネッサめがけて投擲されていた。
吹けば飛びそうな痩身の老婦人に、槍のきらめきが巨大化しながら迫った。
やすやすと柔肉を貫くかに見えたそのきらめきが、キン! と金属質の音を発しながら、横から走った別の輝きによって軌道を逸らされる。
アネッサの面前に立ったのはウル。
刀を横に振りぬいた姿勢の彼の足もとに、両断された槍が別の音を立てて転がっていった。
とっさの行動だった。
ウルの両目に、これも火となって燃える怒りがあった。
手前勝手な理屈を叫びながら無抵抗の人間に槍を向ける兵たちの姿は、過去の記憶を呼び起こすのに余りある衝撃をもたらしていたのだ。
「おまえらはさあ、いつまでもっ!」
(やるのか?)
「やる!」
これも考えての応答ではない。
ウルは怒りを燃料にした炎に衝き動かされるがまま柵を飛び越えて、道の上へと敏捷に降り立った。
「なっ、何者だ、貴様――」
「小僧、<魔女>の仲間だというなら、容赦はせぬぞ!」
またも大きく感情を乱された兵たちめがけて、ウルは駆け出す。
すべての行程は頭に入っていた。
いや、頭というよりも身体が――<剣聖>ならぬウル自身の肉体が覚えていた。
右足を大きく踏み込むと同時に左に腰を切る。
(……)
<剣聖>がなにかいいかけたようだが、すぐ思いなおしたようにその意識が遠ざかった。
腰に力を蓄えていたウルは気にもしなかった。
「抗う気だぞ、こ奴!」
「<魔女>の手先めっ」
入り乱れる叫び、火に照らされてきらめく穂先の群れも、ウルの五感を過剰に刺激することはなかった。
躍りかかる数名の兵たち。
間合いは十分だ。
横薙ぎに振るった刀の切っ先が、なにもない空間に『めり込んだ』。
そのまま振り抜く。
瞬時にして巻き起こった猛風は、不可視の螺旋を描いた。
螺旋にそれと気づかず触れた兵士たちは、次の瞬間、声もなく思い思いの方角へと吹き飛んでいた。
地面に叩きつけられる者、樹に背中からぶつかる者、マリーに槍を向けていた仲間にぶつかって倒れ込む者。
<風断ち>に巻き込まれた四人のうち少なくとも二人は気を失い、残りは手足の骨を折るなりして自由を失った。
残りひとりは髭面の兵士だけだったが、
「ひ、ひいいっ」
喉から搾りあげるような悲鳴を奏でると、槍を放り投げて逃げていってしまった。
ウルは小さく吐息をついて刀をおさめる。
「……まさしく、<風断ち>。ミツルギの技です」
道に降り立ってきたアネッサが、感嘆したようにいう。
と、
(アネッサも耄碌したな。あれがわしの技なものか。現役のわしに比べればまだまだよ)
<剣聖>が口を挟んだ。
(おまえが技を放つ直前、「加減せい」といいかけたのだが、やめておいた。理由がわかるか? どうせおまえでは、加減せずともこのていどの力で限界だったからだ)
「いい性格してるよ」
ウルは嫌味をいったが、すぐに肩を落とした。
アネッサへ、
「すいません。つい手を出しちゃったけど、これじゃ、あなたが狙われてしまうかもしれない」
「いいえ。もともと、この兵士たちは『火の魔物』に関してわたしを怪しんでいたのです。遅かれ早かれこうなっていたでしょう。それよりも――」
いったんかぶりを振った<火の魔女>は、路上にぽつねんと立ちつくした孫娘へと目を向けた。
「やはり、あなたにも宿っていたのね。<火>の力が」




