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8――マリー


 さかのぼること数分前。

 マリーは山道を駆けていた。

 いや、駆けるというのとはちがう。

 起伏の激しい道なりに沿って進んではいるが、マリーの足はまったく動いていなかった。


 手足を前後に配して、まるで綱の上でバランスを取る大道芸人みたいな姿勢を維持したまま、それなのに傾斜のきつい坂道を、駆け足以上の速度で『滑りあがって』いくのだ。

 祖母の家が見えてきたところで、


「おっと。これ以上は、気づかれちゃうな」


 息ひとつ乱れていない様子でマリーはいうと、それからは通常の歩き方に戻した。

 背には小さな袋を背負っている。

 村で買い求めた食材が入っていた。


 いつもなら食材を切らすような真似はしないのだが、今日は予定外の『客人』があった。

 正直にいえば、祖母を見捨てた<剣聖>の関係者など、井戸の底で朽ちていくのに任せたほうがいいとは思うのだが、さすがにそれでは祖母が悲しむだろう。

 ひと晩は井戸の暗がりで反省させるとして、明日には、一応のこと、引きあげてやって、朝食くらいは出してやろうと思っていた。

 もちろん、二度とここには近づかない、と固く誓わせた上でだ。


(どいつもこいつも、お婆ちゃんへの敬意が足りないんだ)


 マリーは鼻の頭に皺を寄せて、むすっとした顔になった。

 <剣聖>もそうだが、お婆ちゃんに不敬を働いたという地方領主ベルトール伯はもってのほか、さらにはマリーの父母をはじめ、血縁者を含めた<火の血族>の同胞たちまでもが、祖母の英雄的活躍をまるっきり無視して、あたかも厄介者のように扱うのに、マリーは心底腹を立てていた。


(いったい、誰のおかげで今日ものんきに飯を喰って、イビキを掻いて眠れると思ってるんだ!)


 昔は、近辺で誰よりも敬愛されていた祖母だった。

 マリーは、祖母の英雄伝をほとんど子守唄代わりに聞いて育った。

 なのに、マガツ神を退治してベルトール伯の仕官を断って以降、村に監視の目が光るようになると、村全体が祖母を疎んじるような雰囲気に包まれた。


 ――あの人さえ村からいなくなってくれれば、厄介事を抱えずに済むのに。


 当時まだ幼かったマリーも、そんな空気が村で醸成されていくのには気づいていた。

 <火の血族>の人々には、いまだ王国人との戦闘の記録が生々しく引き継がれている。

 だというのに、カリバーン王の子息との約束を守ってきたこともあって、<火>の力を継ぐのはいまや祖母ひとりきりだ。

 つまりは、ふたたび武装した王国人が攻めてきたとて、いまの彼らでは戦えない。

 だから余計に恐怖したのだろうし、いまとなっては力のない彼らだから、<火>の力を宿したアネッサを、王国人が魔術を見るのと同じ目で見ていた、とも考えられる。


 アネッサは、自分から里を離れることをを志願した。

 村人たちとて、当然、王国人との戦い以上にアネッサの活躍を記憶している。

 さすがに忍びなく思ってか、男たち総出で、この場所にアネッサが暮らすための庵を建てた。

 といったところで、


(おまえたち全員で、お婆ちゃんを追い出したんじゃないか)


 マリーの怒りがおさまるはずがない。

 一度ならず、大人たちに向かって叫んだこととてある。


(王国人と雄々しく戦った<火の血族>の気概はどこにいったのやら! あさましく支配者の顔色をうかがう凡愚になりさがりやがって。お婆ちゃんひとりを追い出して、身の安全を守ったつもりかよっ!)


 マリーの感情の糸は、もつれることなく常にまっすぐだ。

 それを幼さゆえだと笑うことも叱ることもできたろうが、アネッサに少なからず後ろめたさを感じている村人たちは、マリーをもうるさそうに遠ざけるだけだった。

 そういうわけもあって、友だちひとりいないマリーは、祖母のもとへ頻繁ひんぱんに足を運んでいた。


「あまり、わたしのところへ来てはいけないわ」


 祖母も口を酸っぱくしてそういうのだが、やはり人里離れた場所で孤独に暮らしているアネッサだから、本心は寂しいのだろう。

 いつも、最後には仕方なさそうに笑って、孫娘を室内へ招いてくれるのだった。

 そして二人で食卓を囲む。

 昔の話はほとんどしなかった。


 しゃべるのは、もっぱらマリーだ。

 村で起こったあれこれや、男の子と喧嘩で勝った話、森でそろそろ動物たちを見かけるようになったこと、そして時々は空想のお話。

 祖母はいつも楽しそうに耳を傾けてくれる。

 今日も、きっとそんな夜になるだろう――と思っていたマリーは、


「何者だっ?」

「ま、まさか、<魔女>当人か?」


 前方から声をかけられて、はっとなった。

 ランタンの灯りを投げかけられて、とっさに目を庇う。

 灯りの向こうから、安堵したような声が聞こえた。


「……いや、ただの子供だ」

「なんだ、驚かせるな」

「待て、油断するな。<魔女>は人の形をした火をも操るというぞ」


 複数の男たちだ。

 話している内容もさることながら、目を凝らしてみて、相手があきらかに武装した兵士であるのに気づいて、マリーは内心ぞっとなる。

 とともに、怒りがこみあげてきた。


「あんたたちこそ、なにさ? ここの人に、なにか用なの?」

「しっ。子供は家へ帰っていろ。ここから先は危険だ」

「へへん。その子供にビビッてたくせに偉そうなこといわないでよ。こんななにもないところに、どんなご用? <火の魔女>のお顔でも拝見しに来たっての?」


 マリーがいうと、


「な、なんだと?」

「おまえ、ここにいる<魔女>を知っているのか?」


 五人の兵士たちが顔を見あわせる。

 しばし落ちた沈黙の向こうから、せわしなげな馬の鼻息が聞こえてきた。

 近くにつないでいるのだろう。

 兵士のひとりが髭面ひげづらをマリーのほうに近づけてきて、


「そもそも、こんなところに子供がひとりきりでいるのがおかしいぞ。やはり、<魔女>の関係者じゃないのか?」


 とにらみつけてくる。

 マリーは知らぬ存ぜぬの芝居をしてもよかったが、さっきから兵たちが繰りかえし口にしている「<魔女>」という単語に、あきらかな恐れと敵対心があるのを感じて、強い反発の気持ちを抱いた。


「だったらどうなのさ? あたしが英雄アネッサの孫娘だといったら?」


 むしろ胸を張ってそう名乗ってやると、王国人の兵たちはあからさまに動揺した。


「なんだとっ」

「気をつけろ! 魔術を使うかもしれんぞ」


 土を踏み鳴らして、いっせいにマリーから距離を置く。

 鉄兜と鎖帷子(かたびら)、それに槍で武装した大の男たちが、痩せっぽちの少女にこれほど警戒しているのはある種滑稽だったが、マリーはしかしそれどころではなかった。

 彼らはここが<火の魔女>の住処だと知った上で、わざわざ馬で、それも武装して訪れているのだ。

 マリーは四方ににらみを利かせた。


「なんの用か、って聞いてるんだよ。世界を救ったお婆ちゃんと握手したいっていうんなら、また今度にしてよね。そもそも約束がなけりゃ誰とも会わないよ」


 そういうと、兵たちはランタンの向こうで、怒りと恐怖をない交ぜにしたような表情になった。


「世界を救っただと?」

「マガツ神で、いまも災いを呼んでいるだろうに!」


 マリーの大きな目がキッと釣りあがる。


「なんだって? いま、なんていったのさ!」

「おお、何度でもいってやるとも。『火の魔物』を使役しているのは、どうせおまえら、<火の血族>だろう! おまえらは何度われわれに逆らえば、そしてそのたびに何度打ちのめされれば気が済むのだ? いい加減、こんな馬鹿げたことはやめにしろ! 人が何人も死んでいるんだぞっ」


 兵士のひとりが怒りを爆発させたように叫ぶ。

 が、この瞬間、さらなる怒りに身を焦がしたのはマリーのほうだ。


「お婆ちゃんがマガツ神を使役してるだって! みんなを苦しめていたマガツ神を、退治してやったのがお婆ちゃんじゃないか。あんたら、みんなしてお婆ちゃんをひとりにさせた上に、今度はそんなおかしな罪を着せようっていうのかよっ!」

「なにを――」


 さらに反論しかけた兵の顔が、そのときぱっと朱色に光った。

 いや、ほかの四人の顔も――さらには全身を、炎の色が照らしあげていた。

 光源はマリーその人にあった。

 小さな身体の輪郭をなぞるように朱色の光がうっすら放たれはじめたと見えるや、それは炎の形と勢いをもって、兵たちが見あげるほどの高さにまで一気に噴きあがったのだ。


「う、うわああっ!」


 ウルたちが聞いた悲鳴は、まさしくこの瞬間に男たちがあげたものだった。


「ひ、火だっ、『火の魔物』だあっ」

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