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7――恐れ


(そんなにも)


 ウルは、アネッサの言葉に胸が熱くなるのを感じた。

 と同時になぜか、やるせないような、腹立たしいような、ひと言では説明のしようがない感情をも覚えた。


「そんなにも、師匠を案じてくださっていたのですか。……あなたを、一度は見放したミツルギを」

「見放した、というのとはちがうと思うわ。彼にも事情はあったろうし」

「ありません、そんなもの。あいつはただ、自分の『剣』を追求するのに没頭していただけです」

「ふふ、それがミツルギなのよ」


 片目を閉じてアネッサはいった。


「わたしも、もう少しずるければよかったのだけど。手紙に、わたしはいま領主に命を狙われています、とでも大げさに書いておけば、さすがに駆けつけてくれたはずだわ。きっと、ミツルギには大したことがないように思えたのね。それくらいは自分でなんとかしろ、と遠くから叱責された気分になったわ」


 ウルは頭を掻きむしりたい気持ちになった。

 この奇妙な感情はなんだろう。<剣聖>への、そしてアネッサへの怒りでもある。

 同時に、なぜだかその怒りは、自分へも矛先が向いている気がする。


「長々と立ち話をさせてしまってごめんなさいね。上にあがりましょうか。お茶くらいは用意させていただくわ」

「あっ、いえ……」

「そろそろマリーも帰ってくるころかしら。あの子ったら、切らしたものがあるとかで、近くの村までいったのよ。こんな時間だから、明日でいいといったのに」

「マリー……って、ここにいた、髪を二つに結んだあの子のことですか?」

「あら、もう面識があったのね。わたしの孫娘よ。ちゃんとご挨拶できていましたか?」

「え、ええ、まあ」


 ご挨拶どころか罠にはめられたよ、などとは無論いえないが、ウルは別のことに驚かされていた。

 マリーという娘、少なくともクレハを井戸に叩き落としたときには、ここにいたはずだ。

 そしてウルの知る限り、ここから人里までは七キロ以上はある。

 なのに往復十四キロの距離をこの時間で帰ってくるということは、ウル以上に健脚の持ち主――どころか、ちょっとあり得ないくらいの速さだ。


「お孫さんとは、ここでいっしょに暮らしているんですか?」

「いいえ。時々、わたしのことを心配して様子を見に来てくれるの。きっと両親には止められているでしょうに。何度いい聞かせても聞かないものだから」

「へえ。あっ、でも、近頃は、この辺りに『火の魔物』が出るっていうから、心配ですね」


 ウルが立ちあがりながら、世間話の一環のつもりでそういうと、これまで微笑みを絶やさなかったアネッサの顔にさっと影が落ちた。

 それを見たウルは、反射的に、先ほど石室内を乱舞していた火のことを思い出していた。

 空を駆けていた火の玉、もしくは火の帯は、アネッサの差し伸べた腕に巻きついて、そして消えていった。


 <火の魔女>と呼ばれるアネッサだから、それは魔術的に火を操るのはたやすいだろう。

 わざわざこんな石室にいたところからして、あれは魔術の訓練のために操っていたのだ、といえなくはない。

 が、そもそも階上にいたウルたちが、ここへ通じる隠し戸の存在に気づいたのは、鬼吼がとある気配に反応したためだ――ということを、ウルはいまさらながらに思い出したのだ。


(おおいっ、<剣聖>)

(……なんだ)


 不機嫌な様子の声。

 しかしウルは構っていられない。


(魔術とマガツ神って同じものなの? えっと、つまり、鬼吼は、マガツ神だけじゃなくて、魔術にはすべて反応する?)

(鬼吼がマガツ神に反応するのは、そこに人ならぬ意志が宿っているからだ。人の意志で操られる魔術には反応せん)

(じゃあ、さっきの鬼吼はなにに反応したんだ?)


 ウルがそう畳みかけると、


(……ふむ)


 今度は神妙そうな態度でミツルギは唸った。


(なにと聞かれれば、確かにな)

(しっかりしてくれよ! 本当の本当に、おれたちは罠にかかったのかもしれないんだぞ)

(貴様がなにを考えているかは、わかった。が、そんな馬鹿なことがあるものかよ。アネッサにマガツ神の気配がないことは、いまの鬼吼が反応してないことから明白だ)


 確かに、ウルの腰におさまった刀は、現在、微動だにしていない。


(それなら、さっきのはなんだった?)

(だからそれを考えておる。素人は黙っておれ)

「まだそんなことをいって! 素人のおれを巻き込んだのは、あんたじゃないか!」

「どうしたの?」


 いきなりウルが大声を出したので、さしもの<火の魔女>も驚いていた。

 その反応を見るに、彼女が自分を罠にかけようとしているなどとは到底思えなかった。


「い、いえ。師匠の話をしていたら、急に頭にきたもので」

「ふふ。よほどミツルギに厳しくされているようね。自分に課した厳しさを、時々は平気で他人に押しつける人だから」

「え、ええ。まったくです」

「そうそう、あなたのご用件はなに? そのミツルギに頼まれて、ここまで来たんじゃなくて?」


 アネッサは石段のほうへとウルを手で招いた。

 一階で話をしようということだろう。

 ウルは、左右に警戒だけはしながらそれに応じた。

 促されるまま石段に足をかけて、アネッサより先に石段をのぼっていく。


「……実は、その、大変申しあげにくいことですが」


 ウル自身、迷いながらも切り出す。

 内心の<剣聖>は気配の主のことを考えているのか、口を挟んでくる様子はない。


「ええ?」

「<剣聖>ミツルギは、死にました」


 えっ、と小さく声が聞こえたきり、背後のアネッサは沈黙した。

 ウルは大急ぎで言葉をつむいだ。


「それも、家族や門下生に看取られながら大往生だいおうじょうした、というわけではありません。とても……その、不本意な形で」

「……ええ。人の死というのは、得てしてそういうものだと思うわ」


 一階につくと、むしろ辺りが真っ暗になった。

 ウルは振り向いて、最後の大きな一段をのぼろうとしたアネッサに手を差し伸べる。


「ありがとう」


 婦人は微笑んで、ウルに引きあげられた。

 ふたたびアネッサの肩にまとわりついていた火のおかげで、周辺が淡く照らされる。

 婦人がその火を指をつつくような真似をすると、小さく枝わかれした火が居間のランプに火を灯し、残りの本体のほうは暖炉に入った。

 ほどなくして火が燃える音がしはじめる。


「あのミツルギが……いえ、そうね。誰にも、等しく死は訪れる。どれだけ心身を鍛えあげようとも。わたしにとっても、そう遠い未来の話ではないわ」


 ウルには答えようもない。

 まさか、『誰にも等しく訪れる』はずの死を受け入れず、<剣聖>が自分の身に宿っているなどと、いえるはずもない。


「おれは、そのミツルギの遺言で、あなたにこれを預けるようにといわれて来たのです」


 ウルは腰の刀の一方を鞘ごと抜いた。

 おや、とこのときウルの顔が怪訝そうなものになった。

 マガツ神と戦うときに夢中で振るっていたときは気づかなかったが、改めてその軽さに驚かされたのである。

 『これ』よりは、井戸の底で振るった普通の刀のほうがはるかに重く、よほど頼りがいがある気がする。

 ともあれ、<剣聖>にその謎を問うタイミングでもないため、ウルはすすの染み込んだ木製のテーブルに置いた。

 アネッサはちらりとそれを見るなり、


「鬼吼」


 とその名をいい当てる。

 ぱちぱちと木のぜる音が聞こえはじめた居間のなか、<火の魔女>はしばし、いびつな形の刀を眺めていたが、


「そう。……彼は、恐れたのね」


 ぽつりと口にした。


「恐れた?」

「ええ。彼は、一番弟子のあなたにもいわなかったのかしら。イスルギのことを」


 予想外の名前が出てきたので、ウルは混乱する。


「イスルギ、ですか? その……彼が王国と敵対して、最後には、じかに戦ったことは教えられましたけど。決着がつかなかったことも含めて」

「そう。ミツルギは、故郷の親友であったイスルギが、この刀を手中にすることを恐れたのでしょう」

(そうなのか?)


 ウルは内心で<剣聖>に問いかけた。

 てっきり、息子のソーヤが手にするのを恐れているとばかり思っていたし、ミツルギ本人もそうとしかいわなかったはずだ。

 ミツルギは答えなかった。

 アネッサと再会して以降、<剣聖>は歯切れの悪さをずっと維持している。

 ここで感じたマガツ神の気配に関しても、答えが出ていないのか、それともわかっていてウルには黙っているのか、それすら判断ができない。


 もっとも、肝心なのは、こうして鬼吼をいわれたとおりアネッサに預けた以上は、ミツルギの目的はもう達成されているということだ。

 ウルの役割も終わりを告げたということなのだが、なぜだろう、どうにも達成感がない上に、ウル本人がしっくり来ないものを感じている。


「いったい、そのイスルギって人は、どうして……」


 <剣聖>と<火の魔女>、どちらにともなく、ウルが疑問を口にしようとしたときだった。


「う、うわああっ!」

「ひ、火だっ、『火の魔物』だあっ」


 屋外から、男たちの切迫したような大声が聞こえてきたのである。

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