6――かがり火に、孤剣
「え、ええっと」
ウルは答えに窮した。
(どうする? なんていえばいい?)
内心で<剣聖>を促すのだが、反応が鈍い。
茫然自失としているようだ。
記憶の奔流に呑まれているのは、彼本人のほうかもしれない。
その間、老婦人はにこやかにこちらを見つめている。
いきなり家に押しかけてきた――どころか、隠し戸まで開けて乗り込んできた若者に、まるで少しの警戒もなさそうだ。
凪いだ海そっくりに穏やかで、落ちつきはらったその目を見ているうちに、ウルは、奇妙な心境に陥った。
目の前にいるのは、ウルよりもはるかに年上の女性だ。
それはごくごく当たり前のことながら、ウルは『当たり前でない』環境にあった。
ミツルギの記憶で、いまその女性の若かりしころの姿を見たばかりである。
いまさら繰りかえすまでもない。
<剣聖>ミツルギと並んで、<火の魔女>アネッサは、多くのマガツ神を大陸から打ちはらった英雄であった。
いかに王家が、彼らを英雄扱いしなくなったり、吟遊詩人が街角で彼らの活躍を歌いあげるのを禁じたりしたところで、その事実は決して消えない。
いまも、ウルがもしその気になれば、ミツルギの記憶からいくつかの場面を拾いあげて、アネッサが雄々しく火を放ちながら、強大な敵に立ち向かっている光景を思い浮かべることができたはず。
そんな英傑のひとりが、目の前にいる。
茶褐色のボリューム豊かな髪はすっかり銀色に染まって、肩の辺りに力なく垂れている。
粗末な衣服から覗く腕は骨ばっていた。
世界を救ったほどの人が。
いったい、どれだけの命を救ったのか、数えるのも億劫になるくらいの人が。
ウルの慨嘆が深くなる。
宮殿で不自由のない生活を死ぬまで送ったとてお釣りがくるくらいの活躍をしながら、こんな人里離れた庵の地下室で身を隠している。
そう思うと、ウルはなにやら居ても立ってもいられなくなった。
時の経過の実感――若いウルにとってそれはことさら残酷なものに思えた――を、ひしと肩に感じたその重みに押されるかのように、いきなり膝をついた。
「あら?」
さすがにこの行為に目を丸くしたアネッサを前に、さらに頭をさげて、ウルは、
「申しわけありません」
と叫ぶようにいった。
「申しわけない、とは、どなたが、なにを?」
「名乗るのが遅れました。おれは、ミツルギの弟子のウルっていいます」
「まあ」
婦人は小さく口を開けて驚きを表現した。
そんな仕草にもなにやら品を感じる。
ウルは石床の一点を見据えながらつづけた。
「そう、あなたとともに戦った<剣聖>ミツルギの、いちばんの弟子に当たります。ですから、師匠に代わって謝罪いたします。あなたが窮地にあるときに応えることができず、本当に申しわけありませんでした」
(おい――)
事のなりゆきに気づいてか、<剣聖>の意識がウルの近くにまで舞い戻ってきた。
驚いて、そして怒っている風なミツルギには構わず、
「あれは師匠が悪い。師匠がいけない。非人道の極みだ。ろくでもない。師匠がどう言い訳しようとも、あなたを助けられなかった、いや、救いの手を差し伸べようともしなかったのはねじ曲げようもない事実。非は完全にミツルギにあります。申しわけない。ごめんなさい。すいませんでした」
(なにをいっておる!)
「あら、そこまでは……」
「いいえ! 師匠はもっと責められてしかるべきです。剣の道を極めるだとか、死んでも果たさねばならない使命があるだとか、それらしく格好をつける前に、まずは、おのれのろくでもなさを実感するべきだったのです」
「…………」
「師匠を許してやってくれとはいいません。あんな男ですから。目的のためなら他人を犠牲にしても構わないと本気で信じているような、まったくもって最低の男ですから」
(貴様ァ、いい加減にせんと――)
「大体なんだ、あの男は。<剣聖>だって? そんな立派な肩書きが似合うもんか。手前勝手にもほどがある。ああ、いまだって、どれだけおれが迷惑していることか。アネッサさんだって、あの男とずっと旅をして、さぞご苦労されたことでしょう。きっと、いや絶対にそうだ。なにせ自分のことしか頭にない男ですから。だから家族だってあんなふうになっちゃうんだし。そう、なのに、あいつは自分以外の人間を責めるばっかりで。責任というものがなにもわかっちゃいない。
ただもうこうなると、あいつ本人だけの問題じゃないな。誰も、あいつになにもいわなかったのが悪いんだ。そういう意味ではアネッサさんにも責任はあるんじゃないですか? どこかの誰かがきちんとあいつに教育してやるべきだったんだ。ちくしょう、どこかの誰かめ。おまえのせいで、おれは川に流されるわ、女に命を狙われるわ、ガキんちょに叩き落とされるわで、ろくでもないことになってるんだ。あああっ、もう!」
ウルは思いの丈が口から出るに任せている。
ある種の鬱憤晴らしでもあったのはちがいないのだが、そのとき、婦人がぷっと噴き出すのを耳にして、ウルは顔をあげた。
「ふふっ……はははっ」
まるで耐え忍ぶように細い肩を揺らしていたアネッサは、数秒後には我慢しきれなくなって大きく笑いはじめると、しまいには身をよじり、壁に手をついて支えねば立っていられないくらいの大笑いをした。
ウルどころか、ウルに殺意をも向けかけていた<剣聖>さえもが唖然となる。
「ああ、ご、ごめんなさいね。うふふっ、あ、あはははっ。……あー、おっかしい」
目もとの涙を拭いながら、アネッサは存外、若々しい言い方をした。
「あの<剣聖>とじかに面識がありながら、そうまであしざまにいう人がいるのが、ちょっとおかしくて」
「お、おれのことを信じていただけるのですか」
ウルがわれに返って問いかける。
冷静になってみれば、証を立てるようなことはまだなにひとつしていない。
「そうね。いまいったこととは正反対の意味になるかもしれないけど……、ミツルギをそこまでいうなんて、じかに会った人でないとできないことよ。だって、『英雄』だ『剣聖』だなんていわれてるけれど、会わないとわからないこともあるわよね」
「ええ! そ、そう。そうなんです」
(な、なんだと、アネッサ。小僧のいいぶんに乗るつもりか)
つまりは、<火の魔女>も、ミツルギに手前勝手な面があり、ろくでもない男だと、半ばは認めていることになる。
「それに、嬉しくてね」
「えっ?」
アネッサはもう一度目を拭うと、ほうっと小さく息をつきつつ、
「ミツルギが、いまは孤独でないと知って」
つぶやくようにいった。
涙のせいか、その澄んだ目がさらに透きとおっているように見えた。
「もちろん手紙を出したときに、彼が家族を得ていたことは知っていたわ。奥さんは早くに亡くなられたようだけれど、二人の子宝に恵まれたことも知った。だけど……、ミツルギは、わたしたちといっしょに旅をしているときにも、どこか、ひとりきりでいるような雰囲気があった」
陽が落ちたあとの地下室だというのに、お互いの顔が見えるくらいに明るいのは、アネッサの肩の辺りにまだひとつきり残された火が瞬いているからだ。
「無口だったというのではないわ。わたしたちに心を許さなかった、というのもちがう。イスルギとはあのとき本当に仲がよかったし、わたしやグローマイヤー、ライナスとも打ち解けていた。でも……彼の本質というのかしら、根源の部分では、ひとりきりでいるように見えた。いまもわたしは思い出すことができるの。
夜……、とても真っ暗で、静かな夜、彼が、たき火のそばで剣を抱いてじいっと座っているのを。まるで暗がりにたったひとり取り残されたみたいに……、いいえ? そうじゃないわね。まるで彼の世界には剣以外なにもないかのような、そう、冷たい剣のみを心に抱いて、これからも剣のみとともにありつづける……というような」
ゆらめく炎が投げかける光の加減によって、アネッサの微笑みが、時折り、ミツルギの記憶で見た少女のそれと重なることがあった。
「だから、わたしはずっと、心の片隅で案じていたのよ。ただでさえ孤独の闇を好む彼だけれど、あれから、本当にいろいろなことがあって……その闇が、色濃くなってしまってはいないかと。たき火でも照らせないくらい、あまりに濃くなった闇のなかで、ご家族や、弟子の皆さんと必要以上に溝が生まれてはいないか、いまもただ鉄の剣のみを胸に抱いてじいっと座っているのではないかと。
でも、安心したわ。あなたみたいな人が一番弟子だというなら、きっと、ミツルギも孤独ではなくなっていたのね」




