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3――初指南


(待て。やるなら、もう一方の刀を使え)


 ミツルギが指定したのは、例の鬼吼おにぼえではなく、ソーヤから奪ったごく一般の刀だった。


(鬼吼は、半ば以上があちら側の世界の存在だ。それを用いれば<風断ち>もたやすかろうが、同時におまえには危険のほうが強くともなう。歩き方もろくに知らんのに全力疾走するようなものだ。まずは通常の刀で、初歩の感覚を掴み取れ)


 いったんやると決めたミツルギは、流暢りゅうちょうにウルを指導した。

 ウル本人は高揚感の只中にあったので気づかなかったが、<剣聖>はウルの発想に驚きながらも、同時に『次』の展望をも思い描いていたのではないか。


 これは、<剣聖>なりに、魂の秘術がどこまで双方の心身に影響をおよぼしあうかを試す実験ともいえたし、そして<剣聖>にとってはもうひとつ、『死後』となったいまなお追い求める剣の道中にてひらめいた、ある種の試みではなかったか。


 ミツルギは剣を伝授する困難さを十二分に知っている。

 あるいは、個人で剣を究めようとする道よりはるかに険しいことも。


 剣を究めんとするには、おのが心血をそそげばいい。

 目指す領域までたどり着けるかどうかは別問題だが、それ以外に方法がないという意味では、至極わかりやすい。


 が、体格も心根も、秘めた才すらもまったく異なる他人に剣を伝授するには、いったい『誰の』心血をそそげばよいのか。

 師匠役たるミツルギのほうに割合が傾けば、ただミツルギの剣を劣化させた後継者が生まれるだけだし、逆に、弟子役のほうの割合が高まれば、それはもうミツルギの剣ではないという矛盾を生む。


 だが、もしも――。

 ミツルギの経験や記憶を、そっくりそのまま他人に引き継がせることができたなら?

 ミツルギがこれまで頭を悩ませてきた『伝授』の道にも、ひと筋の光明が差すのではないか。

 ……無論、ウルはそんな<剣聖>の思惑などは知らない。

 ただ速度を増した鼓動に押されるがまま、刀をすっと抜きはらって正眼に構える。


(ふん、思ったよりも堂に入っておるな)


 以前、マガツ神と戦ったときに引き出した記憶が思いのほか身体に馴染んでいたせいか、『正眼』という概念がウルにもごく自然に理解できたようだ。


(だが、それでは単にわしの猿真似だ。おまえの身体にあわせるよう、肩を開いて、左足をもう少し前に。いや、まだ腰が浮いておる。気持ち、膝を曲げよ。地面に両の親指が吸いついて、しかし後ろの踵だけが軽く反発を起こすイメージで)


 <剣聖>がいちいち細かな修正をおこなうのだが、言葉ひとつひとつにミツルギの抱くイメージが付随していたため、素人のウルにも理解しやすかった。

 いわれるがままにしていったウルは、ある段階で大きく目をみはった。


 胸から、腕の長さぶん隔てられた先で握りしめた柄。

 そこから直線状に伸びた刀身、そして空気に吸いつくかのように固定された切っ先。

 ずしりとした刀の重みは腰で支えられており、その腰にかかった負担が前後に開いた両の太腿を伝って、膝を経由、そして足先の指一本一本へと、血液の通った管のように余すところなく分散していく。

 そしてこれも<剣聖>のイメージだろうか、指に分散された力は、さらに皮膚の外側へ――地面の下へと、放射されていくのだ。

 すると、嘘のように刀の重みが消えた。


 ウルは陶然となった。

 あたかも地面に重みを肩代わりしてもらったかのような――、ウルの肉体と大地とが寸断されるものもないままに重なりあって、ウルを取り巻くあらゆるものが、いにしえより定められた位置にぴたりと静止したかのような、もっというなら、無数の歯車がかちりと噛みあうときにも似た、小気味のいい感覚があった。

 味わったこともないそんな感覚に、


「これは――」


 思わずウルが声を発した瞬間、奇跡的な均衡きんこうがあっという間に崩れた。

 地面に放射されていた力が方向を見失い、膝に大きな負担がかかって、前へとよろめく。

 重みなど消えたはずだったのに、ウルは急に切っ先の高さを維持できなくなって、両腕もだらりと落ちた。

 それどころか、刀を取り落として、ウルの両膝ともが地面に落ちた。

 気づけば、額からぽつぽつと雨のように汗が落ちていく。

 呼吸も大きく乱れていた。


「え。な、なんだ――。これ……」


 刀を構えていたのは一分にもならなかったはずだ。

 ウルとて、マガツ神と戦ったときなどはその何倍もの時間、力の限りに刀を振るっていたはずなのに、たかだか一分足らず構えていただけで、全身の力が抜けてしまっていたのだ。


「ど、どうして……」


 <剣聖>は答えない。

 構えただけでこのザマなのだから、さすがに見込みのなさを思い知って、落胆したか。

 いや――。


(驚いた)


 とミツルギはいった。

 まぎれもない実感が魂の息吹きにあらわれていた。


(お、驚いたぞ。記憶を共有するとは、こういうことか。わしが、たとえ千の言葉を費やしたとて、たとえ万の数おまえを打ち据えたとて、こうはいかん。小僧、いまのが、わしがいく多の戦いと、そして血と汗を地面に滲ませた修練の結果に習得した、『わしの』構えよ)

「い、いや、それはわかるけど、でも」

(わからんよ。ここでくどくど説明する気もない。その必要がないからこその、いまの結果だろうよ。早う、もう一度やってみせよ)


 <剣聖>の一方的ないいように、しかしウルはいつものように反発しなかった。

 ほかでもない自分自身が、先ほどの感覚をもう一度味わいたい、という強い欲求に駆られていたためだった。

 ウルは拾いあげた刀を杖代わりにして立ちあがったものの、足が震えていた。

 まともに力が入らない。

 刀を持ちあげようにも、今度は重すぎて持ちあがらない。

 地面と一体化したときは、羽毛も同然の軽さだったというのに、いまとなってはどうやって構えを維持できていたのかも謎なのだ。


「く、くそっ。焦らせるなよ! 真面目にやっているんだから」

(なにもいうておらんわ)

「いってなくても伝わるんだ」


 ウルはいったん呼吸を落ちつかせると、もう一度、『正眼』のイメージを脳裏に強く意識した。

 『正眼』という単語ひとつ取っても、そこにはミツルギの記憶が無数にこびりついている。

 いくつかのヴィジョンが断片的にウルの眼前を通り過ぎていった。

 はじめてミツルギが本物の刀を手に取ったとき、はじめてミツルギが真剣で人と斬りあったとき、はじめて刀での成長をミツルギが実感したとき……。


 それぞれの記憶が内包している複雑な経緯や事情をウルは見ないように努力しながらも、ミツルギが刀を振るっている記憶のなかから、肉体の実感だけを切り抜いて、おのが姿に投影しようとする。

 ゆっくりとだが、しかし確実に、切っ先が持ちあがっていった。

 ウルはほとんど意識していない。

 そのうちに肩が開いて、背筋が伸び、そしてまた両足が開かれる。


(刀で世界と触れあえ)


 <剣聖>の声が間近で響いた。


(……わしは、まずそういわれた。十二剣将のひとりに会ったときだ。『刀で世界と触れあえ。切っ先が沈んだ先の空気を乱せば、それは世界をも乱すということ』――若かりしわしは、十二剣将に声をかけてもらった事実と、その言葉に、痺れるような感動を覚えたものよ)


 <剣聖>の声が、あたかも首の後ろに移動していっているようにウルには思えた。


(わかるか。地面に両足を踏んばって立つとき、人は広々とした荒野にあって孤独であることを思い知る。思い知らされる。痛いほど、苦しいほどに。しかし孤剣ひと振りを手にして、それを虚空に差し伸べたとき)


 切っ先が静止する。

 歯車が噛みあう。


(人は、剣士となる。剣が物質として世界と触れあうとき、剣士は肉体の実感をより確かなものとする。それまでは孤独に、いわばぶしつけに存在していたはずの剣も、肉体も、季節の巡りの一部となり、そして剣と一体化した剣士は、すなわち世界そのものとなる)


 剣の重みが地面の下へ放射されていく感覚。


(言葉のすべてを理解する必要はない。わしもそういわれた。理解が先走れば、むしろ肉体は置いていかれる。ただ、言葉から想起される概念――つまりは想念のみを脳裏に刻め。おまえはただ、剣とおのれとをひとつに)


 記憶があまたの色彩の尾を引きながらウルの脳裏をぐるぐると駆け巡っていた。

 そのうちにウルは、いま耳もとで聞こえている言葉が現在の<剣聖>が放ったものか、それとも過去の<剣聖>のものなのか、わからなくなってきた。


「かつて十二剣将は、この世の物質のみならず、影をも斬ったという――」

「ただ、もののたとえかと思っていたよ」

「剣の到達点? ちがうな、ある世界にとっては初歩中の初歩に過ぎない」

「影を斬るには、熟練の腕がまず基礎となる。ただし――。逆説的だが、腕が立つほどに難しい、ともいわれる。自分がそれなりの葛藤と自信をもって構築してきたものをすべて叩き壊すのにも等しいからだ」

「いちばんつらいのは、それを時間の浪費と思うこと」

「今日には半歩、明日には一歩でも強くなりたいと願う剣士に、無為の時間はなによりつらい――」


 ぐるぐると、何度となくぐるぐるとまわりつづけるヴィジョン、そして言葉の数々――。


「なんだ、おまえはまだそんなことをやっていたのか。おれはもうあきらめたよ。魔法の武具を使えばマガツ神を斬るのだってたやすい。そういうのはありか、だと? ありなんだよ。おまえは本当、クソまじめだな」


「斬れ」


 雪。

 白く染めあがった世界で、ふた振りの刀を中央に対峙しあう剣士ふたりの影。


「斬ってみせろ、じん。いやさ、ミツルギ。おれの影をも、跡形もなく。それを、いまここでできなければ、おまえにはおれを止める資格などないということだ」


(斬れ――)


 いつしか、<剣聖>がぴたりとウルの背後に位置しているのを感じた。


「これはすべて、あのとき斬らなかったおまえのせいだよ、ミツルギ。わかっているだろう?」


(斬れ――)


 さらに<剣聖>は一歩進み出る。

 ウルの身体と、輪郭のないミツルギのそれとが、感触もないままに重なりあった。

 腕と腕、足と足、それぞれ部位の大きさは異なれど、重なった双方が同じ構えを取る。


 正眼の位置で固定されていた剣尖けんせんがすっと横に泳いだ。

 誰に命じられたわけでもないのに刀を片手に持ち替えたウルは、鞘の位置にまで剣を戻す動作において腰を左へとひねった。

 なぜだろう、感触もないミツルギの肉体から鼓動を感じる。

 あるはずもない脈動が、ウルの腰で渦を巻きはじめる。


「斬れ!」


 最後は、どちらが虚空めがけて放った言葉だったのだろう。

 ウルは身体の内側で無音のエネルギーが渦を巻くのを感じていた。

 足を踏み出すと、その渦を前方に解き放つイメージを抱きながら、横殴りに刀を振るった。

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