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2――提案


 睡眠不足と疲労がたたってか、そのうちクレハは、規則的な寝息を立てはじめた。

 ウルはいまのうちに縛りつけておきたいとも思ったが、あいにくと役立ちそうな道具が手近にない。

 ウルは彼女の手から刀をもぎ取って、自分の背中に隠した。

 それでもクレハが目を覚ましてしまえば、またひと悶着あるのは目に見えている。


「飲まず喰わずで追いかけてきた……って、凄い執念だよ。ひょっとして、近くに兄貴のほうもいるのかな?」

(ここまで過酷な追跡にほかの道場生がついてこられたとは思えんし、ソーヤがクレハと二人きりで行動するなど、それ以上に考えにくい。クレハひとりだろう)


 ウルは、あらたまってクレハのほうを眺めた。

 頬から顎にかけての輪郭が細い。

 閉じた左目も、鼻梁も、そしてかすかに開いた唇も、どれも触れれば壊れてしまいそうなくらいに繊細で、そして控えめな印象があった。

 右目の眼帯を除けば、太刀を振るって戦う姿などはとても想像できないくらい、無防備かつ清冽な乙女そのものだ。

 しかしそれは、あくまで首から上の話。

 下はどうなっているかというと――。


 ウルより広い肩幅に、衣服をことさらに高く盛りあげる胸、そして躍りかかってきた際にちらりと見えたたくましい太腿。

 若く、伸びやかなその肢体には、東国人特有にきめ細かで色白な肌に似あわぬほど、どこか野放図で、野生的ともいえる量感が宿っている。

 芸術家の手による精緻な目鼻立ちと、たくまざる野生をふくいくと匂わせる肉体――そのギャップから生じるなまめかしさに改めて気づいたとき、ウルは腰の辺りが落ちつかない雰囲気になった。

 瞬間、


かっっ!)

「うわっ」


 まるで耳もとで雷を落とされた気になって、ウルは小さく跳びあがった。


(娘におかしな気持ちを抱くでないわ、愚か者が)

「な、なな、なにをいってるんだ、おかしな気持ちだって? あんたこそ、おかしいんじゃないの。こんなときに、そ、そんなこというなんて」

(いまのこの状況で、わしに誤魔化しが通用するかよ。おお、なんて気色悪いことだ。おまえの感情を共有しては、えらいことになるわ)

「ちがうって! 彼女が目を覚ませば、また襲いかかられるんじゃないかって、心配になっただけなんだよ。そ、そうだよ。だから、いつまでもこうしちゃいられない、ってことなんだ」


 ウルは早口で話題を転換させた。


「あの娘の頭が冷えるまで――なんて悠長なことは、いってられなくなったわけ。わかる? だから、いまのうちに脱出したほうがいい」

(ほう、どうやって?)

「それはほら、あれだ、あんたがマガツ神と戦うときにやってみせたろう。<風断ち>とやらで高く跳びあがってみせた、あれをやればいい」

(正確には、<風断ち>を円形に放つ<旋風>だがな。ふん、よく覚えていた。このていどの井戸なら、<旋風>をやるまでもなく、<風断ち>でも十分だろう)

「そ、そうだろ?」

(よし、ならば身体を譲れ。わしならば、ほんのひと息よ)


 ミツルギは意気揚々といったが、


「いや――」


 ウルは若干のためらいを覗かせながらも、首を横に振った。


「駄目だ。身体は譲れない」

(なんだと?)


 予想外の返事に、さしもの<剣聖>も息を乱した。

 すぐに呆れたように笑って、


(はっ、まだわしが誰かを殺すつもりだと思っているのか? たとえば、あの小娘を井戸から脱出した直後に斬るとか?)

「それもある」


 ウルは認めた。

 ウルが自分の意志で身体を譲ったのは、村長邸でマガツ神に襲われたとき、そしてマガツ神の本体を相手にしたときの二度。

 どちらも、恐ろしいほどスムーズにいったのがウルには恐ろしかった。

 <剣聖>は苦々しそうに舌打ちした。


(なら、ずっとここに居座りつづけるつもりか? 骨をさらすまで? そもそも、<風断ち>なら脱出できるといったのは、貴様のほうではないか)

「そうだよ。だから、おれがやる」

(おまえが?)

「そう。おれが、<風断ち>を使えばいいんだ」


 しばし沈黙の谷間があったのち――、<剣聖>は耳を塞ぎたくなるくらいの大笑いをした。


「や、やめろ。クレハが起きちまうよ!」

(聞こえるものかよ。それよりも……いうに事欠いて、自分がやるだと? こ、この痴れ者め!)


 <剣聖>の笑いは、家屋をも揺さぶる嵐さながらだった。


(剣を少しばかり扱ったからといって図に乗るでないわ。<風断ち>はソーヤやクレハ以外の門下生には使えないといったのを忘れたか? いずれも未熟者とはいえ、剣の腕でいうならおまえよりはるかに上まわる男たちだ。しかし、どいつもこいつも、<風断ち>は入り口の段階でつまずきおった。だから誰にも印可状は出さなかったのだ)

「ああそうだ、そうだよ。おれには剣の経験も、才能もないんだろう、どうせ」

(たとえおまえに、ソーヤやクレハを上まわる才能があったとて同じことよ。どんな目をみはるような大技も、結局は、地道な鍛錬の積み重ね、その過程にあるものに過ぎん。逆をいえば、鍛錬なくして、つまりは過程のどれかひとつでもすっ飛ばして技を習得することなどはできんのだ)


「わかってるさ。あんたはその鍛錬を日々積んでいた。そしておれは、そんなあんたの記憶を共有することができる」

(だから、自分にも使えるはずだと? 馬鹿も休み休みいえ。記憶を共有するのは危険だと何度も忠告したろうが。それに、わしとおまえとでは身体がまったくちがうから、剣の素人の貴様では、わしの記憶などは参考にもならん)

「ああ、それもいちいちそのとおりだよ。だけど、これまで成功例があったのも事実だろ? マガツ神と戦ったとき、おれが敵の攻撃を防げたのは、あんたの記憶から剣筋を引き出していたからだ。あんたがそういったよな?」

(あれは、身近に迫った死を跳ねのけようと切迫した状況だったうえに、<風断ち>はまた根本が異なる技だ。同列に語るな)

「<風断ち>だって成功例はあるんだ」

(まだわからんのか、小童。それは、わしがやったのだ。マガツ神に<風断ち>を振るったときは、わしがこの身体を動かしていたのではないか)


 いい加減、進展もなさそうなこの会話にうんざりしたせいか、ミツルギは笑うのをやめて、声に怒気すら混じらせたが、


()()だよ」


 クレハを起こすことを恐れていたくせして、ウル本人が大声を出した。


「おれは、『あんたの記憶』を引き出して剣を振るった。一方で、あんたは『おれの肉体』で<風断ち>を放ったんだ」

(ぬ)


 ミツルギは小さく唸った。

 じょじょに、ウルのいわんとしていることがわかってきたようだ。


「そうだ。あんたは『おれの肉体』を使って、<風断ち>を一度といわず、何度も放った。土台は『おれの肉体』だから、威力も規模も、あんた本来の技には遠く及ばないんだろうけど、少なくとも発動はした。そのときの――『おれの肉体』を使って<風断ち>を振るったときの『あんたの記憶』を、おれが、この場で引き出すことができたら?」

(それは)


 つまるところ、往年のミツルギの剣までは再現できずとも、ミツルギがウルの肉体用に調節して――いま風にいうならばチューニングをしぼって――放ったあの一撃ならば、ミツルギいうところの『土台』はまったく同じなのだから、ウル本人が発現させるのは決して不可能ではない、ということなのだ。

 ややあってから、


(……小僧。いまとっさに思いついたわけではあるまい。それを、いつから考えておった?)


 <剣聖>が、半ば憎悪にも似た感情をよぎらせながら聞いた。


「さあ。いつからかな。痛さで身動きできなくなっていたときかもしれない」


 ウルは、興奮でのぼせたような顔でいった。

 確かに以前から思いついてはいたのだが、こうして実際に口に出してみると、


 ――おれが、あの技を使える?


 いまにも実現しそうな気配に、背筋がゾクゾクするほどの高揚感がもたらされた。


(ふん。……確かに、わしにはない発想だ。しかしそう上手くいくものかな)

「ものは試しってだけだよ」


 照れ隠しに意識を遠ざけたウルは、その高揚感が自分だけのものではなかったことに気づかない。

 立ちあがったウルは、さっそく刀の柄に手をかけてみた。

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