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8――英雄の顛末


「理由は二つほど考えられる。マガツ神に対する切り札を手もとに欲したのと、やはりアネッサの力を恐れたためだ。人智を超える力を野放しにしておくよりは、近くで飼いならして監視しておくほうがいい、と伯爵は考えたのではないかな」

「ざっけんな。手前でどうにもならないから<魔女>を頼ったくせして――」


「人は人ならぬものを恐れる。相手がマガツ神であろうと、それを退治したものであろうと同じこと。それに……、実のところをいえば、バナージとわしらには面識があってな。五十年前、マガツ神勢力との決戦を目前に控えた際、王国人貴族が一堂に介して、士気をあげるための宴を開いたときに会っている。もちろん味方として同じ陣営にいたわけだが、そのとき、アネッサとバナージには多少の揉めごとがあったのよ」

「揉めごと?」


「この土地の、『王国人』貴族と<火の血族>の因縁については話したな。血みどろの戦いの話だ。若かりしころのバナージが、その遠い昔話を持ち出して、アネッサと血族を侮辱した」

「くそったれ」

「もちろん、その数分後には心底震えあがる羽目になったがな」

「え、どういうこと?」


 妙にミツルギがもったいをつけたので、ウルは怒りも忘れて聞いてみた。


「先ほど、アネッサは、争いを好まぬ、もの静かな女性だ――といったな」

「いったね」

「あれは嘘だ」

「はっ?」

「いや、嘘ではないが、真実でもない。普段は確かに、礼儀正しく、静かな雰囲気があったが――、ひとつ機嫌を損なうと、わしやイスルギでも手がつけられなくなるようなところがあったのさ」


 具体的な例こそ挙げなかったが、くっくっと笑うミツルギの様子のほうにウルは驚いていた。

 こんな<剣聖>を見るのははじめてだ。

 英雄として戦った過去がある、といっても、もちろんそこにはミツルギも様々な感情があるはずで、ひとくくりにできるものではあるまい。

 イスルギとの過去を語るときは、どこか力のない、心ここにあらずといった態度のミツルギだったが、いまはアネッサにまつわる過去のあれこれを思い出してか、心の底から楽しげだった。


「まあ、だからバナージにしてみれば、アネッサにあえて仕官を求めたのは、五十年前の仕返し――というほどではないにせよ、ちょっとした嫌がらせのつもりもあったかもしれん。しかしアネッサはもともと家族と静かに暮らしたかっただろうし、おそらくこの申し出をどうするか、迷いもしなかったはずだ」


 そんな、にべもない<魔女>の態度が、『王国人』に怒りを呼び込んだものらしい。


(英雄などと持ちあげられた過去にのぼせあがりおって。蛮人風情が、領主さまを馬鹿にしているのか)


 といった具合に。


「仕官の話はこれでしまいになったが、城の人間たちはこれまで以上にアネッサを恐れるようになった。なにせ城の兵士が百名がかりで傷ひとつつけられなかったマガツ神を退治したのだし、王国に恭順きょうじゅんの意を示さなかったというので、反感もあったろう。ほとんど形骸化していた里への監視がふたたび厳しくなって、アネッサには専門の見張りもついた。これで、アネッサは里の人間からも相当に疎まれたはずだ」


「疎まれた――って、そんな。里のみんなのためにやったことなのに」

「こんな人里離れた場所に住んでいることからして、大体の想像はつく。アネッサは里から監視の目を遠ざけて、自分ひとりだけが背負うつもりだったのだろうさ」


 ウルは、なんともやりきれない気分になった。

 <剣聖>、<剣鬼>、<火の魔女>といえば、田舎出身のウルでさえ知っている英雄たちだ。

 ユーフォリー人でないという理由があってか、王国はもう彼ら三人の名前を宣伝こそしていないが、しかしまぎれもなく世界を救うために戦った人々だというのに、その末路はどれもはかない。


「アネッサからの手紙の本題はここからだ。里から離れる道を選んだ彼女だが、しかし城の人々が信用ならなかった。王国人は、『信仰なき力』をことさらに恐れる。そして一度恐れてしまえば、勝手に心のなかでその恐怖を増幅させてしまう。おまえにも覚えがあるだろう。わしらも、そんなことを散々目にしてきたのだ」


 ベルトール伯は一応のこと<魔女>への謝意を示していたが、その気持ちが明日にも変わらないという保証はない。

 理解のおよばぬ力など、やはり野放しにはしておけぬ――とばかりに、自分のいない隙に村へ軍勢が派遣されるのを、アネッサはなにより恐れた。

 だから、


「『虫のいい申し出ですまないけれど、頼れる人がほかにはいない。あなたがしばらく村にいてくれるだけで助かるのだけど。なにも戦ってくれとはいわない、いざとなったら村人たちをどこかへ避難させてくれるだけでも』――と、アネッサは手紙にそうつづっていた」

「それで?」


 ウルは固唾を呑む思いで問うた。


「あんたはどうしたの? まさか、ベルトールとのあいだで戦いになったとか?」

「どうもしなかった」

「はっ?」

「前にもいったとおり、わしはすでに名を捨てて、後継者の育成に苦心していたときだった。正直にいえば、ほかのことになど関わってはいられなかった」

「昔の仲間が頼ってきたのに、どうして! 本当に伯爵が軍を差し向けるつもりだったらどうするんだよ? そういうのを散々見てきたといったろうに!」


 かっとなったウルに対して、<剣聖>はあくまで冷徹に返した。


「どうもしなかった、というのは語弊ごへいがあったな。実際は、門弟を数名、村へよこしたのだ。三か月経って、特にベルトールに動きがない様子だったので、引きかえさせた」

「それだけ?」

「まあ、それだけだな」

「自分で村へいくことも、手紙を返すこともしなかった?」

「くどい。それだけだ」

「ひどい野郎だよ」

「凡俗になにをいわれようとも」


 いかにも平然とした態度の<剣聖>だったが、しかしいつものミツルギなら、


(小僧。対等の口を利きおって、貴様などになにがわかるか)


 と感情的になっていたっておかしくない。

 少なくともウルに対しては感情が素直に出る。

 魂の距離が近いせいだろうが、では今回、妙に歯切れが悪く感じるのはなぜか。

 それに気づいて、ウルはどっと肩の力が抜けるのを感じた。


「あんたさあ……顔向けできない相手に、よく刀を託す気になったもんだな」

「ふむ」

「あと、こういう話は、やっぱりここへ来る前にしてくれておいたほうが助かったよ」


 <剣聖>は無言だったが、そっぽを向いている老人の姿が脳裏に浮かんだ。

 あとは、沈黙に包まれた。

 いったん静かになると、


(世界を救ってくれたお婆ちゃんを、おまえらは誰も救おうとはしなかったんだ!)


 あの娘の声が、いまも古井戸の壁に反響をつづけているように思えた。

 口ぶりからして、アネッサの孫娘なのだろうか。

 祖母が本当に苦しかったとき、助けを乞う手を邪険に跳ね除けた<剣聖>の関係者がのこのこあらわれたなら、それは怒って当然だろうと思う。

 古井戸に叩き落とすほどだとは思わないにしても。

 ミツルギは、


(あの娘にも冷却期間を与えてやろう)


 などとうそぶいていたが、果たして、少しばかり時間があったとて、あの娘がこちらのいいぶんを聞いてくれるかどうか。

 アネッサ本人が家にいるならば事情も変わりそうだが、正確な居場所はわかりようもない。


「……さて、これから」


 どうする、とあらたまって<剣聖>に問いただそうとしたとき、頭上から小さく声が聞こえてきた。

 言葉を交わしあっている。

 片方はあの娘だ。

 そして、


「……そうです。わたしは<剣聖>の……」


 もう片方の声を耳にしたウルが、はっと緊張に身を固くする。

 さらには、


「ああ、あの<剣聖>さまの。そうだったんですね。先におっしゃってくれればよかったのに。じゃあ、こちらへどうぞ。大事なお客さまが来たときのため、別の入り口があるんですう」


 聞き覚えのある台詞までもが聞こえてくる。


「さあ、こっちこっち!」


 元気よく跳ねるような足音がしたかと思うと、


「痛み入ります。あっ、そんなに急がれると足もとが危険ですよ――うわっ」


 数十分前のウルとまったく同じ運命を辿って、人間ひとりが井戸の底へと落下してきた。

 枝葉にまみれたその人間から、とっさにウルは身をかわす。


「ばーか!」


 これもまた耳馴染みのある言葉。


「まさか二人目が来るなんてな。どうせおまえの知りあいだろう。仲よく一夜を過ごしな!」

「ま、待てっ」


 ウルは腰をあげながら叫んだ。

 『仲よく』などとはとんでもない。

 この人物と二人きりにさせられるわけにはいかなかった。

 なにがなんでも。

 が、娘はすでに顔を引っ込めている。


「な、なんなのっ。もう!」


 一方、落下してきた女性は、ウルと同じように腰を痛そうに押さえていた。

 ウルとまっすぐに目があう。

 左の目だけが白々としているように見えるのは、右に黒い眼帯をしているからだ。

 無言のままに見つめあうこと数秒後。


「あ」


 と女性が声を発せば、


「う」


 とウルの腰が一気に引ける。

 そう――、ウルと同じ罠にかかって落ちてきたのは、<剣聖>ミツルギの娘、クレハだった。

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