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6――少女


 陽がだいぶ落ちてきて、木々のてっぺんが空の色に溶け込みつつあったころ。

 ようやくウルは足を止めた。

 森を北に進んだ先。

 東西を川に挟まれた丘を、ミツルギが無言で指し示すままに登っていくと、まばらに生えた木々の合間に、ぽつんと建っている家が見えてきたのだ。


「ここかな?」

(――ああ)


 ミツルギの返事はやや遅れた。

 数日前に思い出話をはじめて以降、なんだか返事が重い。

 考えごとでもしているかのようだ。

 周囲を見やると、本棟のほかにはひとまわり小さな納屋らしきものがくっついているくらいで、ほかに建物はない。

 いったい誰がこんなところに住んでいるのか。

 ウルは疑問に思った。

 世俗から離れて過ごす隠遁者いんとんしゃのたぐいか、はたまた脛に傷のある者か。


 年季を感じさせる柵を越えて、木製の簡素な家に近づく。

 辺りは雑草が伸び放題になっているが、建物の向こう側には畑らしきものが見えた。

 一応、人の手が入ってはいるようだ。

 ミツルギがいっこうになにもいわないので、


「あのさ、おれは、ここにどなたさまが住んでいるのかもわからないんだけど。誰か出てきたら、なんていえばいいの?」

(ん、ああ)


 ミツルギはまるで寝入りばなを叩き起こされたような態度で応えた。


(ここにいるのは……古い友人だ。ミツルギの知りあいだといって、刀を見せれば信じてくれよう)

「歓迎してくれると助かるよ。いまから宿にはいけそうにないからね。せめて屋根のある場所と、一杯のスープでも提供してくれれば……」


「どなたですか?」


 突然、目の前のドアが勢いよく開いたので、ウルはぎょっとなってあとずさった。

 隠遁者か犯罪者か、という想像をしていたせいで、入り口からあらわれたのが、十二、三歳の女の子だとわかったときには、また別の意味で驚かされた。


 農家の娘が着るような厚手の服を身につけており、ぼさぼさの髪を頭の左右で二つに結わえている。

 生まれ故郷でも、つい数日前までウルがいた村でも、よく見かけるタイプの女の子だ。

 全体的に痩せているのも同様だが、こちらをジロジロと見つめてくる目ばかりが妙に大きい。

 ウルは、爬虫類はちゅうるいにでも見られているような居心地の悪さを感じた。


「ええと、どちらさま?」


 じっくり観察した結果、顔見知りの誰でもない、と判断したためか、そばかすを散らした少女の顔にむすっとしたような感情があらわれた。

 気は長くないようだ。


「薬か農具の押し売り? 宿を求めてきた旅人? はたまた強盗? そのいずれもお断りさせていただいているので、悪しからず」


 いうなり、また勢いよくドアを閉めようとするので、ウルは反射的に入り口のほうへ足を差し入れたのだが、少女のほうはお構いなしだったので、思いきり足先を挟まれてしまった。


「あ、い、たたたっ!」

「おや、まあ。お気をつけて」


 少女は大げさに目を丸くする。

 ウルは足を押さえて跳びはねながら、


「き、気をつけるのはそっちだろ! いたたっ。おいっ、この子が古い友人なのか!?」

「はっ?」


 少女が不審そうに鼻の頭に皺を寄せるのと、


(まさか)


 とミツルギが、いかにも馬鹿馬鹿しそうに答えたのはほぼ同時。


(が、ここにいるからには関係者だろう。あいつはここしばらく、住処を変えていないはずだ。……わしの知る限りは)

「頼りねえなあ」

「なんです? さっきからブツブツと。ああ、わかった!」


 少女のしかめっ面が一転して、意地の悪そうな笑顔になった。


「妙な噂を当てにして来たんでしょう? うちは、きモノ払いも、呪い代行も、怪しげな薬の販売もやってませんよ。うちを、魔女の館かなんだかと思っている人が大勢いるんだから」

「い、いや、そうじゃなくて」

「さあ、帰った帰った! うちは魔女の館でこそないけどね、失礼な人が帰り道で不幸にあいますように、なんていう古いまじないくらいは知ってるんだ。森の木々や動物、はたまた亡霊たちに意地悪されたくなけりゃ……」

「は、話を聞いてくれ。おれは、ミツルギに頼まれて来たんだ!」


 肩を強引に押しやろうとしてきたので、ウルはたまらず、そう叫んだ。


「ミツルギ?」


 ぱっとウルの肩から手を放して、少女はまたも表情を一変させた。

 大きな目をパチクリさせて、最初のときとはまたちがう意味をまなざしに込めて見つめてくる。


「あ、ああ、そうだとも、ミツルギ。知ってるでしょ? あの<剣聖>ミツルギさ」


 その名前に効果がある、と踏んだウルは、いつも村で年上の女性たちに見せていたような、飛びきり可愛い――と本人は信じている――笑顔を浮かべて、早口で畳みかけた。


「ぼくは押し売りでも強盗でもないよ。ここにミツルギの古い知りあいがいるって聞いてね。遠路はるばる訪ねてきたんだ。ほら、これを見て。ミツルギから預かった刀だよ。これを見せれば、その人にだってわかるはずさ。だから会わせてくれないかな? <剣聖>ミツルギから預かった、大事なことづてがあるんだよ」

「へえっ。<剣聖>!」


 少女はすっとんきょうな声を発して、ウルの顔と、そしてウルが差し出した刀の柄の部分を代わる代わる眺めていたが、


「そういうことだったんですね。ごめんなさい、早とちりをして」


 左肩に手を置いて一礼した。

 土地の風習で、謝罪の意を示す際の身ぶりだ。


「い、いや、わかってくれればいいんだ。足は痛いけど。すっごく」

「じゃあ、こっちへ来てください。大事なお客さまが来たときのため、別の入り口があるんです」


 いうが早いか、少女はするりとウルの脇を抜けて、家屋の側面へと小走りに駆けた。


「こっちこっち!」


 よほどせっかちな性質なのだろう、ぴょんぴょん跳ねてウルを誘い招く。

 はちきれそうな笑みが愛らしい。

 さっきは爬虫類のようだと思った大きな目も、いまは小動物じみて可愛く見えてくるから、現金なものだ。

 ウルはあとにつづいた。

 伸び放題に伸びた雑草は、森の深い下生えと大差ないほど。

 だからウルは気づきもしなかったのだし、


(待てっ、足を止めろ!)


 ミツルギが声をあげたときには遅かった。

 ウルの足が一歩先の地面を踏み抜いた。


 一瞬の浮遊感ののち、体勢を乱したウルの身体は支えるものもないままに落下して、途中、土壁に膝をぶつけたのちに、ぬかるんだ地面にしこたま腰を叩きつけられた。

 痛みに身じろぎする間もなく、


「ばぁーっか!」


 頭上から声がする。

 見あげると、夜空を飾る月のような大きさで、少女の顔が見えた。

 ベロベロと勢いよく舌が上下に動いている。


「馬鹿がのこのこやってきて、馬鹿正直に馬鹿なミツルギの名前なんて出しやがって。救いようのない馬鹿はそこで頭を冷やせ!」

「な、なにをっ……」


 ウルの声が妙に反響しているのは、落ちた先が円筒型の狭い空洞になっているためだ。


「うるさい馬鹿っ、いまのいままで知らん顔してたくせにさ。いいかっ、二度とお婆ちゃんに近づくんじゃないよ!」

「なんだと。こ、このガキ、人をよくも――」


 ウルは抗弁しようとするのだが、いかんせん、腰と背中の痛みがひどくて大声を出せない。


「世界を救ってくれたお婆ちゃんを、おまえらは誰も救おうとはしなかったんだ!」


 いいながら、娘は枝をせっせと掻き集めて、円筒のてっぺんに並べている。

 閉じ込めるつもりだ、と気づいたウルの顔から血の気が引いた。


「待て、ガキ……い、いや、待ってくれ。待ってください! ぼ、ぼくには本当に、なんのことだかわからないんだっ、本当に!……」


 必死になって哀れっぽい声を出すのだが、娘は聞く耳持たず、もう一度「ばーか!」と言い残すと、月がさっと雲に隠れるみたいに顔を引っ込めた。

 その挙句、枝でつくった枠組みの上から大量の木の葉をかけて、蓋をしてしまったのだった。

 しばらくして、


(こうも見え透いた罠にかかるとは、あの娘のいうとおり、大馬鹿者だ)


 ミツルギが嘲るようにいった。


(あの娘、こういうときのために古井戸を草木で塞いでいたのだろう。なかなかの用心深さだ。他人を騙すのが得意なおまえが、見事に上をいかれたな)

「黙れ」

(なんだ。あの娘に怒っても、いまさら仕方あるまい。まずはここから脱する方法を……)

「怒っているさ。あの子にも、あんたにも」

(なに。わしに? なぜだ?)


 ウルは、改まって老人を心底から呪いたくなった。


「なにが、『なぜ』だ。なにが、古い友人だよ! あんたの名前を出した途端にこのざまじゃないか。いったいあんた、なにしたんだよ?」

(ううむ)


 <剣聖>はふたたび唸った。

 いつもの、触れれば切られるような雰囲気がない。

 こうされる心当たりがある証拠だ。

 ウルは痛そうに腰に手を当てながら、長々と息をついた。


「あんたといると、本当に退屈しないよ。実の娘に斬られそうになったり、古いお友だちの知りあいに叩き落とされたりね」

(お婆ちゃんといっていたな。となると……そうか、わしばかりが歳を取るわけではないからな。そうか)

「おい?」

(『頭を冷やせ』ともいわれたが……まあ、少し、あの娘にも冷却時間を与えておこうか。そのわずかばかりの時間、またも昔話をするのも悪くなかろうが)


 ウルは呆れた。

 自分の不手際を認めたくないからか、なにやらもっともらしい別の理由を述べてから、<剣聖>は珍しく自分のほうから語りはじめたのだ。


「まず、わしがここに会いに来たのは……アネッサという名の女だ。おまえも知っておろう、わしやイスルギとともにマガツ神を狩ってまわった『英雄』のひとり……<火の魔女>としてよく知られる女だ」

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