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5――兄妹(2)


(ちょうどいい。今日はここで一泊するぞ)

「えっ?」


 ミツルギの存在が遠くなった瞬間、目の前がぱっと開けた。

 というよりも、心の内側に集中していた五感が外に開けた。

 いつの間にやらだいぶ歩いたらしい、陽が傾きかけていた。

 次の宿場が見えている。


 ウルは首を左右に振った。

 他人の記憶が、自分のそれと同じように、ある種の親密さをもって脳裏にこびりついてくるような感覚には、いまだ慣れない。

 ミツルギが発した警告の意味がわかる気がした。

 もしも一日中ミツルギの記憶に触れていたら、記憶をそっくりそのまま上書きされてしまうのではないか。

 その場合、ウルという存在ははかなくも消え失せるのだろう。


 宿を見つけては寝泊まりすること数度。

 ミツルギは街道の前後を警戒するようウルにいいながらも、しばらく人影が絶えると、思い出したように昔話をつづけた。


 ……ミツルギが娘の才能に気づいたのちのこと。

 以来、ミツルギは注意深くクレハの剣を見守るようになった。

 時折りは<剣聖>をはっとさせるほどの太刀筋を見せることはあるものの、やはりミツルギが教えていないためか、本当の意味での基礎が身についておらず、初歩的なミスを犯す場面も多かった。

 本人の心情的にもまだ遊びの気持ちが抜けきれていないと見えて、あきらかなミスをしても、


「あれれ」


 と明るく笑い飛ばすか、首をひねるだけで、気持ちはもう次の一本に向いている。


「もういっちょ!」


 と同じ相手に挑んでは、同じ失敗を繰りかえす。

 また笑う。

 そして二十に一の割合で、奇跡的に鮮やかな剣を発揮する。


(へえ)


 そんな、幼いころのクレハの姿を『見て』ウルは驚いた。

 あの女性に、こんな快活な過去があったとは、なかなか信じがたい。


「お嬢さんの筋はいいですよ」


 門下生たちも「お嬢さん」に驚かされるのが楽しいと見えて、そんなことをミツルギにいってきたが、しかし、


(筋がいい?)


 ミツルギは懐疑かいぎ的だった。

 <剣聖>はやや考え込んだのち、息子と娘、双方を招き寄せると、


仕合しあってみよ」


 と命じた。

 当然、兄妹ともに驚いた。

 ソーヤは父が自分に向ける忸怩じくじたる思いになど気づいてもおらず、むしろ伸びざかりの実感があるほどだから、


「クレハに怪我をさせてしまいます」


 と渋面になる。

 クレハも不安げな面持ちだったので、当時のミツルギにしては珍しく、杞憂きゆうを笑い飛ばす振りをして見せた。


「なあに、ほんの遊びよ。クレハ、兄から一本取れとはいわん。身体に一度でも当ててみせい。ソーヤ、おまえは妹の剣を身体のどこにもかすらせてはならんぞ」


 子供たちにとって、父は絶対的な存在だった。

 母親が亡くなってからはなおのことだ。

 不承不承ふしょうぶしょう、腰を落として木製の剣先をあわせた。

 ともに立ちあがる。

 兄妹が前後に動いて間合いを計りあうこと数歩。

 軽くソーヤがしかけて、クレハが頭上すれすれで受けた。

 つづく一打も、クレハが腰の辺りで受ける。

 これもぎりぎり。


 目をみはる瞬間があるとするなら、最初の数打だけだった。

 あとは、力にしても、剣の細緻さいちな技術においても、ソーヤが圧倒した。

 ミツルギはそれでも「つづけよ」と命じて、五本勝負をさせて、そして、すべてをソーヤが取った。

 クレハの剣は、ソーヤにかすりもしなかったのだ。


「それで、わかった。クレハには剣士として致命的な欠陥があることが」

「筋がいいって思ったのは勘ちがいだった、ってこと?」

「才はある。恐ろしいほどに」

「えっ?」

「しかし、基礎ができておらぬうえに――、なによりも、気持ちが優しすぎた」


 クレハにとって、兄は憧れの存在だった。

 剣を学ぶ兄の姿を、ほとんど生まれたときから目にしてきた。

 常に自分の数歩先をいき、大人とも互角に打ちあう兄の姿に目を輝かせた。

 また、二人のおかれている環境も少なからず影響した。


 東国人の血を引く彼ら兄妹、街に出れば奇異のまなざしで見られることもあった。

 理由はのちのち語ることもあろうが、ミツルギの開いた道場も、実は街の人間たちから軽んじられている部分があったので、からかわれたり、同じ年頃の子供たちに絡まれたりすることもままあったようだ。

 ソーヤも、あからさまな悪意を無視できる性格ではない。

 からかいに対してはそれ以上の痛罵を返した。

 目の前に立ちはだかられれば、肩を小突いて、もしくは足をかけて、思いきり転倒させた。

 妹が巻き込まれそうになれば、身体を張って守った。

 父親にしてみれば、


「妹を連れていながら喧嘩になること自体、おまえの未熟さをあらわしている」


 と叱りたくもなるのだが、自分を守るために戦う兄の姿に、クレハがどれほど心を動かされたか。

 そんなクレハだから、


「おそらく、数度、兄と剣をあわせたとき、『危うい』と思ったにちがいない」

「また『危うい』?」

「このままでは勝ってしまう、とな」

「あ」


 ウルは思わず声を洩らした。


「クレハの剣はまだ不安定。すべてを勝つのは不可能にしても、五本のうち、少なくとも二本、クレハが確実に取れる場面があった。しかしクレハはあえて取らなかった。体格差で押し負ける振りをして、その二本とも兄に献上したのだ」


 ソーヤは勝って当たり前という顔をしていたが、<剣聖>の目まではごまかせなかった。

 それ以降、ミツルギは、娘のほうも手ずから教えるようになった。

 だからといって、兄のほうを放置するような真似はしなかった。

 それでは息子の気持ちが耐えられないだろうし、妹もこれまで以上に遠慮するだろう、とさしものミツルギにも想像がついたからだが、


「クレハもさとい性格だ。わしが教えるようになったことで、自分のほうに才能が見出されたことに気づいたのだろう。むしろわしが教えるようになってから、腕を落としていった。兄よりわざと弱く振る舞うようになったのだ。わしがすぐに見限ってくれるようにと」


 道場から足が遠のきそうになるのを、ミツルギは娘の手を無理矢理引っぱっては、剣を持たせた。

 ソーヤのほうも、日が経つにつれて、父が、自分と妹のどちらに熱を込めて指導しているのか、勘づきはじめたようだった。


 兄妹の関係は目に見えて悪化した。

 いつもぴったり兄の背に寄り添うようにしていたクレハだが、兄はそんな妹を突き放した。

 道場では必要以上に距離を取り、稽古とは関係のない食事の時間などでも、クレハを無視するか、そうでなくとも険悪な態度を取ることが多くなった。


 だがそうなると、クレハもいっそう道場通いをやめられなくなった。

 兄を思って剣を捨てれば、それに気づいた兄がより惨めになるだけだからだ。

 二人のそんな移り変わりを知ってはいたミツルギだったが、


「わしに、残された時間はそう多くはなかった。時間が尽きるまでに、どうしても、わしは自分が得た剣のすべてを、誰かに託さねばならなかった。ソーヤに対してすまない気持ちもあったが、あのときはただそればかりを考えて、クレハを鍛えあげることのみに集中していたのだ」

「どうして?」

「聞いておらなんだか。時間がなかったのだ。あのときは、誰かの肉体を借りてでも命を永らえさせようなどとは、思っても……」

「いや、だからそもそもの話で、『どうして』、自分の剣を誰かに『どうしても』託さなくちゃならなかったの?」


「なに?」

「そりゃ、なにかで一流になった人が、自分の子供にその技術やら知識やらを継承させたいって気持ちはわからなくもないけど、家族を犠牲にしてまで、『どうして』やらなくちゃいけなかったんだ、ってことだよ。子供に道場を継いでほしかったから? それとも……ひょっとして、マガツ神がまた復活する、って思っていたとか?」

「それもあるだろうな。おお、そこだ。小僧、その脇道に入れ」


 またもミツルギの意識が遠ざかり、代わりに視界が開けた。

 曲がりくねる街道が前方につづいていたが、ミツルギがイメージで伝えてきたとおりに、ウルの左手側に広がる森に、けもの道らしきものがつづいていた。


(街道を逸れたその先に、目的地がある。今日はもうこのまま進んでしまおう。陽が沈む前に辿り着けそうだ)

「その目的地のことをまだ聞いてないんだけど。話をつづけてくれよ」

(森はこれまで以上に危険だ。どんな獣がいるかしれんし、旅人の懐を狙う無法者どもが隠れているやもしれん。集中して進め)


 はぐらかされたような気がしたが、いうことももっともなので、ウルは仕方なしに街道を逸れることにした。

 どこへ向かうのか、その先になにが待つのか?


 わからないままのウルだ。

 それをいうなら、ミツルギに会う前から、村を出たとて、いくあてなどなにもなかったウルなのだが、実のところ、彼にはやりたかったこと、というよりも、いままではどれだけやろうとしてもやれなかったことが、たったひとつだけあった。

 誰にも口外したことはなく、ミツルギにも秘している。

 そんな事情があるから、ウルのほうもミツルギを深く追求できない。

 ただ、


「目的地に着いたら、満足してくれるの?」


 そればかりは聞いてみた。

 ミツルギがいつまで自分の身体に居座るつもりでいるのか、という疑問でもあったのだが、


(すべては着いてみてからだ)


 ミツルギは依然、確たる答えを与えてはくれなかった。

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