3――若き王と、英雄たち
はじまりは、およそ百年前とされる。
王位継承のたびに血をともなう事件が一度ならずあって、ついには英雄カリバーンの直系が途絶えた。
それを皮切りに、王家は影響力と求心力をともに失い、同時に、唯一神への信仰を大陸に根づかせてきた教会組織も、また弱体化しはじめる。
規模の大小を問わず、領内で同国人同士の争いが頻発するようになった。
すると、まるで各地におこった戦乱の火におびき出されるようにして、地底から、空から、果ては溶岩の海の向こうから、マガツ神たちがその異様を引きずりつつ地上にあらわれはじめたのだ。
「かつて英雄カリバーンに一掃されたはずの『邪神』たちは、英雄の子孫たちの愚行をあざ笑うかのように、土地と人間を次々に支配した。『王国人』たちはもちろん、かつてそれらの神々を信仰していた土着の民たちさえ抗ったが、鍛え抜かれた剣も槍も、訓練された軍馬の猛々しさも、神にはほとんど通じなかった」
五十年ののちには、組織だって神に抵抗できる勢力はなくなっていた。
「神々は冠を頭上に戴くことこそなかったが、それぞれの土地においてそれぞれの掟によって人民を支配する様は、まさしく王そのものであった、という」
その間、ユーフォリー人の国家はさらに内部分裂を引き起こして、本来の王家はますます痩せ細っていた。
彼らはマガツ神が世界を切りわけている現状になにひとつ対処できぬまま、いまや権力とも呼べぬほどに弱体化した形だけの玉座をめぐって、愚かしい内部抗争をなおもつづけていたのである。
「戴冠式をおこなった人物が、その三日後には身内の人間に暗殺されるようなことはざらだった。こんな国でも王になりたがる人物はあとを絶たなかったのだが、あまりにも勢力が細分化されてしまったため、下手に目立っては殺されるだけだ、という危惧を誰しもが抱いていたのだろう。――結果として、わずか十二歳の王が誕生することとなった」
有力者たちがライバルの目を逸らしたり、一時休戦して力を蓄えたりするためだけの、いわばその場しのぎの王でしかないのは、誰の目にも明白であった。
十二歳。
ユーフォリー人が押し込められた狭苦しい領土に吹き荒れる殺意と暴力の烈風にさらされるには、あまりにか弱く、寄る辺ない存在。
ところが、その少年王は遠くない将来、カリバーンの再臨と呼ばれる運命にあった。
◆
「わしが、イスルギとともに海を渡ってきたのも、ほぼ同じころ」
ミツルギは語りつづける。
ミツルギが<剣聖>ならば、イスルギはのちに<剣鬼>と呼ばれることになる人物だ。
どちらもマガツ神退治の英雄として、ウルでも名前を知っているくらいには有名だ。
このころはまだ故郷で剣を学んでいた青年二名は、とある事件が原因で国にいづらくなった。
「イスルギのせいだ」
ミツルギはいかにも憎々しそうにいった。
「なにか厄介ごとがわしの身近で起こるとすれば、それは常にイスルギのせいだ。……だが、まあ、おかげで踏んぎりはついた。この国へ渡ってきたのは、だから、ただの偶然でしかない。伝承に謳われていたように『英霊カリバーンの導きにしたがって』やってきたなどということは、ない」
名を、正確には御剣甚助という。
一方は、石動源次。
昔は、互いに「じん」「げん」と呼びあっていたらしい。
二人は、偶然に降り立ったこの国で、マガツ神が土地土地を支配していると知って驚いた。
『禍つ神』とは、まさしく彼らの国の概念であったからだ。
それが海を隔てたこの国で猛威を振るっていること自体、ほとんどよそとの交流を閉ざしていた東国においては知られていなかったのだ。
「いま思えば、この大陸にマガツ神があらわれた原因には、わが国も関連していたのだが、遠いこの地で、まさか人間がマガツ神に支配されていようとは、まったくもって思いもよらぬことであったのだ」
ミツルギとイスルギは、マガツ神への対処法を知っていた。
知っていた、といっても初歩中の初歩の技法でしかなかったが、幸いにも、まず彼らが相対したマガツ神は規模の小さな神であり、彼らでもなんとか――とひと言でいうはたやすいが、命懸けの戦いにはちがいなかった――その力を封じ込めることができた。
ミツルギたちの戦いの旅は、ここからはじまったのである。
土地土地を訪ね歩いては、人間を支配するマガツ神を次々に討った。
無論、彼らの力では太刀打ちできぬ神もなかにはいた。
剣がまるで通じず、どうすることもできない、というほどの相手が。
「ところが、妙なものよ」
ミツルギは小さく笑った。
「われわれがどこかでつまずくたびに、必ずなにがしかの光明があらわれる。土地の神に関連する伝承や、ご神体として伝わる神具になにかしらのヒントがあったり、思いもよらぬ新たな力が味方になったり、もしくはおれたち自身が新たな力を身につけることとなる出会いがあったり。<火の魔女>アネッサがそうだし、おまえにもかつて話した蛇廻教との出会いもそうだ。ああ! それがカリバーンなり神のお導きというなら、確かにそうなのだろうさ。おれたちだけの力では、決してなにもなし得なかったろうからな」
いつからか、ミツルギの語り口調が若くなっているのにウルは気づいていた。
とうに肉体を失っているせいだろうか。
年齢という、それこそ『概念』を失ってしまったミツルギは、過去に思いを馳せるとき、本当に過去のミツルギその人になっているのかもしれない。
実際、ウルの脳裏には、時折若かりしころのミツルギの姿がよぎることがあった。
ミツルギ自身の記憶ゆえ、その姿が映し出されるのは、例えば鏡の前をよぎる一瞬であったり、水溜りを飛び越える一瞬でしかないのだが、その若々しい姿に、思わずウルは胸が高鳴った。
やはりというべきか、ソーヤに似ている。
若さの活力もありながら、同時に、眉と目のあたりに、ソーヤのそれとよく似た沈鬱の影があった。
一方で、彼からすると常に一歩先を歩いている若武者が、イスルギ――のちにいう<剣鬼>であろう。
こちらは溌剌とした若さの権化そのものといった風情で、常に目を輝かせて、見るもの聞こえるもの触るものすべてに刺激を求めては、これも若さ特有の驕りにも似た笑みを浮かべていた。
そんな英雄たちの若かりし姿を垣間見る、という経験はウルには新鮮だったが、ミツルギから「記憶を『見て』共有しすぎるな」と釘を差されたばかりということもあって、この両名の姿に関連する記憶が滝のようにあふれ出る寸前、はっと意識を逸らした。
「おれたちは、だから、いつの間にやら二人きりではなくなっていた」
ミツルギは語りつづける。
「火の魔女アネッサ、王国騎士グローマイヤー、神父のライナス。おれたちがともに戦った主な仲間たちだ。そしてグローマイヤーの線から、おれたちは、ユーフォリー人国家の王と出会うこととなった」
わずか十二歳で玉座についた王も、当時のミツルギたちとほぼ同年代になっていた。
そのことを知らなかったミツルギは、玉座から、線の細い若者が立ちあがりざま、
「知っていた。おまえたちが来るのを、ぼくは知っていた」
と、青白い頬をうっすら紅潮させながらそう訴えるのを目にして、驚いた。
とてもではないが、一国の王には見えなかった。
◆
王はいつからか、『予言者』を名乗る謎の人物を傍らに置いていた。
城に仕える家臣たちは正体を怪しんだが、もともと、その場しのぎでしかないと目されていた王だ。
明日をも知れぬどころか、いつ追い出されて殺されても不思議ではないその王の、ほんのいっときの慰めになるというなら、たとえ正体が別大陸からの間者であれ、はたまたどこぞの浮浪者であれ――どうせ邪魔になれば排除してしまえば済むことだとばかりに――構いはしなかった。
しかしその予言者は、
「各地で『王』の真似をして満足していたはずのマガツ神どもが、なぜか急に歩調を揃えて王都へ侵攻してくる――、そんな天変地異にも等しい出来事をあらかじめいい当てており、皆を戦慄させていたさなかだった。そんな折り、この国に光をもたらすべく、おれたちがあらわれることをも見抜いていたという」
だから若き王は「知っていた」というのである。
「占いや予言、もしくは預言によって土地が治められてきた歴史を知らぬでもない。しかし、おれはそういったたぐいのことは好きじゃなかった。人が人を治めるならば、それは人の手によってであるべきだ。だからマガツ神を斬ってきたのだし、ここで、人ならぬ怪しげな力に頼るのはちがうと思った」
なによりも。
若き王に予言を吹き込んで、絶対の信頼を得ているこの予言者自身が、いかにもうさん臭かった。
黒に銀糸の刺繍を施したローブで身体を覆い、そして白い仮面で常から顔を隠しているせいで、一見、年恰好がまるでわからない。
声からして、おそらく壮年の男だろうと想像がつくくらいなもので、いったいこの男のどこに信頼が置けるというのか。
「ところが、この男の予言は、以降もことごとく的中した」
ウルが手にしている鬼吼という刀自体、その予言者から、「おまえに必要なものだと思って探し当てていた」といって手わたされたものだし、
「話は前後するが、蛇廻教とおれたちを巡りあわせたのも、この男だ。ちょうどおれの剣がまったくマガツ神に歯が立たなくなったころ、『いにしえの神の教えが、おまえの切っ先に光をもたらすであろう』と告げて、次の目的地を教えてくれた。それこそ蛇廻教の地下聖堂だ。かつて不老不死を求めた為政者たちが、血まなこになって探しまわっても結局突き止めることのかなわかったその場所さえ、奴は予言によってぴたりといい当てたのだ」
そしてこれも彼が指摘したとおりに、蛇廻教との出会いと地下聖堂で過ごした日々が、まさしくミツルギの剣に新たな力を与えたのである。
戦いにいきづまるたびに、予言の導きによって血路を開く。
――こういうことが繰りかえされると、さすがにミツルギも異を唱えることはできなくなり、また王家の家臣たちも、若き王がその指導力を発揮して、各地のマガツ神を討っている事実を無視できなくなってきた。
その場しのぎでしかなかった孤独な王はいつしかミツルギをはじめとする友人を数多く得て、そしてそのもとへ馳せ参じる旧臣たちも日増しに数を増やしていった。
かつて王家に反旗を翻した一派でさえ、自分たちの土地を脅かしていたマガツ神がミツルギたちの手で討たれると、玉座へむかって揃えた頭を深々と垂れた。
めまぐるしいほどに物事が移り変わり、ひとつひとつの経緯などきちんと記憶しきれていないほどの戦いが繰りかえされていくうちに、ミツルギもいつしか、『邪神』を狩りつづける<剣聖>などと呼ばれて、英雄視されるようになっていた。
「まあ、あのころのおれとて若い。出会う人ことごとくに『英雄』などと持ちあげられて、浮かれていなかったといえば、嘘になる」
ただ、そうであっても、あの時分にさえ、
(危ういな)
と感ずることはたびたびあった、とミツルギは語る。
英雄たちの武勇伝にうっとり聞きほれていたウルは思わず口を挟んでしまった。
「危うい? あんたたちが次々マガツ神を討って、若い王さまがみんなに認められて、世界がどんどん平和になっていったのに、なにが危ういっていうのさ」
「いろいろなことがよ」
ミツルギは伝法に切って捨てた。
「王は、マガツ神を討っていったことから『カリバーンの再来』と讃えられていた。当然の流れともいえるが、しかしいつからか、王都のなかに、カリバーンを神格化して、一種の宗教めいた思想をひろめる連中があらわれはじめた。あるいはこれは、若き王にさらなる求心力を持たせようとするため、家臣の一部が裏でやったことかもしれん。英雄カリバーンこそ建国の王にして神であり、そしてその偉業と魂を受け継ぐいまの王こそ神にもっとも近しい人間である――と宣伝してな。王が、カリバーンに由来するライバーンという名に改めたのも、このころだ」
「それが危うい?」
「王国には王国が伝える神の教えがあった。教会だよ。このときにはすっかり弱体化していたが、王家に無視できる存在ではないはずだ。しかしいわゆる『カリバーン教』を放置するどころか、それに便乗する態度を見せた王は、教会とはっきり対立しはじめていた」
そればかりか、王の寵愛を得ようとする家臣たちは、これまでほとんど関係を築いてこなかった反動もあってか、じょじょに過激な手段を取るようになっていた。
王への過度な貢ぎものをはじめとして、密偵による情報のかく乱、偽りまみれの密告などでライバルを蹴落とそうとするのはまだ可愛いほうで、時には暗殺や、濡れ衣を着せての私刑などの強硬手段にすらおよんだ。
「人ならざる敵との戦いが終わりを見せれば、なんのことはない、結局のところ人間同士の争いに逆戻りだ。そして、もはやその戦いに英雄は必要なかった」
心底からの慨嘆が、本音となってウルの胸にも伝わってくる。
そしてそれはなぜか、ウルの右腕に激しい痛みをひきつれてきた。
いやこれはウルの――ではなく、ミツルギの記憶によるものか。
「わしらをただ不要というなら、問題はなかった。いますぐ荷物をまとめて華々しい宮廷から去れといわれたならば、わしは従ったろう。だが――」
ミツルギの言葉から、溌剌とした若さが消えた。
ウルは、暗がりにぽつんと開いた虚ろな穴を覗き込んでいるような心境になっていた。




