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7――夜明け


「ぐっ!」


 瞬間、ソーヤの肩口に小さく穴が空いた。

 どすっと鈍い音を立てて鮮血が散る。

 いままでかろうじて保たれていた攻防の均衡きんこうが、これで一気に崩れた。

 海洋生物が獲物を捕らえるのとそっくりの動きで群がってきた触手は、ソーヤの手から刀をもぎ取ると、残りの触手でその腕を、そして足をからめ取った。

 ソーヤの顔からさすがに傲岸ごうがんさが消えた。


(死)


 を覚悟したのは、ソーヤもはじめてだったか。


 四方八方から襲いくる『死』を、目を剥いて眺めていたソーヤは、その『死』と自分を遮るような格好で人影が降りかかってくるのを目撃した。

 頭を下にしたその人物が、まぎれもなく<風断ち>の構えを取っていたところも。

 ソーヤが次に目にしたのは、ウルという少年が空中で、父から教わった技を自分よりよほど見事に放ったその一瞬。


(<風断ち>!)


 ソーヤに降りかかっていた『死』がばらばらに砕け散った直後、ウルは身体を反転させて着地した。


 思わぬ奇襲と痛手にたじろいでか、大樹が新たな攻撃を繰り出せずにいるあいだ、ウルは自若じじゃくとして、構えを解いた刀を右手にだらりと垂らしていた。

 そして、息を呑むソーヤの目の前で、ウルはさらに意外な行動に出た。

 右の手首をひとつひねると、草地から飛び出た岩に刀を叩きつけて、刀身を半ばからへし折ったのだ。


「なっ、なにを……」


 思わず声をかけたソーヤに、


「見ていろ。最後の手向けだ」


 ウルはそう返すと、へし折れた刀を両手に握りなおして、肩より上へと振りかぶった。


「影を、水を、風を、斬る極意は、ここにあり」


 ウルのつぶやきに誘われたかのように、山のてっぺんが白く灼けるように輝いた。


 とともに、ウルが大樹めがけて一歩を踏み出す。

 ご神木の大樹からはすでに新たな触手枝が生え伸びつつあった。

 負傷させられたせいか、攻撃対象をソーヤからウルへと移し変えたと見えて、巨体のあちこちから生えた、いわば脈の通った槍の数々が、少年めがけて一気に解き放たれる。


「おまえには何度も見せ、何度も教えたはずだが、いまほど目に焼きつける機会もあるまい。形なきものを斬るには、形なき刃に、おのが心を与えよ。心で心を斬り伏せるのだ」


 ウルはそして、刀を真っ向から振りおろした。

 刀身が失われているため、とても大樹に届く距離ではない。

 一方で、解き放たれた触手枝はあらゆる角度からウルを貫ける位置にあった。

 反射的に目を逸らしかけたソーヤに、その瞬間が見えたろうか。


 失われたはずの刀身が、差し染めた曙光しょこうをぎらりと弾きかえすのを。

 もしくは、光こそが刀身の代わりになったのか。


 朝焼けの光をまとった刀身は、ひと息に伸びるや、大樹を真っ向から袈裟けさ切りにしていた。

 音はない。

 風が巻き起こることも、派手に土砂が跳ねあがることもない。

 めまぐるしく生死の対象が入れ替わったこの場にはそぐわないほどの静かな停滞ののち、すでにミツルギは刀を腰の位置に戻していた。


「これすなわち、<影断ち>の真の極意なり」


 瞬間。

 いまにもウルをあちこちから串刺しにしようとしていた触手枝、そのすべてに異変が生じた。


 水分を失った植物のようにいっせいにしなびれると、ほどなくして輪郭さえも維持できなくなって、四方に弾けた。

 とっさにソーヤが身を引いたのは、そこから黒い煤が飛び散ったからだ。

 そして変化は枝だけにとどまらず、隆々とそびえていた大樹の本体にも起こっていた。

 巨体に稲妻のような形でひびが走っていったかと思うと、それを追いかけるように黒い煤が大量に四散していく。


 ひびの疾駆しっくはなおやまず、幹から根元までを二順、三順としていくたびに大木の形を失っていって、五順目にいたって、ついにはあちこちから瓦解を起こしはじめた。

 辺りは薄ぼんやりと赤らみかけている。

 見あげれば、木々のてっぺんが白く染まっていた。

 こちらは瑞々しい、自然そのものの輪郭があらわれようとしている。


 夜明けだ。

 音も、断末魔の声もなく、この世からマガツ神が消え去るのと引き換えに、地上に朝が訪れようとしている。

 魂が抜けたかのように朝陽を浴びていたソーヤの視界に、ウルがふたたび割って入った。

 反射的に身構えようとしたソーヤだが、四肢に負った手傷は意外と深く、痛みに腰を落としてしまう。

 ウルはそれを尻目に、地面に放り投げられていた鬼吼と、もののついでのようにソーヤが腰から落とした刀をも拾いあげた。



「ま、待て」


 ソーヤは制止の声をあげたが、滝の音に掻き消されそうなくらいに弱々しかった。

 ウルは無言で、ソーヤの足もとにあった鞘をも拾った。


(なにかいったら?)


 とこのときせっついたのは、ウルの身に宿ったウルの意識。

 ややこしい表現にしかならないが、いまこの肉体を支配しているのはミツルギだということだ。


(寝ておれ、小僧。それともおまえが、こいつに止めを刺すか?)

(ま、まさか! いまのおれじゃ、指一本動かせそうにないよ。それに、『こいつ』って、あんたの息子じゃないかよ!)

(そうだな)


 応じるなり、ミツルギは鬼吼の切っ先にびゅっと風を与えて、膝立ちになったソーヤの眼前で静止させた。


(お、おい!)


 実の父に――いや、ソーヤからすれば、その父に止めを刺した張本人に――刀を突きつけられても、ソーヤは動かない。

 手傷に加えて、相手から放たれる無言の圧力に屈しかけている。


「き、きさ、貴様……。何者だ?」


 ソーヤは震える声で問いかけたのであるが、


「おまえが<風断ち>を発現させたのは、十三のときだったそうだな」

「なっ」

「そのときは<剣聖>も、『さすがはおれの子』と喜んだそうだが、それから七年ほど経っても、いっこうに進展がなかった。いわずもがな、実体なきものを斬りつけることができなければ、それは<風断ち>の表層を撫でたに過ぎず、極意を理解したとはいえないからだ。おまえは十三のときから同じところに留まりつづけていただけだ」


 まるで見えざる手に押されたように、ソーヤの屈強な肉体が後ろに傾いで、尻餅をついた。


「おまえもいま見たとおりだ、ソーヤよ。おれは、そんなおまえ以上にミツルギの剣を使うことができる」

「ミ、ミツルギ? 貴様、父のことを……」

「知っている。おれもミツルギに師事した」

「馬鹿な! そのようなこと……」

「ミツルギに教わらなければ<風断ち>など誰に使いこなすことができよう? いわば、おれはおまえの弟弟子に当たるのだな。だが、兄弟子よ。もうおまえの役割は終わった」


 ウルの血肉を借りたミツルギは淡々と語りつづける。


「おれがおまえの父親を殺したのは事実。ただし、それは弟子としての最終試験の結果としてだ。おれが、<剣聖>ミツルギを超えられるか否かの。超えられなければ、おれは死んでいた。結果として、おれが勝ち、<剣聖>は死んだ。それほどの試験だったのだ」

戯言たわごとを抜かすな。おまえと父が戦い、そして父が死んだなど、あり得ん!」

「ほう? それは、ミツルギが負けるなどあり得ないほどに強いからか? それとも……」


 ウルの目が細くなった。


「父に深手を負わせたのが、おまえ自身だからか?」

「なっ」


 ソーヤは一瞬言葉を詰まらせたあと、弱々しく視線を逸らす。

 ウルに宿ったミツルギはにやっと笑い、息子の鼻先に突きつけていた刀をおろした。


「結果がすべてだよ、ソーヤ。長年ミツルギに師事してきたおまえ以上にミツルギの剣を使える者がここにいる。そもそも、おまえはもう後継者ではなかった。そのことは誰よりもおまえがよくわかっていたはずだ。だからもう、父や剣にこだわるのはやめろ。おまえではマガツ神は討てない。それも今日でよくわかったはず。あとは好きに生きるがいい」

「――」

「<剣聖>とて、それを望むはずだ。友の変貌をよく知る彼だからこそ、おまえには――」


 なにかいいかけたミツルギだったが、唇を噛みしめることで無理にでも自身の言葉を封じた。

 ソーヤは顔を背けたままだ。

 沈痛そのものの横顔から、ミツルギもつと目を逸らした。

 その先になにを見たか、


「あ」


 と、ミツルギらしくない声が口から洩れた。


(あ?)


 ウルが内心で声を発する。

 ウルたちがやってきた方角から、新たな人影が近づいていた。

 じりじりと日照範囲が広がるにつれて、影のベールを脱ぐみたいにあらわれたのは、クレハ。


「勝手なことを」


 目を伏せがちにしているのはいつもどおりだが、その肩と背中のあたりから、なにやら見えざる炎にも似た、熱い感情の渦がゆらめきのぼっているのを、ウルにも感じ取ることができた。

 その手はごく自然に腰の刀にかかって、そしてクレハは躊躇ちゅうちょなく引き抜いた。


「黙っていれば、勝手なことばかり。なにが試験? 好きに生きるがいい? はっきりしたのはただひとつ。やはり、おまえこそが父の仇だということ、その一点のみ!」


(お、おいおい)


 ウルは内心で呆れた。


(もうちょっとで兄貴が大人しくなりそうだったのにさ。妹のほうはまだ道理がとおると思っていたけど、まあ……、父親を亡くしたばかりじゃ仕方ないか。適当にあしらって、さっさと森を出ようぜ。なあ、<剣聖>――、なあって?)


 じりっとウルがあとずさった。

 つまりはミツルギの意志によって、娘から距離を置いたのだ。


(ど、どうしたんだよ?)

「抜いたか」


 刀を身構えるクレハに、父ミツルギは不思議な感慨を抱いたようだった。


「あの娘が、自分の意志で刀を抜くのはいつぶりか――」

(はあ?)

「ともあれ、いかんな」

(いかんって、なにが?)

「あいつは、息子より強い」

(えっ?)


 クレハがおもてをあげた。

 朝陽を反射して妙に白々と光ったその左目が、ウルの知っているクレハのものではない。


「父上の仇!」


 叫ぶが早いか、一刀を手にしたクレハが躍りかかってきた。


(えええっ?)


 ミツルギはとっさに抜いたソーヤの刀で素早く弾いたが、足もとが早くも乱れる。


「い、いかん。この身体では……」

「笑止!」


 クレハが次々と繰り出す斬撃は、もはやウルの知覚では追いつくのも不可能だ。

 ことごとく速く、ことごとくが重い。

 それもそのはず、いつも傲然ごうぜんと胸を張っていた兄と並んでいたせいで猫背気味のクレハは線の細い印象があったが、身近にするとウルよりよほどたくましい。

 背丈や肩幅はウルよりあるくらいだし、勢いよく乱れた裾から覗く太腿などはウルの二倍はありそうだった。


 その女傑が必殺の勢いを込めて放つ一撃一撃に、ウルの重心は崩されていく一方。

 ただでさえ、身体に相当な負担がかかっている状態なのだ。


(ど、どうするの?)

「決まっておるわ」


 太刀を受けるたびに後退していたミツルギは、いつしか川を背後にしていた。

 ごうごうと水の流れくだる音がする。

 昨日の長雨のせいで勢いが増していた。


「逃げるのよ」

(えっ?)

「覚悟!」


 ミツルギがこれまでより大きくよろめいたので、好機と見たクレハが思いきり刀を振りかぶった。

 が、それはミツルギの誘い。

 さすがに駆け引きは父のほうが長けていたが、いかんせんいまのミツルギではその隙に反撃することもかなわない。


(や、やめろっ!)


 <剣聖>の意図を察してウルがわめいたが、これも一瞬遅かった。

 ミツルギはよろめいた方向からすばやく身を翻すと、そのまま大きく跳躍。

 つまりは川に身を投じた。

 ざぶんと水柱が立ったが最後、滝の勢いそのままに荒れるその川に、ミツルギの――いやウルの身体は呑まれて、クレハのほうからはまったく見えなくなってしまった。

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