6――だから、ぼくは
肩が触れあうほどの距離に『死』を感じるたびに、ウルは笑みを浮かべている。
おかしくなったか、と通常ならば思うところだ。
間断なく『死』が見舞われる状況下、それも無理からぬことだ。
しかし――。
ミツルギは伝わってくるウルの感情から、その理由をおぼろげながら察した。
幼少期のウルは、逃げることしかできなかった。
祭りの日にマガツ神があらわれたとき。
得体の知れない巨大ななにかが街を蹂躙するなか、姉に手を引かれて逃げた。
神が去ると、次は、槍を携えた『王国人』たちが大きな軍馬に跨ってやってきた。
彼らの襲撃から、やはりウルは姉に手を引かれるがままに逃げた。
(逃げて!)
母の声を背に、そして近所の人の悲鳴を耳にしながら友達の遺体を飛び越えて、知りあいに突き飛ばされながら、背後に迫ってくる死から一歩でも遠ざかろうと必死だった。
そして命からがら辿りついた村において、数日は姉とともに平和な時間を過ごした。
(もう子供じゃないんだよ)
まだ陽が落ちて間もない時間にウルを寝かしつけようとした姉に、珍しく反抗した夜のことを、ウルは忘れない。
翌朝にはもう姉はいなくなっていたから。
自分を守るために。
ウルは村人たちからそのときの顛末を聞かされて、目の前が真っ赤に染まるのを感じた。
べったりとした血のりの色、夕暮れの色、猛々しく燃える火の色――、微妙に色あいを異ならせた赤に染められた記憶が、それ以降、何度もぶりかえしてはウルに襲いかかってきた。
母や姉、知りあいの多くを失った痛みに加えて、ウルをなによりも苛んだのは、自分が無力であったこと。
逃げ惑うだけ、姉に守られるだけだった。
もう子供じゃない?――子供以外のなんだったんだ?
なんにもできなかった。
ベッドで安らかな寝息を立てているうちに、姉がすべてを終わらせていたのだ。
(――そうか、小僧。だからか)
ミツルギはこのとき理解した。
生贄になると知っていながら、いっこうに逃げる決断ができなかったのも、村長の娘エリンが危険な目に遭おうとしたのをなんとしても止めたかった理由も、『これ』なのだ、と。
エリンに姉の姿を重ねあわせたというだけではない。
なにも知らぬ子供のまま守られているのが、嫌だった。
また赤一色に染められた世界に、置き去りにされたくなかったのだ。
(わかってきたぞ。だからか。そうだ――)
ウルが歓喜に呑み込まれているのは、眼前に迫る『死』に対して、もう彼が背中を向けていないからなのだろう。
その手には剣がある。
あらゆる角度から降りかかる『死』を、おのが手で退けている実感がある。
もう逃げていない。
誰かを犠牲にしてもいない。
抗い、戦うための手段がある。
そう、死を間近に感じれば感じるほど、自分が確かにそれに『抗っている』、そして『戦っている』という事実もまた際立つからこその、歓喜。
(ふん――、なにも知らぬとは恐ろしいことだ。こ奴、勝つつもりでいるわ)
ミツルギは毒づきながらも、あらたまって、抗戦するウルを客観的に眺めた。
無尽蔵に繰り出される攻撃をことごとく弾いている手腕は、とても素人には思えない。
それもそのはず、剣の握りから、振り方、体勢の戻し方まで、ミツルギのそれとそっくりだ。
推測でしかないが、ウルはミツルギが剣を扱っているときの記憶を引き出して、それをおのが肉体で再現しているのではないか。
無意識のうちに。
ミツルギとて覚えがある。
追い詰められたときほど、ほとんどなにも考えていないのに、身に染みついた技がごく自然と出たものだ。
ウルが『死』を弾きかえさんと、無我夢中で剣を振りたくるうちに、ミツルギという別人格の記憶をまるでおのれのもののように錯覚して、そこから必要なものを引き出しては肉体に演じさせている、と考えられはしないか。
(だが……?)
再三ミツルギが経験してきたように、両者の肉体には大きな差異がある。
実際、ウルの剣の扱いはミツルギとよく似てはいたものの、大きくちがう部分とてあった。
特に、速度。
ウルの肉体では、どうしても剣の振りや、戻し、足さばきに、大幅な遅れが生じている。
正直にいって、矢継ぎ早に放たれる攻撃すべてを弾きかえせるレベルには達していない。
なのに、現実にウルはいまも生きている。
(妙な。なにが起こっている?)
<剣聖>はもどかしさを覚えた。
肉体の感覚がない現状、原因を身体で感じ取ることもできない。
(ええい、小僧。もう一度肉体をよこせ!)
ミツルギは怒鳴るが、無心で剣を振りつづけるウルには届かない。
ウルが首をすくめて、ぎりぎりのところで触手をかわしつつ、背後から胴を絡めとろうとしてきた根っこを斬り飛ばしたとき、
「見つけたぞ!」
後方から、突然、腹の底に轟くような声がした。
ウルの視界を借りるまでもなく、ミツルギにはそれが誰だかすぐにわかった。
(馬鹿めが!)
思わず悪態が出る。
広場の入り口に突っ立っていたのは、誰あろう、<剣聖>の子ソーヤだった。
それも、ひとりきりだ。
門下生たちを捜索に走らせたものの芳しい報告がないのを疑問に思い、「ひょっとしたら」と自ら森にわけいって、そこで見つけたウルの足跡を追ってきたのだろうか。
泥にまみれて、息を乱しながらも、その目は輝いている。
ようやく捜し求めていた父の『仇』と、そして生まれてはじめてマガツ神をその目で見たことで、戦意が高揚しているのだ。
『神』も新たな敵の出現に気づいたようで、ソーヤの頭上に次々と無色の波紋が散った。
村長邸で見せたように、これが遠距離への攻撃手段なのだ。
空間を飛び越えて、波紋の向こうから触手枝を飛び出させる。
ソーヤは即座にそれらを、すぱすぱっと斬って落とした。
さすがにウルより素早い。
高揚した顔のまま駆け込んでくる。
飛来する枝を両断すると、跳躍しざまに本体へ斬りかかった。
申しぶんない一撃だったが、しかしソーヤは斬りかかったのとほぼ同じ力を全身に返されて、後ろによろめいた。
やはりミツルギが放ったような、虚空をも斬る<風断ち>でなければ、マガツ神には傷ひとつつけられないらしい。
ソーヤとて父から聞いていたはずだが、身をもって体験することでようやくのことで理解できたか、すぐに自分の刀をおさめて、
「小僧!」
とウルに怒鳴った。
「貴様、父の刀を使っているな。盗っ人猛々しい奴め。それをよこせっ。どのみち貴様では無理だ。その刀さえあれば、おれが一撃で退治てくれる」
(なにを抜かすか――)
ミツルギは心中で唸ったが、ウルの身に宿って以降、ミツルギがもっとも驚いたのが、次の瞬間だった。
「なら、どうぞ」
ウルはそういうなり、手にしていた刀をあっさりソーヤのほうへ放り投げたのだ。
(な、なにっ)
「な、なにいっ」
声をそっくり揃えて、驚きを表現したミツルギとソーヤ。
そこは親子というべきか。
ソーヤは面食らいつつ、放り投げられた刀をキャッチした。
その目が瞬時にして爛々(らんらん)とした光を放つ。
一方で、
(この痴れ者めが!)
これまで散々苦労して、息子の手になんとか刀をわたらせまいとしていた努力が水の泡と消えたのだから、<剣聖>の怒髪天を衝こうかという怒りも無理はない。
いやそれよりも、技が使えないウルでは、鬼吼でなければマガツ神を傷つけられない。
すでに精根尽きたかにも見えるウルに、ただの刀でこれ以上なにができよう――。
「う、うおっ!?」
ソーヤの叫びが、<剣聖>の意識を現実へと引き戻した。
これまでウルめがけて降りかかっていた『神』の攻撃が、ソーヤのほうへと矛先を変えていた。
二手に割れたという意味ではない。
いきなり、触手枝のすべてが襲いかかってきたものだから、ミツルギの息子は防戦するので手いっぱいになった。
肩や腕、足を、敵の一撃がかすめるたびに「あっ」とか「うっ」とか声を発しつつも、それでもかろうじて致命傷を負わずに防いでいるのはさすがといえたが、<剣聖>は意外ななりゆきに愕然とした。
と、
「あの樹のバケモノはさ、ずっと――鬼吼っていうのか、あの刀を狙っていたんだよ」
ウルがつぶやいた。
(なんだと?)
ウルはウルで息絶え絶えになりながら、幹の側面をまわって、別の樹へと取りついていた。
周辺の木々ではもっとも高さがある。
ウルはいまにも萎えそうになる手足に力を込めて、その樹をよじ登りはじめた。
「最初の狙いはおれだった。でも、あんたがあの刀で技をお見舞いしたあと、バケモノは刀ばっかりを狙うようになったんだ。多分、あんたのいうあれだ、刀もマガツ神だから、先に取り込もうとしたんじゃないかな」
ミツルギの抱いた疑問の答えが、そこにあった。
素人のウルが敵の猛攻をしのぎきれたのは、マガツ神の狙いがウルの命ではなく、刀そのものにあったためだというのだ。
しかし、
(馬鹿な)
ミツルギが呆然とそういったのには、二つの理由がある。
ひとつは、これまでいく多ものマガツ神と相対してきたが、ウルのいうような現象など一度もなかったこと。
鬼吼がマガツ神に反応するのと同じく、マガツ神もまた鬼吼を無視できぬような場面はあった。
ウルたちが刀の反応からマガツ神の居所を探ったように、対するマガツ神も鬼吼でミツルギの所在をあきらかにするようなことも。
しかし、じかに相対したマガツ神が、剣の持ち主でなく、刀そのものに一定以上の執着を示すことなどなかったはずだ。
そしてもうひとつは。
(たとえ、そう判断できたにしても)
ウルが――これまで本物の剣を手にしたこともなく、もちろん命の奪いあいなど一度たりとて経験のない小僧が――、自分の判断ひとつに命をあっさりと懸けたことだ。
生と死、そのぎりぎりのせめぎあいに身を置きつづけたウルの心身はとうに限界を越えており、恐怖が飽和状態にあった。
どのみち、その状態を長く保つことはできなかったので、賭けに出る以外になかった。
そしてものを知らぬということは、ある意味でもっとも勇敢になれるということでもある。
そのミツルギの推察は正しいだろう、おそらく。
であっても、ミツルギはなお驚きを禁じ得なかった。
あるいはこれは、ウルという一個人に、必要以上にミツルギの記憶や人格が干渉している証ではあるまいか。
蛇廻教のいう『魂の融合』が進んでいるのではないか。
いや、それともこれは、尋常ならざる場面を経験したことによるウル本人の急速な成長なのか?
(わからぬ)
わからぬが、ミツルギが宿る肉体の主は、すでに決断を下している。
ウルは樹のてっぺん近くの枝に足をかけていた。
すでに息は蜘蛛の糸ほどに細く、顔からは汗が引いたついでに、血の気も失せて青ざめていた。
それでもウルはかすかな微笑みを浮かべた。
「あとは任せるよ。というか、もう、任せるしか、ない」
(小僧!)
ミツルギが心中で張りあげた声は、一瞬遅かった。
すでにウルは白目を剥いていた。
気を失ったのだ。
枝にかけた足がするりと滑った。
身体が前へと傾いで、そして支えるものもないままに落下。
まるで夜の海に吸い寄せられるようにして、ウルの身体はマガツ神めがけてぐんぐん落ちていった。




