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4――<神>と人、相対する


 村の信仰は、森の最奥にそびえる大樹をご神体としている。

 かつて村の人間たちはよくここを訪れて、大樹の根本に捧げものをして、自分や家族の安全を祈願していたという。


 ところが、ある時期から、鎮守の森そのものへの出入りが禁止となった。

 五十年ほど前に襲いかかってきた王国人の部隊から村を守るために、当時の村長の息子と、謎の修行僧めいた男が、神の依り代となって以来だ。


 いまは年に一度、村でも選ばれた人間のみがそこへ訪れて、その年ではじめての収穫と酒を奉じるのみ。

 そしてそれ以外の人間がここへ訪れるとするなら、まさしくウルのように生贄に選ばれてからにほかならない。


 だからほとんどの人間は、ご神体など目にしたことがない。

 ウルももちろんはじめてだ。

 想像で思い描いていた『ご神体』とは、堂々と枝葉を張り巡らせて、大地にどっしりと根づいた大樹だった。

 シルエットだけならば、想像から大きく逸脱していない。

 距離はまだあるのにてっぺんは見あげるほどに高く、枝は天をつかまんとする手のごとく縦横に伸びている。

 星のささやかなあかりに照らされるその存在感はやはり際立っていた。


 だが――。

 目を凝らすと、本来は硬い樹皮で覆われているはずの表面が、黒く脈打っているのが見える。

 ウルには正体がすぐにわかった。

 村長邸にあらわれた、あの触手枝だ。

 あれが無数にうねり、二本が四本、四本が八本と、きつく複雑に絡みあうことで、樹木らしい外観を形成しているのだと気づいて、ウルは血管を冷たい手で撫でられたようなおぞましさを覚えた。


 枝の表面に走った黒々とした静脈はびっしりと連なっており、それらがすべて脈動することで、幹そのものが膨れあがっては収縮するという、まるで呼吸じみた動きを一定のリズムで繰りかえしている。

 あれは生き物だ。

 「植物とて命がある」といった通念とはわけがちがう。

 呼吸をし、心臓を鳴らしつつ、いまかいまかと『食事』の時間を待ちかねている、そう、植物よりは肉食獣に近い存在なのだ。

 本来はその『食餌』となるべき運命だったウルは、ごくりと大量の唾を飲んだ。

 『あれ』と、いまから戦わねばならないのだった。



 <剣聖>は、まず、ここが最初の難関だと思っていた。

 マガツ神を見たとき、たいていの人間は超常の存在に圧倒される。

 代々にわたって信仰してきた神が実体を得て顕現けんげんしたような姿に、敵対する心が溶けて消えてなくなる。


 それは恐れでもあり、おそれでもあった。

 が、ここでふとミツルギは、ウルがマガツ神を見たのがはじめてでないことを思い出した。

 ウルの言によれば、生まれ故郷を焼かれるきっかけになったのもまたマガツ神だ。

 どういうわけか、祭りの日、彼らの民族が信仰していた神が突如あらわれて、人々に牙を剥いたのだという。

 ウルもそれを見ている。

 だが、それでも――いや、それゆえにか?――本能に根づいた恐怖がよみがえるのは避けられない。


(恐ろしいか?)


 だからミツルギはあえて、言葉にしてウルに問う。


(あれが恐ろしいか? あれは気高いか? 傷つけてはならぬのか? あるいは傷つけることすらできんのか?)

「そ、そんなことはねえよ」


 ウルは歯の根を震わせながらも、刀の柄にあてがった手に力を込めた。


「たとえ神だろうとなんだろうと、倒さなけりゃ、おれは、ずっと、この先……」

(言葉で強がる必要はない。目を逸らさず、あれをよく見ろ)


 いわれて、ウルはいつの間にやらマガツ神から顔を背けている自分に気づいた。

 意を決して視線をもとに戻す。

 黒暗々(こくあんあん)とした世界で、不自然に揺れしなう大樹のシルエットがなお黒く蠢いていた。


 目にしただけでウルの心臓が妖しく高鳴った。

 敵意や殺意の半分以上がたちまち消えて、代わりに、ここから逃げ出したい気持ちと、いやいっそ身を投げ出して『神』の前にひれ伏したいという、おかしな願望とが強くせめぎあう。

 後者のそれは、思いがけないほどに甘美な誘惑だった。

 そんなウルの葛藤を知らぬげに、


(あれは、なにをしていると思う?)


 ミツルギはのんびりした口調で聞いた。


「な、なにって……」


 見る限り、大樹のマガツ神がなにか特別なことをしているようには見えないし、また、神が普段なにをしているのかなど、ウルには見当もつかない。

 と、心のなかのミツルギはからからと笑った。


(あれは、正確には神ではない。いうてしまえば、人間が神の振りをしているのだ。土地に根づいた信仰心を寄り代の中核としているために、神の似姿と、神話や伝承にもとづいた異能の力こそ有しているが――、しかし、根っこは人間だ。人間だから、いまのおまえがそうだったように、神さまが普段なにをしているかなぞ想像もつかん。だから、なにもしておらんのだ)

「なにも……」


(わしが相対して来たマガツ神はたいていがそうだった。土地土地の伝承やら、民族がなにかの対象に抱いた愛着やら恨みやらで、行動基準はいろいろと変わるようだが、ほとんどのマガツ神は力を振るわぬ日常においては、なにをすればよいやらわからず、眠りこけているようだった。あわれとは思わんか? なにせ、『神』になった時点で人間ではないのだから、せっかくのこと力を得て、大勢の人間に崇拝されたところで、美味いものをたらふく食うわけにいかず、美しい女を抱くわけでもない。そもそも、そうした欲求とて、『神』になったときに消えているのだろう。もったいない話だ)

「ああ、うん……。それは、楽しくないな」


 ウルは、ミツルギの明るさに吊られてか、微笑んだ。

 これまでの経験からすると、ウルの気持ちがたかぶったときに肉体を奪うのは難しい。

 だから、ミツルギはなるべく宿主を落ちつかせようとしたのだが、上手くいったことにほくそ笑むより早く、


(……なぜ、わしは、ソーヤやクレハに、()()をしてやれなんだ?)


 ふとした疑問が、小さい針のように突き刺さった。

 息子たちに剣を教えていた日々のことが、自然と思いかえされる。


 ミツルギは自分が得た剣術のすべてを、一日も早く息子に叩き込まねばならなかった。

 だからソーヤが成長の壁にぶつかるたびに、ミツルギは失望や落胆を覆い隠すかのように、厳しい叱咤を飛ばした。

 なぜソーヤはこのていどのことができないのか?

 いいや、できるのにやろうとしないのはなぜだ?

 まだ自分を平凡な父だと思って甘えるつもりなのか?

 なら、ことさらに強くねつけてやるべきだ。


 だからソーヤが泣きじゃくって動こうとしなくなったときは、尻を蹴飛ばして、頬げたを殴りつけた。

 そんなミツルギを、周囲の誰もが恐れた。

 それでいいと思っていた。

 なのに、敵を前におびえているウルに対しては、失望も落胆もなかった。

 らしくもなく、明るさを取りつくろってまで、その不安を打ち消してやるような真似をしてみせた。

 なぜ?


(――当たり前だ。この小僧を生かすということと、『あれ』はまったく別の領域だ。だからわしは鬼にならねばならなかった。いやさ、鬼をも斬れる剣を育てねばならなかった)


 鬼。

 ミツルギの心中に去来したのは、剣を手にした息子の姿。

 湯気をも立てそうな朱色にまみれながら笑んでいたソーヤの顔こそ、異界から降り立った鬼そのものではなかったか。


(人を斬ったか、ソーヤ――)


「え、なに? なにかいったかい?」


 ウルがうろたえた声を出したので、ミツルギはわれに返った。


(……いいや。それより、乱れている息をととのえろ。おまえの気持ちが荒ぶると、肉体の譲渡が上手くいかん。気持ちを落ちつかせることが第一になる。あとは、心の距離を十分以上に取って、さながら夢を見ているような気分でわしの戦いを静観せよ。安心するがいい。わしがこれまでどれほどの数のマガツ神を狩ってきたと思う?)

「ああ」


 ウルはうなずき、それが喉に絡んだようなしゃがれ声だったので、小さく咳払いして、もう一度、今度は力強くうなずいた。


「ああ!」



 雨を吸ってぬかるんだ地面に、深く沈み込むような足音がした。

 その音をどうやって聞いてか、あるいは漂ってくる匂いをどうやって嗅いでか、また夜闇にあって人の姿をどうやって認識してか、『神』のざわめきが大きくなった。

 ごうごうと水が流れくだる滝を背にした『神』へ、静々と近づいていくのはウル。

 顔を伏せている。

 肩や背中が小刻みに震えていたが、歩みは止めない。

 意を決したように、もしくは、すべてをあきらめたように。


 『神』は『生贄』の到来に躍りあがった。

 少なくとも、傍目にはそう見えた。

 これまで以上の勢いで枝をしなわせ、嵐に見舞われているさなかのように幹を激しく上下させる。

 餌を前にして、はしたないほどにはしゃぎまわる子犬さながらであった。

 ウルは大樹を視界の中央にとどめつつ、その数十歩先で足を止めると、不意に、がくりと両膝を地面に落とした。

 こうべをも垂れる。

 『神』の姿を前にして、畏敬の念に打たれた信者そのものの姿だ。


 『神』は声らしきものはなにひとつ発しはしなかったが、枝の動きに変化が生じた。

 風にしなうように揺れ動いていたそれが、一定の方角めがけていっせいに動きはじめた。

 角度を得すぎたあまりに湾曲するものもある。

 普通の枝ならとっくに乾いた音を立てて折れていたろうが、しかし黒く濡れ光った枝はまさしく生物の柔軟さと強靭さをもって曲がりくねり、さらにはあきらかにもとの長さを超えてぐんぐん伸びている。


 黒く波打つそれは、村長邸で目撃したものと同じ触手。

 百、いや二百もの数の触手枝が、空中のいたる箇所を経由しながら、しかし目的はあやまたず、どれもこれもがひざまずいたウルめがけて伸びていく。

 緩慢かつ、しかし気が急いているようにも見えるその動きは、裸身の女を前にした男の肉欲をも思わせた。

 光沢を発した触手の艶やかさといい、そういわれるとなにやら官能的な場面に見えなくもない。

 ウルの姿がやがて触手枝の群れに隠れて見えなくなった。

 頭から爪先まで、一部の隙もなくすっぽり包まれたのだ――と見えた瞬間、


「かっ」


 ウルの口から鋭い呼気が放たれた。

 突風が巻き起こる。

 次いで、ウルの姿が見えた。

 彼を覆い隠していた無数の触手が、いずれも水平の切り口を見せながら四方八方に勢いよく飛び散ったのだ。


 形容しようもない音が高く鋭く轟いた。

 それは、生贄を喰らおうと意気揚々と口を開いた途端に、その口を斬り裂かれた『神』の絶叫であったろうか。

 とともに、ウルは高く跳びあがった。

 瞬きひとつ挟む間とてなく、ウルは大樹のてっぺんを眼下に見おろしている。

 人間の跳躍力ではない。


 そして空中で、すでに抜き放っていた刀を振りおろしざま、縦に一回転した。

 刀が直接触れたとも見えないのに、次の刹那には、ウルの回転と同じ方向に幹の部分がごっそり削れ落ちていた。

 大樹は獣さながらに巨体を揺らしてさらに絶叫。


 <風断ち>の二連撃。


 これを解説するなら――、

 ウルに宿ったミツルギは、まずは生贄が身を捧げる振りをして『神』を誘い招くと、村長邸で見せたあの<風断ち>を、身体を回転させざまに放った。

 横薙ぎで終わらず、切っ先に真円を描かせるこの技、正確には、<旋風つむじ>という。

 巻き起こる風は前方への勢いこそ<風断ち>に劣るが、しかし<風断ち>にはない上昇気流を生む。

 ミツルギはその気流に飛び乗って、高く跳躍したのだ。


 そして落下の勢いを得るままに、今度は縦に回転しつつ、<風断ち>をつづけざまに放った。

 こちらは別に、<牙鳴り>の名称がある。


 このように、ミツルギの剣術は<風断ち>を基礎に発展させた技が大半だ。

 この<牙鳴り>でしとめるか、あるいは勝負を決めるほどの痛手を与えたかったミツルギは、着地と同時に足もとを大きく乱して転倒。

 刀を杖代わりに、すぐさま跳ねるように立ちあがったものの、


「浅いか!」


 ウルの口と声を借りて、そう叫んだ。

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