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1――襲来


 宙を走ったさざ波は、ソーヤの頭上で楕円形に広がった。

 さかしまに降った雨が、大地ならぬ空へと波紋を散らしたかのように。

 オーランに指を突きつけられていたソーヤは、村長の目が自分を見ていないことに気づいて振り向いた。

 まさにそのとき、頭上にあらわれた波紋から、なにかが風切る音を立てて放たれた。

 ソーヤはそれを、


(矢)


 と見た。

 当たらずとも遠からじ、まさしく熟練の腕前で放たれた矢に等しい速度で飛んできたそれを、ソーヤは後方に跳んで回避。

 しかし『矢』は床に突き刺さる直前、大きくカーブを描いて急浮上。

 長々と尾を引きつつ、ソーヤの傍らにいた門下生のひとりに音もなく巻きついた。

 それは木の枝、もしくは枝に擬態した蛇のごとき物体だった。

 黒っぽい色が表面上を走っては消えているのが不気味であるが、なにより、


「うあっ」


 大柄なその男が声をあげたときには、二重三重に絞めあげられて身動きが取れなくなっていたことからして、あまりに迅速、そして強靭。

 ほかの人間たちが目を凝らす間もなく、男は五重六重にも巻かれて、しまいには、


「ぐぶぶっ」


 口から血を吐いた。

 血のりが床に散布されるより、空中に新たな波紋が続々とあらわれるほうが早かった。

 そこから、黒っぽい枝が次々に降り注いでいく。

 一本一本の形状は様々で、針のように細いものから、槍を束ねた太さのものまである。


 動きもまた多様。

 長い胴体で巻きつこうとするもの、鋭い先端で貫こうとするもの、足もとを払おうとするもの――、それらが重なりあい、うねりあいながら、敵意をもって襲いかかってくるのだ。

 まるで巨大な海洋生物が触手を振り乱しているかのようだが、それら黒っぽい触手の根本は、生物にあらず、空間に散らされた波紋の向こうへと消えている。


「なっ、なんだっ」


 ひとりが腰の刀を抜いて、かろうじて目測できた触手枝へと斬りかかった。

 多分に本能的な反応だったろうが、狙いは過たず、見事に両断。

 するとすすのごとき物体を多量にまき散らしつつ、床へと落ちた。

 よく見やると、枝の表面には黒い静脈めいたものがびっしり走っていて、斬られたあとも細やかに脈動している。

 であれば、煤はその血液だったろうか。

 見たものをゾッとさせずにはおかない光景であったが、ソーヤは別の感想を抱いたらしい、


「者ども、抜け。斬れるぞっ」


 自身も刀を抜きはらいながら叫んだ。

 そのとき村長のオーランは、すでに居間の中央から離れて、娘と妻の手を引きながら戸口のほうへと向かっている。

 近くにいた門下生が、触手枝のとがった先端に肩を貫かれて悲鳴をあげたが、それをも押し飛ばす勢いで走る。


「と、父さん!」


 エリンの金切り声も無視。

 必死の形相のオーランに、村の代表者たちもあわてて背を屈めながらついていったが、いきなりあらわれた謎の物体は、ソーヤをはじめとするよそ者ばかりに襲いかかっていて、村の人間たちには危害をおよぼそうとしないことに、誰がいち早く気づいたか。


(おまえは村の『敵』だ――)


 最前に発したオーランの叫びが、その答えだったろう。

 村を保護しているマガツ神が、住人に殺意を向けたソーヤたちを『敵』だと判断したのだ。


「マガツ神? そうか、これがマガツ神――」


 無意識のうちに答えを探り当てたソーヤは、はっとしたように呻いた。

 真正面から飛んできた黒い物体を両断、つづけざまに側面の物体を横へと斬りはらう。

 煙じみた血液が視界を染める寸前、横っ飛びに移動。


「居場所は別にありながらも、広範囲に実在できる類いか。本体を捜すぞ!」


 見えざる射手に四方から矢を射かけられているかのような、こんな異常で危険な事態にありながら、腹の底にひびくほどの声を出して刀を振るう姿は伝説の剣豪さながらだったが、


「はっ」


 思わぬ嘲笑を浴びて、ソーヤの目は自然とそちらを向いた。

 ウルがいた。

 柱に縛りつけられていたはずが、どうやってか縄を解いて、両肩をまわしている。


「知ったかぶりをするものでない。見るのははじめてだろうが?」

「なにィ――」


 無論、ソーヤは、それがウルの皮を被った父親の言葉であるとは知らない。

 すると、両者のあいだに門下生のひとりが割って入ってきた。

 意図してのことではなく、宙から飛来してくる物体を斬りはらいながらここまで後退してきたのだ。

 道場のなかでは指折りの使い手だけに、太刀筋は正確。

 異常事態に最初こそ驚いたものの、十分に対応できるとわかってからは落ちつきを取り戻している。


「ソーヤさま。わたしが援護しますので、家の外へ――」


 兄弟子を逃がそうとする余裕まで生じてそんなことを口にしたのだが、突然、体勢を激しく崩した。


「うわあっ」


 見ると、地面にも触手があらわれていた。

 床板を食い破るでもなく、となると土から生えているわけでもなく、空中に生じたのと同じ半透明の波紋が足もとにもあらわれて、そこから生えのびてきた触手が剣士の足をからめ取っていたのだ。

 助けようとしたソーヤの面前へ、新たな一撃が飛んできた。

 ソーヤがすばやく両断――したかに見えた瞬間、黒い触手は空中で大きくしなると、刀をかわして宙へと伸びあがった。


 ただ無機質な矢ではない、それらはまさしく生命を得ているのだ。

 一刀をかわした枝は、剣士の頭上を飛び越えざまに素早く半円を描いて、ソーヤの後頭部へと先端を走らせていた。

 ソーヤにはもはや振り向く間とてない。

 後頭部から額にかけてを生きた槍に貫かれるかに見えたとき、


「兄上!」


 クレハの叫びが宙を割った。

 身を空中に躍らせながらの一撃が、異界の物質を中央から斬り飛ばした。


「余計な真似をするな!」


 ソーヤは妹にひと声吠えて、門下生の足を封じていた枝々をはらった。

 そのときにはしかし、三人の男たちが触手に絞めあげられて動かなくなり、二人が頭部を刺し貫かれて床に血だまりをつくっていた。

 いずれも絶命していよう。

 現状に気づいたソーヤは「くっ」と歯のあいだから息を洩らしつつ、たたらを踏んだ。

 クレハや門下生たちもじりじりと後退して、ソーヤと背中あわせの円を描きつつある。


 家の出入り口からは遠のく一方。

 枝っぽい物体は無造作に攻撃をしかけているように見えて、しかしその実、ソーヤたちをひとところに追い詰めたのではないか。

 であるなら、そこにははっきりとした意図が見えた。

 彼らを誰ひとりとして、生きたままここから出すつもりはない――という。

 傲岸不遜ごうがんふそんの塊のような若者が、さすがに焦りの色を面貌に滲ませたとき、


「わかったか。おまえがかなう相手ではない」

「な、なにっ?」


 ウルの声が耳もとで聞こえた。

 いつの間にやら、門下生たちに混じってソーヤの背後に位置していた。


「貴様――」

「これ以上、つまらんプライドで犠牲を出すな。わし――いや、おれが隙をつくるから、その間に脱出しろ」

「隙をつくる? はっ、小僧め、なにを……」


 ソーヤのほうこそあざ笑ったとき、ウルは転がっていた刀を拾いあげていた。

 命を断たれた門下生のものだ。

 その行為よりなによりソーヤをぎょっとさせたのは、


「マーチンのものだな。腕の見込みはなかったが、実直な男であった。刀の手入れ具合にもそれがあらわれている。ソーヤ、田舎の母御にきちんと経緯を伝えるのだぞ。道場の仲間のために立派に戦って散ったのだとな」


 刀の持ち主のことをずばり言い当てたことだ。


「あとで皆を埋葬するのも忘れるな。マガツ神に殺された者はその魂を取り込まれやすい。ナオビ神の導きで死のけがれを祓うのだ」

「お、おまえは、なぜ」


 ソーヤが目を剥いて問いただそうとしたとき、


「やめろ、エリン!」


 出入り口のほうから金切り声が聞こえた。

 見ると、いったんは家の外に出たはずのエリンが、駆け戻ろうとしている。

 手には斧が握られていた。

 顔は無表情に近い。

 いったん『やる』と決めたからには、もうあと戻りはしまいとする決意が見え隠れしていたが、


「おまえもあの娘も同じだな。志こそ立派でも、確かなものがなにもないゆえ、蛮勇にならざるを得ん」


 ウルが嘆息した。


「なんだと?」

「隙ができたら、ソーヤ、アモス、マーク、クレハが四方の先頭に立って、村から出ろ。残る遺体はあとで回収すればいい。わかったか」


 吠えるなり、ウルは一足飛びに集団の輪から離れた。

 ソーヤはとっさに追いすがろうとしたが、しかし足を止めざるを得なかった。

 頭上から、足もとから、側面から――、触手の群れが同時に飛来してきたのだ。

 凝固したそれらは、あたかも黒い波。

 数えれば百以上にもなったろう。


 決死の覚悟でおのおのの刀を掲げた彼らは、見ることができなかった。

 集団から外れたウルは、もともと触手のターゲットではないため安易に逃げることもできたろうに、しかしその場にすっと腰を落としたのだ。

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