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6――マガツ神の声


 まず、『マガツ神』とはなにか?


 語源となった『まがつ』という言葉からわかるとおり、もともとは海をはるかに隔てた東国から伝わってきた言葉である。


 実在を指し示すものというより、ある種の概念といったほうが正しいのだが、しかしだからといって実在を否定するものでもない――という、説明の初手から複雑にならざるを得ない点からわかるとおり、大陸に伝わるまでのあいだ、いろいろな誤解があったり、あるいは恣意しい的に使い勝手のいいように改変されて広まったりと、ややこしい経緯を辿った言葉だ。


 ただ、この大陸に限定するなら、ソーヤが口にした単語がぴたりと当てはまる。

 『邪神』。

 もっと正しく言い当てるなら、

 『ユーフォリー人の信ずる唯一神に敵対する、大陸に巣くっていた魔物、邪霊、悪鬼の総称』

 である。


 海をわたって大陸へとやってきたユーフォリー人たちは、当時、大陸各地で信仰されていたこれら邪神(そのときはマガツ神などとは呼ばれなかった)の群れに苦しめられたが、あるとき、一族のなかからカリバーンなる若者が立ちあがった。


 カリバーンはどうやってか、それ以前はどのような武器でも傷つけることがかなわなかった邪神たちを次々と掃討した。

 邪神の命令で立ち向かってくる先住民たちの軍勢を、時にはかわし、時には懐柔かいじゅうして、そして時には冷徹に撃滅げきめつしつつ、しまいにはユーフォリー人のための国家を築きあげるまでにいたる。


 それは同時に、先住民たちを苦しめていた邪神の呪縛が解けたことを意味した。

 彼らとて大半は根が善良な人間たちだったから、もう邪神に生贄を捧げなくともよいのだ、残虐で陰鬱な日々を送らなくともよいのだと喜んで、カリバーンの『正しき』支配と、ユーフォリー人の『正しい』神への信仰を率先して受け入れた――という。


 平和な時代はそれなりに長くつづいたが、しかし、およそ百年前。

 英雄カリバーンに討伐されて、信仰も絶えたはずの邪神たちが、ふたたびよみがえった。

 なぜ、どうやって、具体的にはいつ――正確なところは誰にもわからない。

 神話や、英雄的な逸話、あるいは身近な破滅がいつだってそうであるように。


 もちろん、初代国王カリバーンはとうに世を去っている。

 即座に対応できなかった王家は、各地での敗戦と犠牲とを招いて、次第に求心力を失っていった。

 公然と離反する勢力が相次ぐようになると、先住民のなかには、あてがわれた聖典を焼き捨てて、もう一度邪神の加護を得ようとする者たちまであらわれた。

 またも大陸は暗黒の時代に逆戻りした――。


「われわれの村に、その男がやってきたのも、それとほぼ同じ時代だったといいます」


 オーランはぼそぼそと語りつづける。

 村はそのときも排他的であったが、当時といまとでは事情が異なる。

 彼らにはやはり土地に根づいた独自の信仰があり、したがって『王国人』から危険視されていた。

 彼らの崇める神もまた邪神となって王国に牙を剥くのではないか、という危惧を抱かれていたのだ。


 村にやってきたのは、二十歳にもならない男だったが、若さにも似ず、長いこと風雪にさらされた、修行僧じみた雰囲気を痩身にまとっていた。

 男は、一杯の水を所望するために村へ寄ったと当初口にしていたが、数日、村の周辺を散策していたかと思うと、


「ここにおられる神を、その目で見たくはないか」


 村人たちに、そんなことを訴えるようになった。


「わたしには感じ取れる、この地に根づいた存在を。あなた方が長い時間をかけて、代々熱心に捧げてきた信仰が、いまにも形をなそうとしているのだ。それがいったい神以外にあるべくもあらず。神はもうそこにおられる。わたしにお任せいただければ、この身を寄り代として、すぐにでも神を顕現けんげんせしめることが可能だ。さすれば、信仰に応じた、絶大なる加護を皆さま方にお約束できるだろう」


 若者は、そう語るときだけ、あどけないとさえいえるほどの熱意を見せたという。

 当時の村人たちは恐怖を抱いた。

 各地で神がよみがえったというのは、つまりは、こうした人間たちの行動によるものだと噂されていたからだ。


 異国で身につけた魔術を用いて、その土地土地で信仰されていた神をうつつへと呼び出す。

 それが本当に神なのか、あるいは神を模したまったくの別物なのかはわからねど、どうあれ、ユーフォリー人が『邪神』と呼ぶ存在であるのは確かなので、当時の村人たちは、この男を総出で村から追い出した。


「……それから数十年もの時間が過ぎた。かつて大陸を支配していた『王国人』たちの版図は見る間に縮まり、そのあいだにも各地で続々とよみがえったマガツ神は、それぞれの民に独自の信仰形態を強いて、時には人間には理解できぬ行動基準をもって互いに争ったり、まるで食餌しょくじのごとく民から生贄を要求したりした――と聞きます」


 まさしく、『王国人』が渡来する以前の、混沌とした時代そのものだ。

 しかし、いまをさかのぼること、およそ半世紀。


「例の、『英雄』たちがあらわれたというわけだな」


 鼻で笑うようにソーヤはいった。


「カリバーンの再来ともいわれた御仁たちの登場だ。わざわざ歴史の講義をしてくれなくてもよいぞ。村のことに限定して話せ」

(こいつ――)


 このとき、またウルの体内でぽつりと泡のように湧いた思念があった。

 先ほどのミツルギとは別のもの――すなわちウルの意識なのだが、これも<剣聖>と同様に、自分が置かれている状況をまるっきり理解しているわけではなかった。


(あの、人を見下したみたいなしゃべり方が誰かに似ていると思っていたんだ。そうか、()()()だよ。()()()に、とんでもなく似てやがるんだ)


 無論、声なき声が誰かに気づかれることはない。

 オーランは促されるままに語りつづけている。


「――『英雄』たちの活躍で、各地のマガツ神が狩られていきました。それら神を信仰していた民たちも、ユーフォリー人の軍隊によって制圧されました。そして勢いを増した彼らは、われわれにも、その矛先を向けたのです」


 長きにわたって、それも二度も、暗黒の時代を身をもって経験したユーフォリー人たちは、とにかくもう、自分たちが信仰するのとは別の神を崇める者たちが、誰であれ、恐ろしくてならなかったのだろう。

 この村は『王国人』ににらまれぬよう、ひっそりと時を過ごしていたというのに、


「邪教徒を殺せ! ひとり残らず狩りつくさねば、またも邪神があらわれるぞ!」


 声をあげて、とある一部隊がこの山中に攻め込んできた。

 当時はマガツ神との戦いがまだつづいていて、王国中枢の機能が不完全だったこともあり、突発的な暴走を繰りかえす軍事部隊も少なくなかったのだ。


「近隣の村が次々に壊滅しました。どのような言い逃れも、改宗するからやめてほしいという懇願も聞き入れられず、老いも若きも槍で貫かれ、あるいは生きたまま火のなかに投じられたと聞きます。そして、王国の部隊がわれわれの目と鼻の先まで迫ったとき――」


 ふたたび、あの男が村にあらわれた。

 一度目の来訪から五十年近い月日が流れていた。

 村の歴史書には若者として記録されていたその男は、七十前後の年齢になっていた。

 修行僧めいた雰囲気は変わらず、というよりもさらに迫真性と凄みを増していたのだが、あどけないほどに澄んだまなざしだけは以前のままだった、という。


「神をその目で見たくはないか」


 問いかけも同じ。

 返答ばかりが異なっていた。


「見たい」


 とそのときの村長はいった。

 男の手を取って、膝を折り、滂沱ぼうだと泣きながら。


「村を、われわれを守ってくださる神を、この目で見たい」

「では、わたしとともに寄り代になってくださる方を、村のなかからお選びなさい」


 神は、生身の人間を寄り代にすることではじめてこの地に降り立つ――と男はいった。

 寄り代となった人間は、神の精神を宿す器となり、肉体となり、もちろんこれまでどおりの人間ではいられなくなる。

 これもある種の生贄であった。


「では、わたしが」


 村長はそう申し出たのだが、男はあどけない目をしたままかぶりを振った。


「あなた以外のなかから、あなたよりも歳の下まわる者を選ぶのだ。あなた自身が」


 それに、どんな意図があったかはわからない。


「苦悩のうちに『選ばせる』という行為そのものが、神の食餌としての性質を高めるのだとは聞いたことがある」


 ソーヤはひとりごとのようにいったあと、例の鋭い目つきでオーランに先を促した。


「……村の人間たちのなかにも志願する者はいましたが、しかし村長が選んだのは、そのなかでもっとも若い十七歳の若者。ご自身の長男でした」


 山の中腹に位置する村の北側は、比較的ゆるやかな勾配になっていて、その一面にひろがるうっそうとした森を、村人たちは昔から鎮守ちんじゅの森と呼んでいた。


 彼らが代々伝えてきた信仰のご神体は、森の奥まった場所にある大樹。

 嘘かまことか、世界が氷に閉ざされていた時代より根を生やしていたというその大樹に、男と、村長の長男はともに向かった。


「男は、ほかのどの人間もついてくることを禁じたため、ご神体の近くでなにがおこなわれたのか、詳しい記述はありません。ただ確かなのは――」


(邪教徒を殺せ!)

(火を放って焼き討ちにしろ。邪悪を絶やすのだ!)


 血に飢えた鎧兜の群れが村へ殺到するのと時同じく、地面が激しく鳴動して川の水が沸騰をはじめた。


 これから起こる殺戮さつりくも知らぬげにあざやかに晴れていた空が、まるで巨人の手で引き裂かれたようにあちこちでひび割れを起こすと、黒々と渦を巻く内面を覗かせたその割れ目の向こうから、ツタとも枝ともつかぬ黒っぽい物体が無数に飛来してきて、先頭の馬にまたがっていた騎士の鎧をやすやすと貫いた。

 血を吐いて倒れる同輩を見た後続の騎士があわてて馬から飛び降りたが、その瞬間、巨大なツタに巻き取られて、甲冑ごと団子状に押し潰された。


 そこからはじまったのは、天変地異というべきものでありながら、実態は、当初予定されていたのとは立場と手段を大きく異ならせた殺戮でしかなく、そしてそれは数分とつづかなかった。

 残されたのは、累々とした死体の群れ。

 血を吐いて倒れているのは、いずれもユーフォリー人の騎士ばかり。

 戸を打ちつけた家にこもり、あるいは物陰で息を殺してやり過ごしていた村人たちは、呆気に取られてそれを見つめるばかりだった。


「同じく立ちつくしていた村長は、遠方から、雷鳴のごとくに鳴りひびく声を耳にしたといいます。それは、あの修行僧のような男の声にも、あるいはご自身の長男の声にも似ていたそうです」


 人の発する言葉とちがって、ひとつの単語が同時にいくつもの意味を内包した複雑なものでありながら、不思議と村長には理解できたという。


 ――わたし(たち)は、この地に根ざす(される)。あなた(ここにいる皆、もしくはこれから産まれる人々)との契約に基づいて、この地(いずれ最果てまでも)で眠りにつこう。ただし定命の寄り代は活力(大地と共存し、風と共鳴する生命力)が衰える。わたし(たち)が望むときに、新たな寄り代を選ぶように。


 要約するなら、「定期的に生贄を差し出せ」という意味だったか。

 以降、村長は世襲制になった。

 長男を差し出した呪われた家系であることを長は自嘲するとともに、しかし払った犠牲のもとに村を守っていくことに、なににも代えがたい誇りをも感じていた節がある。


「幸運にも、村を襲った部隊は、主命を受けて進発した軍隊ではなかったため、彼らが忽然と消え失せても、村の関与が疑われることはありませんでした」


 やがて、この村における長は、神官としての立場をも担うこととなり、よりいっそう村全体での信仰を深めた。

 二十数年前、いまより一代前の村長――オーランの母に当たる――は、新たに寄り代を希求する声を耳にした。

 最初のときと同じく村長自身は生贄になることはできなかったため、彼女の姪に当たる若い娘が選ばれることとなった。


「村は、その甲斐あって、あらゆる外敵から守られてきました。そして」


 オーランは目線を落とした先にある自分の両膝が震えているのに気づいてはいたが、自分ではどうすることもできなかった。


「つい半月ほど前に、わたしもまた耳にしたのです。神から……新たに寄り代を求める、どこかかつえたようなその声を」

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