5――<神>の、あるやなしや
村長宅。
暖炉のある居間に、主だった面々が座していた。
オーランと村の有力者数名、ソーヤにクレハ、門下生がやはり数名。
村長の妻が気を利かせて人数ぶんの酒と肴を用意したが、誰も手をつけられる空気ではない。
ウルは依然気を失ったままであり、オーランは彼を二階の部屋へ運ぶよう指示したが、
「罪人が逃げぬとも限らぬ。目の届くところに」
とソーヤが阻んだ。
静かなものいいだったが、底冷えするような迫力がある。
村長は仕方なく、ウルを暖炉脇の柱に座らせた。
さらにソーヤの指示を受けた門下生が無断で彼を縄で縛りつけたが、オーランはひとまず黙っておいた。
(ああ、面倒なことになった)
頭を掻きむしりたい思いがする。
しかしウルが盗みを働くのはもちろん、瀕死の老人の命を奪ったとはさすがに考えにくく、また村の抱える事情もあって、このままウルをソーヤたちの手にゆだねるわけにもいかない。
そして、ソーヤは、まさしくその『事情』に切り込んできた。
家に通したときから、手にした刀をやたらと気にしている様子だったのだが、居間に座してしばらく経ったのち、
「妙な気配がするとは思っていた」
含み笑いを浮かべて、若い剣士はいったのである。
「この刀の反応から、はっきりとした。この村には、マガツ神がいるな」
よそでなら突拍子もない言葉も、オーランたちにはあきらかな動揺をもたらした。
「な、なんですと?」
「隠しだてはできぬぞ。特に、父の剣にはな。マガツ神の血と魂をいくたびも吸い取ったこの刀は、マガツ神の気配にひときわ敏感なのだ。……となると」
ソーヤは笑みを消して、なにやら苦々しそうにいい添えた。
「そうか。当初、父が目指していたのは、ここであったか。ここを、クレハの最終試験場にするつもりだったのだな」
「さ、さっきから、なにをいわれているのです?」
「とぼけても無駄だということさ。お互い、腹を割って話そうではないか。事情がわからねば、話もはじまるまいがよ」
高飛車にいわれて、オーランは額に浮いた汗を手で拭った。
◆
まず、ソーヤのほうが自分たちの事情を淡々と語った。
彼らは、この山を尾根伝いに東へいった先、深く切り立った谷にある街から来たという。
「父ジューゴは、その街外れで剣術の道場を開いており、われらは皆、その門下生という形になる」
ミツルギとは異なる名前をソーヤは口にしたが、これは出任せではない。
ミツルギは、ある時期――ソーヤたちが産まれる以前――から、ジューゴという偽名を用いていた。
実子のソーヤとクレハを除いては、街の人間をはじめ、門下生たちとて、この『ジューゴ』がかつてマガツ神たちと戦った<剣聖>ミツルギだとは知らない。
ソーヤもあえて事実を公表することはせず、ただ、
「父は、五十年前のマガツ神との戦争で、前線に立ったことがある」
とだけ説明した。
「その父が、数日前に突然、妹のクレハや門下生を率いて街を出た。おれはそのとき道場を留守にしていたのだが、なにやら嫌な予感がして遅ればせながらあとを追ったところ、果たして、追いついた先の宿場町で、彼らが血相を変えて大騒ぎしていたのだ」
一同は宿にそれぞれ部屋を取っていたのだが、夜半、ジューゴの部屋から大きな物音がしたので門下生のひとりが向かったところ、ドアが開け放たれていた。
ジューゴの姿はなかった。
代わりに、おびただしい量の血で部屋が真っ赤になっていた。
壁や柱には、縦横に刻まれた刀傷。
窓は破られていた。
察するに、
「父ジューゴは、何者かに襲われたのだ」
泡を喰った門下生は、急いで仲間やクレハを叩き起こして、周囲の捜索にかかった。
たまたま、別の宿から街路を見おろしていた若い夫婦が、
「腕を斬り落とされて、血まみれになった年配の男性が、西の方角へ逃げていった」
と証言。
ジューゴが片腕を失ったのは何十年も前だ。
おそらく血まみれになっていたので、「いまさっき斬り落とされた」と誤解したのだろうが、ともあれ、外見の特徴はぴたりと一致している。
重傷を負わされているのはまちがいないようだ。
「おれは父の姿こそ見なかったが、しかし、街に入ったとき、あきらかに様子のおかしい男とすれちがっていたのだ。このおれが見あげるほどの大男で、血の臭いをさせていた。そのときは街で騒動を起こした罪人くらいにしか思っていなかったが、いまにしてみれば、あ奴こそ父を襲った男にちがいない。おれと入れちがいで、奴も街を西へと出ていった」
クレハたちと合流したソーヤは、そのことを語り、ともに父の行方を追うこととなった。
「……それが一昨日のこと。そして今日、ここで父の変わり果てた姿に出会ったわけだ」
ソーヤがそう結ぶと、オーランはかぶりを振った。
「お気の毒だとは存じますが、しかし、村にはかかわりのないことです。あなたがお見かけした罪人めいた男は、ウルとは別人でしょう?」
「似ても似つかぬな」
「なら、ウルが殺したなどとは、いいがかりもよいところです。大方、ジューゴという方はあなたが見たその男に深手を負わされ、逃げる途中で、この村の近くに寄り、そこで息絶えられた、というだけのことでは?」
「本当にそうか?」
ソーヤはぎらついた目で村長を見やった。
オーランの喉が上下する。
ソーヤの大柄な身体はそれだけで威圧的だが、加えて、若さにも似ず沈鬱そうな面貌には、どこか手負いの獣じみた凄みがある。
「いったであろう。父はマガツ神と戦ったことがあると。その父から、マガツ神はこの世ならぬ存在ゆえに、この世ならぬ気配を漂わせている、と聞いたことがある。気づかぬ者は一生気づかぬだろうが、しかし一度身体でその気配を覚えた者は、同じ種類の気配を無視できなくなる。目がくらむほどに、鼻が曲がるほどに、肌に火ぶくれが起こるほどに、五感を大きく刺激されるのだ――とな。その父だから、気づいたのだろう。この村に、マガツ神がひそんでいることにもな」
「な、なにを」
「だからこそ、父はすでに齢七十を超えた身でありながら、かつての愛刀を手に街を発たれたのだ。――そう、つまりはそういうことだ。父は、まさにこの村のマガツ神を討つべく旅立ったのであり、それをいち早く察したおまえたち邪教の衆が、卑劣にも父の寝込みを襲ったのではないか?」
「なっ」
村の側どころか、クレハや門下生たちも一様に驚きの声をあげるなか、ソーヤは目を白々と光らせたまま語りつづける。
「凶刃に襲われた父は、命からがら脱したが、しかしこのまま追っ手から逃げるよりは、むしろ敵中枢に殴り込みをかけん――とばかりに、一直線にこの村まで来た。だが……、無念にも、ここで力尽きてしまった。父は凄腕の剣士ではあるが、幼子には情け深いところがあった。おまえたちのような輩のやることは想像がつく。そこの、いかにも無害そうな子供を父に接近させ、油断させたところで止めを刺したのであろう。そして、マガツ神にとってもっとも有害となる父の刀を奪って村へ帰ろうとしたところへ、われわれが来たというわけだ」
場がしんと静まりかえるなかにあって、このとき、クレハが眼帯をしていないほうの目をちょっと丸くして、ものいいたげな顔をしたのだが、ソーヤに鋭い眼光を当てられるなり、すぐに、しゅんと肩を落とした。
マガツ神がいると聞かされてから、そわそわと落ちつかなさそうな門下生たちは疑問を挟むどころではなかったのだろうが、ソーヤの言葉には不審な点が多くある。
とりわけ矛盾しているのが、ウルの行動に関するものだ。
<剣聖>に止めを刺したのが彼ならば、なぜ、自分たちをわざわざその場に案内したのか?――クレハもそう思ったにちがいないが、兄の手前、いいだせずにいる。
と、
(馬鹿な娘だ)
このとき、沼に浮きあがる泡のように、『ぽっ』と、ある思念がウルの体内に湧いた。
(あらゆる素質が消えてしまっている。いや、おのずと殺してしまっているのだ。このまま、兄に喰い殺されてしまうのか、クレハ?)
クレハを『娘』という以上、ミツルギのものに相違ない。
ウルの意識が途絶えたことで、ふたたび自己主張をはじめたのだと思われるが、しかしさしもの<剣聖>もまだこの状態に慣れておらず、本当の意味での覚醒にはいたっていなかった。
半分は夢見心地なのだろう。
ウルの五感を介して、ぼんやりと外の世界を知覚しているに過ぎない。
「い、いいがかりも、ここまで来るとはなはだしい!」
木の椅子を後ろに倒しながら村長は立ちあがった。
「われわれが犯人だと、最初から結論ありきでしゃべっているだけではないか。そ、そんなものは聞くに値しない!」
口角泡を飛ばす勢いでオーランはソーヤに指を突きつけたのだが、
「ほう? おれのいうことが口から出任せだとして、では、この村にマガツ神はいないのだな?」
腕組みしたソーヤに、例の白々とした眼光を当てられると、「うっ」と発したきり、オーランは二の句が継げなくなった。
「真相を確かめる手段はいくらもあるのだぞ。この場でいい逃れしたとて、あとになって、やはりこの村にマガツ神がいると知れたならば、おれの取れる手段も変わってくる。わかるな?――明日にでもユーフォリー人たちの城か砦に駆け込んで、事実を公表することもできるということだ」
オーランは顔面蒼白になった。
彼ばかりではない、村の側の代表者たち――そして、ドアをほんの少し開けて、中の様子をうかがっていた村人たち――もまた、同じ表情になった。
ユーフォリー人は大陸を統べる王家と同じ人種だ。
『王国人』ともいわれる彼らは、土着の民より数は少なくとも、国内におけるあらゆる権力の座を占めている。
そんなユーフォリー人には、マガツ神と深い因縁があった。
まずもって、建国王カリバーンは、マガツ神を討つという偉業をもって、国の礎を築いた英雄だ。
カリバーン亡き後しばらくして、この国は、よみがえったマガツ神にふたたび土地の大半を支配されたのだが、五十年前の戦争において、現国王は、建国の祖カリバーンと同じく『神狩り』の偉業をおこなった。
そういう歴史がある。
マガツ神とは、彼らの王国にとっては、まさしく彼らの信ずる神の敵であり、駆逐すべき邪悪そのものなのだ。
そのマガツ神の生き残りが、村を保護しているとなれば――。
城門を開け放ち、颯爽と駆け出した騎馬の群れが、剣や槍を揃えて襲いかかってくることは明白。
馬のいななきと、馬蹄のひびき、そして鎧をまとった騎士たちのあげる鬨の声がすぐそこまで迫っているように錯覚してか、オーランは身震いした。
「む、村長」
「ここは」
代表者たちがオーランに何事か囁きかけた。
オーランはのろのろと戻した椅子に腰をおろした。
「……わかりました。ジューゴどのという方についてはまったくの濡れ衣だが……、ひとまず、村の事情だけはお話ししておきましょう」
オーランは、いっぺんに二十も三十も老け込んだような顔でいった。
敗北宣言に近かったが、それでも、せめて一矢を報いたいという気持ちもあったろうか、オーランは下からソーヤをにらみあげるようにして、
「しかし、あなたも……お父上を亡くされたばかりだというのに、冷静で、豪胆な方でいらっしゃいますな」
そういった。
余計なひと言だとは誰もがわかった。
瞬間、クレハが身じろぎし、兄のほうをうかがう。
かすかに開いたソーヤの口から「くっ」と息が洩れていた。
激昂するかと思いきや、案に相違して、ソーヤは笑い出したのだ。
挑発したオーランでさえ色を失うほど「くくくくっ」と声をくぐもらせて笑いつづけたのち、
「父は『仇』を討てなかった。だが、いまのおれは討てる立場にある。そういうことだろうな」
意味不明のことをつぶやいた。
それからすぐ真顔になって、
「おれのことなどはどうでもよい。話せ」
促されたオーランは、額の冷や汗を拭った。
顔から反抗の意志が消えている。
「……われわれは、確かに、マガツ神とは無関係ではない。だが、決して、人間の生き血をすする邪神を崇めたてまつって、夜な夜な秘密の儀式を繰りかえすような、邪教の衆でもない。それをおわかりいただけるならば……話すといたしましょう」




