4――双方の事情
ソーヤはウルの傍らに落ちていた刀を拾いあげた。
いびつな形をしたほうであり、ウルが手にしていたほうの刀には目もくれなかった。
ソーヤはそれを自分の腰に差すと、もともと差してあった自らの刀に手をかけて、半ばほどまでを抜いた。
「父の仇だ。ここで首を刎ねてやろう」
「あ、お、お待ちを」
クレハが驚いたように口を出した。
「なんだ、おまえがやるというのか?」
「い、いえ、あの……。この少年、先ほど、<風断ち>の構えを取りませんでしたか?」
「おまえにもそう見えたか」
刀を抜く手を止めて、ソーヤは眉間に縦皺を刻んだ。
「あの足の位置、腰の高さ、上体の角度……確かに、<風断ち>。父上その人の構えに似ていた。だから、思わずおれも声をあげてしまったが……」
「あの技は、父上が編み出された剣の基礎となるものですが、それすら凡人には会得することかなわず、実際、わたしたち以外の門下生には伝授していないはず。なのに、この少年――」
「奇妙だな。確かに、妙だ。だが、技は発現しなかった。ただの偶然だろう」
「し、しかし。父上その人の構えに似ている、と兄上もおっしゃったではありませんか。ただの偶然であり得ましょうか? ひょっとして、この少年、父上を襲った何者かと通じているということはありませんか?」
「なに?」
「父上ほどのお方に深手を負わせた敵となると、これもなまじの兵法者ではないはず。少年も、その何者かに指南を受けているのではないでしょうか。であればこそ……、父上に、と、止めを刺すこともできた」
涙が滲んだ目を、無念そうに父親の遺体に当ててクレハはいう。
先ほど膝を叩き込んだ相手に、当の『父上』の魂が宿っていたなどとは、無論、思いつきもしていない。
となると、ミツルギが蛇廻教団から譲り受けたというあの蛇環のことを、実の子であるソーヤ、クレハは知らないのだ。
「であれば、この少年の目を覚まさせて、一切合財吐かせるべきではないかと。父上を襲った謎の敵の正体、目的――。それが、近年、ふたたび世にあらわれはじめたマガツ神と関連があるのかということも含めて……。あ、兄上!」
クレハが最後に悲鳴めいた声をあげたのは、ソーヤがひと息に刀を抜いたからだ。
ひゅっ、と雨粒を半月型に裂いた剣先が、持ち主の肩の上でゆらりと静止。
「正体などはわからんが、おれは父を襲った賊の姿をこの目で見ている。それで十分だ。賊はあとで追うとして、いまは一刻も早く仇を討って、父上の御霊にお捧げするのが先決」
「し、しかし」
「クレハ、兄のいうことがわからんか」
この間、門下生たちはそれぞれ、横たえたミツルギの遺体に上掛けを敷いたり、血を拭ったりしていたのだが、ふと兄妹の口論に気を奪われた。
ソーヤのいいぶんは妙だ、と誰しもが思った。
父親を殺された恨みは理解できるものの、なればこそ、少年を拷問してでも、ミツルギに深手を負わせた犯人を突き止めるべきではないのか。
ここで命を断つのは、むしろ慈悲が過ぎる。
が、彼らはほかのことに忙しい振りをして、口を挟もうとはしなかった。
彼らは日常的にソーヤに接している。
道場主の息子が、誰かに意見されて自分の意志を曲げることなどは滅多にない。
ましてや、妹のクレハ相手となると。
「そうか。おまえは兄に意見ができる立場だったな」
剣先をおろしたソーヤは、どこかいびつな笑みを浮かべた。
「父上が亡くなられた以上、次の道場主はおまえか。父の剣の後継者もな」
「そ、そんなことは」
ただでさえ気弱そうなクレハの表情がさらに悲観的なものになる。
こうなるともう勝負は目に見えていた。
というより、この兄妹のあいだでは、勝負ごとなどなにひとつ成り立つはずもない。
皆、嫌になるほど知っていた。
「どうぞお好きになされるがいい、後継者さま。この少年を生かすも殺すも、父の仇を討つも討たないも、道場をどうしていくかも、そしてこのおれ、父の剣を受け継ぎそこなった憐れな長男の命運も、すべてあなたの思うがままだ。さあ、では、おれにどうせよとおっしゃるのか。なんなりとお命じくださいませ」
ソーヤは洗練された仕草で一礼してみせる。
クレハはたちまちのうちに心をへし折られたようで、顔を背けたままなにもいえなくなってしまった。
剣を取っては、門下生でいちばんの遣い手ですら子ども扱いする女剣士も、兄の前では神仏の怒りを買った罪人同然なのである。
「おや、なにもおっしゃらない。わたしのなすことをお許しくださるか。さすがは寛大な後継者さまだ。では、お気が変わられぬうちに」
ソーヤはふたたび刀を振りあげた。
しなやかな動作に躊躇はない。
人を殺すのがはじめてではない証だ。
彼には意識のない少年の首を刎ねるなど造作もなかったろうし、そのとき、大勢の村人たちが山狩りさえしていなければ、ウルとミツルギ、両者の物語はここであっけなく潰えていたことだろう。
火を掲げて周囲を探索していた村人たちのうち数名が、ソーヤたちの集団に気づいて接近してきて、
「あっ」
と大声をあげた。
「ここだ。ウルはここにいるぞ!」
◆
やや時間はさかのぼる。
招かれざる訪問者たちが、村の入り口から姿を消して、半時間後のこと。
「やれやれ。妙な奴らだった」
ようやく面倒な集団がいなくなってくれて、ふーっとため息をついた村長のオーランは、雨で濡れた頭を拭くついでに、首の後ろに掻いた大量の汗をも拭った。
自宅にいた妻相手に、
「あの目を見たか? あれは人殺しの目だぞ。おお、恐ろしい。おかげで目方の半分は削られたよ」
大げさに身震いして笑わせようとしたのだが、妻は軽く肩をすくめたばかり。
「さあ。わたしはここで夕食の準備をしていましたから」
「あんなに騒ぎになっていたのに?」
オーランは呆れてしまった。
招かれざる客とはいえ、村には、外部からの訪問者自体が珍しい。
多少の関心を持ってもよさそうなものなのに、そういえば、妻は昔から保守的な傾向が強かった。
外部と軽く接触することすら、土地を守ってくださる『神』の怒りを買うと思っている節があって、十年前にウルたちが村へ駆け込んできたときも、ほとんど部屋に閉じこもって接触を断っていたし、先代村長であるオーランの母が、ウルを家で預かると決めたとき、もっとも反発したのが彼女だった。
「しかし、それだと、わたしの勇姿を見ていなかったのだな。あの人殺しに見据えられても、わたしは少しもひるまず、村人たちのために雄々しく立ち向かったのだよ」
「そうでしょうとも」
本気とも冗談ともつかない返事に、オーランは気勢を削がれた。
実際、剣に手をかけた相手に、なかなか豪胆なところを見せた村長だった。
オーランなりの勝算もあったわけだが、実のところ、もしその『勝算』が的中していたとしても、それはそれで面倒な事態になっていたのは避けられなかったはずだ。
(われながら、危ういところだった。親のあとを継いで長になったところで、気が短いのは治らんものだな)
村長になったときに描いていた理想像との剥離に、思わず苦笑いが出てしまう。
それから、急に喉の渇きを覚えたオーランは、
「ウル、茶を淹れてくれ。温めのやつがいい」
そう大声で呼ばわったが、返事がない。
先ほど、ウルが薪拾いから帰ってきた姿は目撃していたし、外出の用事などはもうないはずだ。
「おい。おらんのか、恩知らずめ。どこに隠れてる!」
気が短いのを自省したばかりだというのに、またも汗を噴き出す勢いで村長は怒鳴った。
ちょうど近くを通りかかった娘のエリンが、
「ウル? あいつなら、また山に入っていったわよ」
と目を丸くしながらいった。
「あの、東国風の剣士たちといっしょだったから、父さんがなにかいいつけたのかと思っていたけど」
「そんなわけがあるか。これ以上、あんな奴らに関わりたくなどない」
と憤りつつ、自分で水差しを取りにいこうとして、オーランははたと足を止めた。
(待て。まさか)
ある予感が、村長の顔色を青くさせた。
ウルはあの集団についていって、そのまま村から出ていくつもりなのではないか?
すでに『例のこと』に気づいていて、村を離れる機をうかがっていたウルは、あの集団になにやら吹き込んで、臨時の護衛に仕立てあげたのではあるまいか?
(いや、そこまではなかろうが、しかし)
朴訥としたウルの姿を思い出すに、そんな悪知恵が働くとは思えない。
が、正体不明の剣士たちにウルがついていく用件が、ほかにあろうとも思えなかった。
汗が新たに湧いてくる。
今度のそれは、妙に冷たい。
オーランはいても立ってもいられず、帰ってきたばかりの家を飛び出した。
とにかく路上で見かけた男たちを片っ端からつかまえて、
「人を集めろ」
とわめいた。
「あの、おかしな連中にウルがさらわれたかもしれん。連れ戻さねば!」
◆
大勢の村人たちに押しかけられては、ソーヤも刀をおろさざるを得なかった。
報告を受けたオーランが飛んできて、雨降りそぼるなか、火を掲げた二つの集団が対峙する格好となる。
「ウ、ウル!」
背中を向けて倒れた少年を見つけて、オーランは顔面蒼白になった。
「ま、まま、まさか、あんた、彼を!」
「まだ殺してはいない」
ソーヤはそっけなくいった。
「ま、まだとはどういう意味です? 彼は、われわれの村の住人だ。いったい、どういうわけがあって……」
「わけならある。この小僧は、おれの父親を殺害した。父が持つ刀剣欲しさにな」
「な、なんですと?」
よそ者に突然そんなことをいわれて、信じられるわけがない。
オーランは、まだ話の通じそうなクレハのほうに詰め寄った。
「確かなのですか?」
「あっ、いいえ、その、まだ、それは――」
クレハはクレハで、まったくもって煮えきらなかった。
村人たちは剣を携えた相手の集団に恐れを抱いていたが、門下生たちのほうとて、兄弟子ソーヤの決定に異がないわけでもないので、双方が感情をぶつけあうというより、お互い、どうしてよいやらわからずにいるような、奇妙な時間が流れた。
陽は完全に没している。
雨の勢いが増してきたようだ。
「……ひとまず」
オーランが、ウルを庇うように手を広げながら提案した。
「村まで来ていただけますかな。話は、そこで」




