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1――出会い

初投稿となります。

至らぬ点もあるかとは思いますが、試行錯誤しつつ、ひとまず区切りのよいところまで進めていきます。





 ウルがその老人を見かけたのは、日課のまきぎ拾いをした帰り道のことだった。


 にわかに空が掻き曇るや、大粒の雨が降り出したので、ウルはあわてて斜面を駆け下った。

 道らしい道もない山中だが、ウルは辺りを知りつくしている。

 この坂の向こうにそびえる大樹の根っこ付近に段差ができていて、ウルひとり入れるくらいのくぼみがあったはずだ。


 幸い、風は出ていない。

 ひとまず雨くらいはしのげるだろう。

 そう目算していたのだが、段差を跳びおりる寸前になってウルの足が止まった。

 見おろす先の地面が、赤く濡れている。


 血。

 それも多量。


 狩人に矢を射られた獣でも身をひそませているのか?

 冬眠からいち早く覚めた熊が、空腹を抱えてうろついていても不思議ではない。

 やや離れた場所には、狼も多数いるという。

 村人を守る集落の『神』も、弓や剣を持って襲いかかってくる外敵ならばともかく、山中の獣からは守ってくれないらしかった。


 ウルはたたらを踏んだ。

 恐れからだけではない。


 もし手負いの獣なら、この手でとどめを刺すのも悪くない、と思ったのだ。

 自分が獲物を仕留めて持ち帰れば、村の人間たちはさぞ驚くだろうが――自分たちにできるあらゆることが、集落育ちでないウルにはなにひとつできやしない、と大方の村人たちは決めつけている――ウルは、獲物の肉を知りあいの誰にもわけてやるつもりなどなかった。

 もちろん、わざわざ見せびらかすような愚は犯さない。


 ウルは服の下に吊るしてあった短刀を手に握った。

 体重の半分を段差の上に残しつつ、せり出した地面の下をおそるおそる覗き込んでみる。

 息を殺していたにもかかわらず、


「あっ」


 悲鳴を呑み込むことができなかった。

 先客は野生の動物ではなく、人間だった。

 七十以上に見える老人が、えぐられた土壁に背を預けていたのだった。



 裾や袖の長い特徴的な衣服は、血をたっぷりと吸って赤黒く、見た目にも重そうだ。

 右腕の肘から先がないことにウルは驚いたが、こちらには出血がなく、先端が丸い形をなしているところからして、だいぶ昔に負った古傷のようだ。


 一方で、胸や腹部を染めた赤色は生々しい。

 衣服が裂けており、おそらく下の肉も深く傷ついていることが想像できた。

 それこそ、熊の爪にやられたのだろうか。

 老人の顔は土気色をしていた。

 ウルの悲鳴を聞き逃したはずはないが、目はあらぬ方向へと向けられている。


「も、もしもし? 生きてるかい?」


 われながら馬鹿げた質問だった。

 老人は動かない。

 意識が朦朧もうろうとしているのかもしれない。

 急に怖くなったウルは、


「ひ、人を呼んでくるよ」


 引きつった声でいいながら駆け去ろうとした。

 瞬間、


「構うな」


 力強い言葉に足を縫い止められて、ウルは振り向いた。

 老人は虚空を眺めているばかり。

 落ち窪んだ眼窩がんかめられた目はガラス玉のように生気がなく、本当に声を発したのか疑わしくなるほどだったが、


「わしに構うな」


 老人は、血に半ば赤く染められた髭を震わせながらいった。


「どうせ、誰もろくなことにはならん。それに見てのとおりだ。あと半時間も放っておけばわしは死ぬ」



※作者注釈

 この大陸を統べる王国には、時間、長さ、重量をはかる際に固有の単位がある。

 たとえるなら、この老人が実際に口にしたのは、


「あと半(サーザン)も放っておけば死ぬ」


 であり、サーザンとは、一日を二八分割した単位のこと。

 サーザンをさらに二八分割したのがザンであり、ザンとは、古代王朝が定めた、成人男性が百ポーンの距離を歩く時間のことだが、では一ポーンはどのていどの距離なのかというと……。

 などと、読み進める際にいちいち参照せねばならない読者の負担を考えて、


『異世界の書物を訳す際に、われわれの世界の単位に直している』


 と考えていただければ幸いである。

 それでは興を削がれるという意見もあろうが、あくまでも作者の――いやちがった、読者の負担を軽減するためと、なにとぞご理解いただきたい。



「む、村に……小さな村だけど、それでも、腕のいい医者がいるんだ。その人を呼んでくれば」

「助からん」


 という割に、老人の青ざめていた顔に、わずかばかり血の気が戻ってきたように見えた。


「爺さん、あんた、ひとりでここに来たのかい。おれ、こう見えて、結構健脚なんだよ。もし、仲間や家族が近くにいるんなら、ひとっ走りいって……」

「家族!」


 ウルが仰天したことに、「あと半時間で死ぬ」といっていた老人が大口を開けて笑った。

 喉を鳴らして唾を飛ばし、しまいには口から血の塊を吐くまで笑いつづけた。

 苦しげに咳き込む老人にウル駆け寄ろうとしたが、


「近づくな」


 老人は健在なほうの手を突き出してウルを制した。

 健在なほう――といったが、そのときはじめてウルは、左手からも出血しているのに気づいた。

 人差し指と中指が欠落している。

 そしてその手に鞘入りの剣が握られていたことに、ウルはこれもはじめて気づいた。


 血まみれの老人に、剣。

 ウルの腰が引けたのも無理からぬことだが、同時に、柄の部分の見慣れぬ装飾や、わずかに反りを打った鞘の形状に、少なからぬ興味をそそられた。

 そういえば、この老人、年齢のわりに体格が立派だ。

 座り込んでいるからわかりづらかったが、きっと立ちあがればウルより上背があるだろう。

 呼吸のたびに膨らむ胸板はいかにも厚く、肩も大きい。

 偉丈夫といっていいくらいだ。


 加えて、老人の顔立ち。

 近所では見かけない種類のものだった。

 十年も前、ウルの故郷の近くに王国の都市があったのだが、そこへ遊びに出かけた際に、雰囲気の似かよった顔をいくつか見たことがある。


「爺さん――、あんた、東国人かい?」


 笑いの発作をおさめた老人は、わななく手で唇を拭っていた。

 海をはるかに隔てた東に、王国のそれとはちがう、また大陸に点在するどの民族にも似ない文化を育んだ国があるとは、ウルも聞き知っていた。


「カタナ――刀っていうんだろ、それ。ひょっとして、あんた、それで、ひ、人を、斬った、とか?」

「ならば、どうする?」


 老人はか細い声でいった。

 ウルの喉が鳴った。



 老人は、少年を突き放すつもりで人殺しを肯定した。

 なにも直前に人をあやめたわけではないが、刀で人を斬ったことはある。

 数えきれないほどに。

 少年の、好奇心半分、恐れ半分といった表情の割合が、恐れのほうに占められた。

 あとは一目散に逃げ出すだろうと思った。

 が、少年はむしろ一歩ぶん距離を詰めてきた。


「け、剣で、戦ったことがあるのかい」


 老人は答えず、少年の姿をとっくりと眺めた。

 髪も目も赤茶色。

 肌は陽に焼けて色黒で、体格は痩せっぽっち。

 いわゆる『王国人』――ユーフォリー人ではない。

 土着の民だ。

 近隣の村を訪ね歩けばいくらでも見かけるだろう、ごくごくありふれた少年。


 顔立ちも平凡の域を出ないが、しいて特徴をあげるとするなら、丸い瞳だろうか。

 澄んだその双眸は、幼さを残した顔立ちとあいまって、他人を警戒させない種類のやわらかさがあった。

 老人は身じろぎしようとして、途端に頭蓋が割れそうな痛みにめまいがした。

 脂汗が額から滴る。

 しかし老人は、ほう、と意外な思いがした。

 痛みも汗も、とうになくなっていたと思っていた。

 だというのに、この身体はまだ生きるつもりなのか。

 老人は、年齢の割に頑丈な歯を食いしばって痛みに耐え抜くと、


「戦ってきたとも。何度もな」


 と少年の問いかけに応じた。


「へ、へえ」


 いまにも息絶えそうな老人を前に、目を輝かせる少年というのも奇妙だ。

 あるいは少年のほうこそ、死を予感させるおびただしい血臭にめまいを覚えているのか。


「剣が欲しいのか」


 老人がいうと、少年ははっとしたように、詰めたばかりの距離を下がった。

 本意を見抜かれては斬られる、とでも思ったろうか。


「わかった。くれてやろう」

「ええっ?」

「だが、その前に」


 老人は浅く息を吸った。

 それだけで肺のあたりが燃えるように熱い。

 火を吐き出す勢いで尋ねた。


「小僧、酒はあるか」


 少年は面食らったようだった。


「も、持ってるわけないよ。村にいけば、そりゃ、あるだろうけど、でも……」

「では、取ってこい。ただし、村の誰にもわしのことはいうな。それが剣をくれてやる条件だ」

「いいけど……あ、あんたさ、放っておけば、半時間後には死ぬとかいっていなかった?」

「死のうと思えばいますぐ死ねようし、生きようと思えば、まだいくばくかは生きられる。わしはいま、そのような状況だ」


 わっかんねえ、と少年はいいながらも、腰を上げた。

 まだ雨は降りつづいていたが、ぱっと細い身をひるがえして、そのなかを駆けていく。

 さて、と老人はひとつつぶやいた。

 なにを期待している?


(いいや、なにも)


 もはや、なにかをしようとも、なにかを変えられるとも思わない。

 しかし。

 霞んだ目で、左手の、残された指でかろうじて握られた刀を見やる。


「せめて――」

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