じゃんけん
「じゃんけんの必勝法を教えてあげよう」
鵜月さんがそういった。わたしは拒否か催促かよくわからない曖昧な返事をする。
鵜月さんは肯定のほうで解釈した。わたしは拒否と解釈していたが、彼女は続ける。
「まず、『はじめはグー』とよくいうが、これは間違い」
「間違い」
「そう。間違い。もしこちらからじゃんけんを仕掛けるとき、『はじめはグー』なんていっちゃいけない。それは向こうに、勝負が始まることを通達して、準備する期間を与えてしまうってことだから」
「つまり、不意打ちを推奨していると」
「いいかたが悪いね。不意打ちじゃなく、先手必勝の心構え」
なにが違うというのだろう。鵜月さんは、そういうところをすぐごまかそうとする。わたしは黒板消しを取る。
「手伝おうか」
「いいよ。それより、『はじめはグー』といわないなら、どうするの」
「だから、『じゃんけん、ポン』で仕掛けるんだよ。そうすると、じゃんけん初心者は高い確率でグーを出す」
「どうして?」
「グーが一番出しやすいからね。それに、なんか強そうじゃん?」
「そうかな。そうだね」
「だから、ここでパーを最初に出せば、勝てる。じゃんけん初心者にはね」
「なるほど。それはたしかに必勝法だね。初心者に対しては。でも、立ち塞がる敵はじゃんけん初心者だけじゃない」
「そう、じゃんけん熟練者もいる。むしろそっちのほうが数は多い。だから、相手がじゃんけん熟練者ということを見越したうえで、必勝法が存在する」
「それは興味深いね」
「まず、統計的に出されるのが最も多い手はグー。その次がパー。そしてもっとも確率が低いのがチョキ。これをうのみにすれば、パーを出せば多くの場合勝てるということになる。熟練者はそれを知っているからね。裏をかいてチョキを出すこともありうる。しかしだからこそ、あえて、じゃんけん熟練者は高い確率でパーを出す。なぜなら、そもそもじゃんけんであるならば、初手でチョキを出すのは悪手中の悪手。統計的に考えれば、自分がグーを出す場合、あいてはグーの確率が非常に高い。つまりチョキを出すことで、一発で勝負がついてしまう可能性が非常に高いわけ。しかし熟練者は同時に考える。向こうはグーでもチョキでもなく、パーを出すかもしれない、とね。ここでもう一度統計に立ち返ってみると、グーの次にあいてが出しやすいのはパー。敵が熟練者ならば、安直にグーを出す可能性は低い。ならば向こうが出す手はパーだ。ならばこちらはチョキか? しかしそれは一番割合の高いグーに負ける手。あるていどリスキーだ。ならば、出す手はひとつ。パーであいこを狙う」
「なるほど。それのどこが強いのかよくわからないけど、鵜月さんがいうならそうなんだろうね」
「で、あいこにしたあとが問題だ。わかるでしょ? そのあと、どの手で勝負をつけるか。あいこになったあと、人間は偏りなく手を出したい習性があるから、基本的には続いて同じ手は出さない。つまり、あいては次にパーを出さないということ。ならば残る手はグーとチョキ。この場合、強いほうの手はグーだよね。だから、熟練者はここでグーを出す。こうやって、強いほうの手を出しながら、隙をうかがうんだよ。いつ裏をかくか? いまか? それとも……ここか? そして完璧に相手の心理を読み、同じ手を連続で出す。これが、とどめ」
「やることはわかったけど、どうやって、その……隙とやらを見つけるの?」
「それは、まあ……」
鵜月さんは悩みだした。とくに考えていなかったらしい。
必勝法とはなんだったのか。
「まあ、勘で」
「なるほど。必勝法だね」
黒板消しを置く。手についたチョークの粉を払う。
「で、それ、検証したことある?」
「ない」
いけしゃあしゃあと。
ならば、
「じゃんけん、ポン」
鵜月さんは思わずグーを出す。わたしはパーを出している。
しかり。初心者に対しては、明らかな必勝法かもしれない。
「うん。いいね、これ。使わせてもらう」
「なにに使うの?」
「さあ……このごろ、じゃんけんなんてしないし、使いどころはパッと出てこないけど。なにかには使えるんじゃない」
「うーん、まあ、なにかには……」
必勝法を編み出しておいて、鵜月さんにも使いどころがよくわからないらしい。ならばなぜ編み出したのか。
と、そこへ、先生がやってきた。そして暇だと思ったのだろう、駄弁っていたわたしと鵜月さんを呼びつけて、どちらかプリントの束をもってこいという。
鵜月さん、すかさず、
「じゃんけん、ポン!」
と、いう。鵜月さんはパーを出している。わたしはチョキ。
悔しがる顔がおもしろい。
「三回勝負!」と、小学生みたいなことをいう。「三回勝負だから! 先に三勝したほうが勝ちね」
負けるつもりはさらさらないので、了承する。こちとら、教わった必勝法があるのである。
まあ、教えてくれたのは鵜月さんなのだけれど。
二回戦目。定石通り、鵜月さんはパーを出す。あえてのパー、とかいっていた気がするが、素直なものである。しかしわたしはひねくれているので、むろん、出した手はチョキである。
早速、リーチである。将棋でいうなら王手、チェスでいうならチェックメイト、ウノでいうならウノである。まさかここから三連敗することはあるまい。というか、一敗もする気がしない。
三回戦目。わたしはチョキを出す。あえてのチョキである。読まれることを覚悟してのチョキだったが、鵜月さんの脳はそこまで考えないと踏んだ。
とはいえ、さきほどので多少は学んだらしく、パーではなく、しかしグーでもなく、チョキを出している。戦いながら成長する、それが鵜月さんである。だが、こちらとしても、何エモンではないが、それは想定の範囲内である。慌てることではない。
このばあい、さきほどの必勝法のとおりいけば、次に出す手はあいこ狙いのパーである。おそらくそれが定石だろう。
しかしここで決めてしまおうと思えば、わたしには、連続でチョキを出すという選択肢も考慮して損はない。駆け引きなんぞはわたしの性分にあわないし、この勝負、決められるのなら、決めておきたい。
よし、次の手は、これである。
「あいこで、しょ」
と、なんと、鵜月さんはここでグーを出したのである。
それは完璧なグーだった。わたしの思考を完全に読んだグーである。このひねくれた性格や駆け引きをきらう性分を十分に吟味し、そしてこれが最適解だといわんばかりの渾身の一撃、即ちグーである。
わたしはこの勝負、チョキを出そうと決めていた。
出していれば、鵜月さんは三連勝に向けた狼煙を上げられたことだろう。
しかし――実際にわたしが出したのは、パーだった。
わたしはほくそ笑む。そう、鵜月さんはわたしの掌の上で、思考を読まされていただけに過ぎないのである。
「敗因を教えてあげようか、鵜月さん」
動揺を隠せない鵜月さんに、わたしは微笑を浮かべて語りかける。
「わたしのひねくれぐあいを、過小に評価しすぎだった……それだけだよ」
「くっ……負けた。負けた!」
「さあ、行け! プリントをとりに! 走るんだ!」
「うっ……うわあああああああああああああああああっっっ!」
鵜月さんはなぜか叫びながら走っていった。どうしてあんな子と友達なんだろうと思ったが、あんな子だからこそわたしの友達なんだろうと、不思議と腑に落ちるところもあった。
走っていった鵜月さんを見て、先生はひとり、首を傾げていた。
(了)