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「ディーリア・コルトベルク、貴女(あなた)と私の婚約を只今をもって破棄する。アリス嬢に対する所業の数々は清廉潔白を求められる次期王妃にふさわしくない」


 金髪の美青年、もとい私の婚約者である王太子殿下が、冷たい目で言い放った。

 その傍らには不安気な表情でこちらをうかがう水色の髪をした可憐な少女がいる。


 彼女の名前はアリス。

 アリスという名は()()()()であるーーそう、彼女は『夢幻学園(ファントムスクール)』という乙女ゲームのヒロイン。そして私はメインヒーローの王太子の婚約者。俗に言う、悪役令嬢である。


 ここは王立プリティア学園内にある談話室(サロン)。正装に身を包んだ男女六人がいる。本来ならこの婚約破棄イベントは一刻もすれば開始される卒業パーティの人だかりの中で起こるはずだったが、今この場にいるのは乙女ゲームの攻略対象である王太子殿下、宰相子息、騎士団長子息、神官長候補、そして私とヒロインという最低限の人間しかいない。


 人の目が少ないこともあって、悪役令嬢として役に没頭できる。


「わたくしと殿下の婚約は、陛下と我が公爵家当主である父と誓約なされたもの。殿下が破棄すると仰ってもそうおいそれと出来るものでないと思いますが?」


 宝石を施された扇で口元を隠しつつゲーム通りのセリフを吐けば、王太子殿下は問題ないと説いた。


「陛下にはすでに事の次第をお伝えしてある。そのような者を王家の一員にすることはできないと明言いただいた。婚約破棄の旨は今頃公爵家にも伝わっているだろう。過失は貴女にある。いくら公爵家でも拒否できない」


 王家からの使いを迎え入れたお父様の動揺っぷりが目に浮かぶ。あの人は強面であるけれど、存外小心者なのだ。申し訳ないと思いつつも、この婚約破棄イベントはゲームの進行上避けて通れない道だから受け入れてもらわなければならない。


「そうですか……では、もうひとつ。殿下、大事なことをお忘れになっているのではなくて?」


 ぱちりと扇を閉じ微笑んだ私をみな訝しげに見やった。

 おそらく最後の足掻きとみられていることだろう。まさしくそうだ。これは、ヒロインのための物語。

 そして私のセリフはヒロインがハッピーエンドになるためにある。


「殿下が懸想しているそのお方は、平民なのですよ。わたくしと婚約破棄をなされても殿下と身分違いも甚だしい彼女とは、王と王妃として添い遂げることは叶いませんのよ? たとえ陛下がお許しになったとしても、規律を重んじる貴族院の方々は決してお許しにならないでしょう。王家とはいえ、多数の臣下たちを蔑ろにすることは出来ませんでしょう?」


 王太子殿下の怒気を肌で感じながら続ける。


「わたくし、心は広いほうですの。愛妾のひとりなぞ目を瞑ってもよろしくてよ。ねぇ、殿下、愛するひとりの女を隣に立たせるために国を乱すのが王太子として正しいのかしら? 愛でるだけの女ならいくらでも陰で愛でればよろしいのではないかしら?」


「心が広い? 心が広い人間は、あのような劣悪な嫌がらせなどしない。どんな御託を並べようとも、貴女が王妃になる未来など絶対にない」


 その声は、怒りを押し殺すように低かった。ゲームをプレイしていた時は普段物腰が柔らかい彼の初めて見せた雄々しさにキュンとした覚えがあるが、今はそれどころではない。もう大詰めなのだ。


「それに生憎だが、彼女は平民ではない。アリス、自己紹介をしてごらん」


 殿下に背中を支えられてアリスが一歩前へ出た。

 先ほどの頼りなさそうな雰囲気とは一変して、凛とした顔をしている。

 ーーとうとうフィナーレへのヒロイン無双が始まる。


「ディーリア様、改めて自己紹介をさせていただきます。私の名前はアリス・フォン・シーグニマ。隣国、シーグニマ国が王女でございます」


「あなたが王女? なにをおかしなことを。シーグニマ国に王女はおりませんわ。戯れも大概にしてくださいまし」


 華麗にカテーシーをきめた彼女を鼻で嗤った私に、今まで静観していた宰相子息が口を開いた。


「いいえ。アリス様は間違いなくシーグニマ国の王女です。15年前、生後間もなく何者かに拐かされたため公には死産と偽り、存在を伏せられた王女いました。その王女こそがアリス様なのですよ」


「……15年も前に拐かされた王女があの子だという証拠はあるのですか」


「もちろんありますよ。アリス様、シーグニマ国が王女たる証をお見せいただいてもよろしいですか」


 宰相子息の言葉にアリスはこくりと頷くと、おもむろにハーフアップで垂らしていた後ろ髪を上げた。現れたうなじにはダイヤ型の痣があった。


「王女様には生まれた時から、うなじにこの形の痣があったそうです。そして何より、アリス様は若かりし王母様にそっくりなのですよ。シーグニマ国の使者が市中にいたアリス様をみつけるほどにね」


 知っている。

 そのイベントは王太子ルートをコンプリートしなければ起こらない。その上、好感度や学力など全てのパラメーターが最大値になっていないと、隣国の王女という隠れ設定は使えないというメインヒーローなのに鬼畜な設定だった。このイベントを起こせなければ、身分差のせいで王太子妃はディーリアがなり、アリスは愛妾となるノーマルエンドなのだ。


 ディーリア様、と扇を握りしめる私にアリスが近づいてくる。


「あなたは、さぞ愉快でしょうね。平民だと蔑んでいた私の方が身分が低いだなんて。いいざまとでもお思いかしら?」


「そのようなこと思っておりません」


「……自分は無垢だと言わんばかりのあなたのその態度にずっと虫唾が走っていたわ。わたくしから婚約者を奪った泥棒猫なのに!」


 目の前に立ったアリスに扇を振り上げた。

 焦ったように彼女を呼ぶ声と乾いた音の直後に、私は騎士団長子息に捻りあげられていた。乱れた前髪の隙間から、駆け寄った王太子殿下に打たれた箇所を確認されているアリスが見える。

 救護室へ連れて行こうとした殿下を制止して、左頬を赤く染めたアリスが無様な姿の私を射抜いた。


「ディーリア様を離してあげて」


「けど、こいつはあんたを打ったんだぞ」


「いいの。これは正当な罰よ」


 急に拘束を解かれて尻餅をついた私にアリスは手を差し伸べた。


「泥棒だと(なじ)られるのは甘んじて受け入れます。……だって事実だから。私は婚約者のいる殿下をどうしようもなく好きになってしまった。ディーリア様に償いきれない罪を犯してしまいました」


 本当にごめんなさいと目を伏せる彼女の手を取らずに顔を背ける。

 アリスは行き場をなくした手を胸の前で組み、視線を上げ、そして言い募った。


「でも、どうしてその罪を私だけに直接咎めて下さらなかったのですか。関係のない私の友人を追い込んだり、ディーリア様に逆らえない下級貴族の方々を巻き込んだりしたのですか!?」


「身の程知らずの平民に分をわきまえるよう躾をして何が悪いというの。全てあなたの身の振り方が悪かったせいよ」


「では、私が、……私が王女だとはじめから分かっていたら、正々堂々と闘ってくださいましたか?」


「……そんな想像、無意味だわ」


 誰の助けも得ずに、自分で立ち上がる。これは悪役令嬢の最後の矜持だ。


「殿下、わたくしなんだか疲れてしまいましたわ。卒業パーティを欠席してもよろしいかしら」


「……許可しよう」


「ご配慮感謝致します。では皆さまご機嫌よう」


 ドレスをおざなりに整え、退室の一礼をする。

 顔を上げるわずかな瞬間、私はヒロインと視線を交わした。周囲から見れば違和感のないほどの刹那にお互いの健闘を目だけで称えあう。それは相容れない者同士のやり取りではない。


 それもそのはず、彼女と私は、結託した友なのだから。


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