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海に漂う月を見て



修学旅行の最終日。3日目は生憎の雨となった。しかし旅程は残すところ新江ノ島水族館だけであったので屋外行動が無いことだけが幸いだった。

「美都!」

自分の名を呼ぶ声がして水槽から目を離す。パァと表情を明るくさせこちらに向かってくる一人の少女が見えた。

「ようやく会えた! 良かったぁ」

「ね。昨日は全然すれ違わなかったね」

凛が嬉しそうな声で目の前に立った。

流石に鎌倉、江の島ともなると範囲が広い。先々で同じ中学の制服を纏った生徒たちを見かけはしたがついには凛とすれ違うことはなかった。そう言えば愛理もそうか。やけに静かだなと思っていたが。そんなことを考えていると凛が袖を引っ張った。水槽の中と同じ色をした大きな瞳がこちらに向けられる。

「おみやげ……」

「うん。後で一緒に選ぼ?」

「……! えぇ!」

碧い瞳が喜びに揺れる。凛の瞳は海の色に似ているなと改めて思った。水族館という空間も相まってなんだか心が落ち着く。昨日は感情の振れ幅が大きかったので余計にそう思うのかもしれない。展示されている水槽に再び目を向けながら歩を進め始めると凛が何か訊きたそうにこちらの様子を窺っていた。

「ねぇ美都。何かあった……? 四季と」

「な⁉︎ なんで四季が出てくるの⁉︎」

「……あったのね」

館内のためあくまで声を抑えて凛の疑問に言葉を返す。幸い四季とは距離が離れた場所にいる。凛は美都の反応を見てやはりといった表情を滲ませた。

正直あったことが多く何から話せば良いかわからない状態だ。それに修学旅行も残すところ今日のみなのでひとまず今日くらいは心穏やかに過ごしたい。今更な気もするが。

「凛……帰ったらゆっくり話すから。ね?」

どうかここは見逃してくれと言わんばかりに美都は凛に頭を下げた。彼女は不服そうに頰を膨らませた後、小さく息を吐いた。

「ねぇ美都、わたしは美都のことが好きだからあなたの望むことなら文句は言いたくないの。でもねわたしにも許容できるのとできないのがあって。まだ何も聞いていないうちから判断するのもアレだけど今回は」

「わかった! わかったから……とりあえずほら、水槽見よ?」

この話は長くなりそうだと頃合いを見計らって凛の言葉を遮った。彼女がいつも自分を気にかけてくれていることは知っている。凛は渋々と隣で水槽を眺め始めた。

水族館に来たのはいつぶりだろうか。そう言えば随分昔に司と円佳と一緒に来たような気がする。いつ頃かは覚えていないがもうその時には常盤の家で暮らしていたはずだ。甘やかしてもらったなと懐かしく思う。

ゆっくりと足を進めると展示エリアが変わった。幻想的な空間に思わず息を呑む。

「クラゲね」

「うん。綺麗だね……」

水の中で漂う姿に目を惹き付けられる。展示エリアは四方を水槽に囲まれ、中央には球体のような水槽が配置されている。

(海の底にいるみたいだな……)

天井には光の演出が施されているようだ。見上げると海底から差し込む光を見つめているような感覚になる。つい、手を伸ばしたくなってしまう。

「クラゲって、海の月って書くのよ。こうしてみると月の光みたいね」

隣で凛が呟く言葉を耳にして納得した。そうだ、月の光だ。クラゲの身体から発せられる光が、眩しすぎず心地良い。繊細なのにしっかりとその存在感を認識させる。月の光という単語を耳にしたせいか頭の中で曲が再生される。ぴったりだな思いながら見上げていると少しだけ体制を崩してしまった。

「転ぶぞ」

「あ……ありがと」

いつの間にか追いついていた四季に背後から肩を支えられる。瞬間、凛が四季のことをキッと睨んだ。その視線に気づき彼がパッと手を離す。

「何もしてないぞ」

「今日は、でしょ?」

相変わらずこの二人は相性が良くないようだ。そもそも凛は異性の誰に対しても好意的感情を抱いていない。どうどう、と二人に挟まれたまま凛を諌める。

「ほら凛、次の展示行こ」

「もういいの?」

「ん、ここにいると永遠にいられる気がして」

この展示エリアは心地良すぎて見入ってしまう。強引にでも足を動かさなければ空間に囚われてしまいそうだ。

ちょうど現実に戻れてよかったと思う反面、もう少しあの場にいられたらなと名残惜しい感じもする。幻想的で、非現実的で。水槽の中で小さく広がる泡が頭の中に残っている。それは無数の星のようで。手を伸ばせば届きそうだった。

あの中で生きられたらいいのに。何も考えずただ水の中で漂っていられればきっと楽なんだろうな、と思いながら美都はぼんやりと次の展示エリアに向かった。





最後の旅程を終え、第一中学の生徒たちは帰りの電車に揺られていた。さすがに3日間の疲れが出たのかほとんどの生徒は自分の席で眠りについている。隣に座る春香も例外ではなく静かな寝息を立てていた。彼女にはこの旅行中一番世話になったなと思う。また改めてお礼を言わなければなぁ、と春香の寝顔を見ながら考えた。

ふぅと息を吐きながら美都はここ数日のことを思い返す。総じて楽しい旅行だった。中学生になって最初で最後の修学旅行だ。夜も友人と同じ時間を共有出来たのはすごく新鮮な気分だった。

結果秀多とあやのは良い雰囲気のまま旅を終えたようだ。ここから先は彼の押し次第だろう。とは言っても、途中から自分が手助けする場面はほとんどなかったのでやはり彼は行動力があるのだと思う。

(問題は自分、か──)

この旅行中の己の感情と言えば起伏が激しく自分でも参ってしまう程だった。その原因は主に四季だ。彼のことでこんなに翻弄されるだなんて思わなかった。これまではただ同じ守護者としてしか見ていなかった。だからこそ彼に対して初めて抱く感情に戸惑いを隠しきれない。そもそもこれから同じ家に帰るのにこんな心持ちで大丈夫なのかと自問自答したくなる。

そう言えば、とまだ思うことがあった。結局初音の宣言通り、旅行中は宿り魔の出現はなかった。守護者の使命に関しては平和な日々だったなと思う。しかし日常が戻るとまた気が抜けなくなる。考えることが増えるのは必至だ。なんとかこの旅行中に一つでも答えが出れば良かったのだがそう上手くもいかなかった。

(……ダメだ)

また己の思考に陥りそうになるのを堪え、美都は小さく頭を横に振ってそっと立ち上がる。飲み物でも買って気分を紛らわそうと自販機へ向かった。





四季は気分転換に飲み物でも買おうと席を立ったのを後悔した。よりにもよって旅行の最後に一番顔を合わせたくない人物に遭遇してしまったからだ。自分を見るなり目を細めこちらを睨んでいる。あからさまな敵意にも慣れたが疲れたところに面倒ごとが発生すると溜め息を吐きたくなるのは必至だろう。

「……言いたいことがあるなら言ったらどうだ」

「話が早いわね。まぁその様子じゃそんなに事は進んでなさそうだけど」

「自分も邪魔してきたくせによく言えたな」

愛理がその言葉にふっと笑む。まるで計算通りだと言わんばかりに。全く食えない少女だ。そもそも自分の周りには得てして一筋縄ではいかない少女が多い気がする。彼女はその中でも群を抜く勢いだ。特に自分は彼女に警戒されている。一際角が立つのだろう。

「言ってないんでしょ? 結局」

「勘違いするな。言わなかっただけだ」

「へぇ、中途半端なままじゃない。言わなかった、なんてただの保身に過ぎないわ。言えなかったんでしょ? 怖くて」

痛い所を衝かれた、と思い顔を顰めた。彼女の言う事は当たらずしも遠からずだ。確信が持てないから言わない。伝えたところで美都が同じ想いでなければ今後の生活にも支障を来すこととなる。しかし愛理は同じ家で暮らしている事は知らない。そんな彼女から見れば保身だと思われても仕方のないことだ。

「翻弄するだけ翻弄して。あの子が可哀想だわ」

「……それでも、俺の気持ちは中途半端なんかじゃない」

「言うだけならなんとでも言えるわ。問題はあんたに覚悟があるかどうかじゃないの?」

彼女が返した言葉にふとした違和感を覚える。確かに口調は今まで通り明らかな敵意が混ざっているが、言い回しが前回とは違う気がした。彼女が言う「覚悟」の意味を図りかねる。何を以ってして覚悟というのか。

そう考えたときに今までの会話を遡ってみた。そもそも目の前の少女は今、自分に何を言いにきたのだろう。

「……お前は、俺に何を望んでる?」

「──……別に何も。中途半端な人間に興味はないから。あたしは……誰よりも好きだもの」

フイと目を逸らす。若干ではあるが愛理の雰囲気が今までのものと違う気がする。彼女が美都のことを想っているのは知っている。だから近付く者を牽制していたのではなかったのか。それにしては何か引っ掛かる。

「なんて、こんなところでする話じゃなかったわ。まぁあたしが言いたい事は変わってないからそのつもりで」

彼女は自分の席に戻ろうと踵を返した。拭いきれない違和感が気持ち悪い。まだ彼女には隠していることがあるような気がする。それとも自分を試しているのか。

「待て。本当にそれだけか?」

「……どう言うこと?」

「他にも何か言いたいことがあったんじゃないのか」

その問いに怪訝そうな顔をして少女が振り向く。確信がないだけにテンプレートな質問しか出来ない。しかし反応したという事は少なからず自分の読みは外れていないらしい。問題は彼女が語るかどうかだ。

その懸念に対してはあっさり破られた。愛理は四季を薄目で見ると語り始めは呟くようにして徐々に声を発した。

「あたしには時間が限られてるの。一緒に居られる時間が。だからはっきりさせたいの。あんたが──どれくらい本気なのかを」

そう言うと愛理は再び背を向けて歩き出した。一人残された四季はその場で口元に手を当て考える。

時間が限られていると言うのは恐らく家庭の問題だろう。海外転勤が激しいと聞いた。だから美都と一緒に居られる時間が大切なのだと。前半は確かにそう言う意味だった。しかし後半は? 最後の一文は確実に自分に向けての言葉だ。だが「はっきりさせたい」とは何なのだろうか。自分の気持ちか、行動か。考え出せばキリがなくなる。

何にせよ、彼女に言われるまでも無くいずれはこの気持ちを伝えなければならなくなるだろう。その前にしっかりと見つめ直さなければいけない。考えたくはない、最悪のケースを。





────今のは、何?

美都は無言で立ち尽くした。声が漏れないように口に手を当てて。

飲み物を買うために来た後方車両の扉を開けると誰かが話し込んでいるのが聞こえた。立ち聞きは良くないと考え、飲み物を買ったらさっさと退散しようと思ったときその話し声に聞き覚えがあることに気付いた。聞くつもりはなかった。ただその声の主を確認したかっただけで。

(四季と──……愛理……?)

姿を確認した後、隠れるようにして扉の近くに立つ。立ち去らなければいけないと言う意識があるのにその組み合わせについ足を留めてしまった。彼ら二人で話し合っている姿を見るのが初めてではなかったからだ。

わけがわからず、心音が一つ大きく鳴る。その鼓動を抑えるように胸元を握りしめた。こんな自分嫌だ。この場から離れなければいけないのに、身体が意識と乖離しているのか足を動かすことが出来ない。聞いてはいけない、聞きたくない、はずなのに。

途切れ途切れで声が聞こえる。何とかまだ聞いてはいけないと言う意識が働いているからか耳に届く声はぶつ切りだ。そして耳にしてしまった。

「…………──あたしは、……好きだもの」

愛理の、声だ。彼女の目の前に立っている人物を思い浮かべて息を呑んだ。心音が速くなっていくのがわかる。身体も強張り、聞こえてきた単語に目を見開く事しか出来なかった。

────愛理が、四季を……好き……?

そういえば、修学旅行前にも二人で話す姿を目撃していた。四季が愛理の腕を掴んでいたこと。そのせいで胸に靄がかかったことを。

(! また……っ!)

渋面を浮かべ、さらに強く胸の前で手を握りしめた。また靄が広がる。胸が締め付けられるようだ。こんな気持ち嫌だ。関係ないはずだ、自分には。ただ、幼馴染みと同居人が話をしているだけなのに。なのになぜ、こんなに苦しくなるのだろう。早くこの場から立ち去りたい。立ち去らなければならないのに。ぎゅっと目を瞑る。

自分にとって、二人は大切な友人だ。だとしたら二人が仲良くすることは喜ばしい。そのはずなのになぜこんなに心が揺れるのか。解らない。感じたことのない感情に嗚咽が漏れそうになるのを必死に堪える。何がこんなに苦しくさせるのか。

(愛理は、大切な幼馴染みで──……四季は同じ守護者なだけ。それだけ、だもん……)

そうだ。自分にとって彼は同じ使命を持つ者でしかない。だから自分が彼の想いを知っても仕方のないことだ。今後このようなことが続くなら、恐らくこれ以上干渉すべきではない。そう考えた瞬間にふと衣奈の言葉が脳裏に浮かんだ。

──『傷付くのが怖いから距離を取っておきたいんじゃない?』

思い出した言葉に苦い顔をする。彼女の言う通りだ。誰かの領域に必要以上に足を踏み入れることが怖い。だから線を引いておきたかった。

一度は踏み込もうと決めた。それでもやっぱりダメだ。自分本位で動いても、正しい結果は得られないのだと。そのことは他の誰より────。

(わたしが一番……──わかってたはず、なんだけどな……)

誰も見ていないところで美都は一人苦笑する。自業自得だ。求めてはいけないと知っていたのに。期待してはいけないと、学んでいたじゃないか。だからこんなに苦しいんだ。

美都は一度深呼吸する。大丈夫。いつも通りできるはずだ。何も考えず、何も感じずに。今までだってそうしてきた。だから大丈夫だ。

そう自分に言い聞かせた後、美都は何も手にせず気付かれないようにその場を後にした。




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