見知らぬ想い
紫陽花の花が、電車越しでも咲き誇っているのが見えた。綺麗だなとぼんやり見つめながら昨日の出来事を思い出す。
あの後何となく気まずくなってしまって、四季とはまともに会話が出来ていない。その様子を不思議に思ったのかホテルの部屋に着いた途端、春香とあやのから質問攻めにされた。自分だけの出来事ではないので口に出すのが憚られたが、彼女たちの強い押しの前に話さざるを得なかった。
「腕を掴まれたぁ!? しかも2回目!? 」
「う……、うん」
「待って待って、1回目はいつ!? 」
口に出したのを早まったかと思うほど、興味津々といった様子で春香が前のめりに疑問を投げてきた。
「連休の時……」
「だいぶ前じゃん! どこで!?」
「……保健室」
自分の言葉を耳が裂けそうな程大きな声で二人が復唱した。隣の部屋まで聞こえていないといいのだが。まだ消灯までに時間があるから大丈夫だとは思うがあまり人に聞かれて良い話ではない。矢継ぎ早に繰り出される問いに口をまごつかせながら答えていく。
「何で言ってくれなかったのよ!」
「だって! その時はただの言い合いだったんだもん。わたしも頭に血が上ってたし……」
「何かあったとは思ってたけど、まさかそんなことがあったなんて……やるじゃない四季」
春香は謎に四季の行動に感心している。その場にいた自分としては居た堪れない気持ちでいっぱいだったのだと訴えても恐らくは時効だろう。
「して、2回目がさっき? 何でそんな気まずそうになってんの?」
思考を休ませる時間も無く、春香が次の疑問を口に出した。あの後合流した彼女は現場を目撃していなかったようで、その時の詳細を話せと言わんばかりだ。
美都は眉を下げて唇を噛み締めた。仕方なしと思いベッドに腰を掛けながら、当時の状況を説明する。彼の行動に驚いてつい振り解いてしまったことを。
「はー……なるほどねぇ。振り解いたのは何で? 別に触られるのは問題ないんでしょ?」
「そう、だけど……なんかちょっと……気持ち的に……」
「嫌だったと?」
この質問には既視感がある。そういえば弥生にも同じようなことを訊かれたのだった。彼女にはいずれ答えが出ると言われていた。だから考えないようにしていたのに咄嗟のことで判断が鈍ってしまったのだ。
嫌だったわけではない、はずだ。そう考え春香の質問には首を横に振った。彼女が首を傾げるのも頷ける。自分でもわからないのだ。触れられるのは問題ないのに掴まれることには動揺するだなんて。ハァと小さく溜め息を吐く。
「んーわかんないなぁ」
「何が?」
「美都のその反応。好きな人に触れられれば嬉しいものじゃない?」
唐突に口を開いたあやのの言葉に目を丸くする。ある単語が引っかかり一瞬目を瞬かせたが直後にその言葉を否定するため立ち上がった。
「す……好きじゃないよ!?」
「え? 違うの? でも意識はしてるんでしょ?」
今度はすぐに否定することが出来なかった。意識しているのかと問われたことが初めてだったからだ。頭が混乱してくる。意識しているから動揺するのか。だから顔が熱くなるのか。答えが出せず戸惑っていると春香がそれを察したように美都に問いかけた。
「美都は四季のこと嫌い?」
「……嫌いじゃない、けど……ただ……」
「ただ?」
「──……怖い。近付くのが」
自分の答えに目を伏せる。そうだ。他人との距離感を測り損ねるのが怖い。
四季は大切な存在だ。それは同じ守護者として。そう思っていたい。そう思っていなければ今までのように同じ家で暮らすなんて困難だ。だから互いの領域に踏み込み過ぎないよう距離をとっていなければ。
「そんな噛みつかれるわけでもあるまいし」
「……四季が考えてることなんてわかんないよ」
「わかんなくて当たり前でしょ。人間なんだから」
そう言われてしまえばぐうの音も出ない。その通りだ。他人の考えていることなんて全て分かるはずがない。春香に諭されて自分が子ども染みた考えをしていることに気付かされる。
「わかんないよ……だって誰かを好きになったことなんてないもん……」
苦い顔をしたままおもむろに呟く。今まで感じたことのない気持ちだからわからなくて怖い。
その呟きに春香とあやのは目を瞬かせていた。二人で目を合わせた後何か相談するように自分に聞こえない声で話し合っている。やがて打ち合わせを終えると二人揃って自分の方を向き肩に手を置いた。
「美都、獅子の子落としよ!」
「は? なに?」
「または可愛い子には旅をさせよ。今ちょうど修学旅行中だし」
「旅と旅行は違う気がするんだけど……」
キョトンと目を丸くした。
うんうんと頷く二人を前に、なるべく冷静に対応するが彼女らは聞く耳持たずのようだ。
「とにかく! 明日一日、なるべく四季と共に行動すること!」
「え? ちょ、ちょっと待って。何で今の流れでそうなるの!?」
「だって班員の二人が気まずいと私たちも気ぃ遣うしねぇ」
うっ、と言葉を詰まらせる。確かにこの空気を班に持ち込むのは良くない。完全なる私情だ。眉間にしわを寄せて考えていると春香が突如腕を引き耳元で囁いた。
「それに、あやのとナベくんを二人っきりにしなきゃいけないんでしょ?」
「何でそれを……!」
「そんなの見てればわかるわよ。ちょうどいいじゃない、男女のペアで」
春香の言葉にギクリとする。さすがに察しが鋭い。だが丸一日四季と共に行動するなんてとても受け入れられる話ではない。そもそも学校でも私生活でも共有時間が多いのだ。できれば修学旅行の班だって別が良かったと思う程だ。断固抗議しなければ。
「待って春香。じゃあわたしが和真とペア組むから」
「それじゃいつもの幼馴染みごっこでしょ! それに私は四季と特別話すことなんてないんだし」
「わたしだってないよ!」
「美都はなくても、四季はあるかもしれないでしょ」
男女のペアならば和真の方がマシだ、と思い提案したものの春香に呆気なく一蹴された。そして彼女の言葉に目を丸くする。四季が自分に話をしたいことなんてあるのだろうかと瞬間考えてみたがやっぱりそんなこと有り得ないと自己完結し更に春香に詰め寄る。
「ないって! あったとしても学校で言えば済むことじゃない!」
「もー美都。よく考えてみなさい。ナベくんが何で修学旅行を選んだと思うの?」
はたと目を瞬かせる。秀多がわざわざ修学旅行であやのにアプローチをする理由は、と思考を巡らせた。導き出される答えを口に出す。
「……いつもと雰囲気が違うから?」
「その通り。とにかく一度四季に聞いてみなさいな。そのモヤモヤは本人と話さないと取れないわよ」
第三者からの冷静な分析に美都は為すすべなく項垂れた。彼女のいう通り、せっかくの旅行なのにこのままこの胸の靄と付き合っていたくはない。苦い顔をしたまま唇を噛み締めていると春香がやれやれといった表情で自分の額を小突いた。
「それから、明日その顔禁止だからね」
「春香ぁ……」
「大丈夫だって。いざという時は助け舟出してあげるから!」
相当情けない顔をしていたのだろう。鏡を見なくとも眉が下がっているのは自分でも良くわかっていた。春香は指の甲を使い、美都の眉間に寄ったしわを伸ばすように上下させた。彼女に縋るように美都は上目遣いで見たあと、渋々と納得するように小さく息を吐いた。
それが昨夜の出来事だ。色とりどりの紫陽花が線路沿いに咲いている様を車内から眺めながら思い出していた。
「……──て、ってちょっと美都!?」
「え? あ……!」
遠くで聞こえる自分の名を呼ぶ声に反応した時には既に遅かった。非情にも電車のドアが閉まる様を見届ける。そう言えば何度も「降りるよ」という春香の声を耳にしていた気がする。完全に自分の不注意だ。自分だけ車内に取り残されてしまった。他の班員が駅のホームで佇んでいる様が見える。駆け寄ったドア越しに「ごめん」と口パクで伝え頭を下げるとすぐさまスマートフォンを取り出した。幸いにも江ノ島電鉄は駅間の所要時間はそう大して掛からない。次の駅で折り返す、とあやのに連絡を入れた。
電車のドアにもたれながら今朝から封印していた溜め息をここぞとばかりに繰り出す。迷惑をかけてしまったことに対して申し訳ないという気持ちが強くなる。
(ダメだなぁ……)
考えだすと止まらなくなるのは悪い癖だ。己の不甲斐なさに辟易としているとあっという間に次の駅に到着し、一人で電車から降りる。都内の路線とは違い江ノ島電鉄は単線だ。降り立った駅にはホームがここしかないようで、時刻表を確認して戻る電車を待った。商店街が近いのか活気ある声が耳に届く。知らない土地で自分一人なのは何だか不思議な感じがする。
「美都ちゃん?」
不意に名前を呼ばれた。声のした方を見ると同じ学生服を着た団体の中から衣奈がひょこりと顔を覗かせた。驚いて彼女の名を呼ぶと自分の方へ駆け寄ってきてくれた。
「どうしたの? 他の班の子は?」
「実は……」
こうなった経緯を顔を引き攣らせながら説明する。衣奈は素早く状況を理解するとちょうど同じ方面に向かう電車だったらしく一緒に待ってくれることとなった。お礼を伝え肩を並べて線路を眺める。
「ねぇ衣奈ちゃん……訊いてもいい?」
「? うん。なあに?」
この持て余した思考を訊くとしたら彼女しかいないと思っていた。ちょうど良いタイミングだなと天の采配に感謝しながら伺いを立てると衣奈は快く了承してくれた。
「前に好きな人がいるって言ってたでしょ? その人を好きになったのって……その人が好きだって自覚したのって何か理由があったの?」
なるべく他の生徒に聞かれないよう、衣奈にだけ聞こえる声で訊ねた。すると彼女は一瞬目を瞬かせる。そしてすぐにその顔に笑みを零した。
「……気になる人でも出来た?」
「う……、わかんない。だから知りたくて……」
「そっかそっかー。なるほどねー」
そう言いながら衣奈は空を仰いだ。旅行中の降水確率は確か50%だったはずだが予想は大きく外れ、澄み渡った青空が覗いている。何かを考えるように遠くを見つめる瞳にはその空が映っている。彼女の出方を見守っているとしばらくしてふっと微笑んだ。
「何だったかなぁ。忘れちゃった」
「え!? ほ、本当に?」
「ふふ、半分冗談で半分本当」
衣奈ははにかんで肩を竦めた。彼女の回答に目を丸くしていると、おどけたように上目遣いをして自分を見つめる瞳と視線を交わした。
「あのね、気付いたら好きになってたの。もちろん気になるきっかけはいっぱいあったよ?」
「その……きっかけって?」
「──気付いたらその人のことばかり考えてた」
その言葉に心音が一度大きく鳴る。あくまで衣奈のことなのに見透かされたような気がして動揺してしまった。思わず自分の胸の前で手を握りしめる。昨日あやのに言われたことを不意に思い出した。好きではないと否定した後、意識はしているのだと諭されて自分がわからなくなったのだ。
好きかと問われた際に咄嗟に否定した。彼のことを考えるのは距離を測っておきたいからだ。近づき過ぎないように、ちゃんと明確な形にして。
「好きだなって自覚したのは、その人のことを考えたときに自分がどうありたいかって思って出した答えかな」
「答え……?」
「うん。何だと思う?」
衣奈が逆に美都に疑問を投げかけた。そう訊かれるとは思っていなかったため戸惑いながらもその問いの答えを考える。
自分がその人にとってどうありたいか。もし彼のことが好きならばどう思うだろう。今よりも近い距離感で話が出来るようになるだろうか。彼は嫌がったりしないだろうか。
頭を悩ませているとその姿を見た衣奈がクスクスと笑った。
「簡単だよ。あのね、誰よりも傍にいたいって思うこと」
「……それだけ?」
「うん。でもねそれって難しいことだと思わない?」
再び投げかけられる衣奈からの疑問に首を傾げた。考えるより先に彼女が説明を始める。
「だって向こうも好きとは限らないんだよ? もしかしたら迷惑に思われるかもしれないし。でもそんなことを抜きにしても、その人の傍にいるのが自分じゃなきゃ嫌だって思うの。他の誰でもない、自分が隣にいたいって」
彼女の言葉を反芻するように目を瞬かせた。誰よりも傍にいたいと思う気持ち。自問自答してみる。恐らくそんなに強い気持ちは無い。むしろ逆だ。今はただ近付くのが怖いと思っているのだから。その気持ちに関してはどうなのだろうか。そう思って素直に疑問を口にしてみる。
「ねぇ衣奈ちゃん……わたしねその人に近付くのが怖いの」
「なんで怖いって思うの?」
「……勘違いしてしまいそうで」
言いながら目を伏せる。彼は優しいから。ただ同じ家で暮らしているだけで他の同級生よりも近くに感じてしまう。だがそれは間違いだ。そう思っていないと関係性に歪みが生じてしまう。
衣奈は美都の困惑した表情を見逃さなかった。
「勘違いしちゃダメなの?」
「ダメだよ……だって今の関係じゃいられなくなっちゃうんだもん」
「──美都ちゃんが思ってるそれって、近付き過ぎて傷つくのが怖いっていう意味なんじゃないかな」
「……!」
傷つくのが、怖い?その言葉に表情が固まる。
「傷つくのが怖いから距離を取っておきたいんじゃない?」
続く衣奈の言葉に更に声を詰まらせた。即座に否定出来ないのは、心の奥底でそう思っているからだ。求め過ぎてはダメなんだと、知っているから。
答えられずに硬直していると車両が到着するアナウンスが流れ始めた。衣奈が無言で近づいて来る様を呆然と見つめる。
「……ダメだよ美都ちゃん。それじゃあ前には進めないよ?」
考えていることを見透かされたような気がして、顔を紅潮させる。自分はいつからこんなに変化に弱くなったのだろう。環境の変化ならつい先日体感したはずだ。それなのに気持ちの変化について受け入れることが出来ない。衣奈の言うことこそもっともだ。立ち止まってしまっている現状では前に進むことが出来ない。
到着した電車のドアが開く。傍に立つ衣奈が美都を促すようにして車両に足を運ばせた。
そのまま向かい側のドアの際まで歩く。向かい合わせになる体制で改めて衣奈を見た後、不意に目を逸らし眉を下げた。
「わたし、……どうしたらいいんだろう」
「美都ちゃんって、素直なのに捻くれてるよね」
「えぇ……?」
衣奈がクスクスと笑う。彼女の言葉に矛盾を感じて戸惑っていると乗った車両が動き出した。
「怖がらずに踏み込めばいいんだよ。そしたら自ずと見えてくるものがあるはずだよ」
そう言って衣奈がにこりと微笑んだ。柔らかい空気が彼女を包んでいるようだ。電車のガラス越しに陽射しが差し込む。
「ほら笑って。大丈夫だよ、美都ちゃんなら。私のこと誰かに聞いたことない? その私が言うんだから。ね?」
衣奈は自身のことを挙げて美都を励ました。彼女が言うのは恐らく彼女自身の警戒心の話だ。以前、凛に聞いたことがある。衣奈は警戒心が強く、親しい友人を作らないと。だから彼女が色々話してくれることが嬉しかった。今もこうして自分の相談に乗ってくれていることも。
美都は衣奈に言われた通りふっと笑みを零した。
「……ありがとう、衣奈ちゃん」
「どういたしまして。また進展あったら教えてね」
彼女が話してくれたことを全部出来るかはわからない。それでもひとまず一歩足を出してみよう。そうしなければわからないこともきっとあるはずだ。
この感覚は最初に宿り魔に遭遇した時と似ている気がする。怖いと言う気持ちは簡単には拭えない。だから今自分に出来ることは。
(ほんの少しの勇気、か──……)
自分の中に落とし込むように頷いた。出来るはずだ。だから今も宿り魔と戦えているのだから。
「そう言えば、衣奈ちゃんたちの班はどこ行ってたの?」
あと少しで目的の駅に着く。自分の話ばかり聞いてもらって申し訳なかったなと思いながら気分を変えるために衣奈の話を聞き出した。
「満福寺だよ。源義経と武蔵坊弁慶ゆかりのお寺」
「そうなんだ……さすがに詳しいんだね。源平合戦、だよね?」
「うん。鎌倉は源氏所縁の場所が多いからね。歴史好きだと楽しいよ」
位置的には江ノ島に近いのだが、やはり古都だけあって史跡が多いようだ。社会の授業では日本史は深くは習わない。特に源平合戦あたりはその直後の源頼朝が建てた鎌倉幕府の方が印象に強くどうしても知識が浅くなってしまう。さすがに衣奈は勉強熱心だなと思い感心した。
義経というと連想ゲームで静御前にたどり着く。静と言えば四季だなと思うようになった。名付けたのは自分なのだが。
「そう言えば四季も……、……っ!」
詳しかったな、とぼんやりと考えていたことがつい口に出る。その瞬間にしまったと口を押さえた時には遅く、何かを察した衣奈がクスクスと笑っていた。
「やっぱり向陽くんなんだ?」
「──……」
今の話の流れからして、名前を出したことで四季に紐づけられるのは必至だ。あまり知られたくないから固有名詞を出さなかったのに。衣奈の問いに否定できず苦笑いを浮かべる。
「大丈夫だよ。内緒にしてる。そのかわりちゃんと報告してね?」
「う、……うん」
電車は間も無く先程の駅に戻る。そうすればまた彼と顔を合わせることになるのだ。今朝から一度も会話をしていない。彼も話しかけてはこなかったからだ。
それでも向き合うしかない。怖がっていては前に進めないのだ。彼がどう思っていようと、自分は自分の気持ちを知らなければならないのだから。
◇
「かずまー」
「んあ?」
砂浜に足をつけた途端、背後から間延びした声が聞こえる。その声に応じるよう目線を傾けた。
「あんたさぁ、昨日四季になんか言った?」
そう訊いてくるのは春香だ。彼女も大概世話焼きだなと思う。前方には少し距離を空けて秀多とあやのが波打ち際まで歩いていく様が見えていた。これも彼女による采配だろう。
「おー。なんか沈んでたから浮かせといたぞ。そっちは?」
「こっちも同じようなもん。やれやれだわねー」
言いながら春香は肩を竦める。内容は若干違いがありそうだが彼女も同じようなことを聞いたのだろう。
自由行動の後、明らかに空気がおかしくなっていた。自分が愛理を留めている間何かあったに違いないと察しホテルに着いて半ば強引に事情を聞き出したのだ。
「ねぇ……あの二人修学旅行中にくっつくと思う?」
「まー無理だろうな。美都の方が」
「だよねぇ。いいところまでは来てるんだけどなー」
至って冷静な分析に同意しながら顔を顰める。いいところまで来ている、というのは頷ける。嘗てこれ程までに美都が特定の異性と近くにいることはなかった。もちろん幼馴染みである自分を除いて。だから戸惑っているのだろうと思う。だが良い傾向だ。彼女は無意識に他人と線を引きたがるから。その理由もわからなくはないが。
別にここまでする必要はないのだが、幼い頃から見てきているだけにやはり情が湧いてしまう。立ち止まっているよりは進んだ方がいいに決まっている。どうせ来年になれば顔を合わせることもそうそうなくなるのだから。
「春香チャンさー」
「ちゃん付けやめてよ気持ち悪い。で、何?」
「自分のことはいいわけ?」
おもむろに春香に問う。他人のことばかり気にかけているように見えるが彼女にも自身の生活があるはずだ。彼女は頭の回転が早く、先回りして物事を捉えることが出来る。それだけにそういう役割になりやすいように見える。
その問いに春香はキョトンと目を瞬かせた。
「何を今更。わたしはいるもん、学校外に」
「え!? ……うわー、春香チャンおっとなー」
初めて聞く情報に今度はこちらが目を丸くする。これにはただただ心の中で拍手するしかない。それもそうか。そうでなければここまでの余裕は生まれないかと逆に納得した。
「それよりあんたの方でしょ。期限決まってんだから」
「あー……まあなぁ……」
何も言っていないはずなのに気付いているのはさすがだなと思う。小学生の頃からの付き合いなのだから然もありなんか。だが気付いているのは春香だけだろう。美都は今自分のことで精一杯のはずだから。
「無理だろうな。こっちのことが片付かん限り」
「こっちって美都たちのこと?」
「そういうこと。だから優先順位的にはこっち」
早いとこ方が付いてくれれば良いのだが、こればっかりは人間の感情が関わってくるので如何せんある程度までしか手出しができない。しかもよりにもよって美都だ。あの鈍感娘を好きになるなんて四季も茨の道を進んだもんだなと感心する。しかし逆に彼で良かったとさえ思う。知り合って2ヶ月しか経っていないが人となりを知る上では十分な時間だ。まあまだどうなるかは分からないが。
「というわけで引き続き協力よろしく」
「そりゃもちろんだけど。大変ね、幼馴染みも」
そう、大変なのだ。妹のような幼馴染みを二人も持つと。自分も大概過保護だなとは思う。一人は鈍感で一人は暴走列車で。全くこっちの気苦労も知らないで。
春香の言うようにこっちは期限が決まっている。もちろん今生の別れではないがこの機を逃すとまた当分持ち越しになるのは必至だ。だがベクトルが自分に向いていない以上、目先の問題をなんとかする必要がある。幸いなのは協力者がいることだ。それも見るからに心強い。
砂場に足を持っていかれそうになりながら、水平線を見つめる。残す旅程は1日半。それまでにもう少し距離を詰めさせたいところだ。