第三十九夜 地下迷宮の薄暗闇。
ぽたぽた。
こぽり、こぽり。
酸の雨だろうか。
洞窟内を侵食していく。
ラトゥーラは敵の攻撃から逃げ続けていた。
地下の穴はまるで迷宮のようになっており、ただひたすらに、ポロックの作り出した邪悪な構築物から逃げ続けるしかなかった。
悲鳴や啜り泣き声が止まらない。
地下洞内に反響していく。
怪物と化した幼い子供達の死体のこだまが鳴り響いている。それはまるで歌声のように、合唱曲のように響き渡り、ラトゥーラの心を苛んでいく。
ラトゥーラは崩れ落ちそうになる。
どうすれば、この化け物達を倒せるのだろう?
どうすれば、この化け物達を解放してあげられるのだろう?
地獄絵図ばかりが広がっている。
ぽたり、ぽたりと、何かが這いずり回る音が鳴り響く。
あらゆる負の思念、それらが唱和していく。
ラトゥーラも彼らの悲鳴に心が飲み込まれそうになる。……折れてはいけない……、この敵は倒さなければならない。
ラトゥーラは右手から炎の剣を生み出していく。
まるで、生命の灯火のように温かい。確かこの力の名を付けたのはヴァシーレだったか……。
それにしても、こんな公園近くの地下に、一体、いつの間に洞窟を掘ったのか。ポロックという女は前から計画していたのか。
……もしかすると、以前から、何かに使われていたものを再利用しているのだとすれば……?
普通に考えれば、元々、下水道か何かを製作しようとしていたのを利用したのではないだろうか。ならば、下水道か、あるいは運河へと続くルートがあるのではないか?
ラトゥーラは風の音を聞いて、この地下洞から出られる場所を探していた。
<出口を探しているのか知らないけどねぇ。一つ忠告しておいてやるわ。ひゃははっ、知恵が足りてねぇからなぁ>
<ラトゥーラ。違うねぇ。此処は前持って、あたしが部下達を派遣して、密かに改築していた場所だよぉ。別に此処だけじゃねぇ、メリュジーヌの至る処に密かにこのような処刑場は作っている。別にあんた個人を狙って作ったわけじゃねぇえ。ウォーター・ハウスだろうが、コミッションの連中だろうが構わないんだ。たまたま、あんたを始末出来そうだから、この処刑場に陥れたってだけだ>
<ラトゥーラ。テメェを生きながら引き裂いて、こいつらの仲間入りさせてやるよ。ボロクズの腐肉と化しながら未だ生き続けているテメェを見せられて、ウォーター・ハウス共はどんな気分になるんだろうな? どんな気持ちになるんだろうなあぁ? なあぁ? おい? 楽しみだよなぁ? なあぁ?>
まるで、果実が実っているかのようだった。
だが、とてつもなく邪悪なものだ。その声達に蝕まれそうになる。
ラトゥーラは必死で、この迷宮から出る場所を探した。
自身の能力をどうにか、利用出来ないだろうか。
ラトゥーラは掌から、炎を生み出す。
…………、風。
風が吹いている場所ならば、出口が近いかもしれない。
洞窟内で、悲鳴が反響している。
耳を傾けてはいけない。
とにかく、逃げ続ける事に専念する事にした。
出口へと…………。
†
「ベッドから起き上がってきたか。残月」
幼い童女の姿をした女は振り返る。
「素直に寝てもいられなくてね。此処は闇医者の病院の中かしら? どうやら、大きな建物の……そう、地下施設みたいだけど」
病院着に包まれた残月はシガレット・ケースを取り出す。
彼女はライターを探し始めて見つからない事に気付き、少し落胆しているみたいだった。
「そういう事だな。腹の傷はいいのかあぁ? 残月ちゃんよおぉ」
「もう、煙草も吸えるわ」
「撃たれたの数時間前だろ。寝ておけよぉ、なあぁ? 元売女の立ちんぼがっ! あんた、鼻と頬、整形してるだろおぉ? あんたの昔の写真持ってるぜ、いつか、あんたの周りに晒して配ってやるよ」
ポロックの挑発的な発言に、残月は首を小さく横に振る。
「火無いわねぇ……ジッポライター、落としたかしら。一応、訂正させて貰うけど、整形は本当。豊胸もしてる。でも、街娼やっていたのはデマだから。昔、自傷行為とタトゥーのせいでAVの面接も落とされたしね。あたしは顔悪かったんで、コークやチョコレート売ってた」
「ドラッグ一筋ってか? それでこの世界で伸し上がったと? いや、いやいやいや、本当に、あんたはイイ女だよなああああぁっ! 上玉ってか?」
ポロックはなおも挑発を続ける。
残月は話を切り替える事にした。
「一応の理念として、ムルド・ヴァンスは一般市民を多く巻き込む事を好んでいない。ああ、そうだ、オルガンのクソババア、ちょっと火貸してくれない? あたしのいる場所は禁煙ルームが存在してはいけないのよ」
しばしの間、残月とポロックは睨み合っていた。
互いに、いつでも相手を殺せる、そのような挑発のし合いをする。
「どいつもこいつも分かってねぇよなあ。あたし達はマフィアだ」
ポロックはニタニタと笑っていた。
「残月。テメェなら分かってるだろーがよおぉ。あたし達の世界は一般市民じゃあねぇんだ。義理や人情なんかじゃあ動かねぇ。全ての価値の頂点は、金。数字がものを言う世界なんだ。あたしは色々な連中を踏み潰してきた。市民の平穏なんざくだらないね。あたしが全部、踏み潰してやるよ」
そう言って、ポロックはゲラゲラ笑う。
「なあ、おい。残月、あんたなら理解してるだろ? 麻薬カルテルを支配してきたんだからなあっ! モノすげー汚い事して、モノすげー大勢の人間を不幸においやってきたんだからなあ。綺麗事なんざいらねぇ筈だよなあぁ? あんた、今更、大量にジャンキー作って、あんたらの言う一般市民とやらを大量に廃人にした事、棚に上げてんじゃねぇよ!」
そう言って、ハートレス・アンデッドはゲラゲラと笑う。
壊れたように高笑いを上げ続けていた。
「あたしらの世界ではなあぁ。身寄りの無ぇえ、五、六歳くれぇのハナタレのガキ共に混ぜものばかりのスピード喰わせてよおぉ。どういう風に痙攣するのか観察して、そいつの孔を大の男のブツを何度も何度も刺突する。泣き叫んだら、ベルト使って、そいつの歯を一本、一本折っていく。そうやってハナタレ共はこの世界の真理ってものを知るんだ。弱肉強食の世界に生まれ落ちて、ただ、そいつらは狩る側の奴らに貪られるだけの食肉だって事をな。それを今、大都市で大規模に行っている。それだけなんだ」
ポロックは残月を挑発するように、囁きかける。
残月は煙草に火を点ける。
「ポロック、あたしは十代の頃、この世界のルールを知ったさ。強ければイイ汁を吸い、弱ければ踏み躙られる」
しばらくの間、残月は紫煙を燻らせていた。
「ケイトの口からも聞いただろ。なあ、残月。“小便臭いメスガキ”が。あたし達の側に付けよ。そうすれば美味しい思いも出来る。安心だってある。全ては心の平穏によって彩られるんだ。実質的にコミッションを指揮していたムルド・ヴァンスの時代は終わった。奴らを踏み潰してやるよ。あたしは強い側に付くんだ」
そう言って、ポロックはまくし立てていく。
「あんたは、ウォーター・ハウスが始末するだろうね」
残月はぽつり、と、そう言った。
「二手も三手も踊らされているのさ。奴らは」
ハートレス・アンデッドはそう返す。
残月は、何処かポロックの声に自嘲が混ざっている事を聞き逃さなかった。
「処で此処は何の建造物の地下なのかしら?」
残月は訊ねる。
「いずれ分かるさ」
ポロックは不敵に笑う。
そして、ポロックは上の階へと向かっていった。
残月は、煙草を吸い終えると、大きく溜め息とも欠伸とも付かない吐息を漏らし、素直に寝かされていたベッドへと戻る事に決めた。
†
光が差し込む下に、ポロックが佇み、ラトゥーラを見下ろしている。
やはり、ホログラムだ。本体は別の場所で彼を見て嘲笑っているのだろう。
彼女の服の胸元の骸骨がカタカタと笑っているように見えた。
<よく此処まで来ました。ラトゥーラ、なあ、ラトゥーラ、こっから先に出口はあるぜぇ、よく見つけたじゃあねぇの? あんた成長したんじゃねぇの? 中々、中々、凄いとポロは思ったねえぇっ!>
ラトゥーラは炎の剣を握り締めていた。
炎はねじくれ揺らめき、渦巻いていく。
<褒めてやるよ、ラトゥーラ。だが、此処で肉塊になって貰うねぇ、ひゃはははっ! テメェの手足を残骸共に縫い付けてやる。テメェの心臓、腎臓、膵臓、小腸、大腸、晒しものにしながら、暴君に差し出してやる。生きた屍と化したテメェを殺さざるを得なくなる暴君と赤い天使の顔が見てぇえんだ。なあ。おいっ!>
そう言うと、ポロックの背後から一対の巨大な腕のようなものが這い出してきた。
「表に出て、僕と戦えっ! この卑怯者がっ!」
炎が渦巻いていく。
ラトゥーラの振りかざした炎の剣が、竜巻のように辺りに渦巻いていく。
巨大な腕は岩石と融合しているみたいだった。
二本の腕が、ラトゥーラへと掴みかかろうとする。
だが、ラトゥーラは炎の剣を岩盤の一部へと放り投げた。
巨大な岩石が降り注いでいく。
ポロックの生体兵器である、腕の怪物は岩石の下敷きになっていく。
ラトゥーラはその隙に、外へと這い上がった。
ホログラムのポロックは明らかに舌打ちしていた。
<おい。ラトゥーラ、あんた、このポロックと直々に特別に戦わせてやるよ>
「本体の場所を言えっ! この卑怯者っ!」
<ああ、言ってやるよ。あたしの本体の場所は…………」
ラトゥーラの耳に信じられない言葉が聞かされる。
…………、やはり、そういう事なのか。
そういう事だったのか。
ウォーター・ハウスが言っていた事は、本当だったのか。マフィアと政府は繋がっている。マフィアと権力は繋がっている、と。
ポロックは、この国メリュジーヌの一番、大きなTV局の中で待ち構えていると告げたのだった。……その事をウォーター・ハウスに、仲間達に知らせなくては…………。
ポロック




