第二十七夜 マイヤーレのお城の中。『最初の本』 ニスナス 1
『ア・シン』によって敵の悪意を探知していく。
物陰に隠れながら、シンディは城の中を進んでいく。途中、マフィアの構成員達と遭遇するが、彼らの顔に大量の蝶を当てて前に進んでいく。
この城の奥にマイヤーレのボスであるエスコバーレがいる筈なのだ。
通路の奥へ、奥へと進んでいく。
彼女の能力によって、悪意や敵意は探知出来る。そして、敵の配置から、この建物の構造をある程度、把握する事が出来た。
「レスター様の情報だっ! 奴らはこちらに向かっているっ! いや、既にこの城の中へと入り込んでいるに違いないっ!」
自動小銃を持った男達が複数名現れる。
監視カメラを見つける度に、カメラのレンズに蝶を飛ばしていく。
シンディは既に敵の動きを予測していた。
天井はそれなりに高い。
彼女は大量の蝶の上に乗り、マフィアの構成員達から姿をくらませていく。
港町でウォーター・ハウスが尋問したマイヤーレの幹部は、ボスであるエスコバーレは城の地下三階の中央の部屋にいると言っていた。部屋から出て来る事はなく、つねに片腕であるサトクリフがボスの代理をしているのだと。
地下一階、地下二階。
シンディはマイヤーレのボスの下へと確実に近付いていた。
もうすぐ終わる。……終わる筈だ。
地下三階の階段を降りる。
護衛しているマフィア達の顔に、大量の蝶を飛ばしていく。彼らは困惑しながら、どうにかして、蝶を払い除けようとしていた。
三階の奥。
扉があった。
鍵が掛かっている。
シンディは途中、拾った拳銃を手にして扉に撃ち込んでいく。
扉の中には、悪意や敵意といったものは無い。
ただ、一人人間がベッドの上に横たわっていた。
「…………、此処は……?」
彼女は部屋を見渡す。
医療器具が置かれている。
一人の老人が呼吸器を口にして眠りに付いていた。
「これは…………?」
彼女は首を傾げる。
背後から、一人の男が近付いてくる。
纏わり付いている蝶を、何とかして、引き剥がそうとしていた。
「あんた、俺達マイヤーレを狙う連中か…………」
男は何とかして、自動小銃の焦点をシンディに向けようとする。
「この人は……?」
シンディは振り向かず訊ねる。
「そこで眠っている御方は、我々、マイヤーレのボスであるリズルド・エスコバーレだ。俺は彼の下で幹部をやっている」
「このお爺さんが…………?」
シンディは振り向いた。
そして振り向きざまに現れた男の脚へと拳銃の引き金を引いていく。
男の両脚に銃弾が命中する。男は激痛で銃を取り落とした。
かつり、かつり、と。
もう一人、男が現れる。
どうやら、手にしている刃物で、視界を奪う蝶を切り刻んでいるみたいだった。
「おい。ガキ。この邪魔なモノを俺から払い除けろ」
マイヤーレの大幹部であるサトクリフが現れる。
彼は部屋の入り口に転がっている男を蹴り飛ばす、男は悲鳴を上げた。
「私の名前はシンディ。近付かないで、これ以上、少しでも動くと、このお爺さんを殺すわ!」
シンディはサトクリフの顔を睨み付ける。
シンディの右手にはナイフが握られていた。
そのまま彼女はサトクリフを睨み付けたまま、右手のナイフを老人の胸の上へと、今にも振り降ろそうとする。
「近付いたら、この男を殺すっ!」
彼女は強く決意した声で言った。
「やってみろよ」
サトクリフは急に冷淡な声になって、くっ、くっ、と、笑い始める。
「俺達のボスは……。俺達がお守をしてきたがあ。……だが、エスコバーレを殺せば、NO2である、この俺が時期、ボスってわけだなっ!」
そう言うと、サトクリフはシンディに向かって飛び掛かる。
シンディはサトクリフによって押し倒される。
この巨漢の男はシンディの服を引き千切ろうとする。
「テメェを今、この場で辱めてやるぜ。ああっ? どうせ娼婦だろ。減るもんじゃあねぇえよなあ」
シンディは喉元を鷲掴みにされる。
サトクリフの背中が、ナイフで切り裂かれる。
ナイフを掴んでいた無数の蝶達が、大男の背にナイフを突き立てたのだった。
大男は思わず、痛みで転がる。
シンディは腰元の小さな拳銃を取り出して、引き金を引く。
銃弾は、サトクリフの左太股を貫通していた。大男は地面に倒れて悲鳴を上げ続ける。
シンディはナイフを手にした。
そして、サトクリフの首の辺りに振り降ろす。
†
彼女は眠っている老人の胸へとナイフを深々と突き刺した。
心電図が止まる。
シンディは返り血に塗れていた。
「やった…………」
彼女はしばらくの間、呆然としながら部屋の中にいた。
部屋の隅では、激痛でのたまっているサトクリフの姿があった。……首を傷付けるつもりが、背中の首皮一枚を滑らせて、ナイフは背中に突き刺さったのだった。……ウォーター・ハウスは敵を始末する時は、確実に首を落とせ、と言っていた。……無茶なアドバイスだった。……所詮、未成年の少女であるシンディの腕力では、大の男の首をナイフ一本で切断するのなんて不可能だった。……彼女は肉体強化型の能力者では無い……。
マイヤーレのボスである老人、エスコバーレは完全に死んでいた。
シンディは半分涙を浮かべながら、人を殺してしまった事に嘔吐して、部屋を出ていく。サトクリフが何とか起き上がろうとするが、脚を撃たれた為にマトモに立ち上がれないみたいだった。
サトクリフによって乱された服を直すと、這いずりながら、シンディは外に出る。
周辺に能力を張り巡らせる警戒を怠らない……。
「エスコバーレを始末したのか。お前…………」
いきなり、声が聞こえた。
何処か、柔和で優しげな声だった。
通路の向こうから足音が聞こえてくる。
『ア・シン』の悪意や敵意の察知に引っ掛からない。
身長が180センチを超える大柄の男だった。前髪は真っ白な二本の髪束を触覚のように垂らしている。
「あなた、は…………?」
「俺は『最初の本』。ニスナス。お前らが“マイヤーレのボスである老人、エスコバーレを殺害したら”俺が動くように“サトクリフから依頼”されている」
まるで、あの今にも息を引き取りそうな老人を殺害させるのは決まり切った事のような口調で男は言った。
「さっきの大男は……私達に自分達のボスを殺すように決めていたって事……?」
「そういう事だな。自分達では殺せない。面子の問題なんだろう。サトクリフや、その他の幹部達は、ずっとエスコバーレの地位を狙っていた。彼は病床に伏せる老人であったが、自らの手でボスは殺せない。組織のルールや名誉みたいなものがあるらしいからな」
男は淡々と説明していく。
「酷い…………」
「マフィア同士の信頼関係なんて、そんなものだ。下の人間はいつも上の人間の首を狙っている。ただマイヤーレでは、おおっぴらに殺したらいけないってルールを決めているだけなんだろう。次にボスになった奴は前のボス殺しの汚名を着たくないからな。だから、仕組んでいた」
男はシンディの前に立ち塞がる。
「私を逃がさない、って事……?」
「それが俺の与えられた仕事だから。……既に能力は発動させている」
シンディは震えながら、拳銃を手にしていた。
「そうだな。始末する。それが俺に与えられた命令だからな」
ニスナスは無感情にそう告げた。
シンディは後ずさりする。
この敵には悪意も敵意も、そして殺意も無い。
無機質にシンディを眺めている。
後ろにはサトクリフがいる。エスコバーレが死んで、見事に組織のボスとなるであろう彼は生き伸びようと必死で自身の太股を布で縛っていた。弾丸は骨の部位に撃ち込まれている筈だ。大手術が必要になるかもしれない。
そういえば。
シンディは考える。
サトクリフは“能力者”なのだろうか?
彼の能力はまだ見ていない。情報によると、この男が実質、マイヤーレのボス代理として権力を持っていた筈だ。何らかの能力を持っていてもおかしくない。
前にはニスナスという名の男がいる。未だ静かだ。
背後にはサトクリフ。
この通路は一方通行だった。……逃げ場は無い。
ざわりっ、と。床の砂埃が舞っていった。
ざわり、ざわり、と、砂が舞っている。
シンディは息を飲む。
何かが起こっている。この通路の中で。
シンディはどうにかして、この場所を離れようと考えていた。
来た道を戻るしかない。
なら。
ニスナスと名乗った男を倒すしか術は無い。
シンディは拳銃を現れた男の方へと向ける。
†
「マズイな…………」
ウォーター・ハウスは城の中に入って、壁を叩いていた。
壁がぼこりっ、と、崩れ始める。
「何が起こっているのか分からないが、敵側に俺達全員を全滅させようとしている奴がいるみたいだ。この敵の能力の全貌が分からない。壁が崩れている…………?」
ウォーター・ハウスは地面に舞っている砂を調べる。砂はまるで蛇のようにのたうっている。
グリーン・ドレスとラトゥーラの二人は、それぞれ炎の剣を生み出す。
「準備はいつでも出来ているぜ。敵を迎え撃つ為のな」
「僕もですっ!」
ウォーター・ハウスは壁や床を調べながら言った。
「レスターが落下する前に誰かに電話を掛けていた。……マイヤーレのボスか? ……それとも…………。まだ誰かいるのか? この城の中に……?」
ウォーター・ハウスは壁の形を眺めていた。
形が奇妙だ。
何か……人の顔のようなものが浮かび上がっている…………。
彫刻…………?
壁に彫刻しているのか……?
人の上半身のようなものが壁に彫られている…………?
ウォーター・ハウスは首をひねる。
鏡…………? いや……?
自分の顔だ。
暴君ウォーター・ハウス…………、彼の顔が壁には彫られている。
彼は後ろを振り返る。
「気を付けろっ! 何か分からないっ! この敵は一体、何をやっている…………!?」
グリーン・ドレスは片膝を付く。彼女は全身から冷や汗を流していた。
そして、右腕を見せた。
彼女の右手がボロボロに朽ち始めている……。
「ウォーター・ハウス…………。これさあ……。あなたの……殺人ウイルスだよね? 何故、私達に発動させる……? 止めてくれないかしらねえ……。なあ、ウォーター・ハウス…………」
グリーン・ドレスの顔は真っ青だった。
彼女の身体が殺人ウイルスによって、崩れ去ろうとしている。
ラトゥーラの方は、全身から火が点き始めていた。
「こっちの方の壁に…………、グリーン・ドレスさんの顔が彫られているんです…………。これに触れて…………炎が…………っ!」
ラトゥーラの肉体は発火し始めている。
ウォーター・ハウスは二人を見て思わず息を飲んだ。
……俺達の能力がコピーされている、だと…………っ!?
全滅…………。
彼の頭にその言葉が駆け巡っていた。




