第二十六夜 玲瓏の剣士レスターの『フラガラック』 2
半分が氷の零度によって漂白された地形。
それが、この渓谷だった。
長剣を携えるレスターの姿は、さながら女騎士ジャンヌ・ダルクを彷彿させた。彼の怜悧な顔が日差しによって輝いている。
グリーン・ドレスは両手に炎の剣を携えていた。
「さて。斬り合いますか? 私の剣と、貴方の炎の剣、交差させるのも良いかもしれませんね。貴方の炎の熱で、私の剣を溶かす事が出来るかもしれない」
騎士は余裕の表情を浮かべていた。
その瞳は完全に捕食者のそれだった。
グリーン・ドレスは翼の炎から、小さく何枚かの炎の羽根を飛ばす。
モールス信号のように予め決めていた、合図、だ。
ラトゥーラとシンディに対して“逃げろ”という合図だ。
ラトゥーラはその合図を無視する。
今はまだ正午……自分の『ムーン・マニアック』が十全に能力を発揮出来るような時間帯じゃない。逆に、太陽の光が照らしている為に、グリーン・ドレスの『マグナカルタ』が太陽光の熱を吸収してパワーアップ出来る。
「動かないのですか? もう少し、貴方は直情型だと聞いていたのですが?」
美麗の剣士は、炎の天使に訊ねる。
グリーン・ドレスは炎の剣を伸ばしていく。
「テメェの口にこれをブッ込む射程を探っていんだよ。ああ、喉に貫通させてやるぜ。カマ野郎ッ!」
レスターは露骨に不快感を露にしていた。
「後ろに子供二人いますよね? 岩と石柱……」
「さあな? 答える必要はねぇなっ!」
グリーン・ドレスは炎の剣を振り回す。
炎の剣の剣先が伸びて、レスターの頭部の辺りを切り裂こうとする。
レスターは甲冑の下から着ている、ドレスのスカート部位。太股から何かを引き抜いていた。それは複数の投擲ナイフだった。彼はそれらを器用に片手だけで、親指でナイフの先に触れていく。まるでスイッチでも押すように。……能力の発動条件なのだろう。
「おい、逃げろっ! 二人共っ!」
ドレスは動きながら叫んだ。
レスターはドレスの炎の剣を地面を蹴って避けて、次々とナイフを放り投げていく。
ナイフが次々と岩や石柱へと向かっていった。
明らかに超能力の産物だった。
ナイフはまるで、透過でもしていくように、あるいは豆腐やバターでも繰り抜いていくように、岩と石柱に潜り込んでいく。まるで障害物など、何も無いかのように。
ラトゥーラとシンディの二人はナイフの攻撃を察知して、思わず、物陰から飛び出す。
「良い子ですね。出てきてくれましたか」
レスターは満面の笑顔になる。
グリーン・ドレスは。
左手の炎の剣をレスターへと向かってブーメランのように投げ付けた。レスターは難なく、それを避ける。
「貴方程度の攻撃、見切れますよ?」
「ほおぉ? そりゃ、どうかな? カマ野郎。私はテメェを焼こうと思ったんじゃあねぇーぜ。単純だからなあ、私。テメェと駆け引き出来る、アタマなんて無ぇえからなああぁ。テメェがウロチョロと動くっつーんなら、テメッェの動きを封じる事しか考えてねぇえんだぜっ!」
グリーン・ドレスの投げた炎の剣が、一本の大木に突き当たる。
大木は見る見るうちに、燃えていく。
レスターは振り向かない。
そのまま、ドレスへと向かって剣を振るおうとする。軽やかなステップだった。グリーン・ドレスは右手の炎の剣を大きく振り回しながら、レスターへと振り翳す……フリをして……、地面へと落としたのだった。
「何?」
レスターは激しく瞬きをする。
ドレスが地面へと放り投げた炎の剣が、まるでネズミ花火のように回転しながら、大地を転がっていく。その途中で、草木に炎を引火させていく。
「駄目だな。この辺りは燃えるモノがマトモに無い。気温も低いし、炎のパワーが足りねぇえ」
そう言いながら、ドレスは指先から、炎の弾丸を噴出させてレスターへと撃ち込んでいく。レスターはそれらを全て、剣で弾き飛ばしていく。
「貴方では、私に勝てません」
「そうかよ……? 十数秒、時間を貰えたぜ。なあ? シンディッ!」
シンディはグリーン・ドレスが放り投げた、ボトムバッグの中身を取り出していた。まだ、ガソリンタンクが残っている。
「これ、全部、この辺りに撒き散らしていいんですね!?」
「ああ、やれっ!」
ドレスは叫ぶ。
「愚かな。小細工なんですよっ!」
レスターは腰から、ナイフを取り出そうとする。
レスターの顔に、大量の蝶のようなものが集まってくる。彼の視界が塞がれていく。
タンクのキャップを開いたシンディが、辺りにガソリンを撒いていく。炎が燃え移っていく。未だ、地面を回転し続けている炎の剣がガソリンに触れていく。
周辺が見る見るうちに、炎の海によって包まれていく。
レスターは鼻を鳴らして、ナイフを放り投げた。今度は能力を付随させていないみたいだった。
ナイフが、シンディの腹へと突き刺さる。シンディは口から血を吐いて、地面に倒れる。
「一番、早めに始末した方が良いのは、やはり暴君ですよねえ。貴方達に多少の致命傷を負わせても、治せるみたいですし。このまま消耗戦に持ち込まれるのは、極めて気に入らない」
炎がまるで塔のように空へと突き上がっていく。
この炎によって、視界を攪乱するのもドレス達の目的なのだというのも、レスターはとっくに見抜いていた。
炎の渦の中で、何者か動く気配が見えた。
レスターは即座に、その気配がする者の背後へと回り込んでいた。
ドシュリ、と。
レスターの剣が標的に突き刺さる。
ラトゥーラだった。
ラトゥーラは、背中から、レスターの剣によって胸元を突き刺されていた。レスターは剣を引き抜く。血が勢いよく吹き出た。
「さて。二人。後、動けるのは、炎の天使さんと。ああ、そうそう。暴君も左腕を失っただけですよねえ?」
炎の中から、弾丸が撃ち込まれていく。レスターは全て叩き落とした。
「私にそんな攻撃は無駄だって言っているでしょう?」
彼は鼻で笑う。
途端。
レスターは全身から悪寒がする事に気付いた。
空中に炎と煙に交じって、何かが散布されている。
寒気がする。……おそらく、暴君の能力。病状の軽いウイルスを空中に散布させている。おそらくは、木の葉などを毒物に変えて。
「小細工をっ!」
彼は叫び、周りの者達の動向を知ろうとする。
†
マイヤーレの城には裏門があった。
ウォーター・ハウスは、ラトゥーラが回収してくれた左腕を自身の切断面に接合していた。そして、彼はラトゥーラとシンディの傷口を塞ぐ。
「大量に失った血を戻す事は出来ない。貧血になって倒れる危険性がある。食事はした方がいいな」
既に、三名はマイヤーレの城の中へと侵入していた。
今、外にいるのは、炎の渦の中にいる、グリーン・ドレスとレスターの二人だけだ。
「どうしましょうか……。これから……」
「レスターと言ったか。あの男は倒しておかないとやっかいだぞ。ドレスだけじゃ勝てない。無理だな」
暴君は断言する。
身体能力はレスターの方が、グリーン・ドレスよりも上回っている。こんな敵は今回の旅で初めてだった。レスターという男は化け物だと言っていい。
「だが。こっちはチーム。向こうは一人。そのアドバンテージを生かすしかない。なあ、ラトゥーラ、シンディ。頼りにしているぜ」
暴君は二人を強く抱き締める。
「は、い」
「ありがとう、ございます……」
ラトゥーラとシンディは頷く。
姉弟と顔色が悪い。本来ならば致命傷であり、大量に出血した傷をウォーター・ハウスが治療したのだ。かなり二人共、血を失っている。そんな状況にも供えるべきだったが……。
「干し肉とか。缶詰、カロリーメイトなど、何でもいいが。手に入れる必要があるよな……。それに、傷を治せるって言っても、これ以上のダメージを受けるわけにはいかない……。俺の治療の能力の限界だな。本来なら、治療した後は、安静にしないといけないんだ」
「僕達はまだやれます」
ラトゥーラは強く言った。
そう言いながらも、彼の顔色は悪かった。
「……生レバーでも持ってこれば良かったか?」
ウォーター・ハウスは苦笑した。
†
ドレスは炎の翼で空へと舞い上がっていく。
仲間三名がマイヤーレの城の中へと潜り込んだ事を確認した後、この辺り一帯を全て焼き尽くすつもりでいた。……どうせなら、マイヤーレの城ごと。
「『マグナカルタ・ブレイズ・サークル』ッ!」
彼女は炎の柱を辺り一面に作っていく。炎の柱は渦巻いて、空高くへと塔のように伸びていく。本来なら、敵を捕えて徹底して焼殺する為の能力だった。炎の牢獄を作る能力だ。この炎の柱の中に、レスターという男を閉じ込める事が出来れば良いのだが……。
炎の中から、何かが投げ付けられていく。
それはドレスの炎の翼を貫通していく。
「なんだあ?」
ドレスは首を傾げる。
彼女は翼を通過して、彼女の背後へと落下しようとしているものを見る。
それは、尖った石コロの破片だった。
ドレスは瞬時に、それが一体、何なのかを悟る。
即座に、彼女は全身の旋回に移ろうとした。
避けられず……。
ドレスの肩の肉が、タダの落下する石コロによってエグり取られていく。防御無視。異常なまでの破壊力を放つ攻撃だった。
……これが、奴の能力ってぇーのか!? 私の強靭な皮膚も肉も、簡単に貫通してやがる……。石コロが、透過するように、空間を削り取るように襲ってきやがった……っ!?
レスターの能力『フラガラック』。
あらゆる武器や、あるいはあらゆる道具を、強度無視の何でも切り裂き、何でも貫ける凶悪な武器へと変える能力…………。そして、この敵は極めて、素の剣術の腕も一流だ。純粋な剣技や投擲技術の高さによって、能力を生かし切っている。
グリーン・ドレスは空を飛びながら、レスターの位置を探る。サーチ・アイではもはや敵の体温を探る事が出来ない。辺り一帯を炎上させた事が裏目に出てしまっている。
「炎の天使。暴君達は、マイヤーレの城の内部へと入りましたね。私は門番として失格というわけですね……。小賢しい……。まあ、いい。まず、貴方を始末して、残った三名を始末するとします」
レスターは再び、マイヤーレの城の屋根の上へと登っていた。
そして、そのまま彼は空へと跳躍する。
グリーン・ドレスは、砲弾のように向かってくるレスターの攻撃を、再び、紙一重で避ける。ドレスの左太股は勢いよく出血する。
「…………っ!」
ドレスは声にならない声を上げて、地面へと落下していく。背中から生やした炎の翼を解除しない為に、何とか精神力で痛みをこらえる……。
レスターは再び、燃える大地の中へと着地する。
「脚を切断するつもりでしたが。上手くいきませんね。でも、骨まで届いた筈ですよ?」
「ああ、そうだよ…………、ちっくしょうがあああああああああああああああっ!」
ドレスは激痛に苛まれながら、何とか、敵と距離を取ろうと翼をはばたかせていた。ドクリ、ドクリ、と、左太股が勢いよく出血している。……骨にも切れ目を入れられている……。
グリーン・ドレスは断崖の方に眼をやっていた。
滝から水が勢いよく流れている。
断崖絶壁が見える。
この絶壁から下の河まで、少なくとも、数百メートルはある。
更に、もう少し上まで誘い込めば、もしかすると、河の濁流まで一、二キロはある絶壁の場所に到達出来る筈だ。
ドレスは、ある戦略を考えていた。
自分は飛べる、というアドバンテージがある。
だが、この敵は……?
やってみる価値はある。
成功出来るのだろうか?
レスターは燃え上がるフィヨルドの大地で、薄ら笑いを浮かべていた。
「どんな小細工をしようとも、私には勝てませんよ? 私は小細工無しでも、純粋に強いですから」
相変わらず、薄笑いを浮かべていた。
未だに、この敵に、殆どのダメージを与えていないのだ。防戦一方だと言ってもいい。
小細工か……。
グリーン・ドレスは、やはり、小細工で、この敵に勝利する事を思考していた。
†
裏口の門の前に、グリーン・ドレスが炎の雨を降らせていた。
……応戦して欲しい、という合図だ。
「シンディ」
ウォーター・ハウスは少女の頭を撫でる。
「お前が、マイヤーレのボスを殺すんだろう? ……この先に、他にも強力な敵が待っているかもしれない。……それでも、一人でやる意志はあるか?」
数秒後、シンディは頷く。
強く、固い決意を秘めた瞳だった。
「はい」
「なら、お前一人で、マイヤーレのボスを探せ。この建造物の何処かにいる筈だ。そして、組織の構成員達の攻撃は、お前の能力で、充分、切り抜けられるな?」
「はい」
シンディとウォーター・ハウスは、固く握手を交わす。
「じゃあ、ラトゥーラは一緒に俺と来い。俺一人じゃ自信が無い。ラトゥーラ、支援するんだ。お前だってやるんだ、やれるな? お前はお前の人生を切り開く為に、戦えるな?」
ウォーター・ハウスは、少年の瞳を見据える。
少年は頷く。
「はい。僕は決して足手纏いになりません。共に、奴を……グリーン・ドレスさんを助ける為に、向かいましょう」
「ああ。頼りにしている」
ウォーター・ハウスは、ドレスに加勢する為に扉は開いた。
シンディは一人、マイヤーレの城の中へと入り込んでいく。彼女は駆け足だった。
†
レスターは、空高く舞い上がる、グリーン・ドレスが放った炎のナパーム弾。炎の流星雨を避けながら、思考していた。
……何を、狙っているんです? でも、この私には勝てませんよ。
彼は冷静に状況分析に走る。
炎の天使。…………、戦いはおおざっぱだ。そして、力押しで敵を倒す傾向が強い。
まさか…………。
彼女なら在り得る。そして実行に移す可能性が高いだろう。
マイヤーレの城ごと、燃やす。
その戦略をやってくる事を失念していたわけではない。だが、何となく、やらないだろうな、とも考えていた。彼らのこれまでの行動を踏まえていると。
「ああ、そうそう。グリーン・ドレスさん。マイヤーレのお城の中ですが。……組織の構成員では無い。異国の売春婦が一時的に捕縛されているらしいですよね。それに関してはどう思われます!?」
レスターは炎の天使に向かって、叫んだ。
「ああ? そうだなあ。暴君が構成員以外は助けたい、って考えだし。シンディ達もそうだぜ。勘違いしているだろ、あんたよおぉ。元々、私は城を燃やすつもりは無い」
グリーン・ドレスは天空で、自身の左腿を押さえながら、少しだけ冷や汗を流して答える。
「テメェの方だって、護衛の為に此処にいんだろ? ならよおぉ。この辺り、一面、既に火の海に変えちまったし、あなたとしても、私の攻撃で城にまで火が付くのは嫌だろ? ……まあ、じきに城にまで炎は燃え移っていくだろうけどなあ」
「そうですね。消火する必要があるでしょうね。…………、一応、貴方を対策して、城に火を放たれた時に、消火する為の道具はマイヤーレの方で用意してあるそうですよ。でも、正直、困りますね。この私としても、此処でやり合うのは…………」
「ならよおぉー。渓谷の、もっと上まで行って、やらねぇえぇーか? 殺し合いを。このもっと上の辺りは雪原になってそうだなあ。私のアドバンテージは少なくなるが、まだ空に太陽が輝いている。熱のエネルギー切れは無ぇえ」
「交渉や駆け引きは下手だと思っていましたが。いいですよ。ふふっ、では、この渓谷のもっと上の方で戦いましょうか? もっとも、貴方がどのような戦術を試みた処で、勝利するのは、この私なんですがね?」
レスターは、一度、剣を鞘に戻して、腕組みをする。
グリーン・ドレスは炎の翼を広げながら、渓谷の更に上へと向かっていった。レスターを誘っているのだ。レスターは、岩々の上を跳躍しながら、彼女を追う。
炎の天使が、一体、何を考えているか分からないが、レスターにはそれでも勝てる算段があった。自分は強い。それが根拠だ。
†




