第二十六夜 玲瓏の剣士レスターの『フラガラック』 1
ファハンの渓谷まで辿り着く。
この国に入って、数時間が経過した頃だった。昼ご飯を食べ終えて、今は午後の三時を少し過ぎた頃だ。
渓谷の途中の坂で、四名は車を停めていた。
見晴らしがとても良い。空気も美味しい。
山々が美しく映えている。途中に滝の絶壁が見える。
この辺りは観光客も多いだろう。だが、観光客達はあらかじめ、マフィア達の縄張りには入らないように言われている筈だ。
この渓谷は、所謂、フィヨルドと呼ばれる氷河の浸食によって形成された複雑な地形になっている。途中、途中に断崖絶壁が多く、まるで自然の要塞のようになっている。敵が此処に攻め込んだ時には、複雑な自然の気候が妨害手段になるのだろう。
この渓谷の途中にマフィア組織『マイヤーレ』の本拠地がある。マイヤーレのボスはこの本拠地から一歩も外に出ないとの事だった。港町でウォーター・ハウスが水底に沈めて殺した幹部から聞いた情報だ。尋問により、この辺りの地図も書かせている。
あらゆる手筈は整っている筈だった。
あれから、十日間。
短いようで、かなり長い旅だったようにも思える。
「ラトゥーラ、シンディ。お前達を苦しめている者達の組織を、これから壊滅させに行くんだが…………」
ウォーター・ハウスは何かを考えているみたいだった。
「ドレス、シンディ。俺達を見張っている連中は?」
「不自然だぜ、ウォーター・ハウス。余り、見かけねぇ」
「この先、数キロの場所に確かに奴らの拠点があります。憎しみ、怒り、そしてあらゆる欲望が渦巻いている。私の能力『ア・シン』で分かります」
「そうか。……この場所で正しいようだな」
ウォーター・ハウスは他の三名の顔を見渡す。
「四名で向かいたい処だが。もしかすると、二手に分かれなければならないかもしれない。その場合のメンバーなんだが……」
彼は口元に手を置く。
「俺とシンディ。ドレスとラトゥーラでいいか?」
ウォーター・ハウスは慎重に、何かを考えているみたいだった。
「それは、なんで?」
ラトゥーラは首を傾げる。
「ドレスとシンディには、敵の接近の探知能力があるからな」
「いえ、そういう事ではなくて…………、四名で行っちゃ駄目なんですか?」
「四名で向かうつもりだが。念の為だな。……そうだな、全滅の危険性を考えているんだ」
ウォーターは神妙な顔をしていた。
「全滅?」
「ああ、全滅だ。この四日間、メリュジーヌから此処に付くまでに何名か敵は襲ってきたが……。ヴァシーレやムルド・ヴァンス、魔女ラジスやロジア、それからオロボンの国で出会ったクソジジイ。奴ら程の実力は無かった。俺のトラップとドレスの炎で適当に始末出来たからな。……此方のダメージも皆無だった。……妙なんだよ」
ウォーター・ハウスは腕を組む。
「もう、敵側にロクな戦力が残っていないからなのでは?」
ラトゥーラは口を挟む。
「いや…………、警戒を怠るべきじゃあないな。特にこの四日間は拍子抜けするような敵ばかりが襲ってきた。中にはロクに能力の無い拳銃だけで俺達を狙ってくるとかもいたな……。妙だ…………」
ウォーター・ハウスは考え込む。
「さっさと始末しようぜ。何なら、私が奴らの拠点を丸ごと、焼き払えばいいだろ? それで、終わるぜ」
グリーン・ドレスは少し苛立つように言った。
「取り敢えず、もう少し車で近付きませんか?」
ラトゥーラが提案する。
「ああ、そうするか」
暴君はこのメンバーのリーダーらしく告げた。
†
坂道を登っていく。
綺麗に舗装されていた。
マイヤーレのメンバーも、この道をよく使うのだろう。途中に牧場などが存在した。農家も点在していた。まさか、この渓谷の途中に巨大マフィア組織の拠点があるなどと、誰が思うのだろうか。だが、この先は売春婦斡旋を専門にする巨大組織マイヤーレの拠点があるのだ。
この先に塔が幾つかある城のようなデザインをしているのが、マイヤーレの本拠地になっていた。数キロメートル先からも、城の尖塔は見えてくる。
途中、大きな谷があった。
谷底には清らかな水が流れている。水の勢いは強い。
絶壁の滝からは、勢いよく水が流れ続けている。
「シンディ。此方への敵意は?」
ウォーター・ハウスは訊ねる。
「今の処、無いです」
「ドレスよ。敵は何名くらいだ?」
「サーチ・アイで体温を調べた処……。そうだな、連中の数は二百名って処だろうな」
「そうか。充分、制圧出来る数だな」
やがて、一キロ圏内に車は入る。
ウォーター・ハウスは妙な違和感を抱えていた。
「取り敢えず、ラトゥーラ。この辺りに車を駐車しよう。此処から先は歩いて突入するぞ」
「ええ、分かりました」
ラトゥーラは掌から、渦巻き状の炎を生み出していく。
グリーン・ドレスは車のトランクからボトムバッグを取り出す。
「さて。向かうか。マイヤーレのボスの下へ」
ウォーター・ハウスは三名に告げた。
数百メートル範囲に入ると、坂や途中の石造りの小橋の上にマイヤーレの構成員らしき門番がいた。彼らは自動小銃を手にしていた。グリーン・ドレスがそこら辺の小石を投げ付けて、門番達の頭部に命中させていく。ひとまず、殺害せずに、気絶だけさせていた。
監視カメラらしきものは、シンディが生み出した蝶の群れが張り付いて機能不全にしていく。四名共、物陰に隠れて、誰か物陰から出る場合は、他のメンバーは極力、物陰に隠れておく、という算段だった。
綺麗なお城のようなデザインをしたマイヤーレの本拠地に四人は近付いていった。
ウォーター・ハウスは他の三名に指先で支持を出す。
ウォーターの隣には、シンディがいた。
「なあ、シンディ。何か、変だと思わないか?」
暴君は少女に訊ねる。
「そう、ですね…………。何かが、変です…………」
どう言えばいいか分からない。違和感の正体をだ。
四名はまだ見つかっていない筈なのだが…………。既に、このファハンに辿り着いた事は敵を知っている筈なのだ。だが……、敵の様子が妙に穏やかだ。
入り口まで、数十メートル。
此処から先は隠れる場所は無い。
マイヤーレの門番の構成員達は全員、気絶させた。
「入り口に突入するぞ。……やはり、二手に分かれるか?」
ウォーター・ハウスは、ドレスとラトゥーラに訊ねる。
マイヤーレのボスはこの場所から理由があって動けない。それにボスなりのプライドに掛けて動く気も無いというのが、港町で尋問した幹部からの情報だった。だが、事情が変わったのかもしれない。もしかすると、此処は既に抜け殻かもしれない。だとすれば、再び、マイヤーレのボスを始末する考えを仕切り直す必要があったのだが……。
ウォーター・ハウスは一人、物陰から出ていく。
「おい。この俺は此処にいる。港町の国にあったマイヤーレの支部を潰した者だ。暴君、と、この界隈で呼ばれている男だ」
ウォーター・ハウスは叫ぶ。
敵側からの反応は無い……。
グリーン・ドレスも物陰から出ていく。
「おい。やっぱ怖気付いているんだぜ、奴ら。このまま突入して、マイヤーレのボスや、中に他にいる構成員、全部、ブッ殺しちまおうぜ?」
グリーン・ドレスはボトムバッグを回しながら、両腕を広げた。
そして彼女は、ウォーターの背後に援護するように立つ。
「いや…………。俺達、二人が出てきて良かった…………。おい、殺気とか、悪意とか、分からないが。……そこにいるな?」
ウォーター・ハウスは…………。
…………、少しだけ、冷や汗を流す。
本能のようなものだろうか。直感、と言ってもいい。数多い戦いの経験から学んだ事だ。
この敵は……ヤバい、と。
まるで、魔除けのガーゴイル像のように、そいつは建物の屋根の上に姿を現した。
腰まで伸びた桃色の髪の毛を編み込んで縛っている。
美しい美貌をしていた。とても女性的だが、おそらくは男だろう。
騎士のような格好をしている。
「ああ。初めまして、暴君に赤い天使ですか。そこの物陰に、子供二人いますね? 私の名はレスターと申します」
美貌の男は、ニコニコと笑っていた。
「お前、かなり強いだろう?」
ウォーター・ハウスは訊ねる。
「そうですね。早速ですが」
美貌の男は、腰元から長い剣を引き抜いた。
剣の柄は左手で握り締めている。右手の指先で、剣先を撫でている。
「全員、死んで貰います」
唇が歪む。優しい微笑みだった。死へと誘う、笑みだ。
ウォーター・ハウスには…………。
何も、見えなかった。
ただ、敵の攻撃角度を事前に察知して、致命傷は避けていた。
ウォーター・ハウスの左腕が切り落とされていた。左腕が宙に舞っている。綺麗に切断されている。
グリーン・ドレスも、本能で動いていた。
彼女は咄嗟に首を仰け反らせたのだったが……。
ドレスの喉は、パックリと避けて、真っ赤な血飛沫が噴出していた。
おそらく、攻撃をギリギリかわさなければ、そのまま首は切断されていただろう。だが、それでも、致命傷に変わりは無かった。
レスターは、二人の間をくぐり抜けるかのように、地面に立って、剣を鞘の中に納めていた。一撃。たった一撃で、暴君の左腕を切断して、赤い天使の喉を裂いたのだった。
「二人共、とても良い位置にいましたよ。ふふっ、グリーン・ドレスさんの方。暴君を支援しようと背後に立ったのが悪手でしたね」
彼はにっこりと笑う。
グリーン・ドレスが地面に倒れる前に、ウォーター・ハウスは残った右腕で、ドレスの喉を掴んでいた。
レスターは少し興味深そうに、その行動を見ていた。
数秒間、暴君は赤い天使の喉に触れていた。
ドレスの喉の傷口が塞がれていた。
そして、ウォーター・ハウスは地面に転がる。転がりながら、自身の左腕の傷口に触れる。左腕の切断面からの出血が止まる。
「レスターと言ったか…………」
暴君は地面に倒れ、呼吸を荒くしながら、何とかして言葉を紡ぐ。
「お前の能力は…………、お前自体が弾丸となって、直線上に存在する者を問答無用で切り伏せる事が出来るのか……? ……何も見えなかった。お前の動きは……」
「ほう?」
レスターは興味深そうに聞く。
「何故、そんな事を?」
「それから、俺の傷口の切断面……。鋭利過ぎる。…………、多分、お前の能力は“切ったという結果”を残す能力なのか? まるで、瞬間移動のようだった。ライフル・スコープが照準を定めるように……。音の速さだとか……いや、光の速さだとか……、お前の動きがまるで見えなかった。…………」
「そうですね。私の能力は、瞬間移動と言っても過言では無いですねえ。対象物を攻撃する途中、剣は対象物の通過点にあった物体を切断する、という結果を残します。勿論、他の武器でも可能ですが。私は剣が気に入っている」
レスターは自身の能力を丁寧に説明していく。
「そして、最初の動作。剣の先を指先で触れただろう? それが能力を発動させる為の引き金か?」
「…………。ほう。正解です。よくそこまで、私の『フラガラック』の能力を理解したのですね。賞賛に値しますよ」
ケルト神話に登場する何でも切断出来る神剣が能力名の由来か、と、ウォーター・ハウスは呟いた。レスターは微笑する。
さながら神話に登場するような英雄や怪物。
それ相応の実力を、この男は供えているのだろう。
グリーン・ドレスはボトムバッグを開けて、中からガソリンの入った容器を二つ取り出す。そして、容器のキャップを開き、ガソリンを自身の全身に浴びせていく。その後、オイル・ライターに火を点ける。
グリーン・ドレスの全身は燃え上がっていた。
彼女は両手から炎の剣を出現させて、背中から、巨大な炎の翼を生やす。
「おい。オカマ野郎。テメェの相手はこの私だ。いつものように焼き焦がして、骨だけにして、始末してやるよ。要するにアレだろ? テメェが攻撃動作を行う直前に、テメェの“直線”の攻撃から離れて、テメェの横や背後に回り込めば、テメェの能力は避けられるって事だろ?」
ドレスは淡々と、敵の能力の弱点を説明していく。
「そういう事ですが。貴方達は、私を少し、誤解しているみたいですね」
レスターは再び、鞘から長剣を引き抜く。
そして、草茂る大地を軽やかに踏み締めていく。
ドレスは。
地面を蹴って、攻撃をかわした。
彼女の胸から上と、肩の辺りが勢いよく切り裂かれていた。
「私は自身の超能力に頼る愚か者では無いんです。剣技だけで、貴方達、全員を始末出来る自信があって、このマイヤーレの護衛に向かいました」
グリーン・ドレスは深くエグられた肩の肉の出血を見ながら、歯噛みして、現れた凶悪極まりない戦闘技術を有する男を睨み付けていた。
†
グリーン・ドレス
レスター




