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勇者が姫で、姫が勇者で~俺(私)たち入れ替わっちゃたみたいです!?~

作者: かきつばた

お試し版として書いてみました。

読んでくれる人が多ければ連載化するかもしれません。

→週末に投稿予定です!(9/25現在)

→9/30夜に投稿します!

→連載版はこちら https://ncode.syosetu.com/n6572fa/


普段はこんなものを書いています!

『よろず屋、始めました!~異世界から来た商人のおっさんを拾ったら、不思議アイテムを売りさばく手伝いをすることになった~』(https://ncode.syosetu.com/n5945ex/)

 突然だが、俺は勇者だ! ……待て待って欲しい、怪しく思うのはわかる。しかし紛れもない事実である。だからって、そうやって威張ることはないだろうって? それは俺もわかっているけども……


 とにかくもう一度言うが俺は勇者だ。うちのご先祖様はなんでも世界を救った『サーモン』とかいう英雄なんだと。だから彼の子供から代々世間から勇者と持て囃されてきた。俺のじいちゃんや親父もそうだ。『サーモンの勇者』俺たちはこう呼ばれていた。


 そのせいか、何かある毎にうちに厄介ごとが持ち込まれる。じいちゃんは邪神を蘇らせようとした神官をぼこぼこにした。親父は火口で巨大な蛇と闘った。似た様な記録が我が家の倉庫には残っている。


 そして今、俺も無理難題を吹っ掛けられようとしていたのだ――






「キミが当代の『サーモンの勇者』か」

「はいそうでございます」


 俺は跪いたまま頭を垂れた。一応ここは敬意を示しておかねば。


 場所は我が国の玉座の間。豪奢な椅子にはこれぞ国王という風貌の男がどっかりと腰かけていた。頭頂には質素な装飾が施された冠。顔には深い皺が刻まれ、双眸はやや窪み鋭い眼光を放っている。口周りには立派な白い髭を蓄えて、今それを右手でしきりにいじっていた。真っ赤なローブを肩に掛け、左腕は腕賭けにどっかり鎮座している。

 

 さらに隣にはずらっとこの国の大臣たちが並んでいた。違うかもしれないけど、皆一様に立派な服を来ていて偉そうである。そして、そのどの人も、頭のてっぺんが剥げているのは流行っているからなのだろうか。もしかすると、王ですら冠がなければ――いやよそう。不謹慎だな。


 壁沿いには、重装備に身を包んだ兵士たちが控えていた。玉座の近くにもちらほらと。近衛兵かもしれない。その立ち姿には一部の隙もない。歴戦の勇士の面影を感じた。


 俺――当代の『サーモンの勇者』初お披露目の場にしては会場の雰囲気は重い。この場にいる誰もが暗い表情をしていた。今、世界はかつてない脅威に見舞われているのだから無理はない。しかもこの国は――


「我が娘がかの魔王めに連れ去られたのは知っておるな」

「存じております」

 

 そう。ことおあろうか、この国の姫は魔王に誘拐されたのだ。僅か数日前の出来事である。俺は城下町から離れた場所に住んでいるために、その事実を知ったのは全てが終わった後だった。城に到着した時目にしたのは、そこら中に横たわる気絶した兵士の数々。精鋭の軍隊といえど、魔王には敵わなかったらしい。奴は姫様と共に姿を消した。その行方は今もわかっていない。


 しかしこのご時世に魔王とは全く頭が痛い。そもそも今から数百年前、魔王率いる魔族の一団が魔界から攻め入ってきたのだ。我が先祖の勇者サーモンがその討伐に成功し、この世界に光を取り戻したはずだった。完全に魔族は滅びはしなかったものの、大多数は再び地下世界に戻った。

 依然としてこの個体に僅かばかり残ってはいるものの、以降は一丸となって攻めてくるという事態もなかった。まあ時折強大な力を持つ個体が侵略しようとしたことはあったようだが、全て当代の『サーモンの勇者』が対処してきたわけである。我が一族はそういう運命にあるのだ。


 それが今、新しい魔王がこの世界に現れた。数年前のことである。あろうことか、奴はこの世界のどこかに陣取っているらしい。未だにその場所は判明しておらず、各国の首脳が頭を悩ませている。それだけではなく、奴は不定期に町や村を魔物に襲わせていた。今まではなかったことである。その被害は日に日に増していた。


 当然、現『サーモンの勇者』である俺が何とかしなければいけないのだが――


「貴公に命じる。魔王を討ち滅ぼし、我が愛娘を救い出して欲しい!」


「いやです!」


 …………空気が凍り付く場面に、俺は初めて遭遇したかもしれない。一瞬時間が止まった気がした。誰かがそういう魔法を使ったわけでないのに。俺は、初めて人の行動がこんな不思議じみた反応を引き起こすことを知った。

 

 しかし、時はすぐに動き出した。一気にこの場のがざわめく。誰もが信じられないという様な表情をして、近場の者と顔を見合わせている。あちこちで何やら話している様だが、その内容はノイズにしか聞こえない。国王に至っては口をぽかんと開けて、眉間に皺を寄せて俺を眺め続けていた。俺の言葉の真意を必死に見抜こうとしている様だった。


「確かに俺は『サーモンの勇者』その末裔だ。でも、どうして世界を救わないといけないんだ?」

「いや、それは……そなたしか力を――」

「本当に? うんざりなんだよ、そういうの。確かにご先祖様は勇者だからという理由で困りごとを引き受けて解決してきた。そこに何の見返りもなく。でも、俺はそこまでお人よしじゃあないんでね。魔王退治なんて命懸けの仕事、はいそうですかと安請け合いできないよ」

「そこまで言うなんて、もしや自信がないのでは――」


 その時、誰かが言葉を発した。それは見るからに他の兵に比べて若い男だった。新兵なのかもしれないが、口の利き方には気を付けるべきだと思う。 


「そこの兵士くん。滅多なことは言わない方が身のためだぜ?」


 素早く呪文の詠唱を終えて、失礼な男目掛けて巨大な火球をお見舞いしてやった。俺の頭上に直径三十センチ程の燃える球体が現れて、真直ぐにその兵士に向かって飛んでいく。そのまま男の頭のすぐ上を通過して、それは壁に激突――吸い込まれる様にして消えたものの、城壁には焦げた跡が残った。これくらい俺にとっては造作もないことだ。


 勇者としての修練など、物心ついた頃からずっとやらされてきた。父の持てる技術、魔法の全てを叩き込まれる毎日。肉体を極限まで苛め抜かれ、夜になれば母から様々な英知を教え込まれる。ただ一つ彼らが失敗したのは、俺の洗脳だ。勇者の在り方に疑問を持ってしまった。


 どうして俺たち一族は市民を代表して困難に対処しなければならないのだろう。

 

 父は五年ほど前に行方を眩ませた。丁度、魔王がこの世に初めて姿を見せたのと前後する時期だったのを覚えている。俺はもう彼のことを死んだものと思っていた。民草に利用されるだけ利用されて、闘い続けてきた男の末路は惨めであった。しかし記録を辿れば、そんな最期父だけではない。


 母は病床に伏していた。原因不明の病――彼女自身は呪いじゃないかと半ば冗談めかして語っていたけれど。今は少しは快方に向かっていたが、それでも未だ寝たきりの生活を余儀なくされている。というのに、母はちゃんと国王の許に出向きなさいと。息子の十五の誕生日を祝う代わりに、自分ではない誰かの力になるように言い聞かせたのだった。


 もし父が勇者ではなかったら、どんな人生を過ごしただろう。

 

 もし母が勇者と結婚しなかったら、どんな人生が待ち受けていただろう。


 もし俺が父と母の元に生まれなかったら、幸せな子供時代を送れたのだろうか?


 答えは出ないし、想像することすら愚からしい。結論から言えば、俺は両親は愛しているし、自分の今までの人生について不満を覚えたことはない。


 ただ一つ確かなことは、勇者として生きることに対する嫌悪。ただ『サーモン』の家に生まれたからと言って、なぜこの身を世界に捧げねばならないのか。なぜそれをご先祖たちは良しとしてきたのか。


 一分も理解できないし、それを甘んじて受け入れたくはない。そんなのはただの『()()』だ。


 だから誰に頼まれたって、魔王の討伐をするつもりはない。人々が力を合わせて勝手になんとかすればいいとさえ思う。


「頼む。そなたしかいないのだ。『勇者』よ」


 王は驚くべきことに玉座から腰を上げて、頭を地につけた。とても一国一城の主がしていい行動ではない。周りの重臣たちも慌てふためいて、何とかやめさせようとした。


 それでも、その性根が――図々しさが鼻につく。姫が攫われたのは彼らの問題なのだから、自分たちで何とかするべきだ。幸いにして、この国には軍隊がいるのだし……魔王に攻め込まれた時に呆気なくやられた連中だとしても。


「もう一度言うが、嫌だね。すぐに『勇者』に頼ろうとするのが本当に気に入らない」

「貴様……! 王がここまでしているのだぞ!」

「不敬者めっ! 今すぐこいつをひっ捕らえて牢屋にでもぶち込んでしまえ!」

 

 偉そうな禿げ頭の太っちょの声で、周りに兵士が群がってきた。


 こいつら、先の一幕を見ていなかったのだろうか。いや、命令だから勝ち目がなくとも立ち向かってくるのか。不本意だが、俺としてもみすみす捕まるわけにはいかない。俺は剣を抜いて、事を構えようとしたが――


「もうよい!」


 それを止めたのは、やはり国王だった。ぴたりと兵士たちが動きを止める。俺も柄にかけた手を元に戻した。


「そうだな。これは我らが自力で解決すべき問題だ。そなたに頼るのは筋違いであったな。だが民を守る力がありながら、それを行使しないのは横柄というものではないか? 何故、貴公は苦難の果てにその力を得たのだ?」

「……知った様な口を利かないで欲しいね」

「これはこれは、最後まで大変無礼をしたな。もう下がってよい。しかしその顔、二度と我らに見せるなっ!」


 国王は目を剥いて唇をわなわなと震わせていた。怒りでその顔は真っ赤に染まっている。


 そんなものこっちも願い下げだ。俺は踵を返し、肩を怒らせて歩き出す。階段を降りきるまで、ずっと俺に対して、周りが敵意をぶつけてくるのをひしひしと感じていた。それでも、俺に臆するところはない。


 そのまま一階のエントランスを通り抜けて外に出る。城内の空気が重かったのは、上の騒ぎが建物中に届いていたからに違いないだろう。すれ違う人から不思議な眼差しを向けられた。。


 城を出てから、振り返ってその全景を仰ぎ見る。俺はそこに何の威厳も圧力も感じない。中にいる国王ににしても張子の虎にしか思っていない。


 だから、俺のこの後の決断は絶対にこの国や世界のためではない。それは、このままおめおめと帰路に就くのではなく、旅に出るということ。魔王に捕まって姫とやらを助けに。


 とりあえず北の街を目指そうか。俺はさも平然と一歩を歩き出した。それで、なぜだか胸のもやもやが少し腫れた気がした。








 私はすることもなくて、ただぼんやりと格子ついた窓越しに僅かに広がる空を見つめていた。ここに来てから数日か経つが、まだ青空を見たことがない。いつも空は分厚い雲に覆われている。我が国(ふるさと)の透き通るような空が恋しく思う。


 この薄暗くじめじめした牢獄に押し込められたのがいつだったか、私にはすぐには思い出せない。太陽の昇降を確認しようとも、外の暗闇の前では不可能だった。重ねた睡眠の数を思い出すのも億劫だし。そもそも日付を記録したところで何があるわけでもないだろうし。


 幸いにして、私はこの檻の中では自由であった。鎖などにつながれていないし、囚人がするような枷もない。なので自由に歩き回ることができる。部屋――と言えるかはわからないが、とにかく内部の高い位置に灯りがあって、最低限の明るさは確保されていた。また簡素な机と寝心地の悪いベッドもあった。そして部屋の片隅にはトイレとお風呂まで。まあ低品質だけれども、至れり尽くせりというわけ。


 それでも一日中この暗がりにいては気が滅入る。毎日の様に幸せだった過去を想像しては、時折この不自由な現実に立ち戻る。そして気持ちが一層沈む。その繰り返し。助けを幾ら願ったところで、今の今まで叶った(ためし)はない。


 そもそもこんな私を誰が助けに来てくれるというのでしょうね。つい冷ややかで自虐的な薄い笑みをこぼしてしまう。自分は、我儘で性悪で偏屈で――とにかく最低な姫だということは自覚している。嫌われ、妬まれ、疎まれは日常茶飯事。私を愛してくれるのは、それこそ国王(ちち)だけ。だからきっと彼が臣下に命じて、何とか私を救出しようとはするだろうが……彼らがどこまで本気になるかは全く自信が持てない。でもそれは全て私の行いのせいだから、どこか諦めている部分はあった。

 

 私は不自由だった。王家に生まれたからという個人にはどうしようもない理由で。常に周りには誰かがいて、息苦しい生活を送ってきた。それでも父に言えば、手に入らない『物』はなかった。


 服が欲しいと言えばすぐに買ってもらった。新しい本が読みたいと言えば、すぐに調達してもらった。教育係が気に入らなければ、すぐに父に言って替えてもらった。料理が気に入らなければ、料理長を首にしてもらった。

 父にすれば目に入れても痛くない愛娘。周囲にしてみれば、目の上の(こぶ)。それが(わたし)というものの正体だ。


 父は国王ゆえ常に忙しくしていた。私は幼少期から放っておかれることが多かった。それでその心を繋ぎ止めるために編み出したのが我儘という方策だった。それを表現している間は、少なくとも周りの目は私に向けられる。関心を持ってくれる。それでもっと構われる様に要求や行動がエスカレートしていく。それが誤った人の気を惹く方法だと理解した時には、もう引き下がれなくなっていた。我儘な姫という外面が見事に完成していたからだ。


 私はただ周りから愛されたかった。いいえ、違うわね。普通の少女になりたかった。物なんて何一ついらない。温かい家族が欲しかった。そして何よりも自分の好きなことができる自由が欲しかった。

 

 しかしそれは決して叶わないことだけれど。私はずっと何かに囚われる人生を送るのだ。今もこうして、魔王城の檻の中に閉じ込められているしね。


 それに気づいた時、初めてここに来た日に味わった絶望感は消え去った。実のところは私の生活の本質は何も変わらない。鳥籠の種類が変わっただけ。その中に閉じ込められているという事実は残ったまま。そう考えると、なんだか少し胸が楽になる。

 

「姫様。魔王様がお呼びでございます」


 そんな物思いに耽っていると、後ろから声が聞こえてきた。消え入りそうなか細い声――物音が何一つ聞こえないこの空間ではそれでも耳に届くには十分だった。 


 声の主は降りの向こう側に立っていた。それは子供くらいの背丈しかない。全身を一枚の布で包みこんでいる。頭にはとがった柔らかそうな帽子を深々と被っていて、その手には剣と盾。つまり、彼は兵士であった。しかし決して人間などではない。似た顔立ちはしているものの、その耳は鋭く尖っている。


 物語の中で読んだエルフやドワーフ、あるいはゴブリンと言った妖精か小人種というものなのだろう。まあここは魔王の居城だから、こんなモンスターがいても不思議ではない。


「それに応じる義務は私にあるのかしら、小さな兵隊さん?」

「し、しかし、魔王様から連れて来いと言われてますので」


 兵隊さんは少し困った様にどぎまぎしている。少し揶揄っただけなのに、なんだかとても可愛らしかった。


「わかった、わかったってば。言ってみただけよ」


 私は柔らかな笑顔を浮かべ、肩を竦めておどけて見せた。ここには口煩い教育係(じいや)はいないから、はしたないといって窘められることはない。


 小さな兵隊さんはそのまま牢屋の扉を開けた。私はゆっくりと外に出る。そのまま彼の後ろについて、場内を進んでいく。煉瓦の壁に手を突きながら、石畳の螺旋階段を三フロア分下ると、そこがもう玉座の間がある階。渡り廊下を抜けて、一際広い空間に出た。

 

 部屋の真中の壁沿いには玉座がぽつんと置かれていた。それは私の城で見るものと比べても遜色はない。そこに魔王がどっかりと座っている。


 意外なことに、その外見は大人の人間に似ていた。黒いローブで全身を包み隠していて、僅かに見える肌の色は青い。そして頭髪は見惚れる程に白い。見た目は若い男に似ているが、よく見ればその目はくぼんで鈍い光を放っている。そして何より頭からは二本の大きな角が生えていた。


 私は彼の前に連れて来られた。これが人間の王ならば、跪いて頭すら垂れて見せようが、相手は魔族の王。そんなことをしてやる筋合いはなく、私は立ったままその顔を睨んでやった。


 初面会の時こそ、魔王の放つオーラに圧倒されっぱなしだったけれど。それが毎日続けば、段々と薄れていくもので。いつの間にか、魔王を前にしても私におじけづくところはなかった。


「ふふっ、相変わらず我が姫君はご機嫌斜めだな」

「あなたのモノになった覚えはありません」

「ならば改めて言おう。我と結婚せよ、人間の娘」

「だから、お断りですったら!」


 私はこうして毎日この異形な王に求婚されているのです!


 全く普通の恋愛もまだなの――とにかく、一刻も早くこの異常な状況から脱したいわけなのでして。魔王から愛の言葉を吐きかけられる度に、強く強く誰かの助けを求めるのでした。






 目が覚めて早々、俺はいくつかの違和感に襲われていた。まだ頭が覚醒しきっていないから、ぼんやりとだが、でも確かにに異常事態を検知している。

 

 まず一つ目、寝ているベッドである。眠りに落ちる記前の憶では、こんなに固くて寝心地が悪かっただろうか? そして布団を被っているはずなのに、少し肌寒い。


 次に二つ目。この部屋の様子だ。目を開けて飛び込んできたのは、無機質な石の壁。そしてあまりにも室内が暗い。横になったまま可能な限り視線を這わせてみると、明らかに部屋の作りからして違う。やはり、俺が泊まった宿屋には思えない。


 そして三つ目。これが最も肝心な事であるが、いつもより身体が軽く感じる。それは疲れが取れて気分爽快、とかそういうわけではなく。物理的なもの、もっと言えば全身の肉が薄い気がするのだ。さらに身に纏う衣が妙に薄っぺらくてスース―する。


 正直な話をすれば、この違和感に目を瞑ったままもう一度眠りたかった。それほどまでに、今自分の身に起きている異変が現実には思えない。このまま起き上がってしまえば、取り返しがつかなくなるのではないかと危惧している。


 しかし結局、その違和感に耐えきれなくなって、俺は身を起こした。視界の端で、パサリと長い髪が揺れた。そして――


 ぶるん。胸元に激しい振動を感じる。


 俺は視線をゆっくりと下に向けた。そこには、二つの大きな山があった。その上に艶々とした金の髪が束になって振りかかっている。どちらも絶対に俺の身体にはないはずのもので――とりあえず、視界を占拠する大きな双丘に逸れそれ手を当ててみた。


 柔らかくて、指が肌に食い込む。それでいて、瑞々しいハリがあって弾力に富んでいた。持ち上げてみると、ずしりと重い感触に襲われた。動くのには適さない大きな脂肪の塊――


 これはまさか伝説の()()()()! つい、その味わった感触に手を動かすのを止められなくなる。幸福感を抱くと共に、自分が取り返しのつかないことをしているという想いが湧いてくる。


  それで、いつまでもこうしているわけにはいかず。こんなのはただの現実逃避でしかないわけで……そもそも、これは()()なのだろうか? もしかしたら、俺は夢を見ているのかもしれない。実は深層心理で女になりたくてこうなったとか。


 我ながらあほらしいとは思うものの、この事象をそう簡単に受け入れられるわけもない。とりあえず俺は頬をつねってみた。――痛い。そして、もちもちとした柔肌。そのままペタペタと顔中を触ってみる。すべすべとしてきめが細かい。


 ここで俺は全身から汗が噴き出してくるのを感じた。胸が激しく高鳴っている。頭の中にふと湧いた結論を肯定せざるを終えない。それでも一縷の望みをかけて、俺は股間の方へと恐る恐る手を伸ばした――


「あ、あれが、ない……」

 

 長年苦楽を共にした相棒はそこにはいなかった。深い絶望を感じると同時に、俺はとある事実を現実として受け止めるしかなかった。


 俺は、俺は、女になってる―――――!?


 意識が思わず飛びそうな程に強い衝撃が脳を過った。くらくらしてきた。全く持って状況に頭がついていかない。自分の身体に何が起こったのか。どうして俺は女になったのか。何一つたりとも俺にわかることはなかった。いや違うか、一つだけ確かなのは俺の身体は女になってしまったということだ。鼓動が早くなっていき、どんどん気分が落ち着かなくなっていく。


「姫様、魔王様がお呼びです」


 あまりの混乱に茫然としていると、小さな声が耳に届いてきた。






 鏡に映る顔は私の全く見知らぬものだった。そこにはいつも見慣れた顔が映るはずなのに今日は全く違った。そもそもの性別からして異なっている。


 短く刈られた少し青みがかった黒髪。細い眉に切れ長の目、鼻筋はしっかり通っている。だがむすっとしているせいで印象が悪い。そしてどことなく幼さが残っていた。全体的に見れば悪い顔じゃない。むしろかっこいいと言えるかもしれないけれど、今やこれが私の顔なわけで。そんなこと言いだすと、とんだナルシストになってしまうじゃない。


 私は鏡の前で一つため息をついた。確かに、私は男になっている。改めてそれがよくわかってしまった。そんなことは目覚めた瞬間に身体のあちこちを調べて気づいたことだけど。


 しかし時間がいくら経ったところでこの身体には慣れないわね。あちこちごつごつしているし、そして何よりも身体が重い。お肌もがさついていますし。あとずっと下半身に謎の違和感を覚えているわけで。意識し始めると、なんだか恥ずかしくなってきちゃった。とりあえず、この身体のことはいったん置いておきましょう。


 それにしてもここはどこなのでしょうか? 眠る前にいた魔王城の牢獄などではない。部屋には大きな窓が付いていて外から太陽の光が差し込んできている。さらにベッドやお風呂をはじめ、色々な設備は比べ物にならないくらいに豪華だった。


 個人の部屋だろうか。だとしたら、ここはこの身体の持ち主の家ということなるのかも? だが、その割りには私物らしきものがあまりにもなさすぎる。それこそ、ベッド横の床に投げ捨てられた古ぼけた袋くらいだろうか。まだ中身は調べていないけどね。


 とりあえず窓を開けてみた。一層日の光を強く感じる。そして、爽やかな涼しい風が一気に部屋の中に流れ込んでくる。久しぶりに味わうそれらはとても心地いい。


 私は窓から顔を突き出してみた。すると、大きな『INN』という看板が見える。いくら私だって、それが意味するところは知っていますとも。ここはどうやら宿屋らしいわね。そしてその二階。


 これでこの明るめの壁紙やこぎれいさに納得がいった。だって、男の部屋というのは汚いと相場は決まっているもの。少なくとも、私が読んだ物語の大部分はそうでした。


 ここまでの状況を整理してみましょう。まず目が覚めたら、私の身体は男の子になっていた。さらに、今までいたところとは違う場所にいる。誰かと入れ替わったということかしら。だとすると、この身体の持ち主が私の身体を使っていることになる――


 そこまで考え付いたところで、私は一つ身震いをした。それはなんとも悍ましい想像でしょう。あの美しい身体を誰かに――こともあろうに男に好き勝手にされている可能性があるなんて。うぅ、少し気分が悪くなってきました。


 半ば逃げる様にして、私はもう一つの可能性を絞り出した。ここは自分がいた世界とは違う世界なのかもしれない。そこに、男として転生した、とか? ……無理があるかしら、これ。自分では判断がつかなかった。


「考えていても答えは出ないわね」


 なんにせよ、ここが宿屋ということはその内出て行くしかないわけで。そうなると行き場を失う。その前にこの世界がどういう世界なのかくらいは確かめておかないと。

 

 私は無造作に置かれていた剣を肩に背負った。そして、大きな道具袋を担ぎ上げる。予想していたよりも重く感じないのは、この青年の身体のおかげだろうか。


 扉を開けて、そっと廊下の様子を窺った。そこに人影は一つもなかった。わたしは恐る恐る部屋を出る。

そのまま階下に降りると、受付に人のよさそうな恰幅の良い中年男が立っていた。おそらく宿屋の主人だろうか。とりあえず彼と話さないと。


「おはようございます、旅の人。昨日はよくお眠りになられましたか?」

「ええ――ああ、おかげさまでね。それで一つ聞きたいことがあるんだが」

「なんでしょう?」


 商人が不思議そうな顔をしてのは、私の口調がおかしいからじゃないわよね。初めて男の喋り方を真似てみたものだから胸がドキドキしている。それでもしっかり平静を装って、自分の城の名前を告げた。これで確認が取れれば入れ替わりの可能性が濃厚になるのだけれど――


「何を言ってるんですか。あなた、昨日そこから来たって言ってたじゃないですか」

「あ、ああ。そうだったかな」

「その年でボケが来てるんですか」


 店主の目に憐みの色が籠った。中々無礼な人ね。もしこれが城中の使用人だったら即刻クビにしているところだわ。


 っと、そんなこと今はどうでもいいわね。この人の言葉から、どうやら一応私の城はこの世界にあるらしい。だとすれば取るべき選択肢は一つだけ。


「いやいやちょっと寝ぼけていたみたいだ。とりあえず、やっぱり戻ることにしたよ」

「そうですか。よければまたご利用くださいませ」

「それでええと、城はこっちだったかな」


 私はとぼけた表情で滅茶苦茶な方角を指してみた。


「違います、こっちです! まったくしっかりしてくださいよ」

 

 人の好さそうな店主は豪快に笑って、私とは違う方向に指を突き出した。そこにこちらを怪しむようなところはない様に見えた。






「どうした? あまり食が進んでいないようだが……」


 当たり前だ。どこの世界に、魔王と会食してリラックスできる人間がいる? それにこっちは未だに状況に頭がついていってないんだよ。


 あの後、小さなドワーフ兵がやってきて、謎の大広間に連れてこられた。部屋全体が豪華に飾り付けられて、壁には等間隔に松明が吊るされている。そして、中央には巨大な細長いテーブルが置かれていた。その上には大小様々な皿に色とりどりの料理が盛り付けられている。さらには木でできた杯まで。そこに向かい合う形で俺と魔王は座っているわけだ。


「それでどうだろう? 我との結婚の件は――」

「ぶふーーーっ」


 思わず口に含んだものを吹き出してしまった。こいつ今なんて言った? 結婚? なんで、この姫様は魔王にプロポーズされてるんだよ。


「あまり言いたくはないが、少し行儀が悪いと思うぞ」

「余計なお世話だ……ですわ!」


 頭がひどく痛む。先ほどよりも混乱は激しさを増した。しかし、色恋沙汰もまだなのに、この年にしてプロポーズを受けるとは。それも男から。本当にげんなり、いやもうほんと吐きそう。


 とりあえずわかったことは一つあった。それはこの身体が行方不明になった姫様のものであること。その體に乗り移ったのか、それとも入れ替わったのか。はたまた変身したのか。そのどれかは不明だけれども。


 色々と腑に落ちないところはあるが、逆にこれはチャンスではないか? 目の前には憎き魔王がいる。それも食事中ということでかなり無防備。それこそ極大魔法の一発や二発ぶっ放せば、話は済みそうだ。その後で、俺の身に降りかかった異常事態に対処しよう。


炎熱魔法(フレイム)!)


 しかし、何も起こらなかった。


雷撃魔法(サンダー)!)


 これもダメ。あ、これはまさか……


氷刃魔法(フリーズ)!)


 一縷の望みをかけて最後の呪文。だが、やっぱりこれも無意味な言葉の羅列に終わる。


 ああこの姫様魔力を持ち合わせていないな、こりゃ。もしかするともっと下位の魔法なら使えるかもしれないが、絶対に魔王には通用しないだろう。


「どうした? 先ほどから、小難しい顔をしているが」

「なんでもありませんことよ」


 これ以上怪しまれるわけにもいかないので、俺は手近な料理を食べることに。目の前には、おそらくステーキ。ただ何の肉かはわからないけど。ナイフとフォークを使って切り分けて口の中に放り込んだ。うん、牛肉だ。焼き加減は血の滴るレア――俺の好みではないけれど。


 しかし、魔王は俺のことを射抜くような眼で見ていた。何かやらかしたのか、と心配になる。胃や実際、何かやらかさそうとしたのだが。こいつ、まさか心が読めるとかじゃないだろうな。緊張で顔が強張ってしまう。


「あのどうかされましたか?」

「いやすまない。つい豪快な食べ方だな、と」

「おほほほ、これは失礼しましたわ」


 さっきから何なんだこいつは。どんだけ姫様にご執心なんだ。本当に居心地が悪くて仕方がない。これを本当の姫様も味わっていたかと思うと気の毒な気持ちになる。


 とにかく今はどうやってこいつを倒すか、だ。魔法がダメなら物理でやるしかないじゃない。そんな言葉を母から聞いた覚えがるが。肉を切り分けて思ったが、このナイフは使えるかもしれない。小さいものの中々にはは鋭い。一か八かを試してみるか。『秘儀ナイフ投げ』だ。


 俺は奴が顔を下げたところで、すかさず手に持ったナイフを投擲してみた。なるほど、身に着けたスキルは生きているらしい。それは勢いよく真直ぐに白い脳天に向かっていくが……


「ふんっ!」

 

 それは徒労に終わった。当たる直前で、見事に奴にキャッチされてしまったわけで。そしてぱっと手を開くと、テーブルの上にナイフが落下する。


 というか、これかなりまずいのでは……やってから後悔した。失敗した時のことなんて微塵にも考えていなかった。いくらこの魔王が姫のことを過ぎても、さすがに攻撃したことを見過ごしてはくれないだろう。俺は身を固くしながら、奴の一挙手一投足を見守る。


「全くナイフはちゃんと持たないと危ないぞ?」


 やれやれという風に笑うと、彼はパンパンと二つ手を鳴らしす。するとどこからともなくゴーストが現れた。茄子みたいな体型にちょこんと両手が付いている。そして、新しいと思われるナイフを俺のところにおくと、また姿を消した。


 ダメだ、この魔王早く何とかしないと。(おれ)の貞操がホントにヤバい。それだけは確かだ。かといって、この身体では今この瞬間にこいつを倒す方法も浮かばないわけで。


 ひとまずここはこの会食に身を委ねるしか、俺に選択肢はないのだった。






 私はなんて素敵な経験をしたのでしょう。まさか誰一人お付きのものなしに、外を歩ける日が来るなんて。微塵にもそれがかなうとは思っていなかった。しかし、今ここにそれが成就したのよ。宿屋を出た後見知らぬ街の道を抜けて、私は外の世界に飛び込むことに成功した。

 

 一人で街の外に出るなんて、私にとっては初めての経験だった。だから目に映る全てのものが新鮮で魅力的。さんさんと輝く太陽の下、そよ風を歩きながら、穏やかな平原を歩くのがこんなに楽しいなんて私は初めて知った。幸いにして、モンスターと遭遇することはなかったけれど、それを少し残念に思うのはきっと私が平和ボケしているからかしら。


 しかしこういう形で自由を得ることができるなんて。男の子の身体になった時には絶望したけれど、そういう点では悪いことだけではないかもしれない。自分の身体じゃないから、何でもし放題。我慢していた食べ物だって食べられるわ。目の前に広がる楽しいことを想像すると胸が躍ります。


 今、私は我が愛しの城下町、その門の前にいた。この男の子には悪いと思ったけれど袋を漁ると、地図とコンパスを見つけたので迷わずここに来ることができた。ここをくぐればようやく我が城に帰れるのね。


 私はゆっくりとその門の下を通って、町に入った。入口から見る全景は、いつもと違って見える。なぜだろう、城のバルコニーからうんざりするほどに見てきたのに。そもそも城下町に出ることだってたまにある。だから、よく見慣れたはずなのに、今日だけはその雰囲気が真新しい。

 

 それは当たり前かもしれないわね。今の私は外見上は姫ではない。だから誰からの視線も集めないわけで。一旅人に過ぎないこの身体の前には、何一つ飾るところのない光景が広がっているのだろう。それがなぜだか嬉しかった。自分がこの国の王の娘だという事実を忘れさせてくれるようで。その責務から放たれて、今この瞬間だけは自由だと深々と認識できる。


 本当ならば、あれやこれやと見て回りたい。いつもは従者をぞろぞろと引き連れて、決まった時間、決まった場所しか訪れることができないから。でも今は早く父に会いに行かないと。わたしの身に降りかかったこの災いを説明して、どうしたらよいか考えなければならない。そう思って、私は王城を目指したのだけれど――


「いたぞ、いたぞー」

「こっちだ。あの野郎、のこのこと何しに来やがった」


 初めは兵士たちのその物騒な声が自分に向けられたものだとは気づかなかった。知らぬ振りして、大通りを歩いていたら、いつの間にやら彼らに囲まれてしまった。それでようやく、私というかこの身体がこの人たちにとっては敵意の対象だと気が付いた。


「よくもまああれだけのことをしでかして、ぬけぬけとやってこられたものだな」

「ええと、あなたたちが何を言っているのかわからないんだけど……」

「とぼけ追って。そのうえ、その女みたいな喋り方。俺たちを愚弄するのもいい加減にしろ!」


 なんだか知らないが、この人たち滅茶苦茶怒っています。いったいこの身体の持ち主は何をやらかしたのよ! 私はその人のことを強く恨む。


「ちょ、ちょっと待って! 信じられないかもしれないけれど、私はこの国の姫です!」

「何を馬鹿なことを! この期に及んで、姫の名前まで騙るとは」

「いくら勇者と言えどこれ以上の狼藉赦さんぞ!」


 私の発言は見事に火に油を注いだ形になったらしい。彼らの怒りはますます高まっている。なんと、あろうことかこの姫に向かって武器を構えている! こいつら全員クビにしてやるわ……っと思ったけれど今はそんなことを考えている場合じゃないわね。今にもこちらに飛び掛かってきそうな程に彼らは興奮しているのだから。そして何よりもある言葉が気になっていた。

 

「勇者!? 今、勇者って言ったの?」

「何を馬鹿な事を! よもや、昨日の玉座の間での出来事忘れたとか言い出すのではあるまいな?」


 まさかこの身体が勇者様のものだったなんて。というか、玉座のまでいったい何があったというのかしら。とても気になるが、教えてもらえそうな雰囲気でもない。


 もし彼らともっと交流を深めていたら、信用してもらえたのかもしれないとふと思う。(わたし)と彼らしか知らない事実を言い当てれば、流石に正体を信じる気がする。しかし、彼らの名前はおろか顔すらも碌に覚えていなかった。私にとって、父以外の人間など代替可能な()()でしかなかった。


「お願い、父に、国王に合わせて!」

「まだいうか、この男女め!」

「おい、止めないか。悪いが、勇者よ。我らが王は貴様に会うことは二度とないだろう」

「そうだ、そうだ。早々にここから立ち去るんだな。さもなければ……」


 若く血気盛んそうな一人の兵士が刀を抜いた。陽の光に照らされて、その刀身がぎらっと輝く。そしてその目は鋭くこちらを射抜いていた。


 おそらく彼らは本気で勇者様を恨んでいる。それだけのことを、この少年はしたのでしょう。これ以上どうにかできる術も思いつかなくて、私は忸怩たる思いでその場を去ることしかできなかった。頭を深々と下げて振り返ると静かに歩き出す。


 目の前に自分の家があるというのに、帰ることもままならないなんて。先ほどまでの楽しい気分なんてどこかに行ってしまった。今はただ自分に待ち受ける過酷な運命を想って、途方に暮れるしかないのでした。






 牢屋に戻ると、俺はベッドに身体を沈めた。しかし、俺が知る中でもかなりの硬さをを誇るそれは、(おれ)の身体を優しく受け止めてはくれない。ある種、この身体の方が柔らかいと思う。


 しかし、どうして俺がこんな目に合わなければいけないのか。仮にも勇者の子孫、いったいどれ程我が家計が世界に対して忠義を尽くしてきた事か。いや俺はまだ何も成し遂げていないけれど。そもそもそのつもりもないし。


 そこがいけなかったのかもしれない。勇者の家柄に生まれながらにして、勇者としての責務を放棄しようとした。それに対する罰なのかもしれない、これは。巻き込まれた姫様が可哀想ではあるが。


 そんな馬鹿げたことを考えていると――


「あの姫様? 大丈夫ですか?」


 聞いたことがある声がこの独居房に響いた。首をもたげて、声のした方向を見てみる。鉄格子の向こう側に、先ほどのドワーフ兵が立っていた。


「構わないでくれ」


 俺は寝ころびながらおざなりに言い捨てた。魔物にかまっていられるほどの余裕はない。


「ですが、先ほどもよくわからないことをおっしゃっていましたし」


 …………そうか。こいつに聞かれていたか。口止めしないとまずいかもしれない。万が一それが真実だと魔王にバレればどうなることやら。ひとまずはショックだろうな。好きな女にプロポーズしていると思ったら、実は人間だった。それも己を倒しに来るかもしれない勇者だ。ああ、なんて笑えることだ。


 とりあえず俺は身を起こした。立ち上がって、何度かドレスを叩いて埃などを祓う。しかしこの格好、本当に慣れることがないな。まだ、股がスース―して落ち着かない気分だ。俺は彼の近くにゆっくりと歩いていく。


「お前、俺が――私のことを心配してくれてるのか?」

「ええと、まあはい」

「どうして? 私とお前は人と魔族。相容れない存在じゃないか?」

「そうかもしれませんけど……」


 小さな兵士は言い淀んで、微かに身を捩った。何か照れている様な反応だ。それで、俺は一つピンときた。


「お前、もしかしてこの女のことが好きなのか?」

「な、な、な、な、何をおっしゃいますか!?」


 もうバレバレである。こいつは明らかに狼狽えていた。顔を真っ赤にして、そして口を必死にパクパクさせている。よく見ると脂汗さえ滲んでいるではないか。


 魔王といい、この兵士と言いい、姫様(おれ)は大層おモテになるらしいな。傾城の美女、とはよく言ったものだ。そう言えば、母さんから生まれながらにして魅了の魔法を放つ少女の話を聞いたことがある。あれは幼い時寝物語として話してもらったものであったか。それにしても、幼い子供に聞かせる話じゃないだろう。昔のことを思い出して、俺は少し苦笑いをした。


 そして、もし姫がその類の人間ならば――


「ねえ、一つお願いがあるんだけど?」

「な、何でしょう?」


 出していて自分で気持ち悪くなる程の嬌声だ。しかし背に腹は代えられない。今は俺は姫。それを強く言い聞かせながら、言葉を続ける。


「ここから出してくれないかしら?」

「だ、だめに決まってるじゃないですか、そんなの?」

「ねえ、お・ね・が・い・!」


 いったい自分で何をやっているんだろう。官能的と思われるポーズまで取って。ああ、どんどん勇者としての威厳が失われていく――


「し、しかし――」

「どうしてもダメ、かしら?」

「うぅ、そ、そんな目で見ないで下さい……」


 目を潤ませて最後の一押しを駆けた。頼む、効いてくれ――


「……少しだけですからね」


 こうして俺は何とかこの檻を脱出する術を得たのだった。

 

 しかし、これほどまでに魔物を夢中にできる姫の見た目とはどんなだろう? なんとなくそのことが気になった。






「はあ、はあ……なんとか戻ってこれたわね!」


 私は今朝出発した宿屋の建物を見上げて、ようやく安堵の吐息を漏らす。陽は西に沈み始めてその赤色をかなり強調している。夜になる前に、無事に来られてよかった。結局、行く当てもない私は王国から北にあるこの街に戻ってたわけで。


 しかし夜というのは、やはり魔物が活発に動き出す時間らしい。昼間は一匹たりとて見なかったのに、陽が傾くにつれて、平原にさえ彼らは姿を見せていた。


 初遭遇した時はどうなることかと思ったけれど。やはり、この勇者の身体はすごかった。って、これじゃあ、変な意味に聞こえるか。私は誰もいないのになんだか恥ずかしくなってくる。


 私が生まれて初めて対峙した魔物は、グニャグニャとした弾力に富んだ身体を持つスライムだった。今にして思えば何のこともない弱いモンスターだけれども、あの時の私は全力で怯えていた。身の毛がよだつ思いがして、足はがくがくと震えて、冷汗は全く止まらない。


 だが、それががらりと変わったのは敵の初撃を受けてからだった。スライムはうまく力を貯めて対当たらりをしてきたけれど、私に全くダメージはない。その途端に、あのちっぽけな魔物を恐れている自分が愚かに思えてきた。恐る恐る叩いてみたら、彼の身体は霞となって消えてしまい、後には古ぼけた銅貨が一枚。


 とにかく(わたし)の身体はかなり筋力量が多くて、それでいてしなやかさも持っていた。迫りくる魔物の攻撃は難なく躱し、隙を見て軽々と大剣で打ち払うことができた。


 魔物をバッタバッタと倒したおかげで、路銀は十分に稼げた。もとより、この少年の道具袋の中に、たんまりと金貨の入った袋があったのだが、やはりそれに手を付けるのは気が引けるというもので。というか、そんなことしたら私は泥棒になってしまうじゃない!


 迫りくる感慨深さを胸に、私は再び宿屋の扉をくぐった。


「いらっしゃいませ、旅の人。おや、これは今朝の旅人さん、もしかして今夜もお泊りですか?」

「――ああ、大層この宿が気に入ってね」

「ありがとうございます。幸い、昨夜使っていた部屋が空いていますのでそこをお使いください」


 私は頭上に掲げてあった料金表を見て、金貨を一枚台の上に置く。すると、宿屋の主人が今朝返した鍵をよこしてくれた。


「そう言えばお疲れでなければぜひ地下の酒場へどうぞ。きっと皆さん旅人さんのお話を聞きたがるはずです」

「か、考えておきます」


 予想もしなかった誘いに、私はつい地が出そうになってしまった。慌てて取り繕ったものの、変な口調になったことは否めない。でも、主人に気にした様子はなかった。どうやら、かなり大らかな人物のようね。


 それにしても酒場……か。


(ちょっと寄ってみようかしら)

 

 思えば、私ももう十五歳。この身体がどうかは知らないけれど、元々の私ならば十分お酒の飲める年齢だ。ただ、父や爺やの妨害によって一口たりとも口にしたことはないけれど。芽生えた好奇心が次第に大きくなっていくのがわかった。




 


 さ、寒い……! 当たり前か、この大吹雪の中、俺が身に着けているのは風通しのすこぶるいい薄衣。全身を冷たい風に襲われて仕方がない。震えは収まらないし、さっきからずっと歯がガタガタしている。


「も、戻りましょう、姫様!」

「ああ、そうだな」


 くそ、ここから逃げ出せると思ったのに。現実は甘くないらしい。せっかく色仕掛け(あのてこのて)を使って、ここまで来たというのに、非常に口惜しい。というか、道中露出度を上げたせいで余計に冷えるのかもしれない。


 これが元の身体ならばこうはいかないのに。分厚い鎧を身に着けるか、あるいは防寒呪文を唱えるか。この程度の寒さ、へでもないというのに。


 しかし魔王城がこんな節減の奥深くにあったとは。だが、この吹雪じゃあ詳しい地形もわからない。どうやらここから逃げるのはかなり骨が折れそうだ。


(どんな手を使ってでもここから逃げてやる――!)


 それでも俺にできることはそれしかないわけで。一刻も早く魔王城から脱出して、(ひめ)に会わなければ。もうこんな身体うんざりだ――






 私はすこぶる愉快な気分で部屋に戻ってきた。そのまま上着も脱がないで、ベッドに倒れ込んだ。こんなこと、姫の時代にしたらどれほどお説教されることか――


 それにしても、初めて口にしたアルコールというものはとても美味でした。呑めば呑むほどに、自分が朗らかになって楽しい気分が止まらなくなった。未だにふわふわとした高揚感を覚えています、私! 枕に顔を埋めながら足をバタバタと動かしてみる。

 

 もちろん楽しかったのはお酒だけじゃない。酒場にいた人と色々とお話しするのは楽しかった。そして何より、私が勇者様だって明かしたら露骨にちやほやされたしね!


 はあ勇者様の身体って最高! 性別が異なることにさえ目を瞑れば、何より自由だし。それに、ちょっと話を盛れば褒め称えられる。さあ次はどこへ行こうかしら。私はわくわくしながらゆっくりと瞼を閉じる――






「待ってろ、俺の身体!」

「待ってなさい、私のバカンス!」



 こうして、お互い身体の入れ替わった勇者と姫の数奇な物語が幕を開けるのだった――

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