第18話 手紙
ヴィダル弓具専門店では、客のいない合間にちょくちょくとコリーンが字を教えてくれている。彼女は目の前でディーナに向かって微笑んだ。
「大分読めるようになってきましたね」
「まぁ、絵本程度ならね」
コリーンは飽きもせず、ディーナに読み書きを教えてくれた。とにかく物覚えが悪いので時間はかかっているが、着実に自分のものになっていると実感できる。
「では、今日はお手紙を書いてみましょうか」
「え、誰に?」
「誰でも好きな人で構いませんよ。手紙というのは、書く勉強に一番適しているんです。伝えたい言葉を考え、文字にし、推敲し、また文字にする。そうやって書いた字はすぐに身に付くんです」
「ふーん」
手紙。以前、一度だけ書いたことがある。ウェルスすごい、とだけ書いた、今考えるととても恥ずかしい手紙。彼は今も、あの手紙をお守りにしてくれているのだろうか。
「……あたし、ウェルスに書いてみようかな」
「そうですね、いいと思います。でも相手は騎士様ですので、失礼のないように書き方に気を付けてくださいね」
そう言いながらコリーンは辞書を貸してくれた。たくさんの書き込みのある、彼女の辞書だ。
「今日中に仕上げる必要はありません。気持ちのこもった、素敵なお手紙を書いてくださいね」
そう言うとコリーンは集金に出ていった。
ウェルスに何を書こうか。書きたい気持ちはあるのだが、どう表現すべきかとても悩む。
その日、ディーナは店仕舞いした後で、一晩中机に向かっていた。
「え、もうできたんですか!?」
翌朝、出勤したコリーンに手紙を書いたた旨を伝えると、たいそう驚かれてしまった。どうやら一週間はかかると思っていたらしい。
「うん。これ、ウェルスに渡して来たいんだけど、いいかな。今日は丁度配達があったし」
「ちょっと読ませてください。騎士様に失礼があってはいけませんので、添削します」
「え!! コリーンが見るのか!?」
「そりゃ……見ないと添削できませんから」
手紙を受け取ろうと手を伸ばしてくるコリーンに、いやいやと首を振った。
「いや、何か人に見せらんない内容になっちゃってさ。は、恥ずかしいんだ」
「困りましたね。でも、騎士相手に何を書いたんです?」
ディーナは言おうかどうか迷ったが、結局伝えることにした。コリーンの人となりは、この数カ月でわかっている。彼女なら、誰にも言わないでおいてくれるだろう。
「あの、さ。人に言わないでほしいんだけど、昔、ウェルスとあたしは付き合ってたんだ」
その告白に驚きを隠せなかったコリーンは、目を丸めてディーナを見つめている。
「あ……そうだったんですね」
「あたし、今でもウェルスのことが好きでさ。……その気持ちをこの手紙に書いてんだ」
「ラブレターってわけですね」
ラブレターと言われると、何だか凄く照れくさい。
「わかりました、その手紙は読みません。その代わり、ウェルス様自身に添削してもらってくださいね」
コリーンから了承をもらったディーナは、「配達に行ってくる!」と元気良く店を飛び出していった。
アルバンの街に入ると、たくさんの兵士たちで溢れかえっていた。大きな戦が始まるのかもしれない。
騎士団長のアーダルベルトが皆の前で演説している。その脇に隊長たちが控えていた。ウェルスの姿を捉えたディーナは、人混みを縫うように掻き分けて行く。
ディーナがウェルスの前に辿り着いた時、鼓舞された兵たちの声が怒号のように響いた。
その中で、ウェルスの口元だけが「ディーナ」と形作られていた。
演説が終わり、各自出撃の最終準備をしている時、ウェルスは承諾を取るためにアーダルベルトの傍に行っている。
「アーダルベルト様、少しだけよろしいでしょうか」
ウェルスがアーダルベルトに問い、彼は首肯を見せる。
「出撃はすぐだ。手短に済ませるようにな」
「分かりました」
そのやり取りを見ていたディーナは、ウェルスに背中を押されて他の騎士から少し離れた。
「矢を届けに来てくれたのだな。間に合ってよかった」
「それもあるけど」
ディーナは矢を渡し、ウェルスはそれを装備する。そしてウェルスが装備を終えた時、ディーナは手紙を取り出した。
「これ……初めてちゃんと書いた手紙なんだ。暇な時にでも読んでよ」
「手紙……」
ウェルスはそう呟くと、ディーナの手を引っ張って連れ出した。どこに行くのかと思いきや、誰もいない部屋だ。ひとつのベッドが置いてあるところを見ると、ここでのウェルスの個室かもしれない。
中に入った途端、ウェルスは手紙を開け始めた。
「え、今読むのか!?」
「今から出撃だ。死んでしまっては読めなくなる」
「し、死ぬなよ……」
「わかっている」
ウェルスは手紙の冒頭を口にした。
「愛するウェルス」
「ちょっ! 声に出して読む気かよ!」
「いけないか?」
「ま、まぁいいけどさ」
ディーナが照れながら言うと、ウェルスは続けた。
「私はウェルスが誰よりも大切です。ウェルスには幸せになってほしいと思っています。昔、恋人だった頃、ウェルスを幸せにしてあげられるのは私しかいないと思っていました。でも奴隷だった私は、ウェルスの足を引っ張ってばかりで、申し訳なく思ってます」
ウェルスは一度顔を上げ、ディーナを見つめた。その視線を感じたディーナだったが、照れから自身の足元を見たままだ。
「ウェルスの姿を見られるだけで、私は幸せになれます。ウェルスも幸せになれる相手を探してください。その時には、私は心からウェルスを祝福しましょう。どうかウェルスに神のご加護があらんことを……ディーナ」
手紙を書くのはとても難しかった。あちこち話が飛んでまとまりがつかず、何度も何度も書き直した。
声に出すと取り返しがつかないが、手紙の良いところは、何度でも言葉を選んで練り直せるところだ。そのお陰で、それなりの文章を書くことができたと思っている。
短いが、ディーナの気持ちがすべて詰まった手紙だ。
「すごいな、ディーナ。いつの間にこんなに字が書けるようになったのだ」
「えへへ。コリーンのお陰だよ。どう、変なとこなかった?」
「一箇所だけ、ある」
「え、どこ!?」
ディーナは飛び込むようにして手紙を覗き込んだ。ウェルスはその箇所を指差してくれる。
「ウェルスも幸せになれる相手を探してください……どっかスペルでも間違ってる?」
「私が幸せになれる相手は、ディーナ以外にいない」
ウェルスの指摘は文字ではなく、内容にあった。
「……ウェルス、だって、あたしとじゃ幸せになれないよ。ウェルスなら、貴族とだって結婚できる。でもあたしと結婚したら、騎士じゃなくなっちゃうんだよ。それとも、ずっとこのままの関係でいいの?」
ウェルスは小さく首を横に振った。
「いいとは思っていない。だが、ディーナをもらい受けたい気持ちは変わらないし、騎士であることを放棄する気もない」
「……矛盾だよ、ウェルス……」
「……」
それは本人が一番よくわかっていることだろう。騎士かディーナかを選択する時はすでに終わっている。彼はディーナの策略によって騎士になっているのだから。
故に今からディーナを選べないことくらい、ディーナも、ウェルス自身もわかっていた。
沈黙が訪れた時、控えめなノックの音が飛び込んでくる。ウェルスが応えると、扉の向こうからロレンツォの声が響いてきた。
「ウェルス殿、そろそろ出撃ですよ」
「わかった、すぐに行く」
ウェルスがそう言うと、二つの足音が遠ざかっていった。ロレンツォのものと、おそらくスティーグというガタイのいい騎士のものだろう。
「ディーナ、時間がないので 簡潔に言う。中央官庁はイオス殿の策略によって一掃された。今度、新しく官吏が選出される」
ディーナはウェルスが何を言いたいのかわからず、首を傾げるに止まる。
「新しい官吏が、どのような考えを持っているかわからないが、もしかしたらあるいは……」
「それって、どういう……」
その時、外で出撃の合図が鳴った。もう行軍が開始されるのだ。
「……行かなくては」
「ウェルス!」
ディーナはウェルスの手を掴んだ。今から大きな戦があるというのは、ディーナにだってわかる。
こんな時に手紙など渡すのではなかった。まるで今生の別れのようになってしまうではないか。
イラスト/汐の音さま
「帰って、来るよな!?」
ディーナの言葉にウェルスは首肯する。
「待っていてくれ」
「うん、待ってるよ! あたしには、ウェルスしかいないからっ……だから……」
生きて帰ってと伝える前に、唇を塞がれた。一瞬だけの強いキスを残して、ウェルスはもうディーナを振り返ることはせず、扉を開けて駆けていった。
「ウェルス……」
ディーナはそんな彼の後ろ姿をじっと見送る。目からはいつの間にか涙が流れていた。




