21話
よろしくお願いします。
疲れに効くと聞いたことのあるアールグレイを渡すと美味しそうに飲み、重く長い息を吐いた。そのしぐさが帰宅したお父さんみたいで、思わずクスクス笑う私を大路君が不思議そうに見た。
「どうかした?」
カップに残った紅茶を零さないように片手に持ち、無意識なのか空いた手で姫を撫でながら訊いてきた。リラックスしている姫は、大路君の膝の上で微睡み、今にも寝てしまいそう。
私はソファの隣に座った。少しクッションが沈み、姫がピクリと反応する。
「大路君にも苦手なことがあるんだなぁと思って。航にぃなんて女の人に声を掛けられても、透明人間の様に扱うんだよ。響なんて「笑顔でごめんねって言えば余裕」とか、凄く生意気なこと言うし。私、大路君は何でも器用にこなすスーパー君だと思っていたから、ちょっと以外で、でもそれがなぜか嬉しかったの」
こうやって話すようになって大路君の知らなかったことを知る場面が増え、嬉しいと感じる自分がいる。
「俺にも苦手なことは一杯あるよ。特に女の人は苦手」
「へ~意外……。ちょと待って!女の人が苦手ってことは、私もダメってことだよね!?」
ショックだ。何がショックかって、苦手だと言っている人に対して挨拶をしつこくしたり、家にまで連れて来てしまったことに。
私は知らない内に酷いことをしていた……?
重い石を頭上に乗せられたようにズンッと気分が沈んだ。
「ごねんね、そうとは知らずに引っ張り回しちゃって、一杯迷惑もかけたよね……。あ、大丈夫?辛いときは言ってね?寂しいけれど近付かないようにするし、声だって掛けないようにするから」
やっぱり私みたいなのが大路君のような主役の人と仲良くするなんて、可笑しなことだったんだ。モブはモブらしく、ひっそりこっそり生活するべきだったのに、一緒にいて楽しいとか嬉しいとか、なんて烏滸がましい感情を持ったんだろう……。
ああ、本当に私はバカだ。しかも大路君も友達だと思ってくれているのでは?って考えてた最低の思い上がりバカだ。
これからどうしようと考え込んでいると、膝の上で強く握りしめた拳に、労わるように大路君の手が置かれた。包み込むような温もりに、思わず目頭が熱くなる。
恐々顔を上げて大路君を見た。その優しい眼差しに目が離せなくなった。
「あの時と逆だね。……大丈夫だよ、山下さんは大丈夫。ダメだったら話しかけないし、助けない。俺は山下さんだからそうしたんだ」
言い聞かせるような言葉を聞いて思い出した。そうだ、きっかけは大路君からだった。最初は心臓が竦みあがるくらい近くに居ることに怯えていたのに、今は安心できる程の存在になっている。
良かった、嫌われてはいなかった。それがこんなにも嬉しいなんて、あの頃の私には想像もできないだろうなぁ。
「ねぇ、覚えてる?」そう言って置かれた手がキュッと握られた。
「最初に話しかけてくれたのって、山下さんなんだよ」
「えっ、ウソ!?」
「本当。二年の時、教室で寝てたら下校時間がとっくに過ぎてて、気づかなかった俺を起こしてくれたんだよ」
……思い出した。あの日はみっちゃんに無理やり雑用を押し付けられて、終わった時には夕日が沈み、月が登ろうとしていた。車で送ってくれることになったけど、忘れ物をして戻ったら隣の教室の電気が点いていて、覗くと誰かが寝ていた。迷ったけど声を掛けたんだっけ。
「何に怯えてるんだろうってくらいビクビクしながら声、掛けてきたよね」
「あ、あの時は制服で男子だって分かったから……」
「うん、今なら俺だから怖がっていたんじゃないって分かるよ。でも、あの時は理由が分からないし、あんな反応されたの初めてで、見かける度に気になって見てた。だから三年になって同じクラスになれて近づけた気がした……」
私、見られてたんだ……。かなり挙動不審だっただろうなぁ。そんな怖い女に良く声を掛ける気になってくれたよ。入学当初からキラキラしていた大路君と、教室の中で気配を消してコソコソしている私。そんな対照的な二人がこうして並んで座っていることは、かなりの奇跡なんじゃないかな。
「ねぇ、山下さん。俺は山下さんの特別になれた?俺の気持ち、少しは伝わった?」
「伝わったよ。私たち、相思相愛の友達だね!すごく嬉しいよ。これからも友達でいてね!」
良かった、友達だと思っているのが私だけじゃなくて。気持ちが通じている友人が出来るって、自分の世界が広がる。心がほっこりして、一歩を踏み出す勇気をくれる。この関係を大切にしたい。
「よし!今日は平麺パスタのボロネーゼを作るよ!食べて行ってね、張り切って作るから!」
腕に縒りをかけて作るよ。響きにも好評な自信作!友情確認記念だ!
ソファから立ち上がり、ガッツポーズ作って見せた。大路君はなぜか複雑そうな笑顔で「ありがとう」と言ってくれた。
あまりにも私が張り切っているから吃驚したのかも。
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山下さんは嬉しそうに立ち上がり、キッチンに向かった。その後ろ姿を見ながら、俺はさっきまで触れていた手の温もりが消えていくのを惜しむように握りしめ、額に当てた。
『友達でいてね!』その笑顔が陰らないようにするのが精いっぱい。今はまだ、云うときじゃないと言われた気がした。
山下さんの家で夕食を頂く機会が増え、響との会話も増えた。最初はガーディアンの様に警戒心剥き出しだったのに、最近では姫を通して笑い合う瞬間がある。
『望ねぇは手強いっすよ』弟がそう言うのだからと覚悟はしていたが、これ程とは……。
「……姫、俺の気持ちはいつか伝わると思うか?」
膝の上で寝転がる真っ白な猫に話しかける。姫は首をかしげ、一声鳴いた。
「さあね」と言ってるみたいだった。