2話
「はぁ~……」
昇降口で靴を履き替えている間も溜め息が止まらない。
あの後、「期待持たせるんじゃねぇよ」の視線と「おとなしく座ってろや」の攻撃的視線が凄かった。
上履きを仕舞っている間も出る溜め息。もう、一生分出たんじゃないかな。
「ねぇ、」
「ひぃっ!?」
肩に手を置かれ、驚いて持っていた靴を落としてしまった。
コンコンッとリノリウムの床に響く音。
恐る恐る振り向くと、片手を私の肩に置いた時の状態で固まった弟の響が居た。
「お、驚かさないでよ!バカ響!」
「はぁ?望ねぇがかってに驚いたんだろ」
相手が響だと分かって強気になる私。つくづくチキンだ。
響は鞄を肩に掛け、手には靴を持っていた。
「部活は?」
「今日は休みって昨日言っただろ。それより、夕食なに?」
母は忙しい人なので、居ない時の料理は私が担当している。響は掃除担当。上二人は家を出て一人暮らし。だから家の事はほとんど私と響でやっていた。
「まだ決めてない。買い物しながら考えるよ。丁度良かった、荷物持ちお願いね」
「了解」
「ビーフシチューが食べたい!」
靴を履いていると、いつの間にか来たりっちゃんがそう言った。
同じ制服を着ているはずなのになんだろう、この差は……。このまま雑誌に載ってもおかしくない。いや、むしろ載るべきだ。
でもりっちゃんは興味が無いからと、その手の話は断りまくっている。
「律ねぇには訊いてませ~ん」
「響には言ってませ~ん」
あまり仲良くない二人。私は同族嫌悪だと思っている。
「早く帰って卓さんといちゃこらしてなよ」
「うっさい!卓君は今日は会えないってメール来たの。だから望とラブラブするの!男は邪魔。響は部屋に閉じ籠ってなさいよ、このシスコン!」
何時ものやり取りが始まった。
卓さんとはりっちゃんの彼氏だ。見た目は普通でとても優しくて大人な男性。りっちゃんの猛アタックの末、見事ゲット。恋する乙女は凄い。
響とりっちゃんの言い合いは続いている。私を巡って争いなんて止めて!とかは馬鹿馬鹿しくて言えないけど、『望を独り占めし隊』らしい。
いや、マジでどうでもいい。
響もりっちゃんも恋人がいるのになんで私が良いのかさっぱり理解出来ない。
「もう、いい加減に……」
という言葉の続きは、いきなり現れた大路君によってかき消された。
響とりっちゃんが騒ぐ直ぐ後ろに、数人の女子を引き連れて立っている。
「山下さん、今帰り?」
「あ、そうです!帰りです!」
「なに話しかけられてんだ、このブス」の視線が怖い。
女子達は「ねぇ、王子~。早く行こうよ~」と猫なで声で話しかけているのに、まるで一人であるかの様にそこに居る。
私は響とりっちゃんの腕を素早く掴み、走って逃げた。
スーパーで買い物を済ませ、家に帰るとりっちゃんリクエストのビーフシチューを作り始めた。
「はぁ~……」
鍋をかき混ぜながら思わず出た溜め息に、目敏く反応したのは、一緒に帰ってきたりっちゃんだ。
「どうしたのさ、悩みごとなら無償で聞くよ」
ぐるぐる。ビーフシチューを混ぜながら、姉の湊ねぇの部屋着を勝手に着ているりっちゃんを見る。
「りっちゃんは綺麗で良いなぁと思ってさ」
りっちゃんクラスの美貌なら、敵視する女子も納得するんだろうな。
王子が話しかけたのが私みたいなキングオブ平均女だから、あんなに怖い顔で睨み付けるんだろう。
「自分で思い込んでいるだけで、望だって可愛いんだからね」
「あはは。あり得ない」
自分の価値は自分が良く分かっている。兄弟で居ると「望ちゃんは普通だね」と何回言われたことか。数えるのも馬鹿らしくなるらいは言われた。
そう、私は普通だ。だから一つだけ言える事がある。ブスではない。これは認められないなけなしの乙女心です。
「ただいまー」
三人で夕食を食べているとき、陽気な声が玄関から聞こえてきた。
ダイニングに現れたのは双子の片割れ。長男の航にぃだ。
「航にぃ、また酒のんで来たのかよ」
「自分の家に帰りなさいよ、この酔っぱらい」
お酒臭い航にぃに響が嫌そうな顔をした。りっちゃんも嫌そうだ。
私も酔った航にぃは好きじゃない。
普段も妹に甘い航にぃだけど、酔うとさらに甘々になって纏わり付いて離れないので、迷惑この上ない。
「なんだよ~。響も律も冷たいなぁ。望はお兄ちゃんに優しいよなー?」
「いや。お酒臭い。近寄らないで」
突き放すように言うと、膝を付いて崩れ落ちた。
相変わらずいちいち大げさ。
「望が、望が反抗期になってしまった……。昔は航にぃ大好き。航にぃと結婚するって言ってたのに……」
……また始まった。
これで全国模試トップ常連だったんだから世も末だ。
夕食を食べ終え、片付けを終えてもまだ蹲っていた。
近づいてみると安らかな寝息が微かに聞こえる。
「望ねぇ、放っておけよ」
「そうだよ。バカだから風邪引かないって」
「いや、そういう問題じゃなく……」
こういうときは響とりっちゃんの意見は合致する。なんだかんだ仲が良い証拠。
邪魔なんだよ。だって航にぃってばドアの前で蹲っているんだもん。
響とりっちゃんは踏み越えて行けば良いって言うけど、さすがに兄を踏むのはいかがなものか。
「航にぃ、起きて。風邪引くよ」
体を揺するとゆっくり顔を上げた。まだ酔っているのか目は虚ろだ。
航にぃは獲物を見つけた獣の如くガバッと襲いかかってきた。
「のぞみ~。可愛いなぁ、望は。お嫁になんか行かないでくれ。まだお兄ちゃんの妹で居てくれよ~」
「ぎゃー!!」
重い!苦しい!お酒臭い!
思い切り抱きしめられ、少し生えた髭をジョリジョリされる。身動きが取れなくなった私を響とりっちゃんが助けてくれた。
航にぃは再び夢の中へ旅立っている。
「このシスコン!私の望に気安く抱きつくな!」
「いい加減にしろバカ兄貴!このまま埋めるぞ!」
私は足蹴にされる航にぃを見ながら、よくこの状況で寝れるなぁと変な感心をしていた。