表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

「こんな歳で、初めて外に出たなんて、情けない話だよね。」

京が、まだしんどいのか疲れた顔で笑った。

「結局、たまきちゃんに、迷惑かけて。母さん、泣かせちゃうし。父さんに、みんなに、心配かけて。本当に、僕は…」

そう言う京の、苦しそうな表情がたまきの胸を締め付けた。かける言葉が見つからない。本当に悩んでいる彼に適当な言葉を言えるはずがなかった。

「……」

黙り込んだたまきを見て、京は

「広間へ行って、みんなに顔を見せてきたらどうかな。10年振りくらいでしょう?叔父さんたちが喜ぶよ。それに、僕、少し休みたいから。」

青白い顔に明るい笑顔を浮かべてそう言った。

あまり言う事のない弱音を吐いたのは、たまきが出て行きやすくするための彼の気遣いだろう。

たまきはなんとか笑顔を浮かべて、

「そうするわ」

と言って部屋を出た。


***


休みたい、というのは本音だった。

たまきといたお陰で心臓が止まってしまうことは避けられたが、やはり発作を起こすと後がしんどい。京は息を吐いて目蓋を閉じた。

目を閉じると、色々な音がはっきりと聞こえ始める。


風でそよぐ外の枝

風鈴の音

はしゃいだ子どもの声

下駄が地面を蹴る時のカコカコという音

自分の息を吸う音


障子を閉めているので昼よりは遠いが、静かな離れではよく聞こえる。

「はあ」

また大きくため息を吐いた。

その時、目尻から雫が一筋零れ落ち、こめかみを伝って髪に染み込んだ。

何の涙なのかは自分でもよく分からない。

情けないからか、息苦しいからか、生理的なものなのか。

「…くっ、良い歳して情けないったら」

思わず少し笑って、目を開いて体を起こした。重いので、自然と動きが遅くなる。

ぼんやり足元に視線をやって、しばらくほうけてからのそりと布団から這い出した。


***


初は大人たちの中にいるのに飽きて、広い屋敷の中を歩いて見て回っていた。

築百年をゆうに超す古い屋敷だが、それ程古びた感じはなくむしろ味があって落ち着く。

と、初は兄の言葉を思い出しつつ歩いている。まだまだ幼い初にはよく分からない感覚である。

(味…ねぇ。古い感じしかしないけど。こんなのが良いのかしら、にいさんは。…味があるってどういうこと?)

試しに柱を指でなぞって舐めてみた。何の味もしなかった。さっき広間で食べた煮物の出汁の味がするばかりだ。

(やっぱり味があるなんて嘘だ)

唾液で濡れた人差し指の先を服で擦った。

「何をしているの?」

不意に傍で男の人の声がして、初は跳び上がった。

「わああっ!!」

「ああ、ごめんよ。驚かせてしまったね。」

初の声にその人も驚いていた。目を大きく開いて微妙な表情で初を見下ろした。

「それで、さっき何をしていたの?柱をなぞって舐めてたみたいだけど。」

「知ってるんじゃない」

では何故聞くんだと顔で言うと、その人はええと、と言葉を選びながら別の言葉でもう一度言った。

「何をしたか、ではなくて、どうしてそんなことをしていたのか、を教えて欲しいんだ。」

「兄さんが、この屋敷は味があって良いって。だから味見。」

「はは、なるほど。“味”ね。」

「味なんかしないわ。兄さん、嘘ついた。」

初は不満を露わに口を尖らせたが、男は正反対の優しい笑みを浮かべていた。

「“味”っていうのは、魅力ってこと」

「みりょく?」

「うーん、良いところって言えば分かる?」

「うん」

「古いけど、そこもまた格好良いって、お兄さんは言いたかったんだと思うな」

「ふーん。たしかに、はつもここは好き。何ていうか、良い感じがする。しーんとしてて、うるさくない。古いけど怖くないから、好きなの」

「そっか、はつちゃんて言うんだね。良いこと言うなぁ」

男の人はそう言って笑って、初の頭を軽く撫でた。袖から見えた腕が父親の半分くらいしかなくて、よく見れば顔色が悪い。

「お兄さん、具合わるいの?寝てなきゃだめだよ。良くならないから」

風邪を引くと母が口を酸っぱくして言う言葉だ。咄嗟に口から出た。

すると後ろから、

「あ、やっぱり!京ちゃん寝てなきゃだめじゃない!部屋まで連れて行ってあげるから」

と、焦ったたまきお姉さんの声がした。

「お手洗いに行こうと思ったんだよ。…付いて来る?」

意地悪な顔でお兄さんがそう言うと、たまきお姉さんは怒った顔で

「心配して言ってるの!もう、からかわないでよね!」

ぷいとそっぽを向いた。

「ごめんごめん。つい。」

謝っているのに満面の笑みでお兄さんが言った。たまきお姉さんもちゃんとわかっていたようで、ニヤリと笑って許した。

「はいはい、じゃあ行ってきてください。終わったら真っ直ぐ部屋に戻ってね」

「うん、もちろん」

お兄さんは私を撫でてから手を振って歩き去って行った。


***


翌朝。

初は早朝、お手洗いへ行きたくなって薄暗い廊下を歩いていた。床がひんやりとして気持ちが良い。

すると、突き当たりにお手洗いのある廊下に人影があった。あのお兄さんだ。だがどうも様子がおかしい。

「っ、!……ふぅ。……はぁ。」

壁にもたれていたのが、向きを変え背中を預けてそのまま下へずり落ちた。初は訳も分からず傍へ駆け寄った。

「どうしたの?」

お兄さんは薄目を開けてこちらを見て、僅かに笑うと

「平気、大丈夫、すぐ、おさまるから」

苦しそうに、小さな声で言った。

はぁ、はぁ、と息も絶え絶えだ。

初は自分の手が震えているのに気がついた。

よく分からないが、これは誰かを呼ぶべきだ、そう感じて部屋へ戻ろうとすると、

「お願い、言わないで、誰にも」

お兄さんがすがるように言った。

「軽いやつだから、ほんとに、大丈夫。ほら、さっきより、随分良くなった。」

お兄さんがにっと笑って見せた。

初は内心怯えながら、頷いた。

お兄さんはやはり笑顔で初の頭を撫でて、ゆっくり、本当にゆっくりと、部屋へ帰って行った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ