無表情な
「お邪魔しまーす」「ただいま」
僕は明希の家に入った。奥に明希のお母さんらしき人がいるみたいだったが、おかえり、とも言わない。
「先、上あがってて。せんべい持って行くから」
何も声を発しない明希のお母さんが少し気になったけど、とりあえず二階の明希の部屋に入る。
中学生のころは漫画が大量にあったのに、今はない。代わりに参考書が並んでいた。
よく見ると、心理学のものばかりだ。
「祐介、炭酸飲めたよな?はい、これ」
不意に後ろから声をかけられ、驚きながら缶ジュースを受け取る。明希の家に来たときはいつもこのソーダだ。あと、せんべい。
「あのさ……、あのときのこと、まだ怒ってる?」
「もう、忘れた」
プシュッと缶を開ける音と同時に、明希はそうつぶやいた。
「なあ、お母さんは元気?」
「普通」
それ以上、僕は聞けなかった。
「っていうか、お前、俺のお母さんと会ったことあったっけ?」
せんべいをすべて食い尽くす勢いで、明希はせんべいを咀嚼している。
「いや……ないよ」
「だよな」
会ったことはなかった。だって、僕が明希と仲良くなって家に遊びに行くようになったころには、明希の弟とお母さんはすでに家を出ていたから。おじさんは働いていたし、明希はこの広い家で1人だった。
だから、明希がただいまと言っているところ自体、僕は今まで見たことがなかったのだ。
でも、今日は「ただいま」と言った。でも、返事がなかった。それが異様に思えた。
僕が黙り込んでいると、明希が口を開いた。
「桜ちゃんは、俺の弟と付き合い始めた」
今、なんて??僕は耳を疑った。
「見たんだよ、その……手をつないでいるところを」
明希は無表情だった。でも、この顔は。いつも傷ついているときにする顔で。
「明希……大丈夫か?」
こんなときになんで、なんで僕はこんなことしか言えない? 大丈夫じゃないに決まってる。あの日、桜ちゃんと僕が別れたあの日、あんなに怒った明希が。桜ちゃんを誰よりも好きだったはずの明希が、大丈夫じゃないに決まってるのに。
「幸せそうで、よかったよ」
最後の一枚のせんべいに手を伸ばそうともせず、僕たちの間に沈黙が流れた。




