それでもはじまる
みんなが席に着いていくのをぼーっと眺めながら、わたしはさっきの出来事を思い返してみた。ついカッとなって……あれ、何を言ったか思い出せないや。
「飯田、何があったか説明してください」
住川先生は夏海をさした。
夏海は静かに立った。
「沢木さんがマーチングが嫌いといいました。それで、それで、私がもう一度みんなの前で言ってみろと言ったんです。それで口論になりました。そうしたら、さくら……神谷さんが、沢木さんに言い返したんです。それで……」
「もういいです、座りなさい」
先生はため息をついた。
「いいですか、皆さん。皆さんの中にはマーチングが嫌いな人もいるだろうし好きな人もいると思う。でも私は、マーチングを嫌いな人に無理やり好きになってもらおうとは思っていない。でも、本番直前になって、不平不満を言うのはよくなかったですね、沢木。神谷も先輩として、沢木に対してもう少し冷静な態度を見せないとダメだったんじゃないのかしら」
先生はまっすぐな瞳で私たちを交互に見つめた。
「まあ、中学生のあなたたちには無茶な話ですが。無理に仲直りしろとは言いません。あなたたちのタイミングですればいいと思う。ただし、マーチングに私情を持ち込まないでください。今まで練習してきたものが誰かのためだけに壊されることは決してないように。以上です。解散」
住川先生は結局私のことも沢木さんのことも呼び出して叱ったりしなかった。私は沢木さんと仲直りしようなんて微塵も思わなかったし、沢木さんだって取り巻きたちに囲まれて泣いていたし、すごく嫌な気分。早く逃げ出したい。そして私はかばんをつかんで階段を駆け下りた。
そして、そのまま体育祭当日を迎えてしまった。例年通り、クラスごとの入場行進、校歌を演奏した私たちはそれが終わるとバタバタとクラスの座席に戻った。隣のクラスの夏海と目配せして遊びつつ、私はひそかにある人物を探していた。
明希先輩が来る。確かに奏音君はそういった。
午前からは来ないか。来るとしたらマーチングのある昼休みかもしれない。
私は緊張しているらしい。
最後の体育祭はサクサク進んだ。運動が苦手な私にとって、毎年の運動会や体育祭は苦痛だったけど、今年は少しそんなに早く過ぎ去らないでほしいと思う。クラス対抗リレーで盛り上がっているクラスメイトを見て、自然に笑みがこぼれた。まだ夏の暑さが残っているのに、座席の合間を縫って通る風に秋を感じる。
私は、男女混合リレーと学年競技の長縄を終えて、みんなより一足先にご飯を食べるために、吹奏楽部の楽器置き場になっている教室へ向かった。夏海を誘ったけれど、大玉ころがしを見たいといってこなかった。
私が教室に入るとすでに一人お弁当を食べている子の姿があった。その子がこちらを向いて会釈したとき目が合った。
沢木さんだった。
気まずい、ものすごく気まずい……。ああ、こんな時どうしたらいいんだろうか。話しかけた方がいい? 沢木さんは私と話したくないだろうか。そりゃそうか。でも先輩として……。
「沢木さん、早いね」
とりあえず当たり障りのない言葉でもかけた。よし、第一関門突破。
当の沢木さんは、私に話しかけられてビックリしてこっちを見たけど、うつむいて、ぼそぼそとこう言った。
「私、食べるの遅いんで」
「そっか」
私は、沢木さんと中途半端に机三個分くらいの距離をあけてお弁当を広げた。広げるとはいっても、おにぎり二個だけなんだけど。
「あの、先輩」
今度は沢木さんが私に話しかけてきた。
「はい」
「怒ってますか?」
そうストレートに聞かれるとは思ってなかった。私はどう答えるべきか悩んだ挙句、ストレートに返した。
「怒ってる。まだ許してないよ」
沢木さんが横に垂れている髪の毛の奥でフッと笑った気がした。
「私もです。まだマーチングのこと嫌いです」
「そっか」
前みたいにイライラしないのはなぜだろうか。沢木さんの「マーチングが嫌い」という言葉がストンと私の中に入ってきて、違和感がなかった。
「でも、今日は頑張ろうね」
私が笑ってみせると、沢木さんもうなずいた。
しばらくして、ぞろぞろと部員が入ってきて、私たちが二人で教室にいることに、みんなぎょっとしたようだったけれど、不穏な空気がないせいか、普通にお弁当を食べ始めた。
わたしが、着替えのために場所を移動しようとすると、奏音くんが私に話しかけてきた。
「桜先輩、お兄ちゃん来ました。だから何って感じなんですけど……ええと、それだけです。すみません」
先輩が来ている。とうとうこの時が来てしまった。私は木が風で揺れているようにざわざわしている心を落ち着かせるために深呼吸をした。




