憎んでも、嫌いになれない
お兄ちゃんと会わなくなってから、僕は学校から帰っても、部屋に閉じこもっていた。もともと暗い性格だから、新しい学校に馴染めなかったのである。
そんなある日。僕が広すぎるお風呂に1人浸かっていると、おじいちゃんがいきなり入ってきた。
「……おじいちゃん」
ここに引っ越してきてから、おじいちゃんと2人きりになるのは初めてだった。おじいちゃんは社長で忙しくしていて、いつも僕はその姿を眺めるだけだったから。
「一回、奏音とゆっくり話してみたかったんじゃ」
おじいちゃんは、もう毛が少なくなっている頭にシャンプーハットをかぶせて、シャンプーで丁寧に頭皮、いや、髪の毛を洗い始めた。しばらく沈黙が続いた後、あたまを洗い終わって一息ついたおじいちゃんは突然、切り出した。
「奏音、後を継ぐ気はないか」
僕はびっくりした。そんなこと、突然言われてもよく分からない。
「わしはな、やっぱり奏音が継ぐのが一番いいと思う。明希はあの父親のところに残ってしまった。あんな父親のところにいたら、いくら明希でもだめになってしまうと、わしは考えとる。奏音、考えてはくれんか」
僕のお父さんは、「あんな」父親なんかじゃない。なんでおじいちゃんがそんなことを言うのか、当時の僕には理解できなかった。
「……わからない」
それだけ言って、のぼせてぼんやりした頭をふって、僕はお風呂を後にした。
それからも幾度となくおじいちゃんからその話を聞いたが、僕は継ぐ気なんてさらさらなかったし、そもそも考えようとしなかった。
僕は小5になるころには、家の誰ともあまり話さなくなってしまった。お母さんは僕に話しかけてきたりしたが、お兄ちゃんのあの一件以来、僕はお母さんを信用できない。祖父母もどんどん殻に閉じこもる僕にどう接したらいいか分からないみたいだった。この家のことが嫌いになってしまった。
早く家を出たいと思って約2年。お父さんが死んだという情報が入った。
「奏音、お父さんが、死んだ」
電話ごしにお兄ちゃんが泣いているのがわかった。死んだ?死んだ?死んだ……?
「お兄ちゃん、僕は分からないよ。お父さんが死んだ? 僕に何も言わずに? 僕何も聞いてないよ、僕、僕、僕____」
「また決まったら連絡する」
かすれたお兄ちゃんの声が耳に残った。三月十二日。お兄ちゃんは卒業式の前日だった。僕は6年生の終わりのほうだった。
お父さんの死に目に会えなかったということが頭の中をぐるぐる回った。そして、何も教えてくれなかったお母さんを憎んだ。
買い物から帰ってきたお母さんにそのことを告げると、「あ、そう」としか言わなかった。
でも、僕はお母さんを嫌いになれなかった。
◇◇◇




