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さくらの季節   作者: 木内杏子
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波音と過去

 「奏音くん、どこに行くつもりなの?」

後ろから桜先輩が聞いてくるけど、僕は答える気がなかった。僕はシャツを控えめににぎる桜先輩の手の感触を感じながら、無心で自転車をこぎ、海岸で自転車を止めた。

 桜先輩はきょとんとしている。そんな姿に僕は少し説明もなしにここに連れてきたことを後悔しながら、こう言った。


「ここは僕の思い出の場所なんです」

 それでもまだきょとんとしている桜先輩に、ぼくはさらに言葉をつけたした。

「お父さんとお母さんとお兄ちゃんと四人そろって最後に来た場所なんです」

 桜先輩は何も言わず、砂浜に腰を下ろした。そして、僕を見上げた。

「今日は僕からお話しをしようと思ってて。桜先輩みたいに上手に話せないと思うのですけど」


 桜先輩はにこっと笑ってうなずいた。

「聞くよ。むしろ聞かせてほしい」


 僕は少し話の仕方を考えて切り出した。この話は誰にも言うつもりはなかった。だって__。でも、桜先輩ならきっと僕の話を聞いてくれると思う。お兄ちゃんにどこか似ている、桜先輩なら。


 僕は今も鮮明に記憶している出来事をわざとらしく思い出しながら話しているふりをして話し始めた。



◇◇◇


 僕が最初にこの浜に来たのは、もう五年ほど前になる。お父さんの転勤で、東京に引っ越してきて三か月。まだ東京の暮らしに慣れていないお兄ちゃんと僕に、両親はいきなり離婚しようと思っている旨を伝えた。後から聞いた話では、お兄ちゃんはこの離婚のことを少し感づいていたし、離婚理由も分かっていたという。


 最後の思い出作りにと、両親は車でこの海岸に僕たちをつれてきた。まだ初夏の頃だったけれど、その年は例年より暑く、お父さんとお兄ちゃんと僕は水着に着替えて海に入った。僕はお母さんも入るように誘ったけれど、暑いのに長袖を着て髪を下したお母さんはそれに応じてはくれなかった。そればかりか、腕をつかむと顔をしかめて何やら痛そうだった。そのときの僕はそのことが不思議だったが、のちのち、お父さんに殴られた跡をさらしたくなかったのと、その傷が痛んでいたのであろうということが分かった。お母さんはお父さんにDVを受けていた。お父さんは酔うと人格が変わる人だったのだ。これはお兄ちゃんから聞いた話だけど。


 お父さんはいつもと変わらずニコニコ笑って、僕を抱っこしてくれたり、腕にぶら下がらせてくれたり、優しいお父さんだった。お兄ちゃんも楽しそうにしていて、お母さんは微笑んでいた。

 日が暮れるまで、貝を拾ったり、砂で城を作ったり、また海に入ったりして過ごした。本当に、楽しかった。



 日が暮れると寂しい気持ちになり、でも帰らなくちゃいけないし、車に乗り込んだ。お兄ちゃんは何か考え込んでいるようでずっとうつむいていた。


 CDの音楽だけが車内に聞こえていた。誰も口を開かなかったけど、突然お兄ちゃんが言った。


「ねえ、お母さん、お父さん」


「なに?」「なんや?」


「俺、お父さんと暮らしてええ? お母さんには奏がついてるけど、お父さん、俺らがおばあちゃんち行ったら一人やん。俺、お父さんと一緒におりたい」


「お兄ちゃん、なんで? 僕と一緒におってよ」


 お兄ちゃんが言った言葉にかぶせるように僕は反対した。僕はお兄ちゃんと離れたくなかった。


「でも……。明希、この前おじいちゃんとおばあちゃんと約束したじゃない。私は明希に一緒に来てほしい」

 お母さんが助手席から、お兄ちゃんをじっと見つめた。


「また、ゆっくり話すわ。家に帰ってからでも」

「そうやな」

 お父さんの真剣な顔が車のミラー越しにみえた。


 僕が寝静まってから話をしたのか、次の日にはお兄ちゃんはお父さんとこの家に残ることになっていた。お兄ちゃんは祖父母に残ることを決めたことを伝えに出かけた。そして、本当に残ることになってしまったのだ。お兄ちゃんと離れるなんて考えたことがなかったし、あと一か月近くでこの家を離れるなんて考えられなかったし、まわりの物事が全部変わってしまいそうで怖かった。


 そして、しばらくしてお母さんと僕は家を出た。

 別れ際、お兄ちゃんが僕を手招きし、近づいた僕に耳打ちした。


「お母さんをよろしく頼む。実はお父さんは病気なんや。奏には言わんといてって言われとったけど、奏だけ知らんのはあかんと思った。でも心配せんでええで。俺がお父さんを支えるから、お母さんを頼んだで」


 お父さんが病気?何も知らされていなかった僕は混乱した。そんなに悪いのか、ちゃんと治るのか。実際、僕に知らされていないことはいっぱいあった。僕は家族のこと大事なことをほとんど知らされていなかった。僕は心の片隅にもやもやしたものを抱えたまま、お父さんに頭を撫でられて、「元気でな」って寂しそうに微笑まれて、迎えの車に乗り込んだ。


 お母さんは僕の肩を抱いて、その後、一度も振り返ることがなかった。



 僕とお母さんは、祖父母の家に居候することになっていた。東京に来てから建てた一軒家は、お兄ちゃんとお父さんが使うことになっていた。それに伴って、僕は祖父母宅の近くの小学校に通うこととなった。ぼくの新生活が始まった。

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