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さくらの季節   作者: 木内杏子
24/61

夏祭り

 「え……」


 セミの声がふりしきる、午前10時。私は、そんな声をかき消すように驚いていた。


「今なんて?」

 奏音くんが真顔でもう一度言う。

「だから、一緒に夏祭り行きませんかって言ったんですけど」


「……」


「夏海先輩も、芳佳先輩も、遥人先輩も、りり先輩もみんな行くって言ってますけど。真中さんと辰井さんが言い出しっぺです」


 あ……。私、ものすごい恥ずかしい勘違いをしていたみたいだ。


「あ、そうよね、うん。もちろんいくよ」


 赤い顔をごまかすためにうつむいて、返事をし、楽器の準備をしてグラウンドへ。日焼け対策はばっちり。私はマーチングリーダーとして、一年生のポイントうちの指示を出しながら、水を一口。マーチングに慣れない一年生たちの様子、例えば倒れそうじゃないかとかも気を配るようにしている。まあ、そうしようと思ったのは、明希先輩の言葉のおかげだけど。


『自分の命と楽器の命、両方預かってるんやで』


 思い出して、顔がほぐれた。前みたいに苦しくならない。だんだんいい思い出になっていくのかな……。


「ポイントうち終わりましたーー!」


 奏音君の声がする。





 時は流れ、私は芳佳ちゃんと夏海に捕まっていた。今日は八月の二十日。夏祭りは六時からだけれど、なぜか私は、部活が終わったあと、シャワーを浴びてすぐ、夏海の家に連行されていた。


「どの柄にする? 朝顔? ぼたん?」


 夏海の部屋に広げられた浴衣を芳佳ちゃんが次々と手に取る。夏海のお母さんはお裁縫が好きで、毎年夏海のために浴衣を作っているのだが、一着では気が済まず、一年に三着も作ってしまうそうだ。サイズが合わなくなったものは処分したと言っているけれど、十着はある。


 「せっかく祭りに行くんだから、浴衣着なきゃ! これいいんじゃない?」

夏海が私の前に、一枚の浴衣を持ってきた。


 白地に、薄いピンク色の桜がちりばめられたきれいな浴衣で、よく見ると、白と銀が混じった糸でこまかく花びらの刺繍が施されたものだった。


「綺麗……」

「気に入ったんならあげるよ。私、ピンク着ないから。桜柄は桜にぴったりでしょ?」


「いいの? ありがとう」


 夏海のお母さんに着付けをしてもらって、夏海は青い朝顔、芳佳ちゃんは白地にひまわり柄の浴衣を着て、待ち合わせ場所に向かった。祭りの太鼓の音が、近くなっていくのに合わせて、なんだかうきうきしてきた。


 待ち合わせ場所は、公園の円形の花壇のところ。着くとすでに、後輩たちが集合していた。りりちゃんも浴衣を着て、可愛かった。


「先輩たち、綺麗ですう!」


真中えりかちゃんが褒めてくれて、私たち三年生はだらしない笑みを浮かべてしまった。


「何食べる? わたあめ? りんごあめ? はし巻?」

二年生の遥人くんが、りりちゃんに話しかけて、


「食べ物しか頭にないの?」

とりりちゃんにあきれられていた。



 でもしばらくして、二人がいい雰囲気を醸し出してきたので、邪魔者はこっそり彼らから離れ、他をまわることにした。

 屋台が並ぶ石畳の道は時間を追うごとにだんだん人が増えてきて、先を行く夏海たちを見失いかけながら、必死に歩いていたけれど、とうとうはぐれてしまった。


「あーー、どうしよ……」


 私は人込みから脱出して、少し道の脇で休んだ。夏海、探してるかな……。りりちゃんと遥人くん、うまくいってるかしら。ぼーっとしていると。


「!!」


 うそ、え。誘拐??

 私は、後ろの茂みから出てきた手に手首をつかまれて、ひきずりこまれてしまった。


「可愛いね、君。高校生?」


 終わった。金髪のたちの悪そうな高校生か大学生か何なのかわからない人たちが私の周りを囲んでいる。


「ちょっと遊んであげるよ、ついてきて」


「や、やめてください」


ふりほどこうとするほど、手首はますます強くにぎられる。踏ん張っている足が下駄の鼻緒に食い込んでいたい。だれか……助けて。


「はやくしろよ、ゴラァ!」


本当に連れていかれそうになった、その時。何者かが、そいつを蹴り飛ばした。


 暗くて顔が見られない。でも、このシルエットは……明希先輩?


「逃げましょう、桜先輩。うわ、足、血まみれじゃないですか! 下駄こっちによこして、ぼくに乗ってください、早くしないとやばいですよ!」


「奏音くん……?」


「お前ら、なめてんじゃねーよ、小僧、お前台無しにしてくれたなあ、おい!?」


一瞬私が固まっている隙に、奴の仲間たちがこっちに近づいてくる。


「早く!!」

「ごめんなさい!」


 私はあやまりながら、かがんだ奏音くんに乗っかった。奏音くんは少し立つのに時間がかかったけれど、すぐ走り出した。怖かった。本当に、怖かったよ。心臓がまだばくばくしている。冷や汗もまだ止まらない。後ろから追ってくる音は、人混みに紛れてすぐに聞こえなくなった。


 しばらく走って、空いているベンチに私を下した奏音くんは、だいぶつらそうだった。


「ごめんね、重かったでしょ、本当にごめんね」


「いいんです。とにかく無事でよかった……。足は? ばんそこうは持ってますから」


 私は、着崩れしてしまった浴衣を正してから、素直にばんそこうを受け取って、ティッシュで血をふいて、ばんそこうを貼った。まだドキドキしている。もう安心しているはずなのに、変な気持ちだ。


「……もしかして、一瞬、お兄ちゃんが来たかと思いましたか?」


 私は心の中を見られていたようで、固まってしまった。


「だと思いました。勘でそう思っただけですけど」


 何も言えない私は、ばんそこうに血がにじんでいくのをぼーっと見ていた。

 人込みの騒がしさがやけに大きく聞こえる。


「なにか買ってきましょうか。まだ何にも食べてないですよね」


また1人でいたら……。さっきの記憶が蘇る。


「どこにも……行かないで」


奏音くんがベンチを離れようとしたとき、私は怖くなって、とっさに口走ってしまった。


「……え?」

「怖いから、一緒にいてほしいの」

「__分かりました」


 奏音くんがまた隣に腰を下ろした。奏音くんの表情はうつむいていてわからない。

 何も話せなくて、私たちはしばらくこうしていた。



 「あっ! いたいた! 桜ー、探したよ?」

 向こうから夏海がかけてきた。後ろには一年生たち。立ち上がろうとしたけど、痛くてやめた。

「ごめん。こけちゃって。怪我して」


「いいよ、いいよ。もう遅いし帰ろうか。お母さん迎えに来てくれるっていってるし、とりあえず道路まで歩ける?」


 顔をあげるとみんなが心配そうな顔をしてくれていた。

「大丈夫。歩けると思う」


 私はとりあえず立ち上がった。


「下駄、痛くないですか? 靴交換しますか?」

えりかちゃんが、靴を交換してくれて、とりあえず道路まで履かせてもらうことにした。


 ふと、隣に立っている奏音くんをみる。あれ、こんなに背、高かったっけ……。この前まで私より少し小さかった身長は私より少し高くなっていた。


「奏音くん、ありがとう。助けてくれて」


「どういたしまして」


 いままでうつむいていた顔をあげて、奏音くんが微笑をうかべた。お祭りの独特の明かりのせいなのか、その顔がちょっと違って見えて、引き込まれそうだった。


「じゃあ、行こうか」

 芳佳ちゃんが歩き出して、私たちはそれぞれの帰路についた。

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