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さくらの季節   作者: 木内杏子
19/61

最後のコンクール(1)

 ここ数日、私は心に余裕がなかった。

 中学生活最後のコンクールが迫っているのである。三日間の期末テストはなんとか乗り切った。あとはコンクールに力を注ぐだけである。


 そしてそれに伴って、私は、山野辺君に明希先輩のことを話すのを一旦やめていた。そんな過去のできごとを悠長に話している暇はないのだ。


 今年の課題曲は、さくらのうた。やわらかい旋律で、ハーモニーをつくるのが難しい曲である。トロンボーンは、主旋律になることは少ないものの、裏方で大切な役割をはたさなければならない。そして、曲後半でのソロ。ここは芳佳ちゃんがしっとりと、でもトロンボーンの堂々とした音色で丁寧に奏でる。


 自由曲は、RIVERDANCE。次々と拍子が変わるため、とても難しい曲である。私たちはこの曲を、二月くらいから練習し始めていた。初めは吹きこなすことなんて到底できないと思っていたが、練習のおかげで今は普通に吹くことができる。


「まだまだ、そんなレベルじゃダメ! フルート、ピッチ※1合わせてきたの? 本番まであと五日しかないの!」

鬼の顧問、住川先生の怒号が、音楽室にこだまする。

 つられて私までイライラする。なんでみんな頑張っているのに、フルートパートはピッチを合わせてこないのか。この時期、ほかの人の行動が目に付くのは毎年のことで、それぞれのパートの教室に帰ると、たちまち悪口大会になる。だめだよね……。この時期こそみんなで一致団結しないといけないのに。

 噂によれば、フルートパートは少し前から仲が悪いらしい。三年生同士が口を聞かず、二年生も困っているという。先生も何度も仲介に入っていると聞いているけど、なんで一向に改善されないのかな。


 吹奏楽部は、女子生徒がほとんどなのが原因かは分からないが、いつもどこかで部員同士が陰口の言い合いをしていた。あの後輩が言うことを聞かないだの、あの先輩が口うるさいだの、あいつが下手だの、あいつは贔屓されてるだの……。


 この仲の悪さが、毎年銀賞しか取れないことにつながっていると、私は思っている。


「二年生、音程合わせておいてね~。あと、桜、あんまり緊張しないこと」


 パートリーダーである、芳佳ちゃんが、私の緊張をみぬいた。私は、ムッとしてしまう。緊張なんか誰だってするし。嫌味のつもりで芳佳ちゃんは言ったわけじゃないのに、意地悪な感情が芽生える。いつもそうだ。芳佳ちゃんはいつも私より上手く楽器を吹ける。ソロだって、芳佳ちゃんがコンクールだけじゃなく、すべての曲で吹いている。堂々としてられるのは、上手いからだ。下手な人のことなんか何にもわかってない。

 私はこうは思っていても、口に出せなかった。代わりに芳佳ちゃんをにらんでしまった。芳佳ちゃんは、私の視線に気づいたのか、少し戸惑ったように見えた。私はなにをしているんだろう。芳佳ちゃん、ごめん。

 私は、その瞬間冷静になって、芳佳ちゃんから目線を外した。そして、小さい声で、

「がんばろう」

と言うことができた。

「言われなくても分かってるわよ」

芳佳ちゃんは笑ってくれた。夏海は珍しく、何も言わなかった。




 誰が何を思っていようが、時は淡々と流れ、コンクールは着実に私たちに近づいてくる。


 そして、ついにその日がやってきた。後輩からの千羽鶴を部長の柏木聖花ちゃんがしっかりと受け取り、私たちはバスに乗り込んだ。バスの中は緊張と不安という気持ちが充満している。私は流れていく景色を見ているふりをした。ミスしないように、みんなの足をひっぱらないようにしなくっちゃ。大丈夫、大丈夫。私ならできる__。



 会場である、ホールはすでにいろいろな中学校の生徒でいっぱいだった。こんにちは、こんにちはと、他校生に挨拶をする。

 楽器を搬入し、小ホールで音出し※2を行う。緊張で全身が震えた。最後だと思うと、涙さえでそうになる。まだ泣くのは早いよね、と気を取り直し、本番前にできることを精一杯やろう、と意気込んだとき、フルートパートから悲鳴が上がった。



「ない! 私の楽器がない!」

叫んでいるのは、馬場百合ちゃんだ。彼女はフルートのパートリーダーである。

「愛美、私の楽器、どこにやったの?」

ほとんど泣きながら、百合ちゃんは愛美ちゃんに言った。

「私、なにもしてない」

愛美ちゃんはふつうの顔で言った。

 愛美ちゃんは、フルートパートで百合ちゃんと喧嘩していた。噂の張本人たちである。

 他のパートの部員たちも状況が伝わって、みんな二人に注目した。


「だから、私は知らないって言ってるじゃない。だいだい、ケースの中を確認しなかった百合が悪いんじゃないの?」


 殺伐とした雰囲気に小ホール全体がシーンとなる。こんな状況、どうすればいいんだろう。先生を呼ぶべきかな……。ひそひそと話し声が聞こえる。

『あれ、絶対愛美が隠したんだよ』

『私もそう思う』



「どうしたの」

シーンとしたホールに凛とした住川先生の声が響いた。

 よかった。先生が来てくれた。


 先生は状況をきいて、愛美ちゃんにこう問うた。

「絶対に何もしてないのね?」

愛美ちゃんは、力強く、

「はい」

と返事をした。この返事を聞いて、何か言おうとした百合ちゃんを、先生は静かに止めた。

「馬場さんの楽器は、他校から借りてきます。だから安心なさい」


 そういうと、先生は小走りで小ホールを後にした。

 だんだんみんな二人への関心が薄れて、楽器の音が小ホールに戻ってきた。でも私は、二人のことが気になって仕方なかった。しばらくぼーっとしていると、夏海が声をかけてきた。


「パートチューニング、五分後だから。442※3で」

「分かった」

 私はようやくチューナーに向き合い、チューニングを始めた。心臓が、バクバクする。



 もうすぐ、本番__


 



 

※1 ピッチ 音程のこと

※2 音出し 基礎練習をし、楽器内部を温める。運動部でいうウオーミングアップ

※3 442 チューニングの際にあらかじめ決めておく、基準のようなもの。環境によって変わる。


なお、作中のコンクール課題曲「さくらのうた」につきましては、2012年度 全日本吹奏楽コンクール課題曲1に使用されたものです。


美しく、今の季節にぴったりの曲ですので、ぜひ、検索して聴いてみてください。

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