鬼のような練習の始まり
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「神谷! また5m8歩できてない! 北川、もっと姿勢よく、斜め上をみなさい! 三田、かかと!」
ここは3階の廊下。一年生たちは五メートル間隔にはられたテープを目印に、マーチングで基礎中の基礎の五メートルを八歩で歩くということを練習していた。先生の声がいつになく大きいのは、規則正しくメトロノームのように響く、スネアドラムのせいである。これに合わせて、みんなはひたすら歩いていた。
先輩たちはマーチング曲の、宝島を練習していた。
それにしても、いつまで続くんだ、この練習……。まだ方向転換の仕方もきまりがあるみたいだし、もういやだ。
その日の夕方、私たちに冊子が配られた。
「これ、なんですか?」
先輩たちはその冊子を隅々まで見終わるまで、私の問いに答えなかった。
Holt8
MT(p)4
MTP4(R=90)
FM16
意味がわからない。ふぉ、ふぉるとってなんだ?と私はじっとそのページを見るだけだった。
「これは、マーチングでどう動くかが書かれてるの。横の図と合わせてみて。桜ちゃんは36番の丸ね」
安東先輩は私の冊子の、文字が書かれている隣にある、方眼紙に丸がいくつも描かれている図を指した。
なるほど。たしかにその丸1つ1つに番号がついている。この丸が人間なのか。
「Holt8は、8泊間止まっていなさいってことよ。譜面と照らし合わせてみるといいわ。次にMT(p)はその場でまあ、簡単に言うと足踏みね、また教えるけど。それでその次は……」
頭が回らない。新しいことがたくさんあって、私は混乱していた。私はちゃんと動けるのかな……。不安だった。
ひとおり、その冊子の見方を教えてもらった私は、家に帰って譜面と照らし合わせた。先生の言葉がよみがえる。
「いい? 一年生だからといってあまえてはいけません。マーチングの練習は、運動部との兼ね合いもあって、夏休み期間中、グラウンドでは三日間しか練習できません。この動きを確実に一週間後までに覚えておくこと。譜面の暗譜※1も忘れずに行うこと」
楽譜に、Holt8と書きこむ。
その次の日から、先輩の鬼のような指導をうけ、私たちはそれなりに基本動作ができるようになった。
家に帰ると暗譜、暗譜ができたら次は動きと一緒に合わせていく。リビングで口ずさみながら動いているとお母さんに心配されてしまった日もあった。
そして、先生の指導による、鬼のような三日間が始まった。
私は、スポーツドリンクとお茶を持って学校にむかった。
点呼が終わるとすぐに楽器を準備する。基礎練はいつもより短め。いつものようにチューニング※2しようとすると、明希先輩が言った。
「マーチングのときは、管に砂が入ったらあかんからチューニングせんでええよ」
「本番の時だけでいいのよ」
いつの間にか、先生が教室までようすを見に来ていたらしい。みんな次々に挨拶をした。
「チューニングはいいから、一年生は用意をもってグラウンドに出てちょうだい。ポイントうちするから」
「はい!」
ポイントうちのしかたは、事前に先輩に教えてもらっていた。ポイントうちとは、マーチングに必要な五メートルの印を地面に打っていくことである。うちの学校では、白線を毎回引いていると、粉がもったいないという理由から、黒い目印のついた釘を地面に打ち込むことにしているのだ。
私たちはポイントうち係の先輩とともにグラウンドに出た。
暑い。夏休み後半とはいえ、影のないグラウンドはとても暑かった。
「メジャーとくぎ打ちにわかれて! 目標は十五分で終わらせること!」
先輩がてきぱきと指示をするが、はじめての一年生はあたふたするばかりで、なかなか終わらない。いつのまにか、部員全員が集合し終わって、ポイントうちの終わるのを待っていた。
先生がイライラし始める。見かねて、先輩たちが手伝いに来た。すると、ポイントうちはあっという間に終わった。最初から手伝いに来てよ。私はそんなことを思っていた。ポイントうちを開始してもう一時間は経過していた。そしてすぐ集合がかかり、のろまな私は、結局水分補給もできず、それに従った。
なんて馬鹿だったんだろう。遅れてでも水分補給はしておくべきだったのだ。
「じゃあ、最初は動きだけ確認します。楽器はおいて、コンテ※3だけもってくるように」
みんなが一斉に返事をした。さあ、練習がはじまる。
※1暗譜……譜面を暗記すること
※2チューニング……楽器の音程を合わせること。合奏などの前は必ず行う。
※3コンテ……作中で桜たちが配られた冊子のこと。マーチングでどのポジションで、どう動くかをまとめて分かりやすくしめす。




