side.奏音(3)
お兄ちゃんは、僕と帰っているのが神谷先輩だと聞いて驚いているみたいだった。
「それで、桜ちゃんのことが好きなの?」
僕は首を横に振った。違う。神谷先輩は、ただお兄ちゃんのことを聞かせてくれる人だ。それ以外に何も思っていない。
「違うよ。ただの先輩だよ。他意はない」
「つまんねーの。いいと思ったんだけど」
お兄ちゃんは髪をタオルでわしゃわしゃしながら言った。
『いいと思った』だと?僕はポカンとしてお兄ちゃんを見つめた。神谷先輩に告白されたんじゃないのかよ。なんでそんなこと言えるんだ。
「__聞いたよ」
僕は今まで一度も発したことのない声のトーンで言った。
「何をだよ」
お兄ちゃんはきょとんとして僕を見つめた。
「噂になってるよ。お兄ちゃん、神谷先輩に告白されたでしょ」
お兄ちゃんは黙ってうつむいた。
「なんでそんなことが言えるんだよ? いいと思っただと? ふざけんな」
僕は怒鳴った。気が付くと僕はお兄ちゃんの胸ぐらをつかんでいた。
「はなせ」
お兄ちゃんが無表情で僕をまっすぐ見つめてきた。離すものか。僕の話はまだ終わっていないんだよ。僕はお兄ちゃんをにらみつけた。
「どれだけ、神谷先輩が傷ついてると思ってんだ。告白されていい気になってんじゃねーよ」
「やめろ、奏。俺にだって選ぶ権利がある。お前にどうこういわれる筋合いはねーんだよ。桜ちゃんは妹にしか見れない」
お兄ちゃんが低い声で言った。
「分かったらはなせ。お母さんが来たらびっくりしちゃうだろ」
ぼくはしぶしぶ手を離した。
下からなにやってるのーー?とお母さんの声が聞こえる。
お兄ちゃんはずるい。
「結局、お兄ちゃんはお父さんとそっくりだよ。言葉遣いだけ変えても、お兄ちゃんはお父さんにそっくりだ」
お兄ちゃんは黙って部屋を出て行った。僕はこんなに喧嘩をしたのは初めてでドキドキして、しばらく寝られなかった。そして布団の中ではっと我に返った。僕はお兄ちゃんにとてもひどいことを言ってしまった。
ずるいのは、僕だった。
翌朝。僕が着替えてダイニングに行くと、お兄ちゃんがパンをコーヒーで流し込んでいた。僕に気づくと、お兄ちゃんはニカッと笑って、
「おう、奏。おはよ」
と言った。昨日のことなどまるでなかったみたいに。
「おはよ」
僕も普通に返した。
「明希、遅刻じゃないの? ほら、奏音も早くしないと遅刻よ」
お母さんがお兄ちゃんをせかす。お兄ちゃんは、いっけねえ。とつぶやいて、出て行った。
僕は、その後ろ姿を見送った。あまりにもお兄ちゃんが普通だから、僕は謝るタイミングをすっかり逃してしまった。
「奏音。どうしたの、ぼーっとして。早く食べちゃいなさい」
お母さんに声をかけられるまで、僕は玄関を見つめていたみたいだ。
「うん」
僕はモヤモヤしながら、パンを口にくわえた。
今日は遅刻しちゃいそうだ。僕はパンを飲み込んだ。
前のお話しで書き忘れたのですが、お風呂で会話すると、本音で語り合えるそうですよ。ぜひお試しあれ。




