教訓その二十六〜ピンチはピンチ!
引き続き作者視点です。
「さーて、困ったもんだな…」
斎藤 一葵は、一歩も動けないでいた。
目の前には、及川さくらが拳銃を持ち立ち尽くしている。
お互い会話を交わすわけでもなく、ただただ硬直した状態が続いていた。
「しかし、さくらの思考が読めないのは厄介だな…」
静まり返った部屋には、時折こうして一葵の独り言が響く。
一葵の人並み外れた読心術。目の前に居る人間の、特別強い思考を読み取る事ができる。
視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚。
五感と呼ばれる感性。一葵はその五感全てにおいて優れている。
中でも、視覚についてはずば抜けている。
《相手の思考を読み取る》と言うよりは、五感を活用し、《表情を行動に変換する》の方が正しいのかもしれない。
まず、一葵は典型的な左脳型であり、右脳よりも左脳の方が発達している。
則ち《直感型》である。
視覚によって得た概念を情報化したものを脳と結合させる。
ここで一般とは異なる点が生じる。
ーー個人の変化
人が嘘をついているか、ぐらいなら、誰にでも簡単に見分ける事ができる。
目が泳いでいるか、とか、声色が普段より高い…など、些細な事から判別する事が可能になる。
人は誰しもが、癖を持っている。それに自覚があるかないかは別として、必ずある。
一葵はそれを見逃さない。
共通する癖もあれば、異なる癖もある。
それには個人差があるとは言え、見分ける能力に関しては、一葵は超越していた。
それの最終系が、思考を読み取る事に繋がる。言い方次第では先読みと言っても良い。
もちろん、完璧ではない。
当然誤りもある。
だが、一葵は直感型である為、それを疑わない。
信じ切った行動は自信になる。
その自信に満ち溢れた一葵の行動を見れば、相手は思うだろう。
本当に心が読まれている、と。
それは単なる錯覚である。ただ、一葵の行動が、錯覚を真意に感じさせる。
「……くる!」
一葵はそう呟き、体を右方向へと反転させた。
足で地面を蹴った瞬間、響き渡る銃声。
第三者がこの場を見れば、こう錯覚をするだろう。
ーー一葵は、さくらの思考を読み取り、銃弾を避けた…と。
そう感じるのも無理はない事だった。何せ、タイミングが完璧過ぎる。
ただ、それは錯覚である。
そもそも銃弾を避ける事は、たいして難しい事ではない。
銃口、引き金、指の動き、呼吸。
それらをよく見ていれば、意外とたやすいもの。
ただ、そう上手くいくものでもない。
ほとんどの人間は、銃に怯え、冷静さを失う。
死と直面すれば、仕方ない事。
その点、一葵は違った。
過去に、《一度死んでいる男》だった。
一葵は死んでいるはずの人間だった。今更、何も怖がる事はない。
それより、自分よりも優先しなくてはいけないのが、目の前に居るさくらだ。
何故さくらが敵なのか。
救ったはずだ。
一葵は混乱している。でも、今はそんな感情に浸っている場合でもない。
今自分が殺されれば、この後さくらはどうなる。きっと助からない。一生こんな表情のままかもしれない。
さくらを助けるには、勝つしかない。
勝敗的にも、有利な立場に居た方が後々便利だ。
だからこそ、一葵は真剣にさくらと向き合う事を選んだ。
「銃弾は残り…何発だ?」
弾が切れれば、銃の役目も失う。
一葵は探る。さくらの表情を。
「………ちっ」
だが、失敗に終わる。
並の人間なら、読み取れていただろう。
《まだ余裕だ》
《残り…発。それまでに決める》
《まずい。後…発しかない》
時間が経てば、表情も変わるものだ。
表向きには隠したとしても、一葵には通用しない。
だがあろうことか、さくらは廃人と化している。
表情も一定。読み取る為のヒントすらない。
「これで五発避けた…。最初に発砲したのも合わせれば、六発。あの銃には残弾は残っていないはずだ」
一葵は知っていた。今さくらが持っている銃にセットできる弾の数は、最大六発まで。
その全てを、発砲させた。
後はタイミングである。
さくらは、残弾がない事に気付いていないのか、未だに銃を手放さない。
銃口を一葵に向けたまま、引き金に指を掛ける。
「……リロードしないのか?」
さくらは新しい弾を入れる様子を見せない。元々、弾は六発しか持ち合わせていないのだろうか?
「なら、チャンスだ…!」
一葵は、ここぞとばかりにダッシュした。
銃口を向けられているにも関わらず、正面からの捨て身のタックル。
それに応じてか、さくらは引き金を引いた。
空発。音だけが虚しく響き渡る………はずだった。
「ーー嘘ぉ!?」
直後に悪寒。
避けねば危険と体が感じ取った。それが結果的に、正解。
一葵は慌ててサイドステップを踏み、体を無理矢理捩曲げる。
まさかの隠し弾。銃弾は残っていた。
「……何で…?」
確かに、銃弾のリミットは最大で六発。それに間違いはない。
だが、一葵は、ある見逃しをしていた。
否、聞き逃しをしていた。
『二発目がくるぞ!』
只野 仁の助言を、一葵は忘れていた。
自分を庇い、怪我をした玲奈に気を取られ、一発目の後にリロードした弾の存在を忘れていたのだ。
あの時、さくらは無意識の内に、発砲後に銃弾をストックできる部分を開けた。
弾は残り五発。だが念の為にと、一発の銃弾をリロードした。それが意識的か無意識的かは分からないが。
それを見た仁は叫ぶ。
ーー二発目がくる、と。
この時点で、既にリロードは完了していた。
ただ、一葵はそれに気付けなかった。
一葵にとって、計算違いの、まさかの隠し弾。
「……よりによって足かよ、くそ!」
致命的な直撃は避けらせた。だが、ふとももを撃たれてしまった。
出血が酷い。それに呼応する様に痛みも伴っていく。
額からは脂汗が滲み出る。状態は芳しくない。
負傷した方の足を地面に立て、痛みに耐えながらも次の戦略を練る。
さくらが銃弾をリロード。銃弾はまだあった。先ほどの隠し弾で銃弾が底を尽きたのだったら良かったのだが、それを見た一葵は、万策尽きた様に呟いた。
「THE ピンチ!」
否、叫んだ。
「どうしよどうしよ…」
情けない声を出し、頭を抱える。
足は動かない。だが、かろうじて立つ事はできる。
ただ、それだけ。踏み出す事はできない。
さくらが一歩一歩近付いてくる。
拳銃は長距離武器である。なのに距離を詰めるのは、絶対に避けられない為であろう。
とどめを刺しに来た。
一葵は、何もできない。
さくらを見つめる事しかできない。
「誰だよ…ピンチはチャンスとか言い始めた奴は…。ピンチはピンチじゃねぇか……どうやったらこの状況がチャンスに変わるってんだ…」
確かにそうである。ピンチはピンチ。決して、チャンスなどではない。
もしも今一葵が『チャンスだ』などと言えば、ただの変人である。
ピンチは最大に達した。
ついに、さくらが目の前まで来たのである。
銃口を額に押し付ける。
引き金を引いてしまえば、一葵の脳を確実に撃ち抜くだろう。
「……もう駄目、か」
一葵は、万策尽きた。
そして、笑った。
人はどうしようもない状況になると笑うと言うが、一葵の笑顔はそれとは違った。
絶望を見据えた笑顔ではなく、優しい笑顔だった。
「見えてるか? 俺の顔」
やがて涙が流れる。
死ぬ前に、さくらに笑顔を見てほしかった。
それが叶わないのが、悔いだ。
それでも、見てくれている事を願い、精一杯の笑顔を見せた。
「大好きだったよ」
一葵は目を閉じる。
そして、無惨にも引き金は引かれた。
発砲音が鼓膜を刺激する。
「………………ん!?」
痛みがなく、意識がある事に驚いた一葵は、まだ生きているという事実に気付くのに多少の時間を費やした。
「あれ? あれ!?」
目を開けてみると、変わらない光景が映る。
おかしい。確かに、引き金は引かれた。発砲音だってした。銃弾は入っている。
なのに、一葵は撃たれていない。
「はは、…まさか、ね…」
ーー不発ーー
それが起こりうる確率は、何億分の一である。
だが、不発以外に考えられない。
「奇跡ですかね、これ」
首の皮一枚繋がった。
だが、奇跡はまだ続く。
「………かー…くん?」
さくらの瞳に光が戻った。
それどころか、意識までも。
一葵を認識。まるで、長い眠りから覚めた様な表情だが、しっかりと認識。
さくらが、戻った。
「はは、ははは…夢か、これ?」
一度は全てを諦めた一葵に、突如舞い降りた奇行。
一葵も、さくらでさえも、原因は分かっていない。
だが、そんな事を考える前に、一葵はさくらに抱き着いた。
「良かった…! 本当に良かった!!」
「かっ、かーくん!? ……って、ここ何処? 私今まで…」
「良い! 何もない! 大丈夫…大丈夫…!」
「かーくん足! ……あれ、私何か持って……拳銃!?」
それは不思議であった。
さくらは今まで何をしていたのかすら覚えていない。
「もしかして…私が撃ったの? かーくんの足…」
さくらの中で、現状が繋がったのだろう。
この二人きりの空間で、一葵は足に怪我を負い、その傷を付けるに充分な威力を持つ武器を、自分が握っている。
「あぁ、そうだよ」
一葵は、ごまかそうとはしなかった。
「でも、良いんだよ、もう。今は……な?」
自分を責めるさくらを、ただひたすら強く抱きしめた。
「ジン、レイナ。足が動かねぇから後は任せた…ぜ」
緊張の糸が切れたのか、膝からガクリと崩れ落ちた。
現状が完全に理解できないさくらだったが、責任はある。
その気持ちが、崩れ落ちる一葵を受け止めた。
「……どうしよう…わけわかんないよ…もう」
今にも泣き出しそうなさくら。
「ぷっ…あっはっはっはっ!」
それに比べ、一葵は笑っていた。
「何でこんな状況で笑ってんのー!? ちゃんと説明してよー!」
「だって俺もう死んだかと思ってて、なのに生きてて、さくらが戻って、もうわけわかんねぇ! 笑うしかねぇだろ!」
今にも泣き出しそうなさくらを余所に、一葵は幸せそうに笑った。
二人は後に知る事となる。
不発そのものは奇跡としか言いようがないが、さくらの意識が戻ったのは、奇跡ではなく必然的だったという事を。
そして、結果的に一葵の命を救った、速水玲奈に感謝しなければならない事を。




