教訓その二十〜取り乱すな…その感情を静かな怒りに変えろ!
「ユキが誘拐された」
・・・ざわ・・・・
『まさか…ありえない』
ざわ・・・ざわ・・・・
「残念ながら、本当なんだよ、ジン…」
ざわ・・ざわ・・・ざわ・
冗談は顔だけにしろ
できるなら、そうツッコミてぇ。
ただ、その一葵の顔は真剣そのもの。とても嘘をついているようには見えない。
それに圧されてか、汗が頬を伝う。
『……ところで』
「……あぁ、なんか俺達の周りに、どこかで見た事がある字体の《ざわ》があるよな」
『心なしか、顎が尖ってきた気がする…』
「気にしたら負けだ。それに今はフザけている場合じゃない」
『そうだな。…で、ユキが誘拐されたってのは…ガチか?』
「ガッチガチ」
ちなみに《ガチ》とは《マジ》と対等の意味合いを持つ。
『何で? 誰に? いつ? どこで!?』
「おっ…落ち着けジン」
『これが落ち着いてられるかぁ!』
俺は一葵の胸倉を掴み、大きく揺さぶる。
「落ち着きなさい」
ふと左頬に刺激が走る。
我に返った俺の目の前で、一葵が涙目になりながら咳をしている。
そして、レイナにビンタされた事を認識する。
「ゴメンなさい。でも、落ち着いて」
レイナが俺を真っ直ぐ見つめてくる。
どこか懐かしい眼差しだ。
不思議と…レイナに見られていると安心できる。
女に殴られた事は初めてじゃない。
中学時代の俺は荒れていたから、喧嘩相手が女なんてケースもあった。
ただ、殴られた時に感じるのは当然、痛みと怒り。
俺はデブロン毛とは違うのでね。女に殴られて喜ぶような趣味はない。
なのに、今感じるものは、自分の情けなさ。
取り乱したところで、何一つ変わりやしない。いや、それどころか、一刻を争う緊急事態だ。話のストッパーになっている場合じゃない。
「落ち着いた? はい、一葵君に何て言うの?」
『ゴッ、ゴメン…一葵』
今のレイナは、まるで悪戯した子供を叱る親のようだ。
ありがとう、レイナ。落ち着いた。
『一葵、ユキが誘拐された事をどこで?』
「あぁ、コレを見てくれ」
一葵はポケットから手紙を取り出す。そこには、こう書かれていた。
《孤羽以 雪は我々が預かりました。無傷でお返しする事は、まずありえません。今から指定する人間は、ある場所に来ていただきます。
只野 仁
斎藤 一葵
速水 玲奈
五十畑 妃名
最後に、孤羽以 厄丸
警察に連絡しても構いません。
指定された人間が来なくとも、逃げたとは思いません。
ただ、その時はこちらもそれ相応の行動を取らせていただきます。
地図を備え付けさせてもらいます。時間に間に合わない場合も、お分かりですね?
では、楽しみにしていますよ》
『なっ…何だコレは?』
誘拐は退廷、《目的》があるはずだ。
この手紙を読む限り、身代金が請求されていない事から金が目当てではない事は確かだな。
じゃあ目的は何だ?
犯人が要求するのは、指定した人物に来てもらう事だ。
それは、俺、一葵、レイナ、ヒナ、校長の五人。
俺達を引き寄せる為の《餌》として、ユキを誘拐しやがったのか?
しかも文頭に書かれてある事が気になる。
ユキを無傷じゃ返さねぇだと…?
「調子こいちゃってるよねー。アタシ達の友達誘拐するなんてー」
話が聞こえたのか、隣の部屋のドアを開き、ヒナが出て来た。
全身黒のスーツを着ている。
まるで闇に溶けるスパイの格好だ。
様子から見るに、相当お怒りの様だ。
「行きましょう、ユキを助けに」
レイナが俺の肩に手を乗せる。
またしても迷いのない、強い瞳。
見ているだけで安心する瞳だ。
「人気者は辛いな…。俺の指名料は高けぇぜ」
一葵が調子に乗っているが、危険が伴う可能性がある以上、頼もしい仲間である。
「アタイも行くよ!」
『いや、マヤは駄目だ』
「何でだよ! ダチが拉致られてんのに黙ってろって言うのかよ!」
「ジンの言う通り、マヤは辞めた方が良い」
俺の意見に一葵も同意する。
「まず指名された人間以外が行くのは犯人の機嫌を損ねる可能性がある。そうなればユキは尚更危険だ」
ーーあれ…?
ちょっと待てよ…?
「それに、私達も痛い目に合う可能性が高いの。マヤちゃんが頼りない訳じゃない。けど、貴女は私やヒナと違って、何の訓練もしていない普通の女の子だわ。顔に傷でもできたら大変だもの」
ーーそうだよ…何故俺達が指名されているんだ?
「アタシ達に任せといて♪ 絶対に無事にユッキーを助け出すから♪」
ーー皆不思議じゃないのか?
…おかしい。
よく考えろ。
俺達の共通点を探せ…。
犯人は俺達を指名した。
つまり、金以外が目的なら、何か用件があるはずなんだ。
犯人は俺達に恨みがあるのか?
この学校に来てから恨みを買うような真似はしていないはずだ。
強いて言うならば、クラス昇格戦のソフトボール…か?
さらに言えば二ノ宮辺りが怪しい。俺達に恨みがある人物は二ノ宮以外考えられない。
ただ、この推理は違う。
二ノ宮がそこまでするだろうか?
ユキを誘拐し、さらには校長までご指名だ。
事が大きすぎる。
それに、もしそうなら同じチームだったマヤを外す訳がない。
いや、そもそも《恨み》程度で、ここまでするだろうか?
もし理由が恨みだとするならば、かなり膨大な恨みのはず…。
俺達は恨まれているのか?
身に覚えはない。
ーーそれとも、気付いていないだけなのか…?
「あー、もう…分かったよ。アタイは留守番だ」
全員の説得の甲斐あって、マヤは諦めたようだ。
「はっ、実は今日アタイ生理だったんだ。体調が良かったら無理矢理着いて行ったんだが…あー残念だ残念!!」
ふふ…本当にマヤは素直じゃないというか何というか…。
そんな自虐的嘘をつかなくても良いのに。
皆が本気でマヤを心配したもんだから照れ臭かったんだろうな。
「犯人、ぶっ飛ばしてこいよ」
『任せときなさい』
「よし、じゃあ行こう。ここに来る前に校長には話してある。場所は少し遠いからヤス先生が車を出してくれるらしい。おそらく、すでに校門で待っているはずだ」
指定された場所は学校の敷地外…か。
外部の可能性が高いか…?
じゃあ何故俺達を指名した…?
とにかく、今の時点では分からない事だらけだ。
危険を承知で行くしかない。
「時間まであと一時間…。距離的に車で30分もあれば着くだろう。皆、覚悟は良いな?」
一葵を先頭に、部屋から出る。
ふと、マヤから心配そうな眼差しを感じた。やはり自分だけ力になれないのが悔しいのだろうか?
『ユキが帰って来るまで、スノードロップの世話は任せたぞ』
俺は振り返り、マヤに精一杯の笑顔を見せた。
「………………おい」
マヤの事だからどうせ、こんな時に何へらへら笑ってんだテメー…とか言うのだろう。
「本数が足りねぇ。ジンの仕業だってのは分かってる…弁償しろ」
こんな時に何言ってんだ…。
あ、俺の台詞になっちまったじゃねぇか。
ってか例の件バレてるー!
「分かったな! 弁償しろよ! 約束だぞ!」
『あぁ、分かったよ。約束する』
「男なら約束ぐらい守れよな!?」
『おう!』
絶対に破れない約束をしてしまったな。
まぁ、破る気なんてないけど。
「…素直に《帰って来い》って言えば良いのに」
「…ほら、マヤちゃんツンデレだから」
「…え!? 今のが《デレ》なの!? どっちかって言ったら《ツン》じゃない!?」
『いやマヤは三栄晴だし』
「ツンデレじゃねぇしうるせぇし三栄晴って誰だよ! テメェらさっさと行け!!」
こうして、《ダーッと行ってワー(−1)》の、ユキ救出作戦が決行された。