教訓その十六〜頬を伝う雫は輝いた星の色をしているけど、これは汗だ!
ヒナ視点です
「今日からBクラスの仲間入りする五十畑ヒナでーす♪」
「速水レイナです。宜しくお願いします」
「船渡川マヤ。よろしく」
アタシとレイナとマヤちゃんが自己紹介を終えると、新しいクラスの皆は、拍手で迎えてくれた。それも、笑顔付きで。
むー、ジンくんと一葵は何やってるんだろう?
もしかして、また寝坊かな?
今日も朝食の時間に居なかったし…。
「はーい、それじゃ皆さん仲良くしてあげてください…っと」
新担任の雄二先生は、いつ見てもやる気ナッシングな表情です。
歳は若く、髪の毛も明るいオレンジ色に染まっている。
眠そうに、そしてダルそうに欠伸をしながら頭を掻いてる。
でも、それが馴染みやすい。この学校の教師とは思えない程に。
「んじゃまー適当に空いてる席に座ってもらって…」
「先生、空いてる席ないんですけど…」
さすがやる気なしで有名なユウジ先生。新入生が入る事は事前に知らされているはずなのに…。
「レイナさん! 俺の隣どうぞ!」
「は!? え、ちょ…ここ俺の席だから! つかお前が退けよ! レイナちゃん、俺の隣に!」
「あーもう! お前ら退け! ヒナちゃんが座れねぇだろ!」
えっと…何故か男子全員が喧嘩し始めたんですけど。
頼りのユウジ先生は、『どーでも良いよ』みたいな顔してるし。ユウジ先生に頼ったアタシが間違いだったのかな。
「おい」
喧嘩している男子の中にマヤちゃんが割って行きました。
「ここアタイが座るからどいてもらえる?」
「……っ! あ、はいどうぞ」
一瞬、マヤちゃんと喋ってた男の子の顔が恐怖に引き攣った様に見えたけど気のせいだよね。
「レイナ、アタシ達どうしよっか?」
「しかたないから、他の教室から新しい机と椅子を取りにいこ?」
「そだねー」
えっと、確か…階段を下りたとこに空き教室があったはずだ。
うーん…ってことは、戻ってくる時に机を持ちながら階段を上るのか。
別に机が重いってわけじゃないけど、アタシ身長が低いから前が机の上に椅子を乗せて持つと前が見えにくくなるんだよねー…。
ま、いっか。授業が始まる前に行ってこよーっと。
「あ、あ、あ、あ」
「……ん?」
「あ、あ、あぁ…」
なんか『あ』しか言わない人に話しかけられました。
「何かな?」
「ああぁ、あ、ああ」
………はっ!
もしかして…この人…。
『あ』しか喋れないんじゃ…!
「ああああのですね。ハァハァ、も、も、もももしよよよよよろしければですね。ぼぼぼぼ、僕の席にすすすハァハァ、すー座って下さい。あの、ああ、新しい机はぼぼ僕が持ってきままますんで」
…あ、よかった。ちゃんと喋れるんだ。
でも凄い早口な人だなー。
セリフの最初つっかえてるし。
なんかハァハァ言ってるし。
「あなたの席に座って良いの?」
「ははははい。もも、もちろんです。ああぁ、でももしかしたら僕が座ってたから凄いあの汚いかもしれませんしだからあのその」
この人、もしかして怯えてるのかな?
なんか奮えてるし。汗凄いし。
「良かったね、ヒナ」
「うん。でもレイナの机がないから私も一緒に行く」
「ああああぁそ、それでしたらですね、僕がレ、レ、レイナさんのですね、ハァハァ…いいい椅子になります」
「…………え?」
うわっ、レイナが凄い怖い顔してる…!
「ああああああ、じゃじゃじゃ僕がふふふ二人の分の机持ってきますんでちょっとままま待ってて下さい」
それだけ言って、早口で挙動不審で暑がりさんなその人は教室を飛び出して行った。
「面白い人だねー」
「うん。あと、とても良い人だね」
でも名前分かんないや。
戻って来たら聞かなくちゃ。
「おおおおお待たせ」
速っ!
「あ、ありがとう」
凄い嬉しいよ。凄い嬉しいはずなんだけど…。
その人の異常なまでの汗が机にポタポタと垂れて浸透してるんですけど…。
しかも手汗も凄いから、持っていた部分の両端なんて大変な事態になってます。
でも、善意を無駄にしちゃ駄目だよね。
暑がりさんなのに、私達を待たせまいと急いで持ってきてくれたんだもん。
「ありがとね」
アタシは精一杯の笑顔を、その人に向けた。
でも、すぐにまた教室を出て行ってしまった。きっとレイナの分の机を取りに行ったのだろう。
一分と掛からず戻って来た彼の手には、アタシの机以上の汗がついていた。
木製の机は、汗を吸収しきれずに、もはや水溜まりのようになってしまっている。
ドンマイ、レイナ。
「あ、ありがと」
それでもレイナは、笑顔を保っていた。
「そそそそれじゃぼぼ僕はこのへんで」
あ、名前聞いてないけど…まぁ良いか。同じクラスだし、その内分かるでしょ。
とりあえず一時限目の授業は、ノートと教科書を出せそうにない。
「それにしてもジンくん遅いなー。何やってんだろー?」
HRが終わってもジンくんと一葵くんは来なかった。
ありゃりゃ、罰として掃除当番決定だな。
「ふふ」
「ん、何笑ってんのレイナー?」
「んーん、別に。ただ、珍しいなー…って思って」
「珍しいってー?」
「ヒナも、男の子に興味が出てきたんだなー…って」
「かっ、勘違いしないでよね! べっ、別にジンくんの事なんか心配してないんだから!」
「昨日ツンデレ雑誌読んだから早速使ってきたわね」
「えへへー」
…んー。でも、確かにレイナの言う通り、少し興味が出てきたかもしれない。
アタシは同年代の人達と一緒に居るだけで、凄く楽しい。
それに、皆アタシと仲良くしてくれる。
でも…それって、皆アタシの過去を知らないからなのかもしれない。
アタシの過去。そして、この学校を卒業してから待っている生活。
それを知らないから、仲良くしてくれる。
もしそれが知られたら、皆アタシから離れていくかもしれない。
凄く怖い。
もしかしたら…友達が『ターゲット』になるかもしれない。
可能性はゼロじゃない。
組織から依頼されれば、任務の遂行は絶対だ。
その為に幼い頃から人としての感情を殺すように教育されてきたんだ。
でも、今のアタシには…情が蘇ってしまっている。
「こら、ヒナ。顔が暗いぞ」
レイナがアタシの頭をこずいた。
「…うん」
「すいやせーん、遅刻しましたー!」
その時、教室に勢い良く入ってきた二人がいた。
「愛の……愛のキャッチボール…へへへ…」
「いやー、ちょっとコイツ馬鹿なんで気にしないで下さい。って…あれ、俺達の席なくない?」
「へへ…俺らの席ねーからー」
「…ゴメン一葵。俺が悪かったから、いい加減に目を覚ましてくれ」
でも、何だろう。ジンくんを見てると、なんか楽しい気分になる。
「レイナ、ジンくんって素敵だよね」
「えっ!? ヒナ…まさかジンくんの事…」
「ううん。まだアタシには、好きって感情は分かるけど『愛しい』って感情は分からないみたい。それに…」
「…それに?」
「ジンくんはレイナの………おとーー」
「あー、てめぇデブロン毛じゃねぇか! まさか同じクラスなのか!?」
「ききき、来ましたねジジジジン君。せせせ、先日はほほほ本当に申し訳なかった」
アタシ達の机を持ってきてくれた人を、ジンくんは『デブロン毛』と言い出した。
確かにちょっと体脂肪率が高くて髪の毛も長いけど、さすがに直接的すぎるよ。
「てめぇよくも俺に薬なんか」
「ごごごごごめんなさい。ヒイイィー」
「ま、もう済んだ事だし良いや」
早速、ジンくんとデブロン毛さんは仲良くなれたみたい。
そういえば、どこかで見たなーって思ったら、アタシの周りにいつも居た人だった。
それにソフトボールの時に対戦したっけ。
「…ヒナ」
「んー、なにー、レイナー?」
「もしヒナがジンくんを…いえ、男の子を好きになったら、まず最初に私に言ってね?」
「もちろんだよ。約束する」
レイナ、もしかしたら…もしかしたらだよ?
もしアタシにも『愛しい』って感情が分かって…いや、本当は気付いてるのかもしれない。
愛しさを素直に認めて、本気で好きって言えるようになったとしたらね…?
たぶん…アタシの好きな人ってさ…。
レイナの『弟』かもしれないんだ…。